顔合わせ
カーシュナー以上に信頼の厚いダーンの表情が変わったことで、その場の空気が一気に張りつめる。
「名前は聞いたことがある。でも、所詮は傭兵。話に尾ひれがついているだけだと思って聞き流していたんだけど、その様子だと、うわさは本当だったってことか?」
二人の様子の変わりように、カーシュナー並にどこかとぼけた空気を常にまとっているヘリッドが、珍しく真面目に問いかける。
真面目な話であるため、その話の矛先がカーシュナーではなくダーンであるあたりはヘリッドらしい。
問われたダーンは一つうなずいた。
「うわさはあくまでアイメリックの戦績に過ぎません。ヘリッドが言ったように、こちらの話には確かに尾ひれがついていますが、あの男の真価は、これまでどんな戦で誰を討ち取ったかなどではありません。剣を合わせなくてもはっきりとわかるほどのその強さです。しかも、肉体的な強さ以上に、その精神の強さは底が見えません」
「お前にそこまで言わせるのか……」
オリオンの見立てでは、ダーンの実力は元暗殺者の主力であった自分たちに匹敵するものと見ている。正攻法の剣術での立ち合いであれば、オリオンですら及ばないかもしれない。
目立った主張をしないが、ダーンとは、おそらく大陸全土を見渡しても、屈指の剣士なのだ。
「アイメリックの情報をつかんですぐに、私とカーシュナー様はアイメリックの調査に乗り出しました。聞こえてくる情報は、これまでのうわさはをどこか否定するような内容でした。仮にも大陸最強などと謳われている男です。傭兵と言う職業も加味すれば、隙のない屈強な男を想像させますが、その体躯は上背こそありますが、体格はむしろ細身で、カーシュナー様を十センチほど縮めて、もう少し腕を短くしたような、すらりとした貴公子然とした容姿の持ち主でした。腰まで届く長い髪は艶やかで、顎の細い秀麗な顔と相まって、女性と見まがうばかりです」
「傷もなかったね」
カーシュナーが情報を補足する。
「そうでした。長年戦場を渡り歩いたとはとても思えない、色白で戦傷一つない顔をしているのです」
「偽物なんじゃないの?」
まるで物語に出てくる無敵の主人公のような説明に、リタが茶々を入れる。
「話だけを聞けばそう思うでしょう。話している私自身、実物を知らなければ自分の言葉を疑います。ですが、本人を目の当たりにすれば、納得出来るのです。この男を傷つけるのは容易なことではないと――」
ダーンが言葉をとぎらせると、全員が無意識につばを飲み込む気配が伝わった。
「俺たちがみんなと接触を図ろうと考えたのも、この男の出現が決め手だった。ゼムの警備に手を焼き、先にクロクスに手を出さないように抑えることが一つの目的だったんだ」
「…………」
何か言おうとしたリタだったが、言葉が出てこなかった。それは饒舌なヘリッドも同様だ。
全員が黙り込む。
「一度見る必要があると思う」
カーシュナーがオリオンに提案する。
「……そうだな。ここでその強さを論じても意味はない。どれほど危険かは、実際に対峙してみないかぎりわからないからな」
「じゃあ、手配して来る」
そう言うとカーシュナーは立ち上がった。
当然のようにダーンも立ち上がる。
「ダーンはここに残ってくれ。ついでに外でどう動くかについても検証したい。ヘリッドかリタ、同行してくれ。俺の情報網との顔つなぎしておきたい」
「わかった」
「あいよ」
ヘリッドとリタが同時に立ち上がる。
「二人で行ってくれ」
ヘリッドとリタが何か言う前に、オリオンが指示を出す。
「ダーンは俺が不在の間に万が一何らかの情報が入った場合、オリオンと相談して行動してくれ。基準はあくまでもオリオンであることを忘れるな」
「わかりました」
従者である以上、カーシュナーのそばを離れたくはないのだが、状況的に仕方ないので、ダーンは不承不承うなずいた。
「天使さんのことは任せとけって。俺とリタでしっかり見張っておくから」
「ご迷惑おかけします」
「こら、ダーン! 俺が迷惑かける前提で話すんじゃない!」
