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ヴォオス戦記・暁  作者: 南波 四十一
32/42

<紅棍>

 もう一人の大陸最強候補、<紅棍こうこん>のグスターヴァイスは、二つ名の由来となった身の丈以上の長さを誇る鋼のこんを担ぎ、いつどこで敵と遭遇するかもしれない地下水路を、まるで散歩でもするかのような気安さで歩いていた。


 水路の交差点に差し掛かると、無造作に棍を立て、パッと手を放して倒れた方向へと歩き出す。

 豪胆であり大雑把なその性格は、わがままの一言に尽きた。

 生来の明るさと、その無双の強さのおかげでもめ事にまで発展することは稀だが、単独の傭兵としてどこの傭兵団にも属さず、自身が中心となって傭兵団を組織しないのも、すべてはその性格が災いしていた。

 

 嫌な人間というわけではない。むしろどこの国に行こうと、女性の方から声をかけてくる。180センチ以上ある長身に、無駄な肉などをひとかけらもない引き締まった体躯をしており、顔の造りも人並み以上の明るい男だ。

 その目は常に好奇心に輝き、子供のまま大人になってしまった代表例のような男である。

 懐の深い女には可愛く見えるようだが、戦場で背中を預けるには、若干躊躇せざるをえない人物だ。


 そのせいなのか、今も一人で地下水路を歩いている。

 もっとも、今回は部下をつけられても断っただろう。

 グスターヴァイスはこの地下水路に狩りに来たのだ。獲物は独り占めするに限る。

 次の水路の分かれ道で、グスターヴァイスはクンクンと鼻をうごめかす。それはまるで猟犬のようなしぐさだった。

 グスターヴァイスはニヤリと笑うと、今度は棒倒しに頼らず勘で道を選んだのであった――。









 グスターヴァイスはイーフレイムと同様大陸西部の出身で、裕福な商家の出だった。

 生家は今も大陸西部で屈指の海運商人であり、その末息子として生まれたグスターヴァイスは皆から可愛がられ、何不自由なく育った。

 欲しいものは本人が望む前から手の届く場所にあり、グスターヴァイスは我慢という言葉すら知らずに成長していった。


 生まれた時から大柄だったグスターヴァイスは、成長の過程でも同世代の中では常に一番大きく、ガキ大将の地位に座り続けた。

 グスターヴァイスが十歳の時には、すでに周囲の大人と比較しても遜色のない体格になっており、隣近所の友達と遊んでいると、子供の中に大人が一人混じって遊んでいるように見えた。


 そんな、生まれながらにすべてを用意されていたグスターヴァイスに、転機となる出来事が起こる。

 大陸の西の果てであるグスターヴァイスの故国に、大陸の東の果ての大国ミクニから、千人を超える大使節団が到着したのだ。

 国としての歴史や国力から見れば、グスターヴァイスの故国は東の大国ミクニから使節が訪れるような格を持った国ではなかった。だが、大陸全土にその威を示すために、ミクニは十年に一度、この西の果ての国へ大使節団を派遣していた。


 ミクニからすれば、交易という観点から見ても、そこまで魅力のある国ではない。

 使節は礼節をもって王家に対するが、真の目的は大陸の隅々にまでミクニの文化と国力の高さを見せつけることだった。そのため、この国から何かを得ようなどというつもりはまったくなく、謁見は極めて事務的で短時間に済まされた。


 外交のための使節はほんの数人で、約千人の大多数が、ミクニの文化水準の高さを見せつけるための技術者であり、ミクニ独自の歌舞音曲の奏者や芸人たちであった。

 王都の一角にそれらを披露するための巨大な観覧施設がたった一週間で出現する。

 もちろんその仕事もミクニの技術者の手によるものだった。

 この十年に一度の催しには、近隣国はもとより、国境を二つ、三つと越えてまで多くの人々が訪れた。


 グスターヴァイスも生まれて初めて体験するミクニ文化を心待ちにしていた。

 いざ開幕から閉幕までの約三か月間。グスターヴァイスはまるで憑りつかれたかのように通い詰めた。

 これまでは歌や踊りといえば、祭りなどで見知った大人たちが毎年決まりきった退屈な演目を披露するくらいであったが、その道で金を取れる人々が見せる歌や踊り、演劇は、まるで次元の違うものだった。

