暗殺者オリオン
第2話をお届けします。誤字脱字の確認をしていたところ、ストーリー上必要な部分を書き漏らしたことに気がつき、慌てて修正しておりました(苦笑)
たぶん大丈夫だと思います(笑)
引き続き3話目を17時ごろに投稿いたしますので、年の瀬ではございますが、お付き合いいただければ幸いです。
男は名をオリオンと、自らに名付けた。
それまでの人生で、いくつもの名を持ち、いくつのも人生を持って来た。
そのどれもが、その時々で男にとっては本物であり、仕事が済めば捨て去られるものでもあった。
いつ生まれたのかはわからない。
親が誰なのかもわからない。
始めの記憶は自分同様まだ物心がつかないくらいの年端もいかない子供たちと、<掟>について繰り返し教えられる情景だった。
言葉は終わりなく繰り返され、意識に完璧に刷り込まれてもなお続く。
ギルドの存在が自分自身の存在であること――。
ギルドの教えは他のどのような思想、教義にも勝り正しいこと――。
ギルドの務めは己の命よりも重要であること――。
ギルドの命令には絶対服従であること――。
意思を縛る無数の言葉が、何重にも精神を覆っていた。
男は盗賊ギルドの中でも特殊な位置づけにある<暗殺者>であった。
始めの教育が終わると、男は徹底的に自我を排除する教育を受けた。
それは洗脳であり、ギルドの意思に従い、決して疑問を持たない人形の作成であった。
それは別段珍しくも特別なことでもなかった。
王国軍の密偵を育てる際にも同様の手法が用いられている。
ただ、表の世界では薬物の投与に比重が置かれるのに対し、ギルドではほぼ薬物を用いず、また、洗脳されている本人が、何かを強要されているとは微塵も感じないまま洗脳を終わらせるところにあった。
幾種類もの薬物により作り上げられた密偵は、製造にかかる時間と費用に対し、非常に活動期間が短い。
薬物により、意識、思考と言ったものの中にある不要な要素を破壊するのだから無理もない。
それに対し、ギルドが作り上げる暗殺者は長持ちした。
それほどの技術を持つからこそ、盗賊ギルドは約三百年もの間、大陸の心臓とも呼ばれる王都ベルフィストの地下で半独立を守ってこられたのだった。
そもそも盗賊ギルドとは、犯罪の無秩序化を避け、効率良く犯罪行為を切り回すための組織だ。
盗人、スリ、物乞いなど、いくつかに細分化され、それぞれに縄張りを割り当てている。
基本殺しはご法度だ。
そのおかげで、王都ベルフィストでは強盗殺人の発生件数が、他国の主要都市に比べ、驚くほど少ない。
盗みに入る家の情報は徹底的に洗われ、いつ、どこから侵入し、どのようを経路をたどり、何を盗むか、計画のすべてが完璧に立てられて始めた犯行が行われるのだ。
そのため、殺人が起こるのは、盗みに入った盗賊の腕がよほど悪いか、ギルドには無所属の素人が、突発的に起こす場合に限られた。
前者の場合、これといった明確な制裁がない代わりに、すべての人間から嘲笑われる。
大陸の心臓ベルフィストでのあがりは、他のどのような大都市も及ばない。必然的にベルフィストで縄張りを得るような盗賊は、最低でも一流の腕の持ち主ばかりになる。
盗賊にも盗賊なりの矜持がある。
それを笑われては、どれほど厚顔な盗賊でも王都にはいられなかった。
追い出されるまでもなく、自ら王都を去るのだ。
だが、後者の場合はまったく状況が別だ。
縄張りを荒らした者への制裁が待っている。
治安兵に捕らえられ、結果死罪となった者は幸運の持ち主と言える。
それほどに盗賊ギルドの制裁は過酷だ。
そうでなければ犯罪者を取りまとめることなど出来ない。
盗賊ギルドでは、暗殺者がその名に見合った仕事をすることは少なく、どちらかと言うと所属する者たちに制裁を強く印象付けるための死の象徴と言えた。