二人のやり取りに、カーシュナーがむくれる。
その背中をリタがにやにや笑いながらバシバシ叩く。
「おしゃべりはその辺にして、男前見物の準備をしに行こうじゃないか」
リタの目が好戦的な光を放った――。
◆
追われる身であることなど忘れてしまったかのような大胆さで、カーシュナーたち三人は、堂々と通りを歩いている。
途中品ぞろえの良い布を扱う店に立ち寄り、素早く着替えると裏口から三人バラバラに出て、再び合流したところであった。
「いい仕事しているね」
用意されていた衣装を見下ろしながら、リタがその出来栄えを褒める。今流行りの毛皮をふんだんに使用した若い貴婦人向けの服装だ。着替えた時は誰もが振り向く美少女ぶりだったが、偵察目的であるため、今は簡単な化粧でずいぶんと地味な印象に化けている。
「俺たちが来るって最初からわかっていたみたいに、寸法もばっちりだ」
カーシュナーには及ばないもの、190センチ近くあるヘリッドは、人並み以上に手も足も長い。にもかかわず、袖丈も裾の長さも、まるでしつらえたかのように身体に合っている。
貴族が出来合いの服を着ることはないので、身体に合わない服を着ていると奇異に映るのだ。
「状況に応じていろんな人間を使うからね。二人に合うものがあってよかったよ。まあ、多少の違いなら、あっという間に調整出来るけどね」
「これもクライツベルヘン家の力か~」
「金持ってるとやることが違うわ」
「んっ? あれは俺の店だよ?」
「……どういうことだい?」
リタがまさかと言った口調で問いかける。
「どういうことって、俺が王都でいろいろと画策するために用意した店ってこと。実家の店だとどうしても家の意向が最優先になるからね。意外と不便なんだよ」
「だからあの店を自分で用意したと……。まさか、自腹?」
「もちろん」
なんでそんなことを聞くのかといった表情でカーシュナーが答える。
「……その金は、親からもらったんじゃあないんだよな?」
リタが恐々たずねる。
「当たり前じゃないか。貴族がいくら馬鹿揃いだからって、うちはそんなに甘くないよ! 俺、男四人兄弟の末っ子だよ。もらえる物は全部お下がりだし、欲しい物は自分で手に入れろって言われてきたよ」
「ヴォオス最大の貴族の言葉とは思えないね。クライツベルヘン家ってのは本当に変わっているんだね」
「王都の一般家庭の子供の話みたいだな」
リタとヘリッドが呆れる。
「その分好き勝手やらせてもらっているからね。おかげで家とみんなの二択を迫られても、平気で家を捨てられるよ」
カーシュナーがとんでもないことを口にしてニヤリと笑う。
目が本気なだけに余計にたちが悪い。
「親からもらっていないってことは、どうやって資金を捻出してるんだい?」
「大陸中手広く商売の手を広げているんでね。いろんな顔で儲けさせてもらっているんだ」
「あの店の本来の目的を考えると、その商売ってのも……」
「もちろん各地に張り巡らせた情報網を隠すことが目的さ。でも、稼げるときはしっかり稼がせてもらうよ。財力はあって困ることはないからね」
「ちなみに、どれくらいあんの?」
「クロクスの半分ぐらいかな?」
「!!!!」
カーシュナーはさらっと答えたが、大陸一の金持ちなどと言われ、その資産はヴォオスの国家予算以上とすら言われるほどのなのだ、たとえその半分だとしても、カーシュナーは個人で大国ヴォオスを半年は養うことが出来るということになる。
「あんた本当に何者だよ!」
「馬~鹿!!」
ヘリッドが呆れれば、何故かリタは激しく罵った。
どう答えていいかわからないカーシュナーは、ただ肩をすくめるだけだった。
「それでもクロクスの独走に歯止めをかけることが出来ないんだから、意味はない。本当に必要なことが出来て初めて意味があるんだよ」
「貴族なら貴族らしく、自分のことだけ考えてろ!」
リタはそう言いながら、裾の長いスカートの中からカーシュナーのすねを蹴り飛ばした。
はた目にはスカートが風で揺れた程度にしか見えない。
