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開拓村は、広大な地図にナイフで切り込みを入れるように、細く長く点々と森に打ち込まれてきた、森を切り拓くための、人間の拠点となる村だ。一日で歩いて移動できる間隔で、幾つもの小さな村が、ぽつんぽつんと森の中に作られている。
現地にある資材で家を建てるので、外観はそれぞれ特徴的なものになっている。僕たちの目の前にある村は、どうやら、切り拓いたときの木材で造ったらしい。小麦畑の先には、箱のような、簡素な住居が集まっている。小麦畑は木の板を地面に打ち込んだものをロープで結んだ簡易な柵で囲まれている。乗り越えてしまうことは簡単だが、柵がある以上、勝手にそこから入るのは無作法というものだろう。
人口は五〇人程度に見える、小さな村の、小さな畑だ。迂回しても、それほど骨の折れることじゃない。
柵沿いに家が集まっている場所を目指していると、遠目に細長いものを振り回している人影が見えた。農夫が土木作業をしているのかと思いきや、近づいてみれば、村人と思われる男性が大きな剣を振り回している。朴訥な顔で、温厚そうな男性が、幼子の背丈ほどもありそうな黒鉄色の長剣を振り回している様は、異様な凄みがあった。男性の表情には狂気などは感じられず、ただただ真摯に鍛錬をしているようだ。
「こんにちは。精が出ますね」
僕が話しかけると、男性はこちらを向いて驚いた顔をした。
「おや、知らない顔だ。初めまして、旅人ですかい?」
「ええ。開拓村を通りながら、森を旅していこうと思っていまして。今夜はこの村に泊まりたいのですが、大丈夫ですか?」
「ああ。魔物でも魔女でもなければ、歓迎しますよ。それにしても森を旅だなんて、学者みたいな顔をして、なかなか剛胆なことですね」
男性はあまり驚いていないようだった。彼も開拓民だ。見た目に反して、修羅場は何度も経験してきたのかもしれない。さきほどの剣の素振りは鋭く、確かに素人の剣筋ではなかった。
「ええ、まあ。国の役所の方で、魔法を使う仕事をしていたのですよ。それで腕には自信がございまして。ああ、申し遅れました。僕はメルンと言います」
「同じく、お役所で魔法の仕事をしていたフランです」
「これはどうもご丁寧に。魔法使い様でしたら、ますます大歓迎ですよ。私はスケルと申します。スケさんと呼ばれることが多いので、もう、そっちが本名みたいなものですね。よろしければスケさんとお呼びください」
おどけた仕草にくすりとフランが笑みを浮かべた。
「ああ、そうだ。外で立ち話するような時間でもございませんね。この辺りは本当によく魔物が出るのですよ。といっても、何かから逃げててきたような、弱っちいのばかりですが。もしかしたら、森に強い魔物が出たのかもしれません。普通、魔物は森から出てきませんからね。聞いた話だと、どうもやたら知恵のあるやつだとか、人を追っかけた魔女なんかは出てくることもあるらしいんですが。まあ、森やら魔物やらのやることはようわからんですよ。しゃーなし、ぶった切るしかありませんな。はははは」
スケさんは疲れとともに笑う。
心当たりのある僕らは、目を逸らした。
「ぜひお入りください。もう村長は年なので寝ているかと思います。挨拶は明日にして、今夜は私の家にお泊まりください。粗末な東屋になりますが……」
「泊めていただけるだけでありがたいですよ。屋根と壁があるというのは、辺境では何にも勝る贅沢ですから」
「そう言ってもらえると助かります」
畑の周りの柵は、大人の腰くらいの高さだが、出入り口だけ胸ほどの高さがある。きっと、柵としての都合というよりも、目印なのだろう。辺境の開拓村ではあまり、高くて頑強な柵は使われない。そんな大掛かりなものを作る余裕はないし、大物の魔物が出てしまえば、魔法使いが少ない開拓村では、どうせ追い払うことができないのだ。財産だけ持って逃げ出すしかない。柵は、農作物を荒らすゴブリンや、りんごの兵隊を想定したものなのだ。大物は最初から諦めている。
