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ヴォオス戦記・暁  作者: 南波 四十一
31/42

<黒騎士>

 バルブロに例の二人・・・・と呼ばれた男の一人である、<黒騎士>イーフレイムは、今現在の自分の行動に、誰よりも深く疑問を抱いていた。


 大陸西部出身のイーフレイムは、とある大貴族の抱える騎士団の団長を務めていた。

 その武勇は国内随一で、近隣諸国にまでその武名は轟いていた。190センチ以上ある長身に長い手足、肩幅は広く、胸も厚い。戦うために生まれてきたたぐいの人間であることは疑いようもなかった。

 また、真面目な人柄で、生国では屈指の家柄の出でもあった。

 自身の武名が兄との間に無用な継承争いを生むことを嫌い、国を出て一騎士として出直し、見事立身出世を果たしたことはあまりにも有名な逸話だった。


 だが、ある時王都で政変が起こり、運悪くその場にイーフレイムが仕える貴族の一人息子が居合わせ、巻き込まれて死んでしまった。


 この事件を境に、イーフレイムの人生は大きく狂い始めた。

 国はいくつもの派閥に分かれ、内乱に突入した。

 イーフレイムの主はすでに高齢であり、戦場に立つことはおろか、混沌とした権力の綱引きを捌くだけの精神力もすでに枯れ果ててしまっていた。

 だからと言って国内情勢が大貴族であるイーフレイムの主に中立の立場を許すはずがなく、多くの決断が列をなして押し寄せていた。


 主はこの問題を解決するために、もっとも賢明な判断を下した。

 嫡男を失った以上、新たな後継者を指名しなくてはならない。だが、直系の男児はおらず、かといって真偽のほども定かではない遠縁から後継者を連れて来る気にはなれなかった。

 そこで、イーフレイムを娘婿に向かえ、家督を継がせることにした。


 能力、人望、どれをとっても文句のつけようのない選択であり、イーフレイムほど優秀な血が血統に加わることは、むしろ歓迎すべきことですらあった。

 この客観的に見れば最上の選択が、結果的にイーフレイムの人生を狂わせることになる。

 イーフレイムの側に落ち度は何一つなかった。

 すべてを狂わせたのは、イーフレイムのために用意された花嫁の方だったのだ。

 

 娘には父に隠れて密かに情を通わせ合った男がいた。

 嫡男が王都で死亡して以降、情夫と娘は二人して新たな当主の座につくことを画策していた。

 その計画の中で、真面目で融通の利かないイーフレイムは大きな障害であったが、ここに来て絶対に排除しなくてはならない存在になった。


 娘はこの縁談を喜ぶ振りをして時を稼ぎ、その間に情夫は他の貴族と通じ、イーフレイムを排除する計画を立てた。

 そうとは知らないイーフレイムは、情夫が引き入れた侵略軍を撃退するために戦場へ赴いた。

 手ごたえのない敵を撃退して帰還したイーフレイムを待っていたのは、裏切り者の汚名と、主の怒りであった。


 身の潔白を証明するため、無抵抗で捕らえられたイーフレイムであったが、捕らえられた獄中を訪れた情夫に、これは陰謀であり、主やその娘を救えるのはイーフレイムだけだと説き伏せられ、情夫の手引きで脱獄してしまう。

 イーフレイムを脱獄させることに成功した情夫は、イーフレイムを見送ったその足で主のもとへと参上し、イーフレイムの脱獄を告げたのであった。


 イーフレイムの後を追って、すぐさま兵が差し向けられた。

 鎧もなければ剣もない。

 裏切り者と決めつけられたイーフレイムには、手を差し伸べてくれる者もいない。

 差し向けられた兵が、長年戦場を共にした騎士団であれば、イーフレイムの濡れ衣は晴らされたかもしれなかったが、抜け目のない情夫はイーフレイムに逆転の目を何一つ与えず追い詰めていった。


 圧倒的優位の状況で、それでもイーフレイムを仕留められない現状に、情夫と娘はいら立つとともに、不安も覚え始めた。

 何かをきっかけに、イーフレイムが逆襲に転じて自分たちの首を取りに来るのではないかという恐怖だ。

 実際騎士団から今回のイーフレイムに対する処遇について、再考を求める訴えも出ている。

 