痛がるわけにもいかないので、カーシュナーは無言で耐えた。額に脂汗が浮かぶ。
「貴族ってのは、本当はそれじゃいけないんだ。特権には、それに付随する責任がある。別に建国王ウィレアム一世は、好き放題わがままをするために貴族の地位を定めたわけじゃないからね。良い思いをしたいなら、その分働かなくちゃいけないし、働きもしないで領民の血税で遊びほうけているような連中は、必ず後悔させてやるさ」
声にも口調にも、別段尖った部分はなかった。リタもヘリッドも、始めは皮肉を口にしたのかと思った。だが、変装のために細められた目の、わずかな隙間からのぞいた翠玉の瞳が放った一瞬の硬い輝きが、本気であると告げていた。
二人は腹の底が冷えるのを感じた。それは一人に対して向ける殺意しか知らなかった二人が、初めて感じる巨大な殺意だった。それはまるで人ではなく、国を殺そうとでもするかのような、静かで、どこまでも冷たい殺意だった。
リタとヘリッドは思った。自分たちはまだ、この男の本質を何も理解していないのだということを――。
◆
ヴォオス国宰相であるクロクスの屋敷は、四枚あるヴォオスの堅牢な城壁の一番内側、第一城壁内にあった。そのため、屋敷に近づくことが非常に難しかった。
第一城壁内は、王族とヴォオス貴族の中でも上位に位置を占める、大貴族と呼ばれる者たちだけがそこに住居を構えることが許されており、それ以外の者は、特別の許可を得た者以外第一城壁内へ足を踏み入れることすら許されない。それだけではなく、第一城壁内に屋敷を構える大貴族ですら、護衛の兵士の人数を上限三十人に制限されているほどなのだ。
貴族たちは当然それぞれの領地に本邸を持っているが、王都に構える別邸は、互いの財力を競い合った結果、本邸よりもはるかに豪華絢爛な造りとなっていた。
日頃はそれぞれの領地で運営管理にいそしんでいる。王都の別邸を利用するような機会はあまりないが、利用する際はほぼ間違いなく国内外の有力者を様々な形で招き、そのつながりを強める場になるので、無駄とも思える豪華さも、虚栄心の塊のような有力者たちに、最初の一撃を浴びせる役には立っているのである。
カーシュナーたち三人は、もちろん堂々と第一城壁の城門から入った。全員が貴族の子弟からなる特別な治安兵が、三人を敬礼して見送る。
リタとヘリッドは、改めてこの男、本物だ! という思いを新たにした。
城門を潜った先に、クライツベルヘン家の執事長が、豪華さには乏しいが、重厚な造りの見事な四頭立ての馬車と共に待っていた。
「お帰りなさいませ、カーシュナー様」
髪の毛と豊かな口ひげの大部分が白くなってしまっているが、品良く真っ直ぐに伸びた姿勢は、実年齢よりも執事長を若く見せている。
「元気そうだね、バルトアルト」
カーシュナーが品よく笑って答える。間違ってもニヤリと笑ったりはしない。完全に大貴族のどこか頼りなげなおぼっちゃん仕様になっている。
(こいつ、俺等よりも暗殺者向きだな)
(切り替えすごいな! けっこう勉強になる)
二人は心の中で感心する。これまで貴族と言えば、使えない馬鹿という印象だったが、中にはこんな化け物も存在するのだ。
「皆さま、ようこそおいでくださいました」
バルトアルトはリタとヘリッドの二人に頭を下げる。
バルトアルトが持つ五大家の執事と言う無言の圧力に、つい頭を下げそうになったが、二人はどこぞの貴族と貴婦人という設定を思い出し、軽く応えるにとどめた。
バルトアルトが開けてくれた扉を潜り、四人は馬車に乗り込んだ。合図を受けた馭者が馬を走らせる。
カーシュナーとバルトアルトは、王都の情勢や、故郷であるクライツベルヘン家の状況などを話し合いながら、互いの指を忙しく動かし、本当の情報交換を行っていた。
会話の途中でリタやヘリッドにも他愛ない話を振り、馬車の中は屋敷へと向かう道中を、終始和やかな空気のまま過ぎていった。
(これがうわさに聞く指言葉か!)
(はやっ! ぜんぜんわかんねぇ!)
