おじさんの話
どうも、ヴォオス戦記・暁を書いている人、南波 四十一です。
ここで言い訳を一つ!
今回はちょっと長いです。久々に一万文字行きました。
内容的に途中で切れなかったため、ボツか全載せかの二択だったので、削らず投稿することにしました。
今回のお話は、タイトルからもご想像出来るかと思いますが、なくても全体には影響しないお話です。
カーシュナーという男のらしさを、おじさんの経験から語ってもらうお話なので、ぶっちゃけ読まなくても全く困りません(笑)でも読んで!
言い訳が長くなりましたが、それではヴォオス戦記・暁、本編をどうぞ!
人によってはちょっと泣けるかも(笑)
「ずいぶん開拓が進んでいますね」
村で一番大きな建物である集会所へ向かう道すがら、カーシュナーが感想を口にする。
一般的な村であれば、外から来た客は大概村長の家へと向かう。来客を迎えるために他の村人の家よりも大きい造りになっているからだ。だが、新規に開拓された村のため、村長がおらず、来客のために共同管理の集会所が設けられている。村がさらに発展すれば、祝日の祭りなども集会所を中心に催されるだろう。
「お前が以前訪れた時は土地の整備がようやく終わったころだったからな。仮設の作業小屋が適当に建てられていただけで、作業にあたる男たちしかいなかった。今は男たちの家族も移り住んで、それぞれが自分の家を持っている。ようやく村としての大枠が出来たといったところだ」
一行を先導するアインノルトが、カーシュナーの言葉に答える。
一緒について来た住人たちも、口々に開拓の進む村について嬉しそうに説明する。
この村に住む人々は、アインノルトに対して深い尊敬と感謝の念を持って接するが、カーシュナーに対しては、そこに親しみが加わる。誰もがカーシュナーに会えたことを心から喜んでいるのだ。
「ねえ、みんなはカーシュとどんな関係なんだい?」
リタが好奇心から自分の建てた家の説明を終え、満足そうにほほ笑んでいる銀髪のおじさんにたずねた。
「嬢ちゃんはカーシュナー様とどんな関係なんだい?」
銀髪のおじさんが逆に問い返してくる。
「とりあえずは仲間かな。あとは命の恩人。特に子供たちの。これ言うとあいつ嫌がるんだよ」
リタは正直に答えるとクスリと笑った。
「カーシュナー様は照れ屋さんだからな」
銀髪のおじさんも小さく笑う。
「嬢ちゃんたちにとって命の恩人であるように、カーシュナー様はわしらにとっても大恩人なんだ」
「危ないところを助けてもらったのかい?」
「そんな程度のことじゃない。嬢ちゃんは人買いって知ってるかい?」
「奴隷商人のこと?」
「ちょっと違う。場所によっちゃあ同じ意味で言われることもあるけど、わしらにとっては、奴隷商人と人買いはまったくの別物なんだよ」
「あ~、聞かない方がいいことっぽいね。興味本位で聞いたりして悪かったよ」
言葉の奥に潜むものを感じ取ったリタが、おじさんの説明を遮る。今が幸せなら、つらい過去を掘り起こす必要などないのだ。
おじさんは少し考えると、リタにやさしく笑いかけた。
「気い遣ってくれてありがとうな。でも、わしらとしては、カーシュナー様のことを知ってほしい。あの人は奥ゆかしいというか、とにかくものすごい照れ屋だから自分のことはあんまり話さんからな。迷惑でなければ聞いてくれんか?」
「いいよ」
「ここにいる連中のほとんど全員が、人買いにさらわれて売り飛ばされた連中だ。だがな、奴隷とは違う。玩具なんだ」
「玩具?」
「そうだ。奴隷は家畜みたいなもんだ。売り買いされたり、死ぬまで働かされる。時には理不尽な暴力を受けて殺されることもある。だがな、死ねばそこでお終い。病気が出んように適当に埋められるか、放り棄てられて腐るかだ」
おじさんはそこまで話すと重いため息をついた。
「でもな、人買いに売り飛ばされたわしらは玩具、つまり物なんだ。生きてる間に過酷な労働をさせられることはあまりない。食事を与えられないといったこともない。わしら一人で奴隷が何人買えるかわからんからな。おいそれと死なんように扱ってはもらえる。もっとも、死んだらまるごと剥製にされるか、バラバラにされて聖水漬けにされちまうがな」