 説明を受けても理解出来ない様々な道具や発明品は、まるで失われた魔法の再現であり、グスターヴァイスの日常には決して存在しなかったものばかりであった。


 衝撃はグスターヴァイスに、自身にとってのこれまでの世界がどれほど小さなものであったかをまざまざと思い知らせ、破壊した。

 王都で裕福に暮らす都会人だったはずが、本当は世界の西の端っこで文明人を気取って暮らしているただの田舎者なのだと思うと、グスターヴァイスはいたたまれない気持ちにすらなった。

 それでも足を運ぶのをやめることは出来なかった。それほどにグスターヴァイスを虜にするあるものがあったのだ。


 ミクニ武術である。


 戦うということは、鎧を身にまとい、剣を持ち、盾を構えてするものだとグスターヴァイスは考えていた。

 だが、ミクニの戦士たちが繰り広げる演武は、人がましらのように宙を舞い、見たこともない不思議な形状をした武器が振るわれた。グスターヴァイスでもわかる剣の演武もあったが、使う剣はこの国のものとは違い、片刃で反りのあるものだった。


 グスターヴァイスと同じように見物に来ていた国の兵士が、あんなものは芝居でしかなく、実戦では何の意味もないと声高に揶揄した。

 そういった言葉が出ることに慣れているのだろう、ミクニ美女が兵士の元を訪れ、演武の舞台へ手招いた。

 聞こえよがしに嘲っておいて、美女に挑発されて逃げるわけにはいかない。兵士は仲間の兵士たちに余裕を見せながら舞台に上がった。地元の兵士の登場に訪れた人たちからからかい半分の歓声が降り注ぐ。


 演武を披露していた武人たちが舞台袖へと引っ込み、代わりに一人の老人が、手に巨大な筆と墨の入った桶を抱えて現れる。そして、舞台の中央に半径1メートルほどの小さな円を描くとその中に入った。

 いったい何が起きるのかと人々が見守っていると、兵士を招いた美女が剣を差し出し、無手で立つ老人を斬れと促した。しかも、老人は先程描いた小さな円からは決して出ない、出たらその時点で兵士の勝ちとすると宣言した。


