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ヴォオス戦記・暁  作者: 南波 四十一
23/42

地下競売場建設

 大陸の心臓、王都ベルフィスト――。

 降りやまない雪に埋もれることなく、四重に王都を囲む堅牢な城壁には、今日も色とりどりの旗と、ヴォオスの国旗が等間隔で並んでいる。

 かつては春の風に乗ってはためき、夏の日差しを受けて煌めいていた。秋には色とりどりだった旗たちがすべて濃淡様々な赤に統一され、どの山よりも美しい紅葉で、王都を訪れる者たちの目を楽しませていた。

 そして冬には再びこの世のすべての色を集めたのではないかと思わせる美しい色彩が、雪景色の中に踊り、冷たい寒気の中で人々の目を楽しませてきた。

 だが、本来美しいはずの雪景色も、一年以上も続くと、血の気の失せた死者の肌の白さを思わせ、その中で踊る色とりどりの旗たちも、見る者の心を狂気へいざなう悪魔の手招きに見えた。


 王都の執務室の中から、寒さで凍りつき、血抜きをされている鶏のようにぶら下がるだけの旗を、宰相クロクスは何とはなしに眺めていた。

 きわめて有能であるが故に、必要な職務はすべて片付いてしまい、思考を遊ばせていたのだ。

 凍りついた旗がクロクスの脳細胞を刺激したわけではないだろうが、何かを思いついたクロクスは、急いで国宝級の執務机に戻ると、幾枚かの手紙をしたためた。

 一国の宰相が用いるとは思えない、地味でありふれた封筒に手紙を納め、たらしたろうが固まらない内に指輪で封蝋に刻印を刻み付ける。

 そして、二種類用意された鈴の一つを持ち上げると振り、せかすような音色を響かせた。


 主の用事に即座に対応するために控えていた従者が、静かに入ってくる。一見、ヴォオス王宮に勤めるただの文官にしか見えないが、クロクスのもとで働く者が見れば、その従者がクロクスの個人的な従者だと即座に気づくだろう。

 そういった者たちが、宰相としてのクロクスに仕える者たち以外に、常に数人待機していた。

 

 クロクスは従者に無造作に手紙を渡すと、特に何の指示も注意もせず、使いに送り出した。

 あれこれ事前に言い含めなければ仕事が務まらないような人間は、クロクスのもとにはいられないのだ。


 思いつきを即座に行動に移し、再びやることがなくなってしまったクロクスだが、今度はその表情に退屈は見られなかった――。









「勝手なことばかりほざきおって!」

 そう言ってクロクスの手紙を投げ捨てたのは、盗賊ギルドのギルドマスター、ゼムであった。

 ここ最近の彼は、苛立つ事ばかりであった。


 ゼムが投げ捨てた手紙を慌てて拾い上げた幹部の一人が、忌々しげにゼムをにらむ。今やこの国の実質的な支配者からの手紙だ。それを投げ捨てるということは、国王からの詔書しょうしょを投げ捨てるのと同じだ。上の世界でそんなことをすれば、例え貴族と言えども死罪はまぬがれない。

 つまらないことでクロクスの機嫌を損ねて、そのとばっちりを食うのは自分たちなのだ。


 この場に居もしない人間の権勢に怯える幹部に、ゼムは冷たい視線を返した。

 にらんでいたはずの幹部は、即座に視線を外す。

 あまりのくだらなさに、ゼムの苛立ちは募る一方だった。


 別の幹部が手紙をひったくり、内容を確認する。

「何を苛立っている。悪い話ではなかろう?」

 他の幹部に手紙を回しながらたずねる。

 目を通した他の幹部たちも、ゼムの苛立ちが理解出来ず、顔をしかめる。


「この地下に、禁制品を取り扱う商業施設と競売場を造ろうというだけの話ではないか。ましてや後ろ盾はあのクロクスだ。これは一財産稼げるどころの話ではないぞ。大儲けだ」

「その通りだ。これが上手くいけば、俺たちはケチな盗みや縄張りの割り振りなんて仕事からおさらば出来るんだぜ。何が不満なんだ」

 本当にわかっていないのだろう。目先の利益に完全に視界を塞がれている。


「地下空間を切り取られちまったら、俺たちに強みとして何が残る? 俺たちは地の底を這う地虫だ。石の下から引きずり出されて日向に放り出されてみろ。途端に干からびて終わりだ」