おじさんはとんでもない台詞を何気なく口にすると、自分の美しい銀髪を引っ張ってみせた。
「わしらの価値は色の発色度合いで決まる。目鼻立ちの美しさにももちろん価値はあるが、やっぱり色だ。わしなんかはこんな顔しているが。銀髪のおかげで、はたから見れば何様かっていうような生活をしておった」
「へえ、どんな生活してたんだい?」
「種付けだ」
「たねつけ?」
「ああ、あんたもヴォオス人なら聞いたくらいことあるんじゃないかな。足が速くて体力もある。そんな名馬の血を残そうと、交尾期になると、選ばれた名馬に、たくさんの雌馬と交尾させるんだ。それをわしらは種付けって言っとる。わしは、この銀髪を増やして一儲けしようと考えた貴族に買われ、来る日も来る日も新しく連れてこられる女の人と、その、なんだ。そういうことをしとったんじゃ」
「そりゃあ確かに何様かって話だね」
話の最後になって、リタのような美しい女性にとんでもない話をしていることに気がつき、真っ赤になってしどろもどろになったおじさんを見て、リタがからかうように答える。
「面目ない。正直な話、奴隷たちが酷い扱いを受けている姿を見せられた後だったから、わしは運が良いと思った。飯にも女にも困らん。考えようによっては夢のような生活だ。だがな、そんな考えもすぐに粉々に砕かれた」
おじさんの顔が、一瞬だったが、胸を切り裂かれたかのように歪む。
「長い航海をして、わしは家族とこの大陸にやって来た。わしらの生まれ育った国は長いこと圧政が続いておってな。自由を求めて家族みんなで旅立ったんだ。だが、この大陸に着いてすぐ、わしらはゾンの人狩りに捕まってしもうた。妻と娘。わしにとっては命よりも大事な宝だったが、奪われ、離れ離れにされてしまった。その後、この大陸の人間が、わしら渡来人をどう思っているか知った後は、諦めしかなかった。もう二度と家族には会えないのだと、受け入れるしかなかった。情けないかぎりだ」
「…………」
リタは口にしかけたなぐさめの言葉を呑み込む。同じ痛みを知らない者に、このおじさんに掛けられる言葉はないと思ったからだ。
「連れてこられる女の人たちも、人生を諦めきった人たちばかりだった。始めのうちはやけになっていたから、わしも何も考えないでいられた。でも、中にはずっと泣きっぱなしの少女なんかもいた。娘のことを思い出すと、わしはもう何も考えないでいることは出来んようになった。
良心の呵責に耐えられなくなったわしに、貴族は、
「お前が拒むのなら仕方ない。孕むことの出来ん雌に食わせる餌はない。兵士どもにでもくれてやるとするか」
そう言ってげらげらと笑いおった。腹に子がある内はひどい仕打ちを受けることはない。わしは務めを続けるしかなかった」
「そんな日が何年も続いた。そのころには、わしは何も感じなくなっていた。わしは淫魔の地獄に囚われているのだと思っておった。だが、そんな考えはまだまだ甘い幻想だった。ある日、新しい娘が連れてこられた。わしと同じ渡来人の少女だ。頬はこけ、暗い目をしていた。身体のあちこちに打ち身や生傷があった。一番目立ったのがくっきりと身体に刻まれた歯型だった。体中のいたるところに刻まれていた。顔にまであった。尋常ではない扱いを受けて来たことが一目でわかった。わしの部屋に通され、怯えた目でわしを見上げる少女に、わしは気づいてやることが出来なんだ……」
おじさんはそこで言葉に詰まる。リタも嫌な予感に呑み込まれて聞いている。
「わしの娘だった。ゾンで生き別れになった娘だったんだ」
酷い言葉が宙に浮き、数瞬の沈黙が生まれる。
「わしは気が狂いそうになった。娘を回収しようと部屋に入って来た兵士に、わしは殴りかかった。一人でもいいから道連れにして死ぬつもりだった。当たり前だ。気がつかなかったですむ話じゃない。わしは気がついてやらなくちゃあいかんかった。わしはあの子のたった一人の父親なんだから……」