それは同時に、暗殺者を直下の組織として抱えるギルドマスターの絶対的権限を保証していた。
暗殺者がその本領を発揮するのは、三百年の歴史の中でも時の権力者の介入に対してのみであった。
権力の拡大を狙う者が、盗賊ギルドが持つ裏の力を欲さないわけがない。当然傘下に加えようと働きかけてくる。だが、<権力に、媚びずへつらわず>が信条の盗賊ギルドが首を縦に振ることはない。
その結果に納得する者は少なく、執拗に交渉を続けようとする者、単純に武力行使により屈服させようとする者が現れる。
その結果がどのようなものになったかは、想像に難くないだろう。
今も盗賊ギルドがあり続けていることが何よりも雄弁に物語っている。
オリオンはそれほどの力を持つ盗賊ギルドの中にあって、抜きん出た存在だった。そして、その事実を知る者は当人以外に存在しなかった。
幼少期に洗脳を受けたオリオンは、考えるという能力を失っていた。
それは知能の低下を意味することではなく、むしろ与えられた情報に対し疑問も興味も挟まないため、知識の吸収速度は速かった。
教えられたことはすべて一度で覚えてしまうオリオンは、教育係にとって優秀な生徒だった。
どれほど優れた人間にも向き不向きがある。
同世代の少年少女たちが、自分同様教育を受ける中、吸収速度、成長速度に差があることに、オリオンは気がついた。
あの子はどうしてこんなことが覚えられないのだろう?
この子はどうしてこんなことが出来ないのだろう?
誰よりも優れているが故に、出来ないということがオリオンには理解出来なかったのだ。
この時初めて、洗脳され、考えるということを削り取られていたオリオンの中に疑問が生まれた。
この時点でオリオンは、物事を疑問を通して眺めるようになる。
絶対的存在だったはずの教育係も、疑いの目で眺めると、その能力の穴が目につくようになる。
子供たちの能力発現の差には、個人差も当然あるが、教育係の指導方法にも問題があることがわかった。
個人差がある以上、指導方法もその個人差に合わせて修正していくべきなのだ。だが、教育係にはこれまでの経験から導き出した独自の教育論があり、その教育論を過信するあまり、その中に子供たちすべてを押し込もうとしてしまう。
事実教育係の指導は無駄がなく、効率的でとても優れている。だが、それでも個人差と言う未知数のものをすべて抱え込めるほどではないのだ。
その事実に気がつかない、もしくは気がついても目を向けようとしない教育係そのものに、オリオンは疑問を持つようになった。
疑問は不審へと変わり、不審の目を通して眺めることにより、オリオンは不条理、理不尽というものを理解するようになった。
そしてある日オリオンは気がついてしまう。
この盗賊ギルドで自分より優れている者が一人も存在しないという事実に――。
その瞬間から、オリオンは自身の能力を隠すようになった。
突出した力はいずれ摘み取られるということに気がついたからだ。
この時点でオリオンの洗脳は解けていた。もともと能力で優れている者に、それよりも劣る者が施した洗脳などたかが知れていたのだ。
オリオンは外の知識を密かに求め、吸収していった。
それは暗殺者としては当然の教育の一部であったが、オリオンにはありがたいものだった。
暗殺のためにはその対象となる人物のもとまで潜入する必要がある。場合によっては白昼堂々と正面から入ることが、もっとも暗殺の成功率が高い場合がある。
誰も昼間から、暗殺者が正面扉を開けて入って来るとは考えないからだ。
当然潜入するための状況作りはギルドが行うが、いざ潜入して以降の対人処理は、任務に当たる者が即興で処理を行う必要がある。
相手に不審を抱かせないために、話術、演技力を駆使する。そのために必要な知識は、当然事前にすべて身につけておく。こういったことの積み重ねが、オリオンの見識を広く深くしていった。