 イーフレイムの処理を急ぎたい情夫の元に、イーフレイムの親友として知られている男が訪れた。

 警戒もあらわに出迎えた情夫だったが、それは幸運の訪れであった。

 男は情夫に騎士団団長の椅子と引き換えに、イーフレイムの殺害を持ちかけて来たのだ。

 その計画の中身を知った情夫は取引に応じた。


 男は小隊を率い、親友の仮面を被ってイーフレイムの潜伏先を訪れた。

 イーフレイムも相手が親友でなければ居場所を探し出されるようなことはしなかっただろう。

 男は騎士団からの訴えにより、イーフレイムにかけられた嫌疑が再考されることになったと伝えた。

 イーフレイムもこれまでの事の次第を男に訴えた。

 男はイーフレイムの言い分に安堵の表情を浮かべた。

 信じていたが、脱獄の事実があったため、イーフレイムの無実を強く主張出来なかったのだという。

 イーフレイムは自身の不明を詫び、事の真相を自らの口で人々に伝えるため、主のもとへと帰ることに同意した。


 軍用食ではあったが久しぶりにまともな食事を取り、衣服を改めたイーフレイムが用意されていた馬にまたがろうとした次の瞬間、背中に激痛が走った。

 痛みと衝撃で倒れ込んだイーフレイムは、狂喜する悪魔のような形相で親友が自分を見下ろしている姿を見上げた。

 とどめを刺そうと小隊の仲間たちも抜身の剣を下げてイーフレイムに歩み寄る。


 男は隊など率いずに、一人で来るべきだった。

 多勢に無勢という驕りが、一撃でイーフレイムを殺させなかったのだ。

 イーフレイムは背中の痛みを無視すると、自分が乗るはずだった馬を殴りつけた。

 臆病な生き物である馬は、突然の理不尽な暴力に怯え、逃げ出そうと暴れ出す。

 

 イーフレイムに詰め寄っていた小隊の者たちは、不意に暴れ出した馬になぎ倒され、場を混乱が支配する。

 男がイーフレイムから目を離したのはほんの一瞬だった。だが、その一瞬で男はイーフレイムの姿を見失っていた。

 背中への一撃には確かな手ごたえがあった。そのため、男の思考はイーフレイムが逃亡する可能性にしか反応しなかった。

 イーフレイム同様背中に激痛を感じるまでは――。


 地面が急速に近づき、顔面をしたたかに打ちつける。鼻の軟骨が潰れる音と感触が、直接脳に響く。

 斬られたことに気がついたのは、身体がピクリとも動かせないことを知った後だった。

 首を回すことすら出来ず、男の耳は仲間たちの絶叫だけを拾い集めた。

 だが、悲鳴と怒号の交差はすぐに止み、戦いの気配に怯えた馬たちの悲しげないななきだけが場に残った。

 不意に視界が地面からはがされる。横倒しになった視界に、怒りと悲しみでまだらに顔を染めたイーフレイムの姿が入った。


「何故裏切った」

 答えを知ったところで、今以上にむなしくなるだけだとわかっていても、イーフレイムはたずねずにはいられなかった。

「貴様のことが嫌いだからだ」

 死を悟った男は、積年の思いを胸になど納めず、すべてこの場で吐き出そうと口を開いた。


「貴様さえ現れなければ、騎士団長になっていたのは俺だ。誰よりも強く、誰よりも高貴な血筋を持っている。そしてついには大貴族の爵位ときた。ふざけるなっ!! ふざ、けるな……よ」

 大きな血の塊を吐きながら、男はイーフレイムを呪うように言葉を吐き出す。始めは強かった言葉も、傷口から流れ出す命と共に力を失っていく。

「ずっと貴様を斬り捨ててやりたいと思っていた。出会った時からな。ぶち殺せなくて残念だ……」

 男の願いはある意味叶うことになる。

 無二の親友と思っていた男の呪詛は、イーフレイムの心を殺すことに成功したのだ。


 背中の傷は深手であった。

 だが、それでもイーフレイムは生き延びた。

 その後はどこにも居場所を定めず、ただ一人世界をさまよい続けた。死んでしまった心のもとへ、現世に残った身体を届けようとするかのように――。


 もはや誰も、何も信用することが出来なくなってしまった世界で生き続けることは苦行に他ならなかったが、それでもイーフレイムは自らの手で人生を終わらせようとは考えなかった。イーフレイムにただ一つ残された信じれるもの、<強さ>が生きることから逃げ出すことを許さなかったからだ。