おじさんは遠くを見つめながらつぶやいた。それはリタに語り掛けたのではなく、無意識にこぼれたつぶやきだった。
「騒ぎを聞きつけた貴族は、わしの言葉から状況を理解すると、大声を上げて笑った。そして、わしと娘を、お互いの命を人質に脅迫した。わしは、娘の命を守るために、貴族の目の前で、畜生と笑われ、罵られながら、娘を犯し続けなくてはならなくなった……」
「おじさん……」
つらすぎる過去だ。リタがもういいと止めようとしたとき、おじさんは言葉を続けた。
「わしの頭が本当に狂い掛けた時、カーシュナー様が、わしらを救い出してくださったんだよ」
おじさんの言葉から、ようやく苦悩が取り払われる。
リタが肺の奥に詰まっていた重い空気をゆっくり吐き出した。
「嫌なこと思い出したついでに、その貴族のこと詳しく教えてよ」
「なんでまた?」
「その貴族、あたしが殺す!」
「そりゅあ、無理だ!」
「おじさんにはか弱い絶世の美女にしか見えないだろうけど、あたしにはやれるんだよ」
リタがドスの利いた声で言う。
「いや、そうじゃなくて、その貴族、カーシュナー様がとっくの昔に始末しちまったから」
リタは額を叩いて天を仰いだ。
「そりゃそうだ。カーシュが放置するわけないよな!」
「ああ、カーシュナー様はお優しいだけのお人じゃねえ。厳しくておっかない人でもある」
「自分で殺したいと思わなかったの?」
リタがとんでもない質問をする。
「殺したかった」
おじさんが真面目な顔で答える。
「でも、あの貴族にひでえ目に遭わされたのはわし一人じゃない。わしだけがあいつを殺して満足しちまったら、他にあいつに苦しめられた人たちのつらかった気持ちや、悲しかった気持ちが晴れることはねえ。それに、わしにはどうやったってあそこまでのことは出来なかったから、カーシュナー様が手を下してくださって正解だったのさ」
「えっ! その場にいたの!」
おじさんの答えに、リタが思わず声を上げる。
貴族が、簡単に出入り出来るような場所に渡来人を捕らえておくはずがない。警備が厳重な屋敷の地下室あたりに捕らえておくはずだ。つまり、おじさんが今ここにいるということは、カーシュナーは貴族の屋敷に潜入したことになる。いや、貴族を殺したという事実を鑑みれば、それはもはや襲撃と言える。
どこの領地でも、貴族の住む屋敷は、他国の侵略や、内戦による近隣領主の侵攻を想定して、その土地の中でも一番守りを固めやすい場所に構える。やろうと思ったところで容易な話ではない。
捕らわれ、非道な扱いを受けてきた人々を、貴族の屋敷から救い出す。
一人や二人ならば、リタにも方法は考えつく。だが、カーシュナーはそんな半端なことはしない。助けるのなら、全員を助け出す方法を見つけるはずだ。そこに加えて非道な行いを続けていた貴族を、おじさんの前で処刑するという条件が付けば、リタに思いつける方法は一つしかない。
「……もしかして、屋敷の人間皆殺しかい?」
「ああ、元凶の貴族はもとより、その家族に護衛の兵士、使用人に至るまで、全員皆殺しだったよ」
その時の光景を思い出したのだろう。おじさんが少し青ざめる。
「無茶するな~」
まさかが現実となり、リタは呆れるしかなかった。
「貴族の屋敷に襲撃をかけて皆殺しにする。それがどれだけとんでもないことかは、わしにだってわかる。そんな無茶を、カーシュナー様はわしらの踏みにじられ続けた人としての想いのためになさってくださったんだ。もしあの日、ただ逃げ出すだけで、今もあの貴族が生きて同じことを繰り返しているとしたら、わしの心は今もあの地下室に捕らわれたままだったはずだ……」
そう言うとおじさんは、熱くなった目頭を乱暴にこすった。
「そこまで思い切ったってことは、その貴族、楽には死ねなかったんだろ?」
「ああ、楽には死ねなかった。人の皮を被った悪魔にふさわしい死に方だった」
「どう殺したの?」
どう聞いてもやばい奴の発言にしか聞こえない。カーシュナーによく似た悪い顔をしているから余計にあぶなく見える。
そんなリタに、おじさんは少しも引くことなく答える。