「クロクスが俺たちを追い出すって言うのか!」

 ゼムの言葉に、幹部の一人が悲鳴のような声を上げる。


「このまま地下が、奴の思い通りにいじくりまわされたら、いずれはそうなるだろうさ。奴が俺たちを切り捨てようと考えた時、この地下空間を奴に押さえられていたら、俺たちに逃げ場はない。よその土地にでも逃げ出して、一から物乞いでもするんだな」

 ゼムが吐き捨てるように突きつけた現実に、幹部たちは押し黙るしかなかった。

 自分たちは所詮盗人の集まりだ。たとえ三百年近い歴史を持つ組織だとしても、社会的価値が皆無であることに変わりはないのだ。

 そんな自分たちの身の上を保証しなくてはいけない義務は、この国のどこを探してもない。

 利用価値がなくなった時点で、捨てられても文句の言えない立場なのだ。

 だからこそ自分たちは集まり、組織として世の中から自分たちの身を守って来たのだ。


「……そうは言うが、クロクスからの要請を無視することは出来ん。そんなことをすれば、奴はヴォオス軍を正式に動かして、わしらを潰しに掛かって来るぞ。その時になってわしらとクロクスのつながりを暴露したところで、誰も耳なんぞかさん。わしらは奴の言いなりに動くしかないのだ」

 幹部の一人が諦めたようにゼムを諌める。


「クロクスと手を組むということは、そういうこと・・・・・・だと始めからわかっていただろう。その上で奴の上前をはねて、俺たちは今まで以上の力を手に入れようと決めたんじゃないか。そう言って俺たちを説得したのは、ゼム、あんただろう」

 別の幹部が恨み言を口にする。


「どうやら最低限のことは忘れていなかったようだな。そうだ。俺たちはクロクスの上前をはねてのし上がるんだ! 奴が放り投げる食い散らかした残飯に、尻尾振るような馬鹿は今すぐここから出て行け!」

 腹の底に響くゼムの怒声に、幹部たちは殴られたかのように顔色を変えた。

 クロクスからの要請は、非常に魅力的なものであった。それ自体に問題はない。だが、それをクロクスからの恩恵のように受け取ろうとした幹部たちの姿勢に問題があったのだ。


 飼われることに慣れた野良犬が、いきなり飼い主に捨てられて、生きて行けるだろうか?

 野良犬は飼われたら終わりなのだ。腹を見せようが、ちぎれんばかりに尻尾を振ろうが、相手を利用して生きていく。それを忘れた犬からのたれ死んでいくのだ。

 喜んで飼い犬に成り下がろうとしていた幹部たちに、何よりその事実に気がつきもしないその愚鈍さに、ゼムはいら立っていたのである。


「俺たちのやることは変わらない。俺たちはクロクスを利用するために手を組んだんだ。忘れるな」

 自分の真意がようやく浸透したところで、ゼムは念を押した。

 幹部たちの顔つきが、寝ぼけたアホ面から、ようやく盗人らしくなる。

 それでは遅すぎるのだ。緊張感をなくした盗賊に、生き残る力はない。ゼムの頭の中では、新たな幹部候補の名が次々と列挙されたのであった――。









 クロクスとゼム。両者の思惑が絡み合ったまま、盗賊ギルドが本部を構えていた空間の大改築が始まった。

 クロクスの息のかかった建築家が訪れ、入念な測量を元に、クロクスの要求を満たす図面が起こされる。その過程でゼムは建築家をなだめすかして買収し、最後には脅迫と言う手段を用いて取り込んだ。

 その結果、クロクスの手元に渡る図面に載ることのない通路や部屋が誕生した。


 表だって行える工事ではない。工夫はクロクスの息のかかった者たちの中でも、特にこういった情報の漏洩ろうえいが固く禁じられた物件専門の職人が集められた。全員報酬に見合うだけの働きの出来る者たちだ。

 単純作業に関わる人足は、王都の外に広がる貧民街から連れてこられた者たちが担当する。そして、地下施設の秘密を守るために、工事の完了と共に人柱となる。


 その人足の中に、ずいぶんと風体ふうていの悪い小男がいた。

 頭は広くハゲ上がり、ひどくやせこけている。そのせいで、ただでさえ大きい目と鼻が異様に目立つ。

 目は濁って光がなく、知性のかけらも感じない。よく今日まで生き延びられたとさえ思う。

 男を見た誰もが、次の瞬間には忘れる。そんな無価値な男だった。


 男は自分の特性を生かし、労働からするりと身をかわしつつ、あらゆる場所に存在した。そして常に耳をそばだてる。

 男は探り出したギルド専用の隠し通路や隠し部屋の作業に紛れ込むと、細かな細工を施して回った。


 人足を昼夜入れ替え、突貫で工事が行われたことにより、地下空間は短期間で様変わりした。

 顔を隠しているが、明らかに上級貴族とわかる者、各国の大使、非合法な品物を扱う商人などが頻繁に姿を見せるようになり、内装が整うと、かつての盗賊ギルド本部は、王宮の大広間を上回るほど壮麗な巨大空間に生まれ変わった。