場の空気を読み、カーシュナーから振られる話に適度に答えていた二人は、改めて感心した。
それは密偵としての技量であるが、潜入を考慮した暗殺者の技術にも通ずるものがある。一つの頭で二つのことを、同時に恐ろしい速さで処理している。それでいて表情には全く現れていない。
馬車の中であろうと油断は出来ない。世の中には唇の動きから、会話の内容を正確に読み取ることが出来る者がいる。クライツベルヘン家はヴォオスで特別な位置にある五大家の筆頭であり、王家に次ぐ勢力を誇るヴォオス最大の貴族でもあるのだ。あらゆる場所でクライツベルヘン家に関わる人間がその言動を監視されている。
移動中の馬車の中の人間の唇を読んで会話の内容を探るには、馬車と二人乗りで並走でもしない限り不可能なのだが、カーシュナーもバルトアルトも手を抜こうとはしなかった。
王都の中にあるとは思えないほど広い敷地を囲む外壁に設けられた門をくぐり、そこからさらに長い距離を馬車に揺られ、カーシュナーたちはようやく屋敷の前に立った。
築三百年――。
何度も改装は受けているが、土台となる基礎と、屋敷を支える柱と梁は、三百年前のままである。
どれほど良質な材料を使い、手抜きのない設計施工が成されたのかがうかがい知れる。
他の大貴族とは趣が違い、豪華さとは無縁だ。馬車もそうであったが、あるのは堅実さと重厚さだった。これは他の五大家とも共通する特徴だ。
だからなのか、五大家に次ぐ大貴族たちが王都に構える別邸を飾り立てたがるのは、五大家との間にある覆しようのない格差を、せめて見た目の絢爛さだけでも上回ろうと、あさましい自己顕示欲を刺激されたからかもしれない。
(こういうのを品が良いっていうんだよな)
(ぎらぎら飾り立てるだけじゃなくて、馬鹿貴族どもも少しは見習えっつの!)
内心の思いは微塵も表に出さず、二人は当たり障りのない言葉を選んで見事な屋敷と手入れの行き届いた敷地を褒め、中へと入った。
以前仕事で訪れた貴族の屋敷は、もちろんこれほどの規模ではなかったが、屋敷全体に冷たさが感じられた。それは体感する類の冷えではもちろんなく、屋敷に関わる者たちの屋敷に対する愛情のなさだったことが、今わかった。
清掃が行き届いているのは当たり前だが、その仕事のそこかしこに、たずさわった人間の誇りが感じられる。主からあずかったこの屋敷を、最高の空間にしようという意気込みにあふれていた。
「すぐにお飲み物をご用意いたします。ご希望があれば用意させますが?」
「お任せします」
すでに適温に暖められた一室に通されたリタとヘリッドは、盗聴する者などいないはずの屋敷の中に入っても、自分たちを賓客のように扱うことに驚いた。
元暗殺者であることを卑下するつもりはないが、ここまでされるような身分でもない。
「カーシュナー様がお招きになられる方に対し、我々は態度を左右することはございません。どうかごゆっくりおくつろぎくださいませ」
二人の疑問を察したのだろう。バルトアルトは退出する前にそう言った。
「あの人も只者じゃないね」
それまでの大人しげな貴婦人から一転、素の自分に戻ったリタがため息交じりに言う。
「あんなに読めない人は初めてだ。天使さんとはまた違った底知れないものがある。天使さんが深い湖だとしたら、あの人は湖面に霧をたたえた湖だ。どれだけ広いのか、深いのか浅いのかさえ分からない」
「場合によっちゃあ、入り江の端に立って海を湖と勘違いしているなんてことにもなりかねないよね。これでもそれなりに自分の実力に自信があったんだけどね~。カーシュに出会ってから、自信を失くしてばかりだよ。まったく……」
ヘリッドの感想に、リタも大きくうなずきため息をつく。
盗賊ギルドの暗殺者は、厳選された子供が日々つらい訓練を乗り越えてその力を身につける。身体能力だけでは成り立たず、知識、思考の瞬発力と言った、変化に対していかに対応出来るかということが問われる。数々のふるいに漏れることなく、最後まで残った者たちだけが暗殺者として働く。
オリオンの激発に触れて洗脳が解けるまで、感情とは無縁であった二人だが、それが解けるといろいろなものが見えるようになってくる。
自分たちの能力についてもそれは同様だ。二人はどうやら自分たちが、オリオンには及ばないまでも、相当高い能力を有していることを認識した。
これまで鍛え上げた精神力のおかげで、うぬぼれることこそなかったが、自分たちとまともに渡り合える人間が、この世にほとんどいないことを、事実として理解していた。
だが、カーシュナーと出会って以降、自分たちの能力順位は下がる一方であった。
「お待たせ」
そう言ってカーシュナーが部屋に入って来た。どう見ても何かいい情報を手に入れたとわかる顔をしている。
カーシュナーの後ろから、バルトアルトの他に、あと二人の人物が入ってくる。
「それじゃあ、顔合わせと行こうか」
カーシュナーはいかにもカーシュナーらしいニヤリ笑いを浮かべた――。