第59話 孤児と生贄
オーテウス大聖堂の裏にある中にはでは、屈強な傭兵たちが集められていた。その数はおよそ千人。
城壁で囲まれた中庭の中に窮屈そうに集められた男たちは、その狭さに不満を言いながらも、珍しく気前よくもらった前金のお陰で、これから言い渡されるであろう戦争への参加に熱意を持っているところだった。
「北部じゃ常に傭兵を募集してるって聞いてたが、王都でこんな急な募集なんて初めてだな。もしかして魔界との戦争が劣勢なのかね?」
「バカな。こんな気前良い金額の前金を出すなんて初めてじゃねえか。よっぽど景気がいいんだよ。見てみろよ城下町を。発展するばかりで、一向に景気が悪くなる様子もねえじゃねえか。国の力が強まった今がチャンスと、魔界への追撃を強化するために決まってるだろ。俺たち傭兵にとっちゃ、今が稼ぎ時だぜ」
そんな風にネガティブな意見とポジティブな意見が飛び交う中、さらに多くの傭兵がこの中庭に集まってくる。
「いったいどれだけの人数を集めたんだ?」
これから戦場へ行く予定の傭兵たちは、尋常ならざる雰囲気に目を丸くしていた。
中庭へと集まってゆく屈強な男たちの中に、場違いな子供が一人紛れ込んでいる事に気付く者は少なかった。
「おっとごめんよ!」
中庭に向かう人の列の中、誰かにぶつかったことに気付き男が振り返ると、そこにはまだ幼い子供がいた。
男は驚き、その子供に話しかける。
「おいおいぼうず。おまえ、なんでこんな場所にいるんだ?ここにいるのはこれから戦場へ向かう傭兵たちだぞ?子供が入って来ていい場所じゃない」
そう言って注意すると、子供からは予想外の返答が帰って来た。
「子ども扱いすんなよ!俺もお前たちと一緒に雇われたんだよ!」
「マジでか?そこまで人手不足なのかよ?」
男の言葉を無視して少年は中庭へと移動して行く。
その少年の名は、マルスといった。
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マルスは孤児だ。
父は戦争に行ったきり帰ってこなかった。幼心に父がどうなったかは理解できた。
母はいくつかの仕事を掛け持ちして休みなく働いていた。父のお陰で国から少しだけお金をもらえたらしいが、それだけではマルスと弟の二人を養うのは大変だったらしい。マルスもそんな母を助けるために幼いころから働いていたが、子供の稼ぎなど小遣い程度しかもらえなかった。
そのうちマルスの母は過労が祟って病となり、お金がないと教会へ行っても治療はしてもらえず、まもなくして衰弱死した。
母の死後、マルスと弟は孤児院へと入った。
だが戦争をしているこの国には孤児が多く、国から出る補助金だけでは孤児院の経営は厳しいらしい。金がなければ食うものも減る。食い物が少なければ人の心は荒む。そんな荒んだ人たちばかりだったから、マルスと弟にとって孤児院は決して居心地の良い場所ではなかった。
マルスはなるべく外で働き、その金を孤児院に入れる事で少しでも自分たちの待遇を良くしてもらうよう努力をした。本当はそこを出て兄弟だけで暮らしていければ一番いいのだが、さすがにそこまで稼ぐ力はなかった。
だからマルスはいつでも金になる仕事を探していた。だが犯罪に関する仕事は極力避けた。マルスが捕まってしまったら、弟が一人になってしまうからだ。
そんな中、突然破格の報酬で傭兵の募集があることを知る。魔界との戦争へ向かう兵隊の、追加募集だ。
定期的に募集している時よりも給料が良く、しかも今回は出発前に前金をもらえると言う。しかもその前金の額は金貨5枚。今のマルスでは何年かかっても稼ぐことのできない額だ。
「なあ、それって俺でもできるのか?」
マルスはその話をしていた男たちに問いかける。
「さぁな?ガキにはむりなんじゃねえの?」
男たちはそう言ってマルスの前を去った。子供とはいえマルスは8歳。戦士としては役に立たないだろうが、雑用程度なら全く役に立たないわけではない。戦場にだって雑用はあるはずだ。そう思ってダメ元で求人の列へと並んだ。
「次……ん?子供?おい小僧、これはこれから戦場へ向かう傭兵の募集の列だ。ふざけて並ぶんじゃない」
受け付けまでたどり着くと、案の定怒られるマルス。
だが彼は、それくらいで諦めるほど素直ではなかった。
「戦場でも雑用があるだろ?荷物を運ぶとか死体の片づけとか、人が嫌がる事でもなんでもやる。俺を雇ってくれよ!」
マルスはそう言って受付の兵士に懇願した。
すると兵士は、近くにいた司祭に「どうします?」と尋ねた。
司祭はマルスの顔を見ると質問して来た。
「小僧、体は健康だろうな?」
