僕は夢見がちな婚約者のために姫になる。
煌びやかなシャンデリアが輝く舞踏会のホール。
色とりどりのドレスを身に纏った女性が、美しく奏でられる音楽に乗って、舞っている。
そんなホールの壁際。
「きゃ〜っ! クリス、見て! ハロルド様よっ! あの逞しい腕、素敵だわっ!!! まさしく、私が夢見る憧れの騎士様だわ〜」
「……この前は、リカルド殿下でなかった?」
「リカルド殿下の適度に引き締まった体も捨てがたいけど、いかにも守ってくれそうなハロルド様も素敵! 私の妄想が掻き立てられるわ〜! 次のお話の主人公は、ハロルド様に決定ねっ。もちろん、お姫様のモデルはクリスよっ」
目をキラキラ輝かせながら、扇を開き、ひそひそと耳元で話しかけてくるのは、リリアナ・ウォルテッド公爵令嬢16歳、
蜂蜜を溶かしたような美しい金の髪をハーフアップにさせ、その瞳はブルーサファイアのように美しい。
黙っていれば妖精のような美少女だが、口を開けば残念な彼女である。
そんな彼女の趣味は、物語を書くこと。
「クリスはどちらが好みかしら? やっぱりリカルド様? クリスは銀の髪の儚い感じの美人さんだから、がっしり型のハロルド様より、王子様系のリカルド様の方がお似合いかしら」
「………」
「クリスは本当に、昔から私の理想のお姫様だわ〜」
うっとりとした表情のリリアナ。
僕は思わず遠い目になる。
―――そう、僕は歴とした男である。
銀糸のようなサラサラな長い髪に、アメジストのような瞳。
僕は確かに昔から女の子とよく間違えられた。
クリストファー・ヘイルダム、16歳。
現宰相である、ヘイルダム侯爵の二男。
本当は髪を短く切りたいけど、僕の髪の毛には魔力が宿っていて、髪を切ることもできないので、仕方なく、肩のところで緩やかに結んでいる。
せめて筋肉をつけようと密かに筋トレをしているけど、見た目で分かるほどの筋肉はつかない。
身長は最近ようやく伸びてきて、小柄なリリアナよりは頭一つ分は高くなってきたけど、それでも彼女は僕がお姫様に見えるらしい。
彼女とは6歳からの幼馴染、そして親が決めた婚約者。
彼女はウォルテッド公爵家の長女で、ウォルテッド公爵は、女の子しか恵まれなかったため、9歳の時、同じ歳の幼馴染であり、二男である僕が婿に入るということで、婚約が成立した。
僕は武術は得意ではないけど、水の魔力は強いし、勉強も学園では常にトップクラスで将来有望。
ウォルテッド公爵にも跡継ぎとして、目をかけてもらっている。
だけど、彼女は決して僕を男として見てくれない。
僕は手に持ったグラスを静かに口につける。
「……今度はどんなお話にするの?」
よくぞ聞いてくれました!と言わんばかりに、彼女のパッと顔が輝く。
「そうねぇ。隣国王子様のところに嫁ぐ予定の美しいクリス姫が、道中で野盗に攫われそうになり、それを専属護衛騎士のハロルド様が命がけで守り脱出。そこで愛が芽生えて、2人で駆け落ちするなんて、どうかしら?」
指を顎にあて、首をかしげる姿は本当に愛らしい。
「姫はリリアナでいいんじゃないの? 君の方が典型的なお姫様じゃないか。なんで姫のモデルはいつも僕なの?」
「えー! だって私の理想の女性の容姿は、昔からクリスだもの。最近は背が高くなっちゃって、私のドレスが着れなくなって、本当に残念だわ〜」
そう、僕は昔、リリアナの着せ替え人形だった。
侯爵家に遊びに行くと、いつもリリアナのドレスを着せられ、女装させられていた。
本当は嫌だったけど、可愛い顔でお願いされると、僕も嫌とは言えなかった。
ふと顔を上げると、噂のハロルド様が近付いてきた。
エバンズ伯爵家の二男で、僕達より3歳年上の19歳。学園を卒業して、近衛騎士団に入団したそうだ。
(やっぱり彼女は彼みたいな男と結婚したかったのかな。二男だから、僕がいなければ、リリアナは彼を選ぶことができただろうに)
胸がチクリと痛む。