 これにはさすがの兵士も顔色を変える。

 余興につき合ってやるつもりで舞台に上がったが、この扱いは兵士の実力を侮り、こけにしているも同然だった。

 むかっ腹のたった兵士が美女をにらみつけると、笑顔のまま瞳だけを冷たく凍りつかせて睨み返してきた。

 なるほど。先程の揶揄に対してむかっ腹を立てたのはミクニの連中のほうが先ということかと納得した兵士は、殺すつもりで剣を受け取った。


 美女が派手な仕草で観客を煽りながら舞台袖にはけていくと、舞台に残った二人による、余興という名の真剣勝負が始まった。

 とは言え、兵士もいきなり無手の老人相手に全力で斬りかかることはためらわれた。

 様子をうかがうため、寸止めのつもりで斬りかかった。

 老人の左の肩口から袈裟斬りに剣を打ち込む。

 観客から悲鳴が上がったが、老人は血の海に沈むことはなかった。


 それは老人が剣をかわしたからではなく、兵士が予定通り剣が老人に触れる前に止めたからだ。

 兵士は全身に汗が吹き出すのを感じた。

 完全に見切られていた。小柄な好々爺にしか見えない老人が、振り下ろされる剣を前にして、微動だにしなかったのだ。

 仮に寸止めが約束されていたとしても、自分ではここまで平然としてはいられない。今初めて出会った相手の力量など信用出来るわけがないからだ。


 老人の手が動き。剣の先をつまむ。

 わずらわしく感じた兵士が剣を引こうと力を込める。

 微動だにしなかった。

 呆気に取られる。

 何が起こっているのか理解出来なかった。

 だが、次の瞬間、老人が剣を引いたことですべてを理解した。

 片手でつまんでいるだけの状態で、老人が兵士から剣をもぎ取ろうとし始めたのだ。


 恐ろしいほどの剛力である。

 実際兵士は理解の範疇を超える老人の力に恐怖していた。

 剣を取られたら自分が斬り殺されるという勝手な妄想に恐怖し、兵士は必至で剣をもぎ取られまいと抵抗した。


 本人は死に物狂いでも、その様は他人の目にはひどく滑稽に映り、観客の笑いを誘った。

 ひとしきり笑い声が続き、しばらくして治まると、老人はいきなり剣を離した。

 ちょうど兵士が剣を奪い返そうと全力で引きにかかった時に離したので、兵士は自分の力で派手に後ろに転がるはめになった。


 先程の何倍もの笑い声が兵士に降り注ぐ。

 笑い者にされた兵士は恥も外聞もなく、全力で老人に斬りかかって行った。

 斬りつけ、横に薙ぐ。

 円から出てはいけないという束縛すらも利用し、体当たりまで仕掛けていく。そうかと思えば鋭い突きをみまい、間髪入れずに蹴り足まで飛ばす。

 兵士の技量は大口を叩くだけあって、並み以上のものであった。

 その実力は観客にも十分伝わり、始めは笑いに包まれていた見世物も、今ではかたずを飲んで見つめるほどの勝負になっていた。


 兵士のすべてをやすやすとかわし、呼吸一つ乱さない老人に対して、兵士はすでに剣の重さに両腕が耐えられない程に消耗していた。

 始めにあった侮りも、次に襲い掛かって来た恐怖も、今の兵士の中にはなかった。

 あるのは目の前に立つ圧倒的な実力者への尊敬の念だけだった。

 これを最後と決め、兵士は残るすべての力を込めて一気に踏み込んだ。そして、真っ二つにせんばかりの勢いで剣を振り下ろした。


 老人にも兵士の想いが伝わったのだろう。それまで笑みを絶やさず、まるで舞を踊るかのように攻撃をかわしていたのが一変、仁王立ちで兵士の攻撃を受けた。

 始めに起きた悲鳴など比較にならない程の絶叫が観客席から生まれ、次いで爆発的な歓声が人々の口からほとばしった。


 兵士の渾身の一撃を、老人は白刃取りで受け止めてみせたのだ。

 線のように細かった老人の目がスッと開き、兵士を見つめる。兵士も吸い込まれるように老人の瞳を見つめた。

 老人が小さく一つうなずくと、兵士は剣から手をはなし、老人の足元にひざまずき、深く深く頭を垂れたのであった。


 兵士の潔い態度に、老人の絶技に対する歓声とは別の種類の歓声が贈られる。

 誰もが納得し、満足した見世物は、万雷の拍手が降り注ぐ中、幕を下ろした。

 グスターヴァイスも周囲の観客同様歓声を上げ、手の平が痛くなるほど拍手を送り続けた。

 これがグスターヴァイスとミクニ武術の出会いであり、グスターヴァイスのその後の人生を決定づけた出来事であった。


 その後グスターヴァイスは海運商人である父を説得すると留学という形でミクニへと渡り、ミクニ武術の総本山と言われる寺の門を叩いた。

 その才能は数千人の門弟を抱える総本山でも突出して高く、グスターヴァイスなどよりはるかに幼い時から入門して武術を学んでいた者たちを瞬く間に追い抜いて行った。

 

 このままいけば外国人初の師範代の誕生かと噂されたが、故郷で染みついてしまった習慣と、何よりもそのわがままな性格が災いし、他の門下生たちへの影響も考慮され、俗界修行という形で追い出されてしまった。その扱いは破門も同然であった。

 酒や肉。また色欲に対しての厳しい教えをまるで意に介さなかったグスターヴァイスにとっても、ごく一部の高僧以外修行の相手にならなくなってしまった総本山に物足りなさを感じていたため、渡りに船とばかりに俗界へと下って行った。


 始めは故郷に帰り、自身の門派を開こうかとも考えたが、このわがままで協調性のない性格では、開いた門派に自分自身が飽きかねないと考え、やめてミクニに残ることにした。

 なにより、来てすぐに総本山へと入門してしまったため、ミクニ文化を楽しんでいなかったこともある。

 実家からの仕送りが毎月ミクニの支店に届いており、溜まりに溜まった仕送りを軍資金にグスターヴァイスはミクニの様々な遊びを楽しんだ。


 放蕩の限りを尽くしたグスターヴァイスはやがて遊ぶことに飽き、今後の身の振りようを真面目に考えることにした。

 わがままで現実に疎いように思われがちなグスターヴァイスであるが、大陸の西の端から東の端まで航海する商人の息子である。現実や金銭に対する感覚は、並の人間よりもはるかに厳しかった。

  

 稼げるなら遣え。遣うなら稼げ。金は天下の回り物。小銭を溜めるな、大金を掴め!