「ああ!」
「特に病気もしていないな?」
「ああ、健康だよ!」
「ふむ。まあいいだろう。今回は人数を集めなくてはならない」
そう言ってマルスは整理券をもらった。
翌朝それを持って王城内にあるオーテウス大聖堂に行けば、前金をもらってそのまま戦場へ出発するのだそうだ。装備は現地調達。着の身着のまま集まれば良いと言う。
マルスは嬉々とした表情で孤児院に帰った。
誰より先に弟にそのことを報告する。
弟は寂しそうな顔でその話を聞いた。戦争へ行けば最低でも一年間は帰ってこれないというのだ。両親を失った今、生まれた時から一緒だった兄と別れてしまえば彼は本当に天涯孤独となる。
弟は涙を流しながら、行かないでほしいと伝える。
「大丈夫だ。俺は絶対生きて帰って来る。おまえももう6歳なんだから、俺がいない間も自分のことは自分でやるんだぞ」
弟の涙にもマルスの意思は揺るがなかった。この時は、自分の力で大金を稼げるようになった誇らしさが、彼に揺るがぬ自信を与えていたのだ。
翌朝、言われた通りにオーテウス大聖堂へと集まったマルスは、受付で前金をもらうと、一緒に来ていた弟にそれを託す。
「いいか。四枚は院長に預けて、一枚は何かあった時のために隠しておけ。世の中信じられるのは金だけなんだからな」
「うん」
そして弟と別れた彼は、屈強な大人たちに交じって大聖堂の裏の中庭へと集まってゆく。そこでこれから行われる出来事を全く想像もできずに……。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
急きょ集められた傭兵たちが全員この中庭の中に収容されると、鉄で補強された重い門が静かに閉まる。
中庭の正面には司祭がおり、そちらからこれからの予定を説明されるに違いない。
そろそろ話が始まるだろうと、皆そちらに視線を集中していた。
一人の司祭が壇上に登る。一段高い場所に立つ男の姿は、一番後ろにいる者たちからも確認ができた。
そして男が、説明を始める。
「このヴァレンシュタイン王国のために、皆さんよくぞ集まってくれました。貴方たちこそ、この王国、そしてオーテウス教のために命を捧げる勇気を持った愛国者です。我らのオーテウスの神に全てを捧げてください」
この国の軍隊は宗教色が強いという事は有名だったが、その言葉を聞いてなぜ傭兵にまで信心を求めているのだろうかと疑問に思う者もいた。人によっては、ただの決まり文句を言っているだけでそれは今回の招集とは関係がない話だと思う者もいた。
だが、その男の次に壇上に現れた男の姿を見て、全ての傭兵たちが混乱をした。
司祭が壇から降りると、別の人物が呼び寄せられた。
その人物はゆっくりと歩いて壇上へ向かうが、明らかにおかしな雰囲気を醸し出していた。
背が低い。その人物は子供だった。
だからと言って、だれもそれをバカにする者はいなかった。その男が着ている服を見れば、自分たち平民が簡単に声を掛けて良い立場の人間でない事は明らかだったし、なによりその背に背負っているものがこれまで見たことのないものだったからだ。
光輪。
壇上に登った男の子の背には、その頭を中心に直径1メートルほどの光の輪がさんさんと輝いていた。
中庭が沈黙する。
人間じゃないと気づいた者もちらほらいた。
だが、壇上に登る神人エィスの威光に、誰一人として口を開く事が出来なかった。
「うん……、まあ生きがよさそうだな。いいだろう」
誰に話しかけるでもなく、独り言のようにつぶやくと、次の言葉を発した。
「『傭兵たちよ、注目せよ』」
エィスがそう言うと、中庭の中の傭兵たちはエィスから目を離せなくなる。
全員の視線を確認すると、エィスは次の言葉を発した。
「『死ね』」
次の瞬間、中庭の中に集まった男たちはバタバタとその場に崩れ落ちる。
その光景を見ていた司祭たちは、目の前に起きている出来事が本当にこの世の出来事なのかどうか信じられないといった表情を浮かべた。
中庭の中に所せましと集められた傭兵たちが、覆い重なるようにその場に全員横たわっていた。
神人エィスの一言で、全員絶命したのだ。
そして司祭たちは、さらに恐ろしい光景を目にする。
倒れた死体たちから、半透明の白い塊が立ち昇る。霊魂だ。
エィスは大きな口を開ける。そして息を吸い込むように、今死んだばかりの傭兵たちの霊魂を吸い込み始めた。
霧が風で流れて行くように、たくさんの霊魂がエィスの口の中へと流れ込んでゆく。
司祭たちは、死者の霊魂を食らうエィスの姿を、神と呼べるような崇高な存在ではなく、異形でおぞましいバケモノを見るような気持で眺めていた。