スケさんの家は、開拓村特有の立方体を組み合わせたものだ。建材で箱を作り、余裕ができればそれを連結して大きくしていく。詩人でありながら、森に自力で家を建て生き延びたプリンシパルの知恵だ。
土の上に木のチップをばらまいただけの床に、土足のまま入る。スケさんはドアの横に、さっきまで振り回していた剣を立てかけた。
間取りは四部屋。玄関とリビングで一つ、キッチンで一つ、寝室で一つ、何も置いていない部屋が一つだ。リビングには、木製の頑丈そうなテーブルが置いてある。やすりをかける人手がないのだろう。テーブルの表面はがさがさと木の繊維が飛び跳ねていた。
「奥の部屋が建てたばかりで空いておりますので、そこをお使い下さい。寝具は……」
「旅をする身なので、寝具は自分で用意してあります。ご心配なく」
「えーと、私は……」
「そうですよね。旅をするのに寝具を忘れるなんて、そうそういるもんじゃ、ありませんよね。ましては役人だった方。そんなヘマをするようでは、勤まりませんものね」
「まぁ、そうですね。ミスの出来ない仕事ですので」
フランが視線をさまよわせている。他人の家に入れてもらったときは、きょろきょろするものじゃない。見られたくないプライベートな場所に入れてもらっているのだから。後で注意しようと思った。
荷物を奥の部屋に起き、スケさんのいるリビングに戻った。僕は礼を言ってから、感じていた疑問をぶつけてみる。
「スケさんは、剣がお上手ですよね。以前は兵士でもされていたのですか?」
「とんでもない。ずっと畑仕事一筋です」
「ですが、あれは並の剣士よりも遥かに鋭い剣筋でした」
「この村の魔法使い様から魔法をかけてもらったのですよ。あの素振りは、その代償ですね」
高い効果を発揮する魔法は、それに応じた代償を求めてくる。しかし、それにしても剣の素振りが代償とは、魔法開発局にいた僕でも聞いたことがない。
「えーと、参考までにお聞きしたいのですが、どのような魔法をかけてもらったのですか?」
スケさんは、それはもう、心から嬉しそうに朗らかに笑った。
「村のみんなを守れるように、強くなるやつをかけてもらったんです。これは素振りをすればするほど、魔法の力が体を巡り、より効果を発揮するそうなんですよ。なんでも、戦いの神へ祈りを捧げていることになるそうです。これがまた、凄いのですよ。最近では小鬼ごとき、一刀両断です」
「そうでしたか……」
素振りをそれだけしていれば、魔法なんてなくても、小鬼ごとき一刀両断できる。教えてあげたかったけれど、スケさんのあまりにも純粋な笑顔に、言うのが躊躇われた。こんな稚拙な嘘に騙される人なんて、そうそういまい。彼が守ろうとしている村人は、彼が騙されているのを放置しているようだ。もしかしたら、便利に使われているかもしれない。
「それは、すごい効果の魔法ですね! きっと高名な魔法使いの方なのでしょう。ね、メルン先輩!」
稚拙な嘘に騙される人が、ここにもいた。そもそも高名な魔法使いが、開拓村に、それもこんな中途半端に浅いところにいるわけないだろうに。処罰を受けたか、何者かに騙されたかした魔法使いしか来ないような場所だ。
フランは実にいい笑顔で、目を輝かせて僕を見ている。胸の前で両手を握りしめ、まだ見ぬ魔法使いに尊敬の気持ちを表していた。
「ナギさんと言うのですけどね。会ってみるといいかもしれません。高潔な方で、魔法を扱うのに相応しい精神を持っているのです」
「高潔、ですか」
「なんでも、『わたしかて人として生まれた身。いつ何があるかわからない。そんなとき、わたしがいない中で君たちは、自力で身を守らなければならない。だから、君たちがいざというときに戦えるよう、普段から訓練を課す。まずは、死なない範囲で、森から出てきた魔物を倒し経験を積むのだ』と。先々まで見据え、村を導いて下さる、素晴らしい方です」
それは、きっと、怠けているだけだ。そう言いたいのを必死でこらえる。また目を輝かせているフランは後で説教だ。
「私は昔、悪い人に騙されてしまい、全財産を失いました。流れに流れてやってきたこの開拓村ですが、ここには人を騙すような悪人がいなくて、本当に心が安らぎます。私はこの村を愛しているのですよ」
「そうですか。それはいいことですね」