 これがグスターヴァイスの実家で格言のように言われている言葉である。

 グスターヴァイス本人も生まれた時から耳にしているため、その精神が根底に根付いているのだ。


 商売は不向きだ。何より、せっかく修めた武術を生かしたい。

 俗界にて修行をしろということは、戦って生計を立てろと言うことだ。(実際はそう言う意味ではない)であれば、どんな方法があるか? ミクニの軍に入隊するという選択肢もあったが、いかんせん協調性がないこの性格は、軍隊生活には不向きだ。

 いろいろと思案した結果、自分は他人の下に付き、型にはまった仕事をするということが不可能な人間だと悟った。


 社会的に見た時、自分はただの社会不適合者なのだと理解したグスターヴァイスは、最終的に縛りの緩い傭兵という道を選択したのであった。

 その腕は大陸東部の大国ミクニの武術の総本山で師範代が務まるほどの実力である。

 その名は瞬く間に知れ渡り、グスターヴァイスは稼げる傭兵になった。


 傭兵家業を始めた当初は剣を武器に鎧をまとい、他の傭兵とかわらない出で立ちで戦場に立っていた。

 だが、人と同じであるということにすぐに嫌気がさし、グスターヴァイスは総本山で修行時に身に着けていた道着によく似たものをあつらえ、武器も最も得意とする棍に持ち替えた。

 遊びほうけている間に伸びた頭髪も、修行時代にしていた額の両端から二本、線状に残してそれ以外の部分を剃り上げるという独特の髪形に戻した。

 初めて見た時はふざけているようにしか見えなかった髪形だが、長く続けると愛着が湧き、自然と気が引き締まった。


 戦い続ける中で手にした鋼の棍は血で赤黒く染まり、いつしか<紅棍>の二つ名で呼ばれるようになった。

 面白そうな戦場を求めて大陸東部から旅を続け、ついにはクロクスに招かれてヴォオスへとたどり着いた。

 本来であればクロクスの求めになど応じなかった。依頼内容がつまらなそうだったからだ。

 だが、終わらない冬が大陸から戦場を一掃してしまい、傭兵家業は閑古鳥が鳴く状態に陥ってしまったため、この異常気象が収まるまでの間、大陸の心臓とも呼ばれるヴォオス国王都ベルフィストで遊び呆けるために引き受けたのだ。


 待っていたのは退屈な日々だった。

 ミクニで遊び過ぎて遊ぶということそのものに飽きてしまったのだ。なにより、戦場で覚える高揚感は、遊びごときでは補えない。

 そんな時、バルブロが面白い話を持って来た。

 あのアイメリックが興味を示すほどの獲物がいるという。

 それ以外にも手練れがそろっているらしく、気が向いたら手を貸してほしいという話だ。

 これ以上の退屈しのぎはないと考えたグスターヴァイスは協力することにした。

 というより、その美味しい獲物を横取りしようと考えたのだ。


 地下水路に入り、ずいぶんと男前な裏切り者が情報を持ってやって来た。

 グスターヴァイスは男の裏切りの理論が良く理解出来た。伊達に商人の息子ではない。売るに見合うだけの対価を見事に引き出している。しかも、本当に売るべき相手を見誤っていない。

 建前上盗賊ギルドに仲間を売ったことになっているが、実際はアイメリックに売り渡している。

 盗賊ギルドの戦力など当てにならない。この場合の“売る”とは、すなわち殺すということである。売り損ねれば命を失うのは男前の方だ。その意味を実によく理解している。


 理解出来たことはそれだけではない。

 男前は頭もいいが腕も相当に立つということだ。

 おそらくバルブロが言っていた手練れの一人に違いない。

 よりによって裏切り者がこの男とは、惜しい話である。楽しめる獲物が一匹減ってしまった。


 話を聞き終えると、イーフレイムが動く。

 <暁>の大将、オリオンという男を、グスターヴァイスは狙ってこの場に来たのだが、どうやらその考えはイーフレイムも同様のようであった。これで状況は早い者勝ちの競争になった。

 イーフレイムは確かに強い。だが、イーフレイムは持っていない男だとグスターヴァイスは思っている。

 何があったか知らないが、猜疑心が強く、面白味のかけらもない男だ。

 対して自分はものすごく持っている男だ。

 ほしいものを引き寄せる力がある。それが物でも者でも変わりはない。


 グスターヴァイスはイーフレイムがどちらに向かうか確認すると、逆の方向へと向かった。

 持っていない人間が向かったということは、その方向にはいない・・・からだ。

 久しぶりの高揚感が全身を包む。

 いや、過去最高かもしれない。鼻血が出そうなくらい興奮して来た。

 ヴォオスを選んだのは正解だったかもしれない。

 退屈しのぎのはずが、どうやら過去最高の戦いにめぐり会えそうな予感に、グスターヴァイスは震えた――。

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