第八夜 決闘にて
「俺がこの勝負で勝ったら、本当にスパイ容疑は晴れるんだろうな?」
「ああ、匿っていた夫婦も無罪放免にしてやるよ」
俺は手に持った木剣をブン、と振ってみる。ずっしりと重みがあり、切るというよりは殴りつけるというような感じだろうか。
ジャディは余裕なのだろう、俺が剣で少しでも試行錯誤する様子を、兵士たちと見てにやにやしている。余裕ぶって水筒から水なんか飲んでやがる。
ギャラリーの中から一人の兵士が歩み出てきた。
「これより決闘を開始する!特に決め事は無いが、相手を殺してしまったらその者の負けとする。以上!」
「ヒュー!!!」
周りの兵士たちも盛り上がる。俺は人生で初めての決闘に、少し手が震えていた。足もどこか力が入らない、膝が笑っているような気がする。深呼吸をしてはみるが、手足の状態はあまり変わらない。ネーシャはそんな俺に心配そうに駆け寄った。
「お父さんとお母さんのためにごめんね…。お願いだから気を付けて、シュウ。頭に当たったら大怪我しちゃうから、絶対に気を付けてね」
「ああ、ありがとう。気を付けるよ」
離れたネーシャは不安そうな顔で兵士たちの横に立つ。
「それでは…始め!!!」
兵士が合図をするや否や、いきなりジャディが走って俺との距離を詰める。くそ、こっちは少しでも考えて落ち着きたいっていうのに…。俺は学生の頃の剣道の授業を思い出して、手の木剣を体の中心に構える。
「ふんっ!」
ジャディは力任せに木剣を振り下ろす。俺は何とか正眼に構えた木剣でそれを受け止める。重い木と木がぶつかる、ガツッという鈍い音。手には痺れるような衝撃。子供のころ、木の枝で楽しんだチャンバラごっことはまるで違う。ジャディからは俺を痛めつけてやる、という意思がはっきりと伝わるようだった。
「ほらほら、受けるばかりか。お前も剣を振ってこい。」
ジャディはお構いなしに剣を振り回す。縦、横、斜めと剣を振るわれ、息つく暇がない。俺は剣が当たるたびに、なんとか弾かれまいとするだけで精一杯だ。受けきれず、肩や腕に当たったところがビリビリと痺れてる。このままじゃいけない。
「だあっ!」
俺は防御して横に泳いだ体を立て直しながら、ジャディめがけて剣を振るう。狙うは頭。一発頭にさえ当てれば、この剣の重さだ。すぐには立ち上がれないはずだ。
だが俺の振るう剣はことごとく空を切る。ジャディは体を半身にするだけで簡単に俺の攻撃を捌いてしまう。
捌かれて無防備になった俺の体に、ジャディは横薙ぎに剣を走らせる。俺の腹に木剣がめり込み、背中にまで衝撃が突き抜ける。俺は息ができなくなり、思わず膝をつく。
「どうした。剣は不慣れか?」
「・・・くっそ」
見下ろすジャディは明らかに余裕の表情だ。このまま一方的に追い打ちをかければ勝ちだというのに、それをしない。俺をまだまだいたぶる気らしい。腕や指には剣が当たってできたミミズ張れが浮いている。
(大丈夫ですか?)
「大丈夫なように見えるか?このままじゃジリ貧だよ、どうすりゃいいんだ」
(打つ手はあります)
「なんだって…?」
俺はマニュアルの策に耳を傾ける。ジャディはそんな様子が独り言をしているように見えるようだ。苛立ちを隠さず俺との距離をズカズカと詰める。
俺はジャディに対して、体を右に向け、左足を腿まで上げる。正眼に構えた剣をやや右手の方へ傾ける。顔はまっすぐジャディに向け、わきを締める。一本足で立つ俺の狙いはやつの剣、一か所!
「なにをふざけた真似を。もっと痛めつけられたいのか?!」
ジャディは剣を振り上げ、俺の左肩めがけて振り下ろす。
「……ニッポンのサラリーマンを、舐めるなよ!」
「なに?!」
俺は上げた左足でステップインし、剣