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自己顕示欲

作者: 城花

 自己顕示欲とは、「周りに自分の存在を示したい」という「表現欲」である。自己顕示欲は、人間が生まれつき持っている自然な欲求だそうだ。自己顕示欲を持っており、その欲求に従ってSNSや動画配信などで自分をアピールすることは何もおかしなことではない。実際に私が今、この文章を書いているのも自己顕示欲からだろう。


 私が自己顕示欲について調べた理由は省略するが、調べているうちに、「自己顕示欲と承認欲求は違う」や「自己顕示欲は承認欲求に内包される」など、矛盾した内容の記事を見つけた。


 ここでは、私が考える「自己顕示欲」と「承認欲求」のその他の欲求との関わり、そしてその欲求につながっている人間の感情について書こうと思う。



 自己顕示欲と共に出した「承認欲求」について。「承認欲求」とは、「他人に認めてもらいたい」という欲求だそうだ。表面上では「承認欲求」があるから「自己顕示欲」が生まれるのでは? と思ってしまう。実際に私も先ほどの、心理学者の先生が書かれた「自己顕示欲と承認欲求は違う」という内容の文章を読むまでは同じものだと思っていた。


 私が考えさせられたその文章では、「承認欲求を満たすにはどうしても他人が関係してくる。自分以外の人間がいないとその欲求が満たされることはない。しかし、自己顕示欲とは、他人がいなくても自分が自己を表現することができればその欲求は満たされる。他人が関わる時点で自己顕示欲と承認欲求は異なるものだ」と書かれていた。


 確かに、承認欲求は他人に認められることが最終目的であると言える。それに対して自己顕示欲は極端な話、誰の目にとまらなくても自分を表現することができればそれで良いということになる。


 それだけならば簡潔で分かりやすいが、人間の感情はもっと複雑に織り込まれている。というより、先ほどの心理学者の先生の文章でのことだが、私の考えでは、自己顕示欲を満たすためには当たり前だが自分の存在をアピールすることが必要である。しかしそれは、表現する先に他人がいることが最低条件である。自己表現の相手が家族だったとしても、それは自分以外の存在、「他人」である。つまり、自己顕示欲も承認欲求も、最終目的が違ってもどうしても自分以外の存在、「他人」がいることが最低条件であることは一致している。


 よって私は、「自己顕示欲と承認欲求は同じものである」とは言わないが、弱くは無い関連性があると認識する。



 人間には「三大欲求」と呼ばれるものがある。食欲・睡眠欲・性欲だ。これは殆どの人が知っている常識だろう。これらが人間の本能によるものだと定義すれば正しいが、人間が思考した結果であるというのなら、それは違うと思う。


 野生の動物にはこれが当てはまるだろう。野生の動物には理性がない。野生の動物と人間の一番の違いは「理性」があるかどうかだと私は思っている。よってここでは人間を人間たらしめているものは「理性」であると定義する。


 人間にはもともと「理性」 は存在しなかった。理性が生まれてきてから人類は進化し、今の姿になったと考える。何が言いたいかというと。生まれたばかりの赤ちゃんに理性はまだない。赤ちゃんの成長する過程は、人類の進化を効率的に行ったものだ。


 生まれたばかりの赤ちゃんには理性がない。その頃は自分の食欲・睡眠欲を満たすために泣いてアピールする。しかしそのうち、赤ちゃんが学習し、理性が生まれてくると「泣く」という行為に「自己顕示欲」が混ざってくる。赤ちゃんとは親の愛情を器からこぼれるほど欲している。愛情をもらうには、表現だけではなく、親に自分の存在を認識してもらう必要がある。つまり「承認欲求」である。言葉を発せない頃から人間はこれらの欲求があると私は考える。



 私くらいの高校生になってくると、欲求はまた違った方向になる。赤ちゃんの頃より感情が複雑になり、それによって様々な欲求が混ざってくる。何かの物語で、「人間の感情ははっきりとわからないもので構成されている。だから、自分の感情をはっきりと答えられないことは何もおかしなことではない」という文書を読んだことがある。その頃はよく分からなかったが、今は理解できる。


 人は成長するにつれて「自己愛」が生まれる。これは個人差があるが、誰にでも存在している感情だ。私は、人間の感情も欲求も全ては「自己愛」から生まれているものだと思う。そう考えると私はこれまでの謎に納得することができた。「自己愛」があるから食欲・睡眠欲・性欲がある。この3つの欲求は自分を保つために必要な最低限の行動に対する欲求である。承認欲求、自己顕示欲によって、自分の存在を認めてもらい、自分でも自分の存在、価値を確認できる。誰にも認識されず、存在価値が見いだせないと、それは生きる意味を見失ったということと同等である。生きたいと思えなければ、三大欲求は必要なく、生まれなくなる。一見、真逆に思える「自己犠牲」も、自分を犠牲にすることで周りが助かる、つまり人に貢献したという自己満足、自己愛であると言える。



 最初のテーマとはかけ離れてしまったが、人間の感情、欲求は全てが複雑に絡み合い、折り重なり、矛盾しあっているということだ。この矛盾は理性によって生まれると思う。しかし理性をなくした人間は、人間とは言えない。この矛盾が人間が人間である象徴とも言えるのかもしれない。

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