「煙を出さないように、ゆっくりじっくり、きつね色になるまでこんがりと焼き殺したよ」
火刑という処刑方法は、見た目の派手さと、処刑後の焼けただれた遺体の状態から、とんでもなく苦しんで死ぬものと思われがちだが、実はそうではない。たいていの場合、受刑者は焼かれて死ぬのでなく、窒息して死ぬのだ。もちろん焼かれる恐怖にさらされ、その上で煙にまかれたり、酸欠で窒息死するのはとてつもない苦痛だ。だが、煙を出さないように、文字通り焼いて殺される苦痛と恐怖の比ではない。獣は火を恐れる。それは火を制御する術を得た人間でも変わらない。自分が制御出来ない炎に襲われる恐怖は、本能を震え上がらせる。
リタはおじさんの説明で十分納得し、満足した。
「助け出されて、仇まで討ってもらった。わしはもう十分だった。そこから先の人生なんて、もういらんかった」
「…………」
「わしは死のうとした。娘にしたこと、いや、その他の女の人たちにしたことも含めて、わしは自分が許せなんだ。あの貴族のせいにすることは出来るだろう。実際、女の人たちからは礼まで言われた。俺が受け入れたから、兵士たちの慰み者にならないですんだとな。周りの人たちが、わしに、自分を許せる理由を沢山見つけてくれた。だがな、わし自身が、どうしても自分を許せなんだ……」
おじさんはそう言うと、レノに支えられて前を歩くカーシュナーの背中を見つめた。
「みんなが止めた。死ぬことはないとな……。その言葉が、やさしさが、その時のわしには厳しい言葉でなじられるよりもつらかった。そんな時、カーシュナー様が、苦しまずに死ねるという薬を持って、わしに話しかけてくれた。そして許してくださった。死んでもいいとな」
「…………」
「良心が生きることを許さないと言うのなら、生きなくてもいいと仰ってくださった。そして、薬をお与えくださった」
(あいつ、本当に無茶しやがるな……。おじさんが目の前にいるんだから、上手く思いとどまらせたんだろうけど、薬まで用意して、そんで死んでもいいとかって、ありえないだろ。本当に飲んで死んでいたらどうするつもりだったんだよ。死なせるくらいなら助けるなよ)
「わしはその瞬間、これでようやく楽になれると思った。手の中の薬を見つめて、次に、わしはカーシュナー様のお顔を見た。あの翠玉のようにお美しい瞳を見た。わしの中に生まれた安堵を見透かしたその瞳を――。
その時ようやくわかった。わしは犯した罪から逃げ出したかっただけなんだと。目の前に続く償いの道から、ただ逃げたかっただけで、良心の呵責に耐えきれないなんて言うきれいな理由なんかじゃなかったんだと」
「それは、……ちょっと自分に厳しすぎるんじゃないかい?」
一人の人間の力ではどうすることも出来ないことがある。その状況下で犯した罪を、そこまで責めてしまったら、救いようがないとリタは思ったのだ。
「本当に、ただただ逃げたかっただけなら、わしはそんなことに気がつきもしなかったさ。カーシュナー様はきっとお見通しだったんだろう。わしの、娘を守りたいという気持ちに――」
「そんなの親なら誰でも思うことだろ?」
「あの子がつらかった時、苦しかった時、きっとわしに助けてほしいと願っただろう。だが、わしはそのどんな時にもそばにいてやれず、守ってやることが出来なかった。わしがしたことと言えば、あの子を傷つけることだけだ。守りたいなどと願うのは、虫の良過ぎる話だ」
「…………」
「あの子の幸せを心から願える人間が、他にいるのか? カーシュナー様は仰られた。誰もいない。あの子のこれから先の人生が、幸せなものになるように守ってくれる人間なんてどこにもいない。誰もが自分が、自分の家族が生き延びるので必死な状況だ。あの子は自分一人の力で生きて行かなきゃならない。その時のわしには、そんな当たり前のことさえ見えていなかった」
「寄り添い生きることは難しいだろう。だが、あなたのその大きな手が、頑丈な身体が、あの子の分も働けるのではないか? あの子の生活を支えてやれるのではないか? あなたの代わりに、あの子を生涯かけて守ると誓える男が現れるまで、支え続けてやれるのではないか? そう仰られた」