 ここを潮時と、口封じに殺される前にみすぼらしい男は地下空間から脱出した。

 かつての盗賊ギルドのみの管理であれば、男の脱出はかなり困難なものとなっただろう。だが、この先必要となる警備兵など、新たな人材を確保したことにより、ギルドは地下空間に存在する人間を把握しきれない状態に陥っていた。


 悠々と脱出した男は、一度王都から出ると身なりを変え、城門を一つ潜るごとに、身につける衣服の質を向上させていった。

 ドブネズミの化身のようだった男は、第一城壁を前にした時点で、五大家筆頭クライツベルヘン家の下男、ペテルへと姿を変えていた。

 相変わらず風采の上がらない男であることに変わりはないが、第一城壁を潜ることの出来る数少ない人間へと変わる。


 地下競売場及び盗賊ギルド本部のすべての情報は、ペテルによってクライツベルヘン家とカーシュナーのもとへと届けられた。

 クロクスはもちろん、盗賊ギルドの誰も知らない仕掛け付きで――。








 

 無駄に気位の高い貴族連中を中心に、闇の社交場として生まれ変わった盗賊ギルドに急遽必要になったのが、荒事を処理する人間だった。

 盗賊ギルドとは、武闘派集団ではない。暗殺者と言う例外こそあるが、武力的脅威を持つことを避けてきた。大きくなった力は必ず表に出ようとする。白昼堂々と、首から自分は盗賊ですと看板をぶら下げて歩いていれば、見た人間に通報され、あっという間に治安兵に拘束されて終わりだ。

 地下の闇にまぎれて存在し続けることに意味がある。

 盗賊ギルドがヴォオス軍から討伐されることなく今日まで存在し続けられたのは、ひとえに武力的脅威を時の権力者に与えなかったからだ。

 

 だが、我の強い貴族たちが、身分を伏せて集まり、それこそ表には出せない享楽にふける場所に生まれ変わったことで、もめ事は容易に予想され、それを処理するための人材確保は不可欠となった。

 カーシュナーが予想したギルドの変貌と質の低下は、クロクスの介入により、一気に加速することとなった。


 ごく一部の貴族と各国の大使、裏の顔を持つ豪商たちが招待され、地下空間とは思えない華々しさで営業が開始された。

 始めに招待された者たちから紹介された者たちが加わり、そこへさらに紹介された貴族たちが加わったことで、かつての盗賊ギルド本部には、これまでの三百年間で稼ぎ出した総額以上の金貨が流れ込んだのであった。


 終わらない冬の影響で暇を持て余していた者たちが湯水のごとく金を使うことに、さすがのゼムも呆気に取られた。

 上前をはねる必要などまるでない。

 クロクスは決して浪費家ではない。価値のないものに対しては、それが人であろうが物であろうが銅貨一枚出しはしない。だが、ここぞという場面では、相手の理性を呑み込む勢いで使う。

 一度は引き締まったギルド幹部たちも、クロクスが操る金の魔力にあっさりと籠絡され、子犬のように尻尾を振る始末だった。

 そして、クロクスの金の魔力は、本人は決して認めようとはしないだろうが、ギルドマスターであるゼムをも蝕み始めたのであった――。









 地下競売場が完成し、貴族たちがそのただれた魅力に憑りつかれるまで約半年――。

 クライツベルヘン家から王都に戻ったオリオンは、準備を進めつつ、静かに待ち続けた。

 その間に、ギルドとしてのたががゆるんでしまった組織から抜け出てきた人々がオリオンたちに合流し、暗殺者の集まりでしかなかった<暁>は、規模こそ小さいが、かつての盗賊ギルドと同等の様相をていするまでになった。


「動くぞ」


 地下競売場の狂乱に満ちた闇とは異なる、硬く冷たく、それでいて純粋な闇の中に、オリオンの言葉が響いたのであった――。

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