クライツベルヘンへ――。
どうも、鼻をかもうとしてズズゥ~っと吸ってしまった男、南波 四十一です。
この話を知人にしたところ、大笑いされました。
真顔で心配されるよりはマシなので、ウケて良かったです。
それではヴォオス戦記・暁、本編をどうぞ!
アイメリックとオリオン――。
この二人の強者が互いを認識し合ったことで、事態は急速に動くかに思えたが、そうはならなかった。
盗賊ギルドから救い出すことに成功した子供たちを王都から逃がすことを優先したからだ。
逃亡先はクライツベルヘンになる。
オリオンとしては子供たちを他人任せにはしたくなかった。リタもそれを強く主張した。
だが、かつてスタインが推測したように、一つ所に大勢の人間が集まれば、消費とそれに伴う物流の流れが大きくなる。スタインはそれを盗むことで補うと考えていたが、現実はカーシュナーにより供給されていたおかげで、窃盗方面に張られていたギルドの網には何もかからなかった。だが、世間が終わらない冬に閉ざされ、食料不足にあえいでいる中、まとまった物資の移動はどうしても隠し切れない。
ギルドマスターゼムが捜索の手を緩めない以上、いずれその動きはつかまれてしまうだろう。
厳選された子供たちだけとは言え、二十人以上いる。加えて、スタインによって使用された魔毒の影響は、カーシュナーの治療により解毒されたとはいえ、蝕まれた肉体が回復するには静かな環境が必要だった。
盗賊ギルドと敵対しつつ、病み上がりの子供たちを大勢抱えるのは、何より子供たちにとって危険だった。
裏切り者であるゼムに対し、<掟>に従い制裁を加えなければならない。その欲求は根深いところにあったが、カーシュナーに命を救われ、すっかり懐いてよく笑うようになった子供たちの姿を見ていると、復讐や面子以上に優先させなければならないものがあることを認めないわけにはいかなかった。
「後を頼む。くれぐれも軽率な行動はひかえてくれ」
オリオンがヘリッドに心配そうな目を向ける。
「お前さんが不在の間は情報収集に徹するよ。たとえゼムを殺れる機会があったとしても動かない。おそらく罠だろうからな。だから、そんなに心配するな」
ヘリッドはオリオンの言葉に、肩をすくめて答えた。
「ヘリッドに限って、キレて暴走するなんて心配はないよ。残るのがあたしならやばいかもしれないけどさ」
リタが軽口を叩いて笑う。
「そんなに心配なら、さっさとクライツベルヘンに行って、向うの環境を確認して帰って来い。はっきり言うけどな、今、王都に残って一番暴走しかねないのはお前なんだからな。大練兵場から戻って以降ずっと戦闘態勢のままだぞ」
ヘリッドの指摘に、オリオンは一言も返せなかった。
「ダーン。みんなを頼む」
「お任せください。本来であれば、私は残ってお手伝いすべきなのですが、カーシュナー様があのような状態ですので……」
ダーンはそう言うと視線をカーシュナーに向けた。
子供たちの解毒のために自身の血を大量に用いたため、人の肌とは思えない、汚れた雪のように白い顔をしている。手足が小刻みに震えているのが遠目からでもわかる。
懐いた子供たちは、カーシュナーに触れていたくて長い脚にしがみついているが、飛びつくような無茶はしない。利発な子どもたちばかりだ。カーシュナーが自分たちのために、文字通り身を削ってくれたことを理解している。
しがみついている子供たちも、どちらかというとふらつきがちなカーシュナーを支えよう思ってしがみついているのだ。
「みんな、カーシュナー様が歩けなくて困ってるでしょ! 大きいあたしたちが支えるから、自分の支度をしちゃいなさい!」
救出された子供たちの中では最年長のレノが、カーシュナーの脚にしがみついている子供たちを剥がして回る。