 当てもなければ終わりも見えない日々の繰り返しの中で、イーフレイムに出来ることは戦うことだけだった。戦って、戦って、戦い続けていくうちに、いつしか<黒騎士>の二つ名がつき、その歩みと共に傭兵世界に広まって行った。

 目的は今も見出せない。ただ、イーフレイムの核である<強さ>は、いつか終わりが来るその日まで、戦い続けることを求めるのであった。


 一つの戦が終わり、次の戦を求めて旅立とうとしたイーフレイムの元に、クロクスからの使者が訪れ、破格の条件を提示した。

 なんとなく気乗りがしないという理由で一度は断ったが、クロクスの私兵団には、<大陸最強の傭兵>アイメリックと、<巨人>バルブロが加わっていると聞き、考えを変えた。

 他人からの評価など、気にも留めないイーフレイムだが、<黒騎士>の名と共に、最強は誰かという話題では常に名前の上がっていた二人に興味が湧いたからだ。

 約束された報酬などどうでもよかった。ただ、ヴォオスに行けば何かが見つかるような気がした。

 

 そして何も見つけられないまま、イーフレイムは今ここにいた――。









 偶然だけを頼りにアイメリックが固執している<暁>の大将を探すことがだんだんと馬鹿馬鹿しくなってきたイーフレイムは、臭くて暗い地下水路からそろそろ帰ろうかと考え始めていた。だがその時、水路の奥から不意に悲鳴が響き渡り、戦いの気配が伝わってきた。

 一瞬どうしようか迷ったが、せっかくここまで来たので状況だけでものぞきに行くことにした。

 もちろん走ったりしない。


 それでも2メートル近い長身を持つイーフレイムの歩幅は広く、すぐに戦いの場にたどり着いた。

 松明が照らし出したのは、同じクロクスの私兵団に所属する傭兵たちの死体の数々だった。

 松明の明かりの届かない奥から最後の悲鳴が上がり、派手な水音が水路に響く。

 そのまま進むと悲鳴の主が苦悶の表情を浮かべながら流れてきた。


 一人ではない。複数いることはわかる。だが、気配を捉えることが出来ない。

 イーフレイムは帰らなくて良かったと思った。


「一度だけ警告する。去るなら追わない。だが、そこから一歩でも近づけば殺す」

 静かな声だった。十人以上いた傭兵たちと戦った後とは思えない落ち着きだ。

「お前がオリオンとやらか?」

 イーフレイムは闇の奥へと問いかける。

「もし、そうだとしたらどうするつもりだ?」

 闇の奥から問いかけが返ってくる。すでに周囲を満たす殺気がその濃度を増しつつある。

「俺が斬る」

 答えと同時に闇が襲い掛かって来た。


 速い!


 イーフレイムは素直に驚いた。

 三本の短剣が松明の明かりに煌めき、正確にイーフレイムの急所へと伸びてくる。

バルブロが集めた傭兵たちは、クロクスの私兵団の中でも腕の立つ方だったが、この相手では全滅も仕方がないと、迫る刃を前にして思った。

 もっとも、全滅したのは戦闘の気配に気づいたにもかかわらず、この場に急行しなかったイーフレイムにも責任があると言えた。


 短剣の一本を松明で払いのけつつ、残る二本を片手で構えた大剣で一度に払いのける。

 左右別々の動きを自在にこなす。しかも、普通は両手で構えて扱う大剣で、高速の斬撃をも払いのける。 その、人とは思えない業に、襲撃者たちは深追いすることを避け、再び松明の明かりの届かない闇の奥へと退き間合いを取る。