その結果導き出された答えが、盗賊ギルドが拠点を構える地下以上に、表の世界は腐っているということだった。
洗脳は解けたが、人間らしい感情の発露が欠如した環境で過ごしたオリオンは、欲望とは無縁の存在になった。やりたいこと、欲しい物が何も見当たらないのだ。
オリオンは何も望ます、誰も求めず、与えられる任務をただこなす人形として過ごした。
それは結果として洗脳されたままの他の暗殺者たちと何ら変わらない存在だった。
それはこれから先も続き、任務の中で死ぬまで続くものと思われていた。
その瞬間が訪れるまでは――。
わずか半年ほど前、世間が終わらない冬の恐ろしさを認識し、一時恐慌状態に陥る中、盗賊ギルドが三百年守り通してきた<掟>を破る事態が持ち上がった。
宰相クロクスとの同盟である。
同盟と言えば聞こえはいいが、実際はクロクスの権力基盤の一部に組み込まれるに過ぎず、これまで規範として唱えてきた、<権力に、媚びずへつらわず>の精神に完全に反する行いだった。
クロクスの狙いは、法により王都での所有兵力が制限される中、盗賊ギルドと言うよりも、ギルドが抱える暗殺者を手に入れることで、他の諸侯に対する強力な抑止力を手に入れることであった。
いつでも殺せる――。
それはクロクスが権力基盤を固めるうえで、最も強力な手札になるのだ。
このことがオリオンの中にもたらした変化は劇的なものだった。
まるで身体の内側を燃え盛る蛇が這い回るように、激しい怒りが駆け巡った。
これまで完璧に抑制されていたオリオンの感情は、この時初めて怒りと言う感情を覚えたのだ。
オリオンは感情に促されるままに、叫び、言葉を紡いでいった。
「俺たちは地下を根城にするドブネズミかもしれない! だが、地上で恥知らずにも腐肉をあさり回るハゲワシのように、腹の底まで腐っているわけでもない!」
「忘れるな! 俺たちの矜持を!」
「忘れたのなら思い出せ! 俺たちの矜持を!」
「盗賊ギルドは権力に媚もしなければ、へつらいもしない!」
「この裏切りを許すな! ギルドを権力者に売り渡したゼムを許すな!」
オリオンの激情をまともに受けた他の暗殺者たちは、強力な洗脳を打ち破られ、オリオンの言葉に従い盗賊ギルドと決別した。
人を殺すことを生業として生きてきた彼らであったが、意思と感情と無縁であったため、その精神はむしろまっさらであり、オリオンの言葉に瞬く間に染まってしまったのだ。
この行動はギルドマスターであるゼムの顔を完全に潰した。
お目当ての暗殺者に逃げられたクロクスが、ギルドマスターであるゼムの手腕をどう評価したかは容易に想像がつく。
無能者と切り捨てたのだ。
それまでは少なくとも精神的には対等の位置にいたゼムは、自身でも気づかない内に、その立場をクロクスの下に修正することになってしまったのだ。
また、オリオンの離反は、同じようにゼムの判断に不満を抱えていた者たちの離反をも促した。
この時点で盗賊ギルドははっきりと割れたのであった。
ギルドマスターに登りつめるほどの男である。クロクスがどのように評価しようと、ゼムは能力の高い男であった。その能力のすべてを傾けて、ゼムは自分の顔に泥を塗ってくれたオリオンと、その仲間に対する復讐に乗り出した。
離反者を出したとは言え、数的有利は変わらない。
追われることになったオリオンとその仲間たちは、その日から気の休まる時はなかった。
追跡は執拗を極め、何度もオリオンたちを追い詰めた。だが、そのたびに、オリオンがそれまで隠してきた真の実力を発揮し、鉄壁の包囲網を突破した。これにより盗賊ギルドは思い知ることになる。
自分たちがとてつもない化け物を解き放ってしまったということに――。
オリオンという名の盗賊ギルド三百年の歴史上最強の暗殺者は、ギルド離反後に生まれたのであった――。
17時ごろ投稿予定の第3話に続きます。