「カーシュナー様は助け出したわしらを、ここクライツベルヘンに連れ帰り、領民にしてくださるとお約束してくださった。わしらのような境遇の者たちが暮らす村があるのだとな。だが、そこもだいぶ手狭になって来ていて、新しい村を開拓する必要があるから、わしにはそこで、これから救い出されてくるであろう人々が暮らせる村作りをしないかと誘ってくださった。しかも、ものすごく現実的な給金の話までその場でしてくださった」
「あいつらしいな~」
リタが呆れ半分に感心する。
「現実的な話を聞いた瞬間、わしは手にしていた薬をカーシュナー様にお返ししていた。娘のそばにはいられない。そこまでわしは自分を許せない。でも、離れた場所で娘のために働ける。娘が安心して暮らせる場所で、自分の本当の幸せを見つけるための手助けがしてやれる。こいつは償いなんかじゃない。わしには最高の人生だと思った。そしたら、死にたいなんて二度と言えなくなった」
おじさんが幸せそうに笑う。
「そう思えたのも、カーシュナー様が一度、わしに死ぬという選択肢をお与えくださったからだ。死ぬ道と生きる道。その両方をわしの前に並べて選ばせてくれた。だから、わしは死ぬ意味と生きる意味の両方を、深く自分に問いかけることが出来たんだ」
「あいつ、そこまで深く考えていたのかな?」
「いや、死んだらそれまでだとお考えだったそうだ。その上で、娘の身の振りようを考えるつもりだったと仰られた。まったく、甘ったれには本当に厳しいお方だ。今思うと、死んで楽になる方を選んでいたら、わし、薬じゃなくてカーシュナー様に殴り殺されていたんじゃないかと思うわ」
「おじさん。それ笑えないよ」
そう言いつつ、リタはニヤリと笑った。おじさんの読みはかなり鋭い。傷つきボロボロになっている娘を、自分が楽になりたいからという理由で見捨てて死のうとするような人間に、カーシュナーが慈悲をかけるとは思えない。
「去年な、この厄介な冬が来る前に、娘が結婚したんだ」
「良かったじゃんか!!」
リタは心底から喜んでいる自分に少しだけ驚いた。あったばかりのおじさんの、見たこともない娘の幸せが、本当にうれしかったのだ。自分の変わりように自分で驚く。
「きれいだったかい?」
リタは娘さんの花嫁衣装を想像してたずねる。
「……わしは二度と娘の前には顔を出さんと誓っていた。わしの気持ちを汲んで、娘もわしに会いに来たことは一度もなかった。わざわざ挨拶に来てくれた義理の息子にも、事情を説明して理解してもらった。結婚式には出ん。わしはただ、あの子が同じ空の下で、幸せに暮らしていると知れるだけで十分だったんだ」
「……そんな」
リタはせつなさに胸が締めつけられた。
「そんなわしの前に、カーシュナー様がいらっしゃった。お忙しいだろうに、わしの話を聞きつけてたずねてくださったんだ。そして、わしの話を最後まで聞くと、わかったと言いつつ、問答無用でわしを縛り上げ、娘の暮らす村へと連れて行ってくださった」
リタは先を歩くカーシュナーの背中に飛びつき、「良くやった!」と言いたい衝動を必死でこらえた。
「妻はゾンの人狩り隊に捕まってすぐに殺されていた。そのことをご存じだったカーシュナー様は、いつかわしが天に召されて妻のもとに行けた時に、土産話に話して聞かせてやれるように、わしが見ておかなきゃいかんと言うて下さった。カーシュナー様はいつもわしの言い訳を粉々にしてしまう。でもな、おかげでわしは、娘の花嫁姿をこっそり見ることが出来たんだ」
「……会わなかったんだ」
「そこがわしの妥協点だと見越しておられたんだろう。会えと言われていたら、無理だっただろうな」
「そっか……」
リタがさみしそうにため息をつく。
そんなリタに、おじさんは何とも照れくさそうに言葉を続けた。
「でな、先月孫が産まれた」
「マジでっ!! おめでとう!!」
リタはそう言うと、おじいさんになったばかりのおじさんの背中をバシバシ叩いた。