その微笑ましい光景に、カーシュナーが報われる思いで笑っている。
「よう! 天使さん。まだ顔色悪いな」
そんなカーシュナーにヘリッドが声をかける。
「血が足りないからね。でも、回復を待ってはいられない。なんとか身体をごまかしてみるよ」
そう言って笑う顔に、いつもの余裕はない。
「ガキどもを頼むぜ」
「今のところ、俺の方が面倒見てもらっているけどね」
ヘリッドの言葉に、カーシュナーが苦笑を浮かべる。
「ヘリッドの方こそ、情報収集よろしく頼むよ。バルトアルトとの連絡は絶やさないように」
「任せておけって! 天使さんは俺を信じて、ドンと任せてくれりゃあいいんだよ!」
そう言ってヘリッドはらしくもなく胸を叩いてみせる。
そのわずかな違和感に、カーシュナーは片方の眉を器用にあげてみせる。それに応えてヘリッドも同様に眉毛をクイッと上げてみせる。
「信じろって!」
「わかった」
違和感を追及することなく呑み込むと、カーシュナーはようやくいつものニヤリ笑いを浮かべてうなずいた。
「行こう、オリオン。無駄に使える時間はない」
震える脚を無理やり伸ばし、カーシュナーが促す。
「わかった。行こう」
オリオンはうなずくとアジトを後にした――。
オリオンたちの姿がアジトから通路に消え、その気配が遠ざかると、ヘリッドはやれやれとばかりに肩をすくめた。
「じゃあ、俺たち留守番組も、お仕事といきますか。各自改めて言うまでもないと思うけど、無茶はしないように!」
ヘリッドの一言に、オリオンたちの不在時に王都での情報収集を担当することになった元暗殺者たちは、それぞれの担当区画へと向かった。
アジトにはヘリッドだけが残される。
「……さて、俺なりの人生の保険を掛けに行くとしますか」
ヘリッドのやけに大きい独り言が、誰もいなくったアジトに響く。
いつもと変わらぬ軽口と、余裕の笑みをうかべる秀麗な顔の中で、闇を透かし見るような黒い瞳だけが、鋭い光を放っていた――。
◆
「お待たせしましたかな? プレタのフロリスです」
ひどく猫背な細目の商人が、美しい妻を連れた不愛想な若者に、尊大な態度で挨拶する。
「……よろしくお願いします」
若者は屈強そのものの身体をぎこちなく折り曲げて頭を下げた。
プレタの商人フロリスは、そんな若者になど目もくれず、隣の美しい妻に、好色そうな視線を向けた。線を引いただけのようにしか見えない細い目でもそれとわかるのだから相当なものだ。
年若い妻は、フロリスの視線を少しでも避けようと、夫の大きい身体に身を寄せる。
その様子に、いかにもつまらなそうに鼻を鳴らすと、フロリスは自分の橇へと向かった。
そこは王都の第三城壁内にある商業区域の一角にある倉庫街であった。
つい一年前までは荷馬車に占領されていたこの一角も、今では頑丈な橇で埋め尽くされている。
馬車の利用がないわけではないが、一年以上も続く終わらない冬の影響で、通行不可能な街道があまりにも多過ぎるため、今では物資の運搬には橇が使われている。
若い夫婦に扮したオリオンとリタは、表情には出さないが、内心舌を巻いていた。
リタが扮した美しい若妻を、好色そうに眺めていた細目の中年商人が、実はカーシュナーであったからだ。その姿に自分たちの良く知るカーシュナーの面影は微塵もない。
どこからどう見ても、成功者特有の尊大な空気をまとったやり手の商人にしか見えない。
「あんたが好きな本に、何にでも化ける魔物が出て来たじゃない? あいつその魔物なんじゃないの?」
ほとんど口を動かさずに、リタがオリオンに軽口を叩く。表情も内気な若妻のまま維持している。リタの演技力もたいしたものだ。
「完全になりきっている」
