交わる視線
どうも、ヴォオス戦記・暁を書ている人、南波 四十一です。
昨日鼻がズルズルするのでかもうとしたところ、チーンとかむのではなく、ズズーッと吸ってしまいました。
あれ? 鼻水でねえなと思ったところでようやく自分が何をやらかしたのかに気がつき、ガクッと肩を落としたのでありました。
そりゃ出ねえよ! だって吸ってんだもん!
はい! やばいです! 自分で若年性アルツハイマーなのではないかと疑いました!
それではヴォオス戦記・暁本編をどうぞ!
「世紀の大凡戦だ」
アイメリックがスパルデリク男爵と<疾風の狗鷲団>団長グィードの試合を一刀両断したとき、目の前の凡戦どころか、周囲の興奮すらまるで目に入らない様子で、オリオンを筆頭とする元暗殺者たちはアイメリックに見入っていた。
「あまり長く見つめないでください。気づかれる恐れがあります」
不機嫌な顔を強張らせるオリオンに、ダーンが警告する。
オリオンはその言葉を無視したわけではないが、一度アイメリックに貼りつけてしまった視線を剥がせないでいた。
「……あいつの周りにいる連中は、どうして平気な顔をしていられるんだい?」
こちらも視線を釘づけにされているリタが、青ざめながらつぶやく。
「気がついていないのです」
「冗談じゃないよ! あれと比べたら、怒り狂っている毒蛇の方がはるかにかわいいよ!」
ダーンの言葉に、リタはむきになって言い返した。
「日頃は驚くほど紳士的なのです。いや、戦いの中にあっても、相手を威圧したり、大声を上げて恫喝したりなどということはしません。戦うということの、真の恐怖を知らない者には、あの男の中にあるものは決して見えないでしょう」
説明しつつ、ダーンは額に浮いた汗を拭う。いくら人々の熱気に包まれているとは言え、今もヴォオスは終わらない冬に閉じ込められている。屋外にいれば、おいそれと汗などかかない。
ダーンほどの男が、アイメリックの持つ<力>に気圧され、脂汗を浮かべているのだ。
「隣にいるあのバカでかいのは、わかった上で隣にいるみたいだな」
初めてアイメリックを目にして呑まれている一同の中で、ヘリッドだけが冷静にそれ以外の状況の分析をしていた。
ヘリッドが始めからアイメリックを見ようとしていなかったからだ。
「<巨人>バルブロ。彼はアイメリックと長く行動を共にしてきた有名な傭兵です。アイメリックは危険極まりない男ですが、彼も要注意です。子供でも見れば分かるように、彼には凄まじい膂力があります。ですが、彼の真価はその巨体でも力でもなく、外見に反して高い知性を有しているところなのです」
「だろうな。俺もあいつと同じ立場なら、どれほどアイメリックが恐ろしかろうと、奴のそばにいようとする。間違っても奴の敵側の陣営になんて入りたくないからな。知性のかけらもないような奴じゃなきゃあ、アイメリックと事を構えようなんて考えないさ」
「どうやら、その知性のかけらもない奴が、あの男に仕掛ける様だぞ」
ようやくアイメリックから視線を引き剥がしたオリオンが、ダーンとヘリッドの会話に割って入る。
スパルデリク男爵による挑発が始まる。
挑発されて呆れるアイメリック以上に、それを見せられるオリオンたちの方が、スパルデリク男爵に対して呆れかえる。
「あの男爵、死んだね」
リタがため息のような半笑いでつぶやく。
あまりにも愚か過ぎて、嘲笑うのではなく、失笑しか出てこないのだ。
スパルデリク男爵はやり過ぎた。傭兵団の怒りを抑えるためにも、アイメリックは受けざるを得ない。ここでスパルデリク男爵の挑戦を断ろうものなら、訓練どころか本格的な衝突を招きかねない。
それがスパルデリク男爵なりの計算であったが、アイメリック側としても、雇い主であるクロクスに対して批判的なスパルデリク男爵を公然と排除出来る機会でもあるのだ。
おそらく面倒以外の何ものでもないはずのアイメリックが挑戦を受け、軽業師も顔負けの身ごなしで練兵場へと舞い降りる。
手ぶらで行ってしまったアイメリックに、バルブロが愛用の長剣を投げたことで、試合は仕合いへと姿を変えた。
勝負を仕掛けたスパルデリク男爵としては、さらに挑発を続け、ただの試合から命のやり取りへと流れを変える算段だった。あとでクロクスから難癖をつけさせないために、両者合意と言う形にしたかったのだ。だが、バルブロの不用意な行動のおかげでその手間がはぶける。
すべてが自分に都合よく進んでいることにスパルデリク男爵が機嫌を良くしていたが、事実はそんな面倒なやり取りでアイメリックを退屈させまいと、バルブロが機転を利かせたのだ。その見た目に反する細やかな気遣いに気がついた者はごくわずかだった。
「あのでかいの、意外と細かいことにまで気が回るんだね」
バルブロの意図を見抜いたリタが感心する。
「ただの怪力無双の大男だったら、色男の隣にはいないか」
「いません。そういった男たちは一様にアイメリックに対し、自分だけは勝てると思い込み、あの男が雇われた陣営と敵対する陣営につきましたから」
ヘリッドのつぶやきに、ダーンが答える。
「いい気になって挑んで、全員死んだんだろ?」
「<大陸最強の傭兵>という二つ名を輝かせるための肥やしになりました」
「ずっとアイメリックと行動を共にしてきたと言ったな。戦場でも周りが見える男なのか?」
オリオンがたずねる。
「アイメリックはあの見た目です。味方陣営の人間からも嫉妬から来る悪意を向けられることがあります。戦場だけでなく、その辺りまで込みで目を配っているそうです」
「大将が十分な戦働きが出来るように手を尽くす参謀みたいだな!」
ダーンの答えにヘリッドが驚きの声を上げる。
「とても参謀には見えませんが、気ままに行動するアイメリックを上手く社会に適合させているのは間違いなくあの大男です」
「あっ! 男爵が仕掛けたよ!」
バルブロに関する会話を遮り、リタが声を上げる。
スパルデリク男爵が不意打ちを仕掛けたのだ。
そして一瞬で決着がつく。
アイメリックの動きを目で追えた人間は、広い大練兵場につめかけた人間すべて合わせて、たったの六人だけだった。
人の業とは思えない速さだった。その上、頭は悪いが骨の太そうなスパルデリク男爵の手をあっさりと砕いている。それも手の力だけでだ。
なまじ見えてしまったがために、その強さを思い知らされる。もっとも、それは表面的な強さでしかない。この男の底には、もっと得体の知れない<力>が、解放される時を待って潜んでいる。
定規や秤を使って測定出来るような類のものではない<力>は、感じ取るしかない。
それが出来ない人々には理解出来ないのだろうが、感じ取れる人間からすれば、アイメリックはただそこにいるだけで死を予感させる存在感があるのだ。
これまで、標的に確実な死を告げる死告天使のごとき働きをしてきた暗殺者たちは、全員が自分の耳元で、死告天使のささやきを聞いた気がした。
「……ダーン。あそこにいる男、わかるか?」
ヘリッドが耳元で繰り返される死告天使のささやきを振り払ってダーンにたずねる。他の者たちはまだ、アイメリックに釘づけになっている。
問われたダーンはヘリッドが視線で促した先を見つめ、息を呑んだ。
「グスターヴァイス! <紅棍>のグスターヴァイスです!」
ダーンの視線の先には、東方風の衣服に身を包んだ傭兵が、自身の身長よりも長い鉄製の棍を抱くように持ち、直立不動の姿勢で練兵場を眺めていた。
「驚いているところ悪いんだが、あっちのあれもわかるかい?」
ヘリッドはそう言うと別の人物の方に視線を向ける。その視線を追ったダーンが、額を抑えてうめいた。
「……<黒騎士>イーフレイムです」
カーシュナーの情報網はヴォオスでも屈指の広さと正確さを誇っている。その情報網を、まさかこれほどの大物傭兵たちがすり抜け、ヴォオスに入っていたことに、ダーンは衝撃を隠せなかった。
「あの色男だけでも厄介だってのに、大男に加えて、あの二人か。勘弁してほしいぜ」
ヘリッドはどちらの男の名前も知らなかったが、只者ではないことはわかっていた。アイメリックの人とは思えない早業に、ついていけていたからだ。
大男のバルブロでさえ、アイメリックの動きを捉えきれていなかった。元暗殺者たちの中でアイメリックの動きについていけたのは、オリオン、リタ、ヘリッドの三人だけだ。他についていけたのはダーンだけである。
ダーンの口から名前の挙がった二人は、少なくとも動体視力においては自分たちと同等の能力を有していることになる。
「強いんだろうな」
「世界は広いですが、傭兵たちの中で負け戦を知らないのは、アイメリック以外では、この二人だけです」
「色男並ってことか……」
ヘリッドがため息をつく。
「アイメリックが俺たちを狙うってことは、あいつらもおまけでついてくるってことか?」
「わかりません。ですが、二人は相当数の士官の口を蹴り、有名傭兵団からの勧誘も断って、個人で傭兵を続けています。たとえアイメリックが相手であろうと、おいそれとその下風に立つとは思えません」
「そう願いたいもんだ」
仲間たちのために、誰よりも現実的であろうと努めるヘリッドは、新たな悩みの種となった男たちをにらみつけた――。
ヘリッドやダーンが新たな脅威に頭を悩ませている間も、オリオンの思考と身体はアイメリックに占領されていた。
体中を巡る血液が、一瞬にして冷水に入れ替わってしまったのではないかと感じる。
終わらない冬の寒気の中にあって、身体の内側がもっとも寒い。特に、休むことなく鼓動を続けているはずの心臓が、氷の塊にでもなってしまったかのように冷たく縮み上がる。
(これが、恐怖か……)
初めて覚える感情を、オリオンはどこか遠くから眺めるように分析していた。
確かに、恐怖とは手足を縛るものなのだと実感する。
拳を強く握りしめてみるが、まるで厚手の皮手袋でもしているかのように感覚が遠い。皮膚感覚が麻痺しているのだ。
身体を支えているはずの両足も感覚が遠く、ひっくり返らずに今も立てていることがうそのようだ。
固まってしまった喉を無理やり動かし、唾を飲み下す。そうしたつもりだったのだが、口の中はカラカラに乾いており、奇妙な音を立てただけだった。
だが、おかげで何とか言葉を口にすることが出来るようになる。
「……あいつも、カーシュナーも奴を恐れているのか?」
口にした瞬間、何故こんな質問をしたのかと後悔する。カーシュナーは始めからアイメリックについて警告してくれていた。自分たちが真剣に受け取らなかっただけなのだ。
「もちろんあの強さを恐れています。ですが、それ以上に本能的と言いますか、鋭すぎる勘を非常に嫌がっています」
ダーンが自分も同感だとばかりに顔をしかめて答える。つい先日も、アイメリックの気まぐれに振り回されたばかりだ。その結果カーシュナーとダーンは一時オリオンたちのもとを離れることになり、そのせいでリタやヘリッドはスタインに再洗脳され、オリオンはこの二人と仲間の暗殺者数人相手に立ち回らされる羽目になったのだ。
「恐れる以上に、嫌がっているというのか!」
「はい。カーシュナー様は行動が読めない人間が一番お嫌いです。アイメリックは読めない上に、その思いつきによる行動が非常に優れています。一番嫌な時に、一番嫌な場所にいる感じだと、以前仰っておられました」
「どうやったら恐れる以外のことを考えられるんだ?」
オリオンは信じられないと言った思いでたずねる。
「これは、私もカーシュナー様から教わったことなのですが、人間とは慣れる生き物なのだそうです。為政者がどれほどの富と権力を手にしようと、さらなる富と権力の拡大を求めるのは、今手にしている豊かさや、大きさに慣れてしまい、さらなる欲望をかき立てられるからです。反対に、奴隷と言う身分に落とされ、人間本来の尊厳を踏みつけにされながらも生きる人々が、不遇な境遇を受け入れ、虐げられるているその背景には、人間が不幸であるということに慣れて行くことが出来るからなのです。それは、もちろん正しいことではありません。ですが、生きるという生物としての大前提が、死なないために不幸な状況に精神を慣れさせるのです」
「つまり、カーシュやお前は、アイメリックがもたらす恐怖に慣れたということなのか!」
「はい」
これまで他者により制御された人生を送ってきたオリオンには、カーシュナーの考え方がよく理解出来た。これまでの人生がまともなものであったわけがない。盗賊ギルドのギルドマスター直下の暗殺者だったのだから。
他の暗殺者がその境遇に甘んじていたのは洗脳による思考の抑圧が原因だが、自分は洗脳が解けた後も暗殺者とういう境遇に身を置き続けた。
それは、異常であるはずの環境に慣れてしまったからだ。
「カーシュナー様があれほど皆様に、アイメリックを事前に知っていただこうとした最大の理由は、アイメリックの放つ恐怖に慣れていただくためなのです」
ダーンの言葉にオリオンはうなずいた。
もし、アイメリックと初見で対峙していたら、オリオンは本来の実力の十分の一の力も発揮出来ないまま殺されてしまっただろう。それはヘリッドやリタ、他の仲間たちにも言える。
恐怖に縛られた身体は、根本的な力である思考力をも奪ってしまう。
敵わないなら逃げればいい。ただそれだけのことが、アイメリックと初見で対峙た時には出来ないのだ。
恐怖に慣れるには、恐怖を否定するのではなく、その源となるものまで含めて受け入れることだ。受け入れて初めて理解することが出来る。
人は未知なるものにこそ、より大きな恐怖を覚える。そして、恐怖は大きければ大きいほど、人の思考を狂わせる。だからこそ、より深く理解する必要があるのだ。
猛獣が危険なことは誰でも知っている。知っているから不用意に近づいたり、刺激したりしない。だが、こちらが干渉しなくとも、人と猛獣の生活圏が重なれば、避けきることは難しくなる。その場合は何らかの対応が必要になる。猛獣を避けて住むところを捨てるか、被害を出さないために猛獣を取り除くかだ。
ここで理解しているということが生きてくる。もし、猛獣の性格、習性を理解していれば、臆病な性格であれば驚かして追い払い、好戦的な性格であれば殺すという判断が出来る。
殺さなければならない場合も、罠を仕掛けて待ち伏せする方法が有効なのか、猛獣と対峙して狩らねばならないのかを判断することが出来る。
対峙しなければならないとしたら、絶対に避けなければならない状況、たとえば、夜行性動物に対して月のない夜間に身を潜めることが出来る場所が複数存在する森林部など、を設定し、不利な状況を避け、狩る側が有利な状況で対峙出来るように、状況そのものを作る必要が生まれる。
それらが準備出来て初めて、人は猛獣に対する恐怖を克服して行動することが出来るようになる。
それはアイメリックに対しても同様なのだ。
おそらくオリオンさえも上回るであろう身体能力と、豊富な戦闘経験に裏打ちされた技術。それらは確かに恐ろしい。だが、人間である以上、急所を突かれれば致命傷を追うし、致死量以上の毒を飲めば死ぬ。殺すことの出来ない不死の化け物ではないのだ。今までのやり方では殺せないのであれば、殺せる方法を見つけるまでだ。
そう考えた途端、オリオンの手足を縛っていた恐怖はその手をゆるめた。手足の感覚が戻ってくる。
それと同時に、得体の知れない感覚が、胸の底からわきあがってくる。
それは、悔しさであり、怒りであり、震えるほどの喜びであると同時に、そのどれでもなかった。
突如わきあがった複数の感情に、オリオンは戸惑う。
そして、その視線は再びアイメリックに吸い寄せられる。今度は先程と違い、別の意味で視線を剥がせなくなる。
オリオンは不意に気づいた。
自分はこの男と戦いたいのだ。もっと正確に言えば、越えたいのだ。
アイメリックがもたらした恐怖が、オリオンの中に眠っていた闘志を解き放つ。
この瞬間、オリオンは暗殺者から戦士へと生まれ変わった。
戦いの気が、アイメリックを見つめる視線に宿る。
アイメリックが振り向く。
二人の強者の視線が絡み合い、意識すら通い合ったかのような錯覚を両者にもたらす。
「まずい! 気づかれました! この場は一旦引きましょう!」
常に冷静沈着なはずのダーンが慌てる。
「なるほど! 天使さんが嫌がるわけだ!」
アイメリックの視線に反応したヘリッドが、嫌な顔をする。
「野生動物だってここまで視線に敏感じゃないっつの!」
動かないオリオンの腕をつかんだリタが悪態をつく。
オリオンが見つめる視線の先で、アイメリックが嬉しそうに嗤った。
オリオンは全身に鳥肌が立つのを感じる。
「ちょっと! オリオンなにし……」
動こうとしないオリオンをいぶかったリタが前に回る。そして、口に仕掛けた言葉を思わず飲み込む。
普段表情が「不機嫌」で固まってしまったかのような顔をしているオリオンが、猛々しく嗤っていたからだ――。
最近更新遅刻気味だったけど、今回は忘れなかった!
ここ三話ほど忘れていて慌てて更新していました(笑)
次回は2月22日予定です。お時間がございましたらお付き合いください。