僕は、言いたいことを最後までこらえた自分を褒めた。喉の奥に突き刺さった言葉を吐き出したくて仕方がない。
彼はきっと、僕が何も言わなかったせいで、これから先もずっと愚直に剣を振り続けるのだろう。魔法がかかっていると、勘違いしたまま。
けれど、それはきっと、彼の命と彼が大切にしている村を守る力になるのだ。
ひょっとすると、ナギはいい魔法使いなのかもしれない。いずれにせよ――疑うことは大切だ。スケさんを見て、そう思った。
呪文に宿る言霊を代償に、杖の先から魔法を熾す。不安定な水球のように揺らぐ光が、部屋の中央に小さく灯った。
きつく巻いてリュックの底面に取り付けていた寝袋を解き、木のチップの上に敷いた。チップは大鋸で木を切ったときの屑だろうか。きめが細かい。これなら、ゴツゴツした感触もなく、落ち着いて眠れることだろう。
キャンバス地の布の内側に毛布を張り付けた、ざらざらした肌触りの寝袋を敷く。これでも内側はふかふかとして、とても暖かいのだ。フランは薄っぺらい毛布だけを広げていた。
「フラン。毛布しか持ってないのかい?」
「あ、あの。家に持っていけるようなのが、これしかなかったんです」
バツが悪そうに頭を掻く。それじゃあ、寝ても疲れがとれないだろうに。
「寝袋を使いなさい。毛布は僕が借りるよ」
「そんな! 悪いですよ」
「気にしなくていいよ。森のそばの村で育ったからね。こういう環境は慣れてるんだ。フランは都会っ子だろう?」
「はい。すいません」
借りてきた桶に水を満たし、杖の先端を浸しながらゆっくりとかき混ぜる。ときおり指先をつけて、温度を確認する。指をつける分には何も感じないけれど、浴びるには熱すぎるくらいの温度になったところで、杖を桶から引き抜いた。リュックから出した手拭いをお湯に放り込んだ。水を吸った布は、見る見るうちに柔らかな形を失い、桶の中にひらべったく沈んでいった。
てきぱきと上半身の服を脱ぐ。絞った手拭いで体を擦るように拭いていった。一通り擦り終えたところで、視線に気がついた。
「ああ、そうか。悪かったね。部屋を変えるべきだった。フランの分のお湯は置いていくよ」
「いえあの別にそういうわけじゃなくて、あれですよ! あれ!」
「うんうん。あれね。そうだね、あれね」
「はい!」
慌てふためくフランと、彼女の分のお湯を用意して、僕は自分の桶を持って外に出た。スケさんは見慣れぬ旅人が自由に動き回っているというのに、警戒するそぶりもなく寝ている。少しだけ、いや、少しどころじゃなく彼の今後が心配だ。
森と接し合う村の夜風は、じっとりと湿気を含んでいる。昼の森と夜の森では、質が違う。
体を拭っていると、ひらりひらりと一羽の蝶が、月光に照らされながら空を舞っているのに気づいた。濡れたように艶やかな黒が、青い月下で視線を誘う。
僕は切り替えるように頭を振って、服を着直した。蝶は相変わらず――いや、動きがこころなしか重たくなっている。よく良く見れば、蝶の頭が馬鹿に大きくなっている。
蝶が僕を見た。取ってつけたような人面の、虚ろな眼窩と視線が合う。悪意に満ちた醜悪な老婆の顔は、ゲラゲラと笑いながら、高空へと飛び去っていった。
今さらになって、背筋からぶわりと嫌な汗が吹き出した。心臓が暴れて胸骨を叩く。緊張でこわばった指が軋む。
「メルン先輩、こっちは終わりましたよ……どうしたんですか?」
フランの声で、体を縛り付けていた恐怖から解かれた。吸い込んだ息を、ゆっくりと吐き出す。
「小さな魔物が飛んでいた気がしただけだよ」
「いろんな魔物がいるんですね」
僕は家に入りながら、フランの頭を撫でた。
「なんですか?」
「なんとなくだよ。ありがとう」
「どういたしまして?」
僕は一度、外を振り返った。
魔物だったのだろうか。魔女、なのかもしれない。
魔物が森から迷い出ることがあるように、魔女だって森から出ても不思議じゃない。ふらっと気分で出てくることもあれば、ろくでもない目的を腹に抱えてやって来るかもしれない。
魔女が何をするかなんて、何を考えているかなんて、人の身の僕らじゃ理解出来ない。ただただ、近づかぬよう、触れぬようにするしかない。
そんな中、魔女に会いたくて森を旅する僕は――我ながら、どうかしている。
白く濁った粥を、木のスプーンで掬った。ふやけて半ば原型を失った、雑多な麦の粒が浮かんでいる。種類も量も多いのだが、中身がスカスカなのだ。この辺りの土か、環境は見た目ほど良くないようだ。
大麦、小麦、燕麦。いろいろ混ざっているのは、まだ、土地にあった作物が見つけられていないからなのかもしれない。薄い塩味しかついていない粥は、見た目以上に味気なかった。量だけはたっぷりあるのが救いだ。
「お二人はこのあとどうされるのですか?」
「村長に挨拶して、次の開拓村を目指そうかと」
「そうですねえ、ナギさんには会われないのですか?」
「スケさんが勧められるのでしたら、訪ねてみますね」
「それがいいですよ」
村長宅まで案内してもらい、僕らは幾ばくかの謝礼を渡して、スケさんと別れた。
村長宅も造りはスケさんの家と変わらない。ただ、一部屋一部屋が、ちょっとだけ大きくなっている。六部屋を連結してはいるものの、やはり簡素な印象は拭えなかった。
痩せ、深いしわが顔に刻まれた村長に挨拶をした。椅子に深く腰掛け、半ば目を閉じている村長に、それとなく切り出す。
「ここまで案内してくれたスケルさんなんですけれども、どうやら彼は、魔法使いのナギという方に、強くなる魔法をかけてもらったそうですね」
村長は片目を吊り上げるように開いた。押し上げられたしわが、ぎょろりと窪んだ眼に迫力を与えている。
「……そう、だな。儂もそう聞いた」
積み上げられた年輪のように。村長が生きてきた年数は、すなわち、村長を屹立させる強さである。節くれだった手は、もう斧を握ることすらできないのであろうが、そうなるまで戦ってきた、人生そのものの証明だ。
村長の返答は、なんとも、僕に切り込むことを躊躇わせた。別に、明確な拒絶をされたわけじゃない。嘘をつかれたのでも、煙にまかれたのでもない。ただ「そう聞いた」と言われただけ。なのに。なんとも、話を続けにくい。
「一応、これでも私は、役所で魔法の研究に携わっていた身です。しかし、スケさんがかけてもらったという魔法は初めて見ました。なんでも、剣の修業をすれば強くなる魔法のようですね。どうも浅学な私には、剣は修業をしていれば、それに合わせて魔法なんかかけなくても、十分に強くなれると思っていたのですがね」
僕の言葉に村長は、ただ目を閉じただけであった。「そう思うのなら、そう思っていればいい」という無関心さを見せつけられたようだ。
「村長はどう思われますか?」
だから、一言付け足してあげた。村長は、やっと口を開く。
「儂はな。目的を達成できるのであれば、細かいことは気にせんでいいと思うのだよ。剣を振れば強くなれる。魔法があろうとなかろうと、現にあやつは強くなっておる。それでいいではないか。それで村は守れるのだ」
「そうかもしれませんね」
僕は村長の言葉に頷いた。村長は意外そうに何度か瞬きをした。
「おぬしもそう思うのか?」
「どうでしょうね。ただ、私が口を出すことでもないと思います」
「そうか。若いのに哀しいことだ」
「そうでしょうか。あなたにとっても、その方が良いのでは?」
「社会にとって良い人柄と、善い人柄は違う。若いうちは、善いくらいがいいのではないかな? 最も、あやつや、そこのお嬢ちゃんのように、あまりに澄んだ眼をしているというのも困ったものだが」
――そうか。哀しい、か。
悲しいな。善いだけでは生きていけない。スケさんのように、騙されていることにすら気づかない人生なんて惨めなだけだ。義憤を燃やすような正義感だって、もう残っていない。自分の目的があるなら、できるだけ寄り道はしない方がいい。面倒事からは目を逸らすし、根が深い問題は、表面だけ刈り取って土をかけて見えなくする。そうすれば、「上手くいく」んだ。目の前の老人だって、そうやってきたのだろうに。
「この後、魔法使いのナギさんに会いに行きたいのですが、大丈夫でしょうか」
「好きにするがよい。もっとも、お互いにいい思いはせんだろうがな。まあ、それもまた旅の思い出になるだろう。その後は村を出るのか?」
「ええ。次の開拓村を目指します」
「次の開拓村へは、谷沿いに進めばいい。谷は深いが、場所によっては落ちても怪我しないと噂されておるな」
「ありがとうございます。まあ、谷には落ちないように気を付けますよ」
村長の家を離れ、魔法使いナギの家に行く道すがら。フランが言う。
「メルン先輩。村長とのお話、どういう意味のことを話してたのか、さっぱりわかりませんでした」
「うん。そう言うと思ってたよ。フランは、スケさんがこれから会う魔法使いナギにかけて貰った魔法について、どう思う?」
「すごいと思います」
予想通りの内容を、予想以下の語彙で表現されて、少し肩を落とした。心配になる子だ。
「強くなるための代償として、スケさんは剣を素振りしていたよね?」
「はい」
「でもさ。剣を素振りしていたら、それだけで、小鬼――くらい一刀両断できるようになると思わないかい? 何度も森から魔物が出てきているようだし、剣を振る経験はあったんだろう。農業をしていたなら、刃物は丁寧に手入れしているだろう。そこに、きちんとした型の素振りをするように唆せば……」
「……あ」
「つまり、スケさんは騙されているのかもしれない。けれど村長は、それが村の為になるのなら、真偽はどうでもいいと思ってる。僕は僕で、スケさんが喜んでいるならそれでいいと思うし、これはこの開拓村の問題だから、口を出すことじゃないと思っている」
「それじゃあ、スケさんはずっと騙されっぱなしじゃないですか!」
フランが憤りを露わにする。
彼女の怒りは正当なものだ。正しくて、優しくて、若い。自分が実用性がないと捨ててしまった美しいものを、今もしっかりと持っている彼女が眩しい。
「そうだね、スケさんは騙されっぱなしだ。けれど、それは悪いことじゃないと僕と村長は考えた。フランから見たら、騙した魔法使いも、放置した村長も、口を挟まない僕も、同じように善くないのかもしれないね。ただ、フラン。ことの発端はなんだったんだろう。フランはどうして、スケさんに『あなたは騙されていますよ』って教えてあげられなかったんだろう」
「それは……それは、私もスケさんも、騙されていることに気付けなかったからです」
「そうだ。もちろん、騙した方が悪い。けどね。騙される側は、完全な被害者で、本当に、何の問題もないのだろうか。いいかい? 人を疑わずに全てを信じるというのは、中身を読まずに契約書にサインするようなものだ。丸腰で森に入るようなものだ。大丈夫かもしれない。けれど、あまりに不用心じゃないかな?」
「はい。そう、ですね」
フランは傷ついた目で僕を見上げる。これは、純粋に他人を信じて生きてきた彼女の価値観に、深い深いショックを与えたかもしれない。けれど、教えておかないと僕が不安になる。
疑わない、というのは楽な生き方なんだと思う。疑って過ごすよりも心が軽いし、いちいち深読みして疲れるなんてこともない。惑い惑わされ自己嫌悪に陥りもしない。騙されたら損はするけれど、悪いのは自分じゃない。常に自分は綺麗な正義の側にいるのだ。
と、上から目線で評している僕のような、損をしている人たちから目を逸らす生き方も、やっぱり楽をしているだけなんだけれど。
そもそもは騙す人間が悪なのだ。騙されている人に真実を伝えることも、善なのだ。そこから目を逸らす必要はない。
愚かしくて、救いがない。それでも、フランには騙されてばかりの人生は送って欲しくない。だから、先輩ぶって説教を垂れる。
「信じるのはいいことだ。けれど、相手の話を聞いたときに『本当にそうなのか』とワンクッション置こう。それが、フランを守ることになるし、騙されている人に会ったときに、守る力になる」
「わかりました。でも、私はメルン先輩がスケさんが騙されているのを見て見ぬふりしたのは、いいことだと思えません」
「そうかもしれないね」
「もし、ナギさんがちゃんとした理由もなくスケさんを騙していたとしたら、ナギさんに文句を言って、スケさんに本当のことを教えます。いいですか?」
「いいんじゃないかな」
それがいいと思うなら、そう行動すればいい。律儀に許可を求める当たりやっぱり不安になるけれど、その素直さがまた彼女の魅力だ。眩しい光から目を逸らすように、僕はちょっとだけ急ぎ足になった。
魔法使いナギの家は、異様だった。魔法使いらしいとか、そういう問題じゃない。
「一体、何と戦争するつもりなんだろう……」
「さあ。魔物でしょうか」
「巨人の群れでもこの辺にはいるのかな?」
「いてもおかしくない雰囲気ですね」
山をそのまま切り出したかのような、重厚で巨大な素焼き煉瓦の壁に、先端を尖らせた丸太を何本も埋め込んでいる。これじゃあまるでハリネズミだ。
しかも、屋根の上にはいくつもの弩が据え付けてあり、家に近寄るものを威嚇していた。
家は住む者を表すという。家全体が警戒心をあらわに牙を剥いているのを見て、僕は少しだけげんなりとした。
「誰だ?」
ドアをばんばんと叩くと、中から不機嫌そうな声が応じた。甲高い男声だ。高い男の声は女に似ていないのに、女の低い声は男っぽく聞こえるなぜだろう。
「メルンと申します。森を旅している魔法使いで、この村に立ち寄りました。はずれに住んでいるスケルさんから、こちらに素晴らしい魔法使いが住まれているとお聞きして、尋ねました。ナギさんでお間違いないでしょうか」
ドアの内側が沈黙した。あまりに長い待ち時間に、フランと目を合わせる。二人して、首をかしげていた。
おそるおそる、といった様子で、細くドアが開かれる。その隙間から、弩の先端が覗いた。鋭く研ぎ澄まされた太矢がぎらりと僕らを睨みつける。とっさに杖を抜き、フランの前に立った。
「なんのつもりだ?」
「お前たちが、本当にただの旅の魔法使いという証拠はどこにもない」
「当たり前じゃないか。身分証明なんて、街の役所とそこの役人にしかできやしない」
「そういうことじゃない。ただの魔法使いが森を旅なんてするものか。いいか、この森には魔物が出るんだ。それも、でっかいやつが。お前が本当に魔法使いなら、旅なんてするものか。知らないと思うがな、魔法使いは、ちゃあんと森について勉強しているもんなんだ」
ナギの声は裏返り、ぶるぶると震えていた。
「それでも目的があれば旅くらいするでしょう。現に、こうして開拓村が切り開かれているんだ、慎重に進めば、死ぬとは限らない」
「開拓村! そうだ。こんなもの、忌々しい! どこから来たんだ、お前たちは」
「森に一番近い街からだよ」
「ほう、街。そうか、街か! 役人か? 言われてみれば人間だな。それも、とびきりの役人の臭いがする。さぞ優秀な役人なんだろうな!」
「今は違いますよ」
とびきりの役人の臭いってなんだ。ちょっとだけ臭そうな気がする。
ヒステリックにわめきたてるナギを落ちつけようとするが、彼はさらに逆上した。
「そうやって、役人は嘘をついて、俺をどんどん前線の開拓村に送り込むんだ! 人を信じてろくなことなんてない。俺みたいなしょぼい魔法使いは、油断したらすぐに、人にも魔物にも食い散らかされて、骨も残らないんだ。そうさ、そうだったんだ!」
ドアの隙間から、ぴりぴりと焦げつくような空気の震えがこぼれている。フランの手を握り、一歩下がった。あんまり近いと、放たれた矢を止めにくい。こんな辺境なのに、総金属製の矢ときている。ナギはどれだけ、殺傷力を求めているのだろう。よほど恐ろしい魔物と戦ってきたのか。
「本当に、役人はやめています。あなたを前線に連れて行くことはありません。本当です」
フランが清流のように澄んだ声音で言った。
それは何重にも積み重ねた「本当」の言葉よりも、ずっと確かな意味を背負っていた。それは、相手にも届く。
「本当か? 本当に本当か? 命かけて本当か? 生きてるか? 死んだか?」
「生きていますよ。本当です」
フランの声に、弩がひっこめられた。代わりに、小さな小瓶が差し出される。琥珀色のねっとりとした液体が封じられている。表面にうっすらと塗られた蝋が、剥げかかって白くなっている。
――これは。
「これは、嘘をつけなくなる薬だ。本当に本当なら、これを飲んで証明してみせろ」
「いいですよ」
伸ばされたフランの手が小瓶に触れる寸前で、僕はその瓶を叩き落とした。木の敷居に当たった小瓶に杖を振り、ばきんと割ってやる。茶色い蜜がたらりと血のように床に広がった。
「な、何をする!」
「ふざけるな。フランに手を出すなよ……アンズとオキナグサの花びらのはちみつ漬けに、満月の晩にスズランから垂らした滴、それに、天使の金管楽器の花蜜。『嘘つきの舌縛り』の薬だろう。ああ、嘘をつけなくはなるだろうね、なにせ、それを一滴口に含めば、次の満月まで言葉を話せなくなる」
「本当ですか、先輩⁉」
頷いた。
フランは険しい視線をナギに向ける。
「え、あ、し、知らなかったんだ。俺はまた騙された!」
「……そうか。フラン、行こう。お邪魔しました」
「あの、その。ナギさん。何もかも疑わなくてもいいんだと思います。大事なことだけ、慎重になれば。では、失礼します、差し出がましいこと言ってすいませんでした」
疑いの殻にこもって、笑顔を取り繕うことすらも忘れて。心の貧しさと、安寧に浸りきる日々。
彼も、スケさんと同じようなものだと思った。
人を疑わないで、ただ信じることは怠慢だ。けれど、疑うだけでもまた、怠慢なんだ。人を疑って疑って、嘘つきだと決めつけてしまえば、それは気持ちは楽になるだろう。いつだって、相手が悪いんだ。自分はいつも正しく感じられる。
疑うも、信じるも、本質は変わらない。なんとなく、フランの頭を撫でた。
「魔物だ! 魔物が来るんだ! 役人が来るぞ! 俺を騙す奴らが来るんだ!」
背後から、遠い慟哭が聞こえた。フランは振り返り、やり残してきたものを見た。僕は手をとり、引いて進む。
もう、僕にはああいうものと向き合う気力はない。擦り減ってしまった命なのだ。摩耗した大人になってしまったのだ。
村長から言われていた谷に出た。
巨人が地面に指を差し込んで、ゆっくりと左右に引き裂いたような割れ方をしている。谷のくせに、両岸の上にはふかふかの土が積もっている。それなのに、谷底には無機質な岩しか転がっていない。深さは、飛び降りれば死ぬとは限らないけれど、まずただでは済まないな、といったところだ。
「メルン先輩、谷沿いに進むんですか?」
「まあそうしたいけれど、これはちょっと危ないかな。谷の見える場所を歩いていきたいけれど、下手すると、土が崩れて落ちるかもしれない」
「そうですねー」だなんて気の抜けた返事をしながらフランが谷を覗き込んだ。その足元がぐらりと揺れる。
危ない。
そう思ったとき。既に、ぼろぼろと崩れた土とともに、フランは重力に引きずりおろされた。谷底に一瞬で消えていくその体めがけて、魔法を放つ。
「風よ、昇れ!」
崖に遮られた視界の隅っこで、激しく巻き上げる上昇気流に煽られた服がはためくのが見えた。
けがをしていたとしても、せめて治るものであってくれれば! 無事でいてくれ。
駆け寄る。握りしめた拳が、ぎゅうと軋む。
フランが落ちた場所のすぐ近くに立ち、見下ろす。フランは――ちゃんと、その二本の足で立っている。
「先輩! 大丈夫です!」
「良かった」
比較的なだらかな斜面を選び、滑り降りた。隣に立って見たフランの恰好は、風で髪型がぐしゃぐしゃなだけで、あとはどこも怪我がなさそうだった。
「痛いところはないかい?」
「大丈夫です。途中で風が下から吹いたんです。あれ、メルン先輩の魔法ですよね」
「うん」
「それと、地面にぶつかる瞬間に、なにか柔らかいものにふわっと支えられたような気がしたんです。それも先輩の魔法ですか?」
柔らかいものにふわっと?
身に覚えがないことを伝えると、フランは不思議そうにしていた。
「なんだったんでしょうね」
「なんだろう。案外、村長の言っていた噂は本当なのかもしれないね」
「かもしれませんね。心配おかけしました。すいません」
「いいさ。まさか、あんなところから崩れ出すとは僕も思っていなかった。落ちてしまったことだし、このまま谷底を進もうか」
森で起きる出来事はたいていろくでもないけれど、今回は、おかげさまでフランが無事だったのだから感謝しよう。
乱れきった髪を指先で梳いてやると、さっき死にかけたことなんてなかったように、くすぐったそうに首をひっこめた。はははと笑う。そんな僕らの後ろで、誰かが呟いた。
「マーヤ……ぁぁ」
と。