こちらは普段通りのオリオンが感心する。そして周囲をぐるりと眺める。
そこには、フロリスの使用人たちと、二十組ほどの家族、そして、護衛の傭兵団が集まっていた。
二十組の家族のうち、約半数がオリオンと子供たちだ。
子供たちは二、三人ずつに分かれ、カーシュナーが用意した偽夫婦の子供という形で限れ込んでいる。それ以外に、実際にフロリスという架空の商人を実在のものにするために働いている人間とその家族が加わっている。中規模の商隊に、同行の旅人が加わった形だ。
ヴォオスは大陸でも屈指の治安を誇る国ではあるが、終わらない冬の影響による深刻な食糧不足により、野盗の数が急増している。
大陸隊商路といえどももはや安全とは言えず、それ以外の街道となれば、少人数での旅は自殺行為に等しかった。
そのため、目的地が同じ者同士で集まり、護衛の傭兵などを雇ったり、商人の商隊に参加させてもらうなどして旅の安全を確保する。
オリオンたちはクライツベルヘンの都市の一つ、プレタに拠点を構える商人、フロリスの商隊に加えてもらい旅をするという設定で子供たちを避難させる計画だった。
ここまで凝った偽装を施すのは、それだけ王都における盗賊ギルドの情報収集能力が優れているからであった。
「この全部が、あいつが家の力に頼らず手に入れたものなんだろ?」
「そのごく一部だそうだ」
「あいつ、マジですごいな!」
使用人はもちろん護衛の傭兵、家族を偽装するための偽の夫婦に至るまで、全員がカーシュナー傘下の者たちだ。それぞれが表の顔と裏の顔を持つ密偵である。
誰もが仕事としてこの場に居る以上に、カーシュナーに対する忠誠心から働いている。
<掟>と暗殺者による無言の圧力によって一つの組織としてまとまっている盗賊ギルドに身を置いていたオリオンとリタには、縛る恐怖もなくこれだけの忠誠を引き出していることに驚きを隠せなかった。
「おい! 出発するぞ! 早く乗り込め!」
使用人の一人から声を掛けられ、オリオンとリタは急いで橇に乗り込んだ。
ギルドの捜索の目を警戒して周囲の気配に目を光らせる。だが、一行が出発し、第四城壁の城門を潜るまで、探るような気配は一度もなかった。
どうやらカーシュナーの偽装は盗賊ギルドの目を欺くことに成功したようだ。
「オリオン。先は長いんだ。今から気を張り詰めていてもしょうがないよ?」
背後に遠ざかる王都をにらみつけるオリオンに、リタが言葉をかける。
「わかっている」
オリオンはそう答えたが、アイメリックがいる王都から、なかなか意識を剥がせなかった。
それは、王都の姿が冬の冷たい空気の彼方に呑み込まれた後も、しばらく続いたのであった――。
◆
ヴォオス南部に広がるクライツベルヘンは、港を持たない国であるヴォオスにおいて、唯一港町を有する土地であった。
ヴォオスは北に魔境が広がり、西には大山脈ス・トラプが大陸の西の端まで走り、その北側、ヴォオスにとっては北西方向にルオ・リシタ国がある。
その反対、ス・トラプ山脈の南側にはゾン国があり、ヴォオスを挟んだ東側には山国エストバ国、北東方向には草原の国イェ・ソン国が広がっている。
地図上で見るヴォオスの南側は、エストバとの国境から始まり、ゾン国の沿岸にぶつかるまで広大な海原が広がっている。だが、長い海岸線に存在する港は、クライツベルヘンが領有する港町が一つあるだけで、ヴォオス国が保有する港は存在しない。
それは、ヴォオス南部の海岸線が、どこも切り立った垂直な断崖の連なりになっているからであった。
ヴォオスでただ一つの港は、大陸の東の端から西の端までをつなぐ海路の中でも重要な中継拠点でもあることから、東西の文化が程よく混ざり合い、独特の発展を遂げていた。
その影響はクライツベルヘン全体に及び、奴隷制度を廃止し、近隣諸国とは異なる文化と価値基準を持つヴォオスにあって、さらに異なる価値基準をクライツベルヘンにもたらしていた。
そんな、ヴォオスであってヴォオスならざる地、クライツベルヘンに到着したオリオン一行は、到着した開拓村で呆気に取られたのであった――。
肌色や骨格に大きな違いはあれど、黒髪黒目の人種しか存在しないこの大陸において、住人のほぼすべてが、カーシュナーのように、髪の毛の色や瞳の色が異なる渡来人たちだったからだ。
渡来人とは、この大陸以外の土地から長い航海を経てたどり着いた人々のことを指す。
その見た目の違いからひどい差別を受け、捕らえられると奴隷にされるか、即座に殺されてしまうという、おおよそ同じ人間とは思えないような扱いを受ける。
そんな、不遇などという言葉では納まりきらない非道な扱いを受けてきた人々が、満面の笑みで出迎えてくれたのだ。
カーシュナーのように金髪の者がいたかと思えば、月の光を束ねたかのように美しい銀髪をした髭面の屈強なおじさんがいたりする。
一番多いのは褐色の髪だが、その褐色が濃い者もいれば淡い色合いの者まで様々だ。
この開拓村にはいないが、別の村には赤い髪の者もいるという。
瞳の色はどれも宝石のように美しく、カーシュナーの翠玉のような瞳にはなかなか及ばないが、澄んだ湖面のような淡い青色をした者や、蒼玉のように濃い青を持つ者、紫がかった青や、中には琥珀のような輝きを放つ瞳を持つ者までいる。
橇を降りたオリオンやリタはもとより、子供たちも全員声もなく見惚れてしまった。
出迎えてくれた人々の中から、黒髪黒目の男が進み出てくる。
呆気に取られていたオリオンとリタが、一瞬で正気に戻る。
男が放つ存在感は、きらびやかな色彩を放つ人々の中にあっても際立っていた。
(強い!)
オリオン、リタ共に、真っ先に頭に浮かんだ言葉は同じだった。
身長はオリオンとほぼ同じで、190センチ前後で、厚い胸板に広い肩、太い腕に丸太のような足をしている。
天に選ばれた戦士であることが一目で見て取れる。生まれながらの戦士だ。
歳は三十をいくらか過ぎているだろう。容姿はいまだに二十代の若々しさであるが、まとう空気は若者がまとえるような厚みではない。
顎は強そうだが全体的に細面で、高くスッと伸びた鼻筋に、大きくて目じりの切れ上がった目をしている。
意志の強さを反映したかのような太い眉は、まるで描いたかのように真っ直ぐ伸びている。
どこからどう見ても美々しい男ぶりに、さすがのリタも思わず見惚れてしまう。
そんな完璧な容姿の中で、見覚えのある部分が一か所だけあった。
皮肉な角度に歪められた口である。
「クライツベルヘンにようこそ」
男はそう言うと晴れやかに笑った。見ている者を誘い込むような魅力的な笑顔だ。
出迎えられたオリオンたちだけでなく、一緒に出迎えたはずの住民たちまで見惚れている。
そんな笑顔が気難しそうに歪む。視線の先にはカーシュナーがいた。
「足元がおぼつかないようだな。カーシュ」
男はレノに支えられたカーシュナーを、批判的な目で眺めた。
男に見惚れていたはずのレノの視線が途端に険しくなる。
レノの視線を受けた男は思わず苦笑いを浮かべた。
「お前は相変わらずの人たらしだな」
「兄さんには敵いませんよ」
答えるとカーシュナーは嬉しそうに笑った。
「兄さん!?」
リタの悲鳴のような叫び声が響く。
「……カーシュの兄か」
オリオンもそう言ったきり後が続かなかった。
「紹介が遅れたね。兄のアインノルトだ」
カーシュナーが自慢気に紹介する。
「よろしく」
アインノルトは一言挨拶すると、再び魅力的な笑みを浮かべたのであった――。
次回は2月25日の予定です!