「お前らが盗賊ギルドを見限って出て行ったという元暗殺者たちだな?」

 イーフレイムは闇の奥へと問いかけた。

「……だとしたらなんだ」

 間を置いた答えが返ってくる。イーフレイムの真意を測りかねていることがうかがえる。


「途中経過だが、幹部は全員殺られたらしい。ギルドマスターがどうなったのかまでは知らんがな」

 ヘリッドから聞いた話を、イーフレイムは暗殺者たちに伝えた。

「……何故そんなことを俺たちに教える」

「冥土の土産だ」

「そんな土産は遠慮する」

 イーフレイムの挑発を、暗殺者たちは軽く受け流した。


 イーフレイムとしては、暗視能力の高い暗殺者たちを、松明の明かりの届く範囲におびき寄せたかったのだが、相手の方が一枚上手だった。

「よく考えたら、お主らとやり合う理由はなかった。手間がかかりそうだし、行っていいぞ」

 イーフレイムが興味を持っているのは、彼らの大将であるオリオンであって、強敵ではあるが、確実に勝てるその手下たちではない。

 イーフレイムはそう言うと、犬でも追い払うかのように松明を振った。


 仲間の傭兵を見捨てたり、目の前の暗殺者たちを見逃そうとするなど、一見身勝手極まりない人物のように思えるが、イーフレイムにはイーフレイムなりの線引きがあった。

 今回の行動は、そもそもアイメリックの身勝手を支えようと、バルブロが独断で兵を集めて動かしたものである。

 イーフレイムの直接の雇い主であるクロクスは、おそらく今回の<暁>包囲攻撃のことなど耳にしてはいないだろう。


 バルブロからも、

「おもしれえことするから、手伝ってくれ」

 と声を掛けられたにすぎず、イーフレイムも、

「気が向いたらな」

 としか答えていない。

 完全に仕事外であり、仕事以外での命令や決まりごとに従うつもりは、イーフレイムにはないのだ。


 イーフレイムの言葉に返ってきたのは、水のつぶてだった。

 あしらうように振っていた松明に命中し、イーフレイムから光を奪う。

「貴様にやり合う理由はなくても、こちらにはある」

 暗殺者三人は、オリオンを狙うこの危険極まりない男を放置するつもりはなかった。


 影が音を立てないように、三人も闇の中を音もなく急接近する。

 地上を縄張りとして戦う傭兵が、闇に身を潜めて生きる暗殺者に対し、光を失っては勝ち目などない。

 暗殺者たちとイーフレイムの実力差は、圧倒的だ。暗殺者が弱いのではない。たった三人で十人以上の傭兵を倒したことからもそれは証明されている。だが、先程剣を合わせたことで、暗殺者たちはその強さを思い知らされていた。   

 ここが自分たちの領域である地下水路であり、なおかつ完全な闇の中に捕らえたのでなければ、「戦う」ではなく、「逃げる」という選択肢しかなかっただろう。


 役に立たなくなった松明を捨てたイーフレイムは、両手で大剣を握った。

 絶対的優位にありながら、かけらも油断することなく暗殺者たちが間合いを詰める。

 あと一歩。

 暗殺者たちが必殺の間合いに踏み込もうとした刹那、凄まじいうなりをあげて大剣が横薙ぎに振るわれた。

 それはまるで<カタナ>と呼ばれる剣を用いて繰り出される居合斬りのように、恐るべき速度で暗殺者たちに襲い掛かった。


 死のすぐそばで生きてきた経験が、踏み込んだ足を咄嗟に引かせる。それは本能の回避だった。

 だが、イーフレイムの大剣は、持ち主の踏み込みによりさらにその死の腕を伸ばし、暗殺者たちの肉体を捕らえていく。

 暗闇に血の大輪が咲き、胴体を真っ二つにされた三つの死体が、下半身は通路に残したまま、顔を驚愕と無念に歪めた上半身だけを水路へと落とした。


 血で濁った水しぶきを、イーフレイムは飛び退いてかわす。

 暗闇の中、イーフレイムには見えて・・・いるのだ。

 大剣の先端を無造作に水路に突っ込み、付着した血を洗い流す。

 その間にイーフレイムは何故ここに暗殺者たちがいたのかを考える。

 

 <暁>の大将は一人でギルド本部の奥深くへと潜入したと、あの優男は言っていた。

 今イーフレイムが斬ったのは、おそらく地下競売場側で仕事をし、その後ギルド兵に追われて逃走していた連中に違いない。

 かなりの人数のはずだが、たった三人しかいなかったということは、この三人は仲間を逃がすためにしんがりを務めていたに違いない。つまりこの周辺にオリオンという男はいないということだ。いればこの場に駆けつけないはずがない。


「こっちははずれか……」

 イーフレイムはがっかりとため息をついた。

 火の消えた松明を拾い上げると、再び火をつける。

 松明の炎に赤く照らし出されたイーフレイムの顔は、ため息のわりには少しだけ楽しそうに見えた。

 それは、暗殺者たちの強さが、イーフレイムにヴォオスに来た意味を見つけさせたからだった――。

 


 


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