公開軍事訓練
ヴォオス国王都ベルフィストでは、いかなる者も第三城壁より内側に、一定数以上の兵力を入れることを許されていない。それより内側には、定められた人数の護衛兵のみ率いることが許されている。
王都の第一城壁から第四城壁の間はヴォオス軍の治安軍がその警備に当たり、それとは別に、各城壁を中心に王都防衛軍が控えている。
世界一の治安を誇るベルフィストにおいて、兵力は無用であり、貴族としてのたしなみとして、飾りの役割で護衛兵が認められているにすぎない。
こと王都において、ヴォオス軍を配下に収める国王の権勢は絶大なのである。
と、ヴォオスのこれまでの歴史は語っていた。だが、現在はヴォオス軍幹部の約半数程がクロクスのばら撒く金貨になびいている。国王の権勢は見た目ほど絶大とは言えないものに成り下がっていた。
もっとも、軍上層部が腐敗しても王都の治安に陰りが見られないのは、ヴォオス経済の要である王都の治安維持に、クロクスが鋭く目を光らせているからでもあった。
無能者にはあからさまに冷淡な態度を見せるクロクスの存在が、腐敗の元凶であるにもかかわず、ある部分においては強力な防腐効果を持っているという事実は皮肉な話であった。
アイメリックを筆頭としたクロクスの私兵団は、表向き存在しない。
そんなものをあからさまに王都に置いたりすれば、ヴォオスにおいて特別な存在である大貴族、<五大家>を動かしかねない。現段階で五大家と敵対などすれば、それまでクロクスよりであった貴族たちも、手の平を返して寝返るだろう。
私兵団とは、いざ王都で何らかの政変が起きた際、事態をクロクス優位に進めるための隠し兵力なのだ。
クロクスに直接雇われているのは、身辺警護の名目で雇われたアイメリックただ一人であった。
それ以外の兵士はクロクス配下の各商人が個別に雇った護衛と言うことになっている。
私兵団にはヴォオス軍は一切関わっていない。王都に常時確保されている約一万の兵力はすべて傭兵だった。この辺りは何事も金で物事の解決を図るクロクスらしいと言える。これ以外にも、実際に商隊の護衛として雇われている傭兵の数は、最低でも三万人にのぼる。
王都に常駐する傭兵の大半は一つの傭兵団をまるごと雇い入れており、個人で雇用されている傭兵は、アイメリックやバルブロのような、実績と名声を勝ち得た真の実力者のみであった。
アイメリックの仕事は、これら雑多な傭兵の寄せ集めを、有事の際には一つの組織として動かすための組織化だった。
全員を一か所に集めて軍事訓練を行うことは、さすがに世間の目があるので出来ない。クロクスの権勢がどれほど強大であろうと、クロクスはあくまでヴォオス国の宰相なのだ。準備の整わない今は、周囲の目に対して、まだ何かと配慮が必要なのであった。
そのため、いくつかの傭兵団を集め、千から三千ほどの規模にし、ヴォオス軍の軍事訓練の相手と称して私兵団の練度を上げていた。
クロクスはこの軍事訓練をただの訓練などで終わらせず、内容に様々な条件と数々の報酬を用意することで遊戯性を強調し、実際に訓練を受ける者たちの士気を鼓舞した。そして、得点制を設けることで各部隊を束ねる軍幹部に対し、賞金という名目でさらに金貨をばら撒いた。
私兵団の練度を上げるついでに、ヴォオス軍は日に日にクロクスが操る金の魔力に汚染されていったのである。
この訓練でアイメリックが直接兵の指揮を執ることはない。
アイメリックの指揮の元、傭兵団側が勝利を収めると、ヴォオス軍側のアイメリックに対する嫉妬が尋常ではないからだ。
もっともそこには、クロクスが遊戯性を高めるために貴婦人たちを訓練視察に招待することが原因でもあった。それがどれほどつまらなかろうと、男には面子というものがある。士官のほぼすべてが貴族の子弟であるだけに、婦女子の前でいいところを見せたいという思いは余計に強いのだ。
これらの軍事訓練はその内容にもよるが、小規模なものでれば王都第四城壁内にある大練兵場で行われる。本来であれば一般に公開されることなどないのだが、終わらない冬の影響で活気を失っている王都住民に憂さ晴らしの場を与えることと、最近規律の乱れが目立ち始めたヴォオス軍に活を入れるために、クロクスが企画提案し、今回の軍事訓練が一般公開されることになった。
企画したクロクス本人がお祭り騒ぎにしようという意図で始めたこともあり、本来商業区域ではない大練兵場周辺には多くの出店が並び、大勢の人で賑わっている。
大練兵場の周囲に仮設で設けられた観覧席の一つに座り、開場前の大練兵場と周囲の賑わいを眺めているアイメリックに、バルブロが声をかけた。
「お前さんは目立ち過ぎるから出歩くなよ」
バルブロの言葉にアイメリックが口元だけで笑う。
「君にだけはいわれたくない」
身長2メートル30センチ。桁外れの大男であるバルブロは、完全武装で待機するヴォオス軍一千、傭兵団一千、総勢二千の兵士たちよりも人目を引いていた。
どこにいても目立つという意味では、バルブロ以上の男はいないだろう。
「そろそろ客を入れる。貴賓席に移動しようぜ」
バルブロが移動を促す。
アイメリックは立ち上がると素直に従った。
アイメリックたちが移動した貴賓席は、貴族たちとはまったく別の場所に設けられていた。
貴族の、特に男からの強い反発があったからだ。
理由は、いくらクロクスに気に入られているとは言え、一介の傭兵ごときと同列に扱われてたまるかということになっている。だが、実際は並ぶとどうしようもなく見劣りしてしまうからであった。
アイメリック側としても、貴族や一般人たちと違い、のんきに見物していれば良いという立場ではないためありがたかった。
「無事に終わると思うか?」
バルブロがニヤニヤしながらたずねる。
「終わらないだろうな」
アイメリックが関心なさ気に答える。
「スパルデリク男爵、あ~、子爵だったか? 忘れたけど」
「男爵だ」
「その男爵がこの軍事訓練にしゃしゃり出て来たのは、お前さんの鼻をへし折ってやるためだとか息巻いてるらしいぞ」
「聞いている。彼は王弟派の千騎長らしい」
「なるほど。大衆の前でお前さんをぶった斬って、王弟殿下に媚びを売ろうって算段か」
「単純に俺を斬りたいだけかもしれんぞ?」
「それもあるだろうさ。お前と同じ戦場に立ったことがない奴は、勝てるって幻想を振り払えないからな」
バルブロの言葉に、アイメリックは肩をすくめた。
「面倒くさいんだろ?」
「面倒というより、退屈なだけだ」
「仮にも大国ヴォオスの千騎長だぜ。それでも退屈なのか?」
「肩書と剣を交えるわけじゃないからな。その地位に見合った実力の持ち主とはかぎるまい?」
「見合わないのか?」
「わかってて聞くな」
アイメリックの不機嫌そうな答えに、バルブロは大声で笑った。
我先にと観覧席になだれ込んで来ていた一般客たちがびっくりして振り返る。
「ありゃあ、生まれた家のおかげで今の地位に就けただけの、ただの雑魚だ」
「退屈だ」
アイメリックは同じ言葉を繰り返して心情を強調した。
「この世にお前さんを退屈させない奴なんているのかよ?」
ぼやくアイメリックをバルブロがからかう。
そんなバルブロを、アイメリックはジッと見上げた。
「俺か!? 俺は無理だぞ! お前になんてかけらも勝てる気がしねえよ!」
「<巨人>バルブロともあろう男がか?」
「おうよ! その<巨人>バルブロが言うんだから間違いねえ! お前さんと戦うなんざあ、いくら積まれても願い下げだぜ!」
バルブロは恥も外聞もなく否定した。
「とりあえず男爵の件は給料の内なんだから、よろしく頼むぜ!」
バルブロの念押しに、アイメリックはため息で答えた。
そんな二人のやり取りをかき消すほどの大歓声が沸き起こる。
用意した席の倍以上の立ち見客を出した公開軍事訓練が始まったのだ――。
◆
一般客はおろか、貴賓席に招かれた貴婦人たちも、広大な練兵場で行われている訓練内容を理解出来ているわけではない。装備に統一感のある方がヴォオス軍で、バラバラの装備をまとっているのが傭兵団だということくらいはわかる。
今回の訓練は、見世物的要素の強い騎兵の連携練度の確認とその向上を目的としたものを皮切りに、騎兵及び歩兵と、弓箭兵の連携などを行った。
いかに上層部が腐っていようと、そこは強国ヴォオス軍である。各種連携行動は一糸乱れぬ見事な統率のもと、熟され、見る人々のため息を誘った。
逆に五つの傭兵団、各二百人で構成されている今回の傭兵団は、当初の目的通り、出来をお披露目するのではなく、意思統一の徹底と、連携の練度を上げることに終始した。
そして最後に、装備を木剣に代え、十人対十人、五人対五人、三人対三人、二人対二人、最後に一対一の模擬戦を行うことになった。訓練とは名ばかりの、完全な見世物ではあるのだが、見る側以上に出場する側の興奮の方が高かった。
双方馬は用いず、地上戦を仮定して行う。
集団戦の勝敗は、一対一の立ち合いと同様で、定められた急所を攻撃された時点で、その者は退場となり、どちらかが全員退場となった時点で決着となる。
内容は白熱したが、十人対十人、五人対五人、をヴォオス軍が連取したため、早くも決着か、という空気が流れた。だが、傭兵団はそこから三人対三人、二人対二人、を連続して取り返したため、勝負は最後の一対一にまでもつれ込んだ。
ヴォオス軍の一対一の代表は、スパルデリク男爵。
対する傭兵団代表は、<疾風の狗鷲団>団長、グィードである。
二人が練兵場の中央に立つと、観衆の興奮は一気に沸騰した。
それまでの集団戦と違い、一対一の戦いは、見る側にも緊張を強いたからだ。
木剣とは言え屈強な男たちが振るうそれは、当たり所が悪ければ死に直結しかねない恐ろしい一撃になる。
日頃戦いとは無縁の人々は、恐れつつも目を離せない。
幾度となく互いの木剣が打ち合わされ、硬く甲高い音が響く。加えて、一振りごとに大気を震わせ空を裂く轟音が、人々を非日常に引き込んでいった。
両軍の兵士たちが、喉がかれるのもおかまいなしに、自分たちの代表に声援を送る。
ヴォオス軍には大陸屈指の強国としての矜持がある。
傭兵には、なめられたら商売あがったりだという意地がある。
そして、間違いなく金を賭けているであろう人々の、殺気立った声援が、練兵場を満たす。
興奮が興奮を呼び、貴族も一般大衆も関係なく、一つになって盛り上がっていた。
ごく一部を除いて――。
「世紀の大凡戦だ」
もはや二人の戦いになど目もくれず、アイメリックが爪をいじりながらつぶやく。
「そうか? 結構頑張って盛り上げてくれてるじゃねえか」
「見世物としてはな」
「あの二人なんだぜ。それで上出来、それ以上を望むのは酷ってもんだ」
スパルデリク男爵とグィードを庇っているようでいて、実はバルブロが一番小馬鹿にしている。
「おっ! そろそろ決着か?」
先に疲労の色を見せたグィードの脚がわずかにもつれる。
その隙を見逃さず、スパルデリク男爵は一気に間合いを詰めると大上段から渾身の一撃を叩きこんだ。
グィードも何とか上体をひねり、頭への直撃は避けたが、首の付け根をしたたかに打ち据えられ、その衝撃でなぎ倒されるように膝をつく。
勝負ありである。
誰もがそう思った次の瞬間、スパルデリク男爵の木剣が上がり、グィードの脳天を思い切り殴りつけたのであった。
勝負は決していた。だが、審判による待ての合図はまだ出てはいなかった。とは言え、最後の一撃は明らかにやり過ぎであった。
傭兵団側が一気に殺気立つ。
気の早い者は早くも木剣や、訓練用に刃を潰した剣を構えている。訓練のため誰も真剣を装備していないが、手にしていれば間違いなく抜いただろう。
これに応えてヴォオス軍側も臨戦態勢に入る。
「おっ! 面白くなってきやがったぞ」
バルブロが無責任に歓声を上げる。
野次、怒号が飛び交う中、その元凶であるスパルデリク男爵が、悪びれた様子も見せずに練兵場を横切ると、アイメリックの前で立ち止まり、木剣を突きつけた。
「そこの退屈そうな色男! <大陸最強の傭兵>やら言うたいそうな二つ名が、まがい物ではないというのなら、今この場で私と勝負しろ!」
「直球で来たな! もう少し遠回しな物言いをするかと思ったが、さっきのとどめの一撃といい、かなりの単細胞だぞ!」
バルブロが楽しそうに笑う。単純な人間は嫌いではないのだ。
逆に単純な人間が嫌いなアイメリックは応えようとしない。
「そうやって隣のウドの大木の陰に隠れて剣も持たずに強者を気取るつもりか! 貴様のような虎の威を借る狐を見ていると吐き気がするわ! 勝負を拒むというのなら、その無駄に長すぎる髪を切り落として持って来い! そして私の足元で犬のように無様に命乞いをすれば見逃してやらんこともないぞ!」
スパルデリク男爵のこの言葉に、女性たちからは凄まじい非難の声が上がり、日頃からアイメリックを気にくわないと思っていた男たちからは、スパルデリク男爵を称賛する声が上がった。
もっとも、男たちの声は、その周囲にいた女性たちにより、すぐに黙らされた。中には全身ひっかき傷だらけになり、あとで練兵場で待機していた軍医団に運び込まれるという者までいた。
「いいでしょう。その勝負、お受けいたします」
相手の非礼に対し、アイメリックはどこまでも紳士的に返す。
これではどちらが貴族でどちらが傭兵か知れたものではない。
貴族の中にはこのことに、苦い顔をする者もいた。
アイメリックはスッと立ち上がると、階段状に設置された即席の観覧席の、人々でごった返すわずかな隙間を、宮殿の大階段でも下るかのような優雅な足取りで練兵場に下りて行った。
その常人離れした身のこなしに、観衆はどよめき、女性たちは黄色い歓声を上げる。
「ふん! 道化師めが!」
忌々しげにスパルデリク男爵が吐き捨てる。
アイメリックが練兵場に降り立つと、バルブロがアイメリックの剣を投げてよこした。
「忘れもんだぞ!」
一般的な剣よりもかなり長い刀身を持つアイメリックの剣が、緩やかな弧を描いてアイメリックの手に納まる。
「真剣を手にしたな! いい度胸だ! 俺の剣を持ってこい!」
スパルデリク男爵は言うが早いか手にしていた木剣を乱暴に投げ捨てた。
部下が急ぎ持って来た剣を、むしるように取る。興奮しているとは言えねぎらいの一つもない。
剣を持って来た兵士の顔に不満の陰がよぎる。アイメリックは兵士に視線を向けると、小さくうなずいてみせた。
理解を示された兵士の表情が、わずかに明るくなる。
その小さなやり取りに、スパルデリク男爵はまったく気がつかない。
こういった悪意ある無神経さに、ヴォオス軍の浅くなった底が見えるのだった。
「お互い真剣を手にした以上、死んでも恨みっこなしだ! いまさら嫌とは言わせんぞ!」
まるでチンピラのように恫喝する。
「そちらが後悔しないのであれば」
「誰がするかっ!」
アイメリックの答えに、スパルデリク男爵は餌を前にした飢えた野良犬のように笑った。
「そ、それでは……」
「さがれ! しゃしゃり出てくるでないわ!」
グィードとの試合で審判を務めていた男が進み出て来るのを、スパルデリク男爵が一喝する。
「これは試合ではない! 仕合いだ! 命のやり取りに審判など要るか!」
下手に言い返せば手にした剣で斬りかかられかねない勢いに、審判がしり込みする。
「下がっていただいてかまいません。この場に集ったすべての人々が証人です。あなたには何一つ非はありません」
アイメリックの言葉に安堵した審判がさがる。その目には感謝の色があった。
「これで邪魔者はいなくなった! いざ、勝負!」
スパルデリク男爵は、ひと声叫ぶと、まだ構えるどころか剣すら抜いていないアイメリックに斬りかかった。非難と悲鳴が観覧席に響く。
そんな声などまるで聞こえないスパルデリク男爵は、アイメリックを真っ二つにしてやろうと渾身の力を込めて剣を振り下ろした。先程グィードの脳天をしたたかに打ち据えた一振りよりも力がこもっている。
アイメリックはその一撃に、まるで自ら飛び込むかのように間合いを詰めた。
予想外の行動にスパルデリク男爵も虚を突かれたが、剣先が鈍るようなことはない。
誰の目にも、アイメリックが無残に切り裂かれる姿が映る。
それは、バルブロにしても同様だった。だが、目に映ったものを信じたりなどしない。
悲鳴が渦巻く中、バルブロは自分の目が次に捉える光景を待った。
そしてバルブロの目は、歓喜の表情から一転、驚愕に激しく歪むスパルデリク男爵の表情を捉えた。
スパルデリク男爵の目には、自分が振り下ろした剣が、アイメリックの身体をすり抜けていく光景が映っていた。当然あるはずの手ごたえもない。
アイメリックは髪の毛一本分ほどの見切りで、スパルデリク男爵の剣を最小限の動きでかわしたのだ。その結果、スパルデリク男爵も観衆も、アイメリックの残像が切り裂かれる姿を目にしたのであった。
かわしざま振り下ろしたアイメリックの手刀がスパルデリク男爵の手の甲を捉え、小枝のようにその骨をへし折る。
柄を握る力を失った手からその柄を奪い取り、手品師も顔負けの見事さで手の中に納めると、崩れるようにひざまずき、事態を受け入れられずに呆然とするスパルデリク男爵の首に、そっと当てた。
もう片方の手には、いまだに鞘に納めたままの剣を手にしている。
「ま、まいった。……降参する」
喉に触れる自分の剣の冷たさで現実に引き戻されたスパルデリク男爵が、声を絞り出して命乞いをする。
「あなた、男らしくないですね」
アイメリックはそう言うと、躊躇なく剣を横に引いた。
スパルデリク男爵の首から驚くほど遠くまで血が吹き出す。
一瞬その血を捕まえようとスパルデリク男爵は手を伸ばしたが、その指先は急速に力を失い、濁った眼を見開いたまま倒れた。
一瞬の静寂が練兵場を満たし、次の瞬間大歓声が静寂にとって代わる。
アイメリックはスパルデリク男爵の命を奪った剣を丁寧に持ち主に返した。
そして歓声に手を振って答えた。
理由はない。だが、アイメリックは振り返った――。
そして、これ以上ないほど嬉しそうに嗤ったのであった――。