見た目に反する力の強さに、おじさんが悲鳴を上げる。
リタは笑って謝った。
「……昨日な。娘がな。孫つれて会いに来てくれたんだ」
おじさんはそう言うと堪え切れずに涙を流した。
会うわけにはいかない。ずっと自分にそう言い聞かせて、会いたい気持ちを押し殺してきた。娘もそれを理解してくれた。だから、自分は死ぬまで娘にも、孫にも会うことはないと覚悟していた。
だから、よけいに嬉しかったのだ。
リタも思わずもらい泣きしてしまう。
「いくら産後の回復が早かったとは言え、産んで一月足らずでこんな寒い雪の中、赤ん坊を連れてたずねてこんでもいいだろうに、まったく無茶しよって、まったく……」
照れ隠しに怒ってみせたが、言葉はそれ以上続かなかった。
「それ、カーシュにはもう話したのかい?」
「驚かそうと思ってな。まだなんだ。カーシュナー様が一息つかれたら、家族四人で挨拶に伺わせてもらうつもりだ」
リタは大きく何度もうなずいた。
「この村には、カーシュナー様に対する恩義を返したいと願う者たちが集まっとる。嬢ちゃんや、連れて来た子供たちも、みんな訳ありなんだろ? 誰も何も詮索なんかせん。でも、あんたらの面倒はわしらが全力で見る。だから安心してゆっくり暮したらいい」
おじさんは長くなってしまった話を締めくくるように、そう言って笑った。
「そうさせてもらうよ」
想いを伝えるために、つらい過去を打ち明けてくれたおじさんに、リタは心からの感謝を込めて答えた――。
◆
「オリオン。悪いが少しつき合ってもらえるか?」
カーシュナーが集会場で一通りの説明を終え、子供たちを集会場の客間で休ませてから声をかける。
「わかった」
オリオンが短く答える。
「リタ! 悪いんだけど、ダーンと二人でこっち任せてもいいかな?」
「かまわないよ。なんかあったのかい?」
「これから起こすんだよ」
そう言ってカーシュナーはニヤリと笑った。目は落ちくぼみ、頬は今もこけている。子供たちの治療のために大量の血を抜き、回復する間もないまま、クライツベルヘンへの移動だ。並の人間ならば、蓄積された疲労のため、とっくに倒れているだろう。
「なにやらかす気か知らないけど、大丈夫なのかい?」
ひょろ長い見た目と違い、頑丈なことこの上ない男であることは、これまで何度も殴り倒してきた経験から、誰よりもよくわかっている。その男が、誰の目から見てをはっきりとわかるくらい消耗しているということは、相当状態が悪いのだ。普段は周囲が心配するくらいカーシュナーを雑に扱うリタも、さすがに心配せずにはいられなかった。
「カーシュナー様……」
小さい子供たちを寝かしつけて来たレノも心配そうに見上げてくる。
「心配には及ばん。クライツベルヘン家の男はこの程度でくたばったりはせん」
そう言うとアインノルトは、ふらつくカーシュナーの背中を容赦なく張り倒した。
ものすごい勢いでカーシュナーが床に叩きつけられる。カーシュナーが消耗している以前に、アインノルトの力が強過ぎるのだ。
「ん? 本当に弱っているのか?」
「見ればわかるだろ!」
あまりの勢いに、リタとレノが慌てて様子を確認する。
「に、兄さんは、文武両道でこれと言った欠点のない人なんだけど、時々天然なんだよ」
ぴくぴくしながらカーシュナーが兄を弁護する。もっとも、あまり弁護になってはいない。
「兄さんも申し訳ありませんが、少しつき合ってください」
レノに支えられてなんとか立ち上げると、カーシュナーはアインノルトにも声をかけた。
「どっちの用事だ?」
とりあえず、レノの厳しい視線には気がつかない振りをして、アインノルトはたずねた。
「両方です」
「そうか、わかった」
アインノルトはそれだけであっさり納得するとうなずいた。
「なにするつもりなのさ?」
それだけではまったく納得がいかないリタが口を尖らせる。
「父上に会いに行く」
ヴォオス五大家筆頭クライツベルヘン家が現当主、ヴァウレル。
数多存在するヴォオス貴族の中で、間違いなく最も力のある男であった――。
次回は3月1日になります。