「ほら。リリアナの王子様がやって来るよ」
「やだっ。どうしましょう!」
頰をピンクに染め、僕の陰に隠れてしまった。
「リリアナ嬢、よろしければ私と一曲踊っていただけますか?」
「わ、私……」
彼女はアワアワしながら、僕の服の裾をキュッと掴む。
「も、申し訳ありません。少し疲れてしまったので、本日は……ご遠慮いたしますわ」
下を向いたまま、何とかどもりながら小声で答えるその姿は、先程までの朗らかな姿とは大違いである。
「それは残念です。また、次回は是非に」
ハロルド様は爽やかな笑顔で軽くお辞儀をして、去って行った。
2人でその背中を見送ると、リリアナが僕の背後から出てきた。
「やっぱりハロルド様は、クリスと並ぶと絵になるわ〜」
「良かったの? 近くで観察するチャンスだったのに」
答えは分かっているけど、一応冷やかしの意味もこめて、声をかける。
「無理無理無理無理っ! 私は見るだけで満足なのっ! 若い男性の方とダンスなんて、絶対無理っ」
「……僕も男なんですけど」
「クリスは特別よっ」
(特別ね。本当の意味で特別だったら、どんなにいいんだろう)
僕は目を伏せ、軽く溜息を吐く。
そう。彼女は若い男性が苦手。
なので、16歳の春に社交界デビューした以来、父親か、父親と同年代のお偉いさんか、エスコート役の婚約者である僕としかダンスはしたことがない。
彼女がまともに話せる若い男性は、僕だけ。
だから、巷では、婚約者である僕が独占欲が強くて、彼女を独り占めしているとか、彼女が僕にゾッコンだとか噂されている。
―――本当にそうだったら、どんなにいいことか。
僕がどんなに努力しても、彼女は僕を男として見てくれない。
上目遣いの可愛い彼女の顔に、そっと手を添える。
「クリス?」
そのサクランボのような唇に、キスしたら、君はどう思うだろうか。
(いけないいけない! 僕まで妄想癖がついちゃったな)
僕も年頃の男だし、好きな女の子に興味を抱かないはずがない。
僕は首をブンブン振り、手を下ろす。
「もう一曲踊って、少しテラスで休もうか」
彼女にそっとエスコートの手を差し出す。
「いいわ」
彼女がニコッと微笑み、僕の手にそっと自分の手を乗せた。
彼女と踊るのは僕の特権。
今はそれで満足しないと。
彼女を怯えさせないためにも、僕は彼女の姫になる。
彼女がいつか、僕の男としての本当の気持ちに気が付いた時、どうなるのだろうか。
僕達の長年築き上げてきた二人の関係は、脆くも崩れ去ってしまうだろうか。
物語の騎士のように、剣でかっこよくリリアナを守ることはできないけど、僕は君の美しい想像の世界を、もうしばらくは守ってあげるよ。
(……でも、男同士の恋愛はちょっと勘弁だな)
――――――――
一曲踊り終えて、クリスにエスコートされ、テラスに出る。
月明かりに照らされた彼の横顔は本当に美しい。
私の視線に気が付き、彼が優しく目を細めて微笑んでくれる。
「リリアナ、飲み物は良かった?」
どんな時でも、私を気にかけてくれる彼。
彼は確かに騎士のように、筋肉モリモリではないけれど、密やかに鍛えていて、引き締まった身体をしているのを知っている。
水の魔力はずば抜けて高く、恐らく騎士が本気で彼に立ち向かっても、氷の魔法で一撃であろう。
私のために、公爵家の未来のために、懸命に努力して、常にトップクラスの成績を保ってくれているのも知っている。
そんな彼に、どうして惚れないでいられるだろうか。
とっくに私の中で、彼は本当に特別な人。
そんな彼に抱きしめられたら、私はどうなるんだろう。
―――自分がどうなってしまうのか、怖い。
本当は私は彼の気持ちに、気が付いている。
でも、もう少し待って。私も急いで大人になるから。
その時は、きっと私が貴方のお姫様になるわ。
それまでもう少し、私の物語のお姫様でいてね。
読んでくださり、ありがとうございました!