ヘリッドの下準備
「連中、本当にまだ王都にいるのか?」
いかにも疑わしいと言いたげな口調でそう言ったのは、どこにいても異様な存在感を発揮する男、傭兵<巨人>バルブロであった。
問われた相手は<大陸最強の傭兵>アイメリックである。
バルブロはオリオンたち<暁>がとうの昔に王都を後にしているのではないかと考えているのだ。損得から考えれば宰相クロクスを後ろ盾に持つ盗賊ギルドに歯向かっても、得るものはクロクスの怒りだけだからだ。
「地下競売場には行ったか?」
聞かれたことには答えずに、逆に問いかけてくる。
無視されたわけではなく、それが問いかけに対する答えにつながっているのだと理解しているバルブロは、素直に答えた。嫌悪感のあふれ返った声で――。
「一回だけな。もう行く気はねえ」
口調もそっけなくなる。
「あれがかつては都市伝説として語られた盗賊ギルドのなれの果てだ。あれを見て、<掟>を遵守していたかつてのギルドに誇りを持っていた連中が黙っていると思うか?」
「ずいぶんとその<分派>とやらを買っているみたいだがよう、言っても連中は盗人の集まりだぜ。ましてや<分派>の大将は暗殺者だろ? お前さんが期待するような誇りなんて持ち合わせちゃいないんじゃねえか?」
バルブロが懐疑的な答えを返す。
「傭兵だって人殺しを売りにしている職業だ」
「一緒にするなよ!」
「はたから見れば違いなんてない。だが、俺たちは違うと考える。連中もそう考えている」
「……それも勘か?」
アイメリックは嬉しそうに笑ってうなずいた。
バルブロが額を押さえて天を仰ぐ。天井が異様に近い。他人とは全く違う視界なのだろう。圧迫感が疎ましいのか、軽く天上を殴りつける。
殴りつけられた天井が反撃に落とした埃が目に入り、バルブロはぼろぼろと涙を流した。
それを見たアイメリックが、声を上げて笑う。笑い声さえも美しい。
「お前さんの勘は外れねえからな。信じて動くとするか」
両目をごしごしとこするバルブロの手を止め、水差しの水で洗い流してやりながらアイメリックが答える。
「こちらが動くのは後だ。連中は遠からず動く。その動きに合わせて囲い込む」
「こっちは何人くらいそろえればいい?」
野人のような人相には似合わない、意外と可愛らしい目をしばたたきながら、バルブロがたずねる。
「大人数はいらない。これはあくまで俺の個人的な興味にすぎないからな」
「そういうのは勘弁してくれ。お前さんはクロクスの旦那の計画で行けば、将来的には王弟殿下にとって代わってヴォオス軍を指揮する立場に立つ予定なんだからよお。お前さんの単独行動で文句言われるのは俺なんだぞ!」
「損な役回りだな」
「誰のせいだよ!」
バルブロのツッコミに、アイメリックが笑う。
「その辺りは任せる。くれぐれも警戒心を抱かせるような数はそろえないでくれ」
「そんなへまはしねえよ。意外と空気を読む男、バルブロだぜ」
「違いない」
アイメリックの言葉には、信頼ではなく、確定事項としての響きがあった。
主役を張れる男がこれまで補佐役に徹してきた。そして、その仕事振りにアイメリックが不満を感じたことは、これまでただの一度もなかったからだ。
「囲むだけでいい。狩りは俺の仕事だ」
「あ~、言うこと聞かなさそうなのがけっこういるんだがな」
バルブロが、腕は立つがそれ以上に我の強い連中の顔を思い浮かべて顔を歪める。
「ならば早い者勝ちだ」
「あっさりだな! いいのか?」
お目当ての<分派>の大将を、他の傭兵に討ち取られるのではないかと危惧したバルブロが確認する。
「かまわない。どうせ討ち取るのは俺だ。早い者勝ちで負けたことはないからな」
「……忘れてた。お前さんはそういう奴だったよ」
バルブロが呆れてため息をつく。
「それに、<分派>には大将以外にも、かなり腕の立つ者がいるという話だ。退屈はしないだろう。逆に返り討ちに遭わないでくれよ」
「わかった。それなりの連中を集めておく」
バルブロはニヤリと笑って答えた。その笑みからは、負けるなどとは微塵も考えていないことがうかがえる。
「それより、盗賊ギルドとの連携はどうする? あいつら手を出すなの一点張りなんだろ?」
バルブロが面倒臭そうに次の問題を口にする。
「どうもしない」
アイメリックが無感情な言葉で答える。
「しないか」
「しない。餌は何も知らずに泳いでいてくれるのが一番だ。<分派>連中には心置きなく制裁をさせてやれ。冥土の土産にはちょうどいいだろう」
「生首片手にあの世行きか。暗殺者には似合いの最後だな」
バルブロが意地悪く笑う。
「しかし、誰も盗賊ギルドの連中の心配はしないんだな」
「替えの利く連中だからな」
「ひでえ事言うな!」
バルブロはそう言うと大笑いした。
「裏切り者には似合いの死に方だ」
「違いない」
この瞬間、盗賊ギルドのギルドマスターゼムと、幹部たちの運命は決まったのであった――。
◆
地下競売場の盛況振りは、地上で多くの民が飢えと寒さによって次々と倒れていることなどまるで感じさせない盛り上がりだった。
それは、搾取されるだけのみじめな人生を、文字通り凍りつかせて終わらせた人々の魂を、集めて燃やしているかのような、背徳の熱気だった。
かつては入手困難だった禁制品の数々が、金さえあればいくらでも手に入る。
競売場に顔を出せば、ヴォオスでは禁忌とされている人身売買と言う最高の見世物を楽しめた。
そこは地獄絵図であるにもかかわず、同時に楽園でもあった。
ギルド幹部たちは金勘定に飽きると自分たちも狂乱の渦の中にその身を投じ、禁制品がもたらす悦楽と、むせ返るような淫靡な快楽の中に、頭のてっぺんまでひたっていた。
ギルドマスターであるゼムも何度か引き締めを行ったが、自身も地下空間の中で撹拌された甘い瘴気に毒され、かつての冷徹さは綻びだらけになっていた。
それでもさすがに禁制品に手を出したり、快楽に溺れるようなことはない。
「一日の上りはどれくらいになるんだ?」
ヘリッドが呆れた口調で問いかける。
「見当もつかん。数えるのが馬鹿馬鹿しくなるほどの額であることは間違いない」
実の息子を前にしながら、警戒心の塊となったゼムが答える。
もともとゼムが実の息子を暗殺者に仕立て上げたのは、そのあまりの優秀さからであった。
いずれ自分の地位を脅かす存在になると考えたのだ。
本来ならば盗賊ギルドに乗りこんで来た時点で殺してしまいたかったが、今やゼムにとって真の脅威はオリオンであり、目の前の息子ではない。オリオンを仕留めるまでは必要な内通者であった。
「明日、仕掛けてくるというのは本当だろうな?」
ヘリッドが持ち込んだ情報に、ゼムが眉をしかめる。かつての自分の仕打ちから復讐を恐れ、簡単には信用出来ないのだ。
「今日、陛下が来るんだろう?」
「貴様っ! 何故それを……」
ゼムは口にした次の瞬間、それがヘリッドのはったりであったことに気づき、苦虫を噛み潰したかのような表情になる。
それを見たヘリッドがニヤリと笑う。
「警備態勢が露骨に変わり過ぎるんだよ。あれじゃあ重要人物が来るって宣伝して回っているようなもんだ。特に競売場の警備が厳重となれば、殿下、じゃなかった、陛下が来るんだろうなあくらいの推測は、誰にでも出来るぜ」
さりげない言い間違いで、競売場でも人気の売り手の正体が誰なのかを知っていることを伝える。
最重要機密であるはずの<陛下>の正体が、王弟ロンドウェイクであることを見破られ、ゼムがわずかに動揺する。
「陛下が来る日はいつも以上に大盛況になる。その反動か、次の日は警備も、守られ側であるあんたら自身も、弛む傾向にある。心当たりはないかい?」
「…………」
ヘリッドの問いに対する無言こそが、何よりも雄弁にヘリッドの指摘を認めていた。
「明日動く。どう動くかはギルドの警備網次第だから、これ以上のことは言えねえ。後はあんたの腕次第さ。気取られずに罠を張る。それだけだ」
「何が望みだ?」
「あっ? なんだよ、藪から棒に?」
「貴様が俺を恨んでいることはわかりきっている。そんな貴様が俺のためになることをしたがるはずがない。本当の目的は何だ?」
金の魔力に呑まれつつあるとはいえ、そこには三百年の長きに亘って王都ベルフィストの裏社会を支配してきた盗賊ギルドのギルドマスターとしての鋭さがあった。
気を抜いていた護衛たちがぎくりとする。
「そう思っているのに真正面からそれを聞く? 本当に復讐目的で近づいているんだとしたら、しゃべるわけないだろ。仮にしゃべったとして、それをあんたは信用出来るわけ?」
周囲の緊張感などまるで無視して、ヘリッドは答えてみせた。
それを聞いた護衛たちは、もちろん顔には出さないが、「そりゃそうだ」と、思う。
ヘリッドはゼムの机に無造作に置かれた金貨を鷲掴みにすると、まるで小気味よい音色を奏でる楽器のように手のひらから滑らせ、金貨と金貨がぶつかり合う甘美な調べを響かせた。
「これ以外に何がある?」
ヘリッドが問いかける。
「金が目的だというのか? だったらどうしてギルドを離反したりした」
ヘリッドの答えを否定するように問い返す。
「おいおい、お忘れかい? 俺はつい最近まで洗脳されてずっとただ働きさせられてきたんだぜ。金の価値なんて覚えたてだっつうの! それもまあ、離反して金に苦労したから理解出来たんだけどな」
そう言うとヘリッドは机の上にばら撒いた金貨を再び拾い集めると、今度はしれっと懐にしまった。
ゼムの眉が跳ね上がる。
「長年銅貨一枚の小遣いもなかったんだぜ。これくらい気前良くくれよ」
そう言って、これまで多くの女性を虜にしてきた甘美な笑みを浮かべた。だが、その瞳だけは笑っていない。
「やめろ。気色悪い! その程度の金貨ならくれてやる。好きに持って行け!」
笑わない瞳を睨み返しつつ、ゼムは犬でも追い払うように手を振る。
「金持ちの親を持って、俺は幸せだよ」
「白々しいわ!」
すっかりヘリッドに乗せられてしまっている状況にいら立ったゼムが、言葉を吐き捨てる。
「……この椅子が狙いではないのだな?」
「ないと言ったら信じてくれるのかい?」
「…………」
「あんたの部下の幹部連中くらいには、その椅子の魅力を理解しているつもりだぜ。譲ってくれるってんなら、もちろん遠慮はしない」
「どうやら権力の魅力にはまだ目覚めていないようだな」
ゼムが鼻で笑う。
「盗賊の権力ってなんだよ? 盗賊ギルドだって突き詰めれば、いかに効率よく金を盗むか、そのための組織だろ? あんたの言う権力なんて、所詮は金集めの組織を統率するためのものに過ぎない。ここで手に入れた金で爵位でも買い取る気かい? でもって、ヴォオス貴族の中でのし上がって、クロクスの地位でも狙うってか? そんな奇跡はクロクスでお終いだ。俺たちはどれほど金銀財宝で飾り立てようと、所詮は地下水路をちょろちょろと這い回るドブネズミにすぎない。いくら金を積んだって、ドブネズミは王宮で暮らす太った白猫にはなれないのさ。だったら俺は、いきなり金持ちになれる方がいいね」
ヘリッドの言葉は金の魔力に酔いが回り始めていたゼムの胸にチクリと刺さった。
確かに、これほどまでの金を前にして、小さな権力にしがみつくのは器の小ささの証明にしかならない。
今、ヴォオスでもっとも金が集まる場所はここである。
大金を手に入れたいのであれば、ギルドに食い込むのがもっとも賢いやり方だ。
ヘリッドに対する負い目から、どうしてもうがったものの見方になってしまっていたが、賢い人間ならば、誰しもヘリッドと同じように行動するのかもしれない。
「……いいだろう。明日、裏切り者たちを始末することに成功したら、幹部の椅子を用意してやる」
「あっちで遊びほうけている連中みたいに、仕事の少ない幹部の椅子、希望ってことで」
ヘリッドはそう言うといたずら小僧のように笑った。
その皮肉にゼムが顔をしかめる。
「あんたみたいにいまだに働き詰めなんて、俺はごめんなんでね」
そう言うとヘリッドは、バタバタとゼムの執務室から姿を消した。そこには足音を消そうなどと言う暗殺者時代の名残りは感じられない。
ゼムはヘリッドが散らかした金貨の山を無造作に掴み、ヘリッドがしたように手のひらからこぼした。
何とも言えず心地良い響きに耳を澄ませる。
その音と共に、ゼムの中の張りつめていたものが、フッと弛んだのであった。
「さて、今度は色男の方にでも行くとしますか」
ヘリッドのつぶやきは、地下空間に響く嬌声にかき消され、呑み込まれたのであった――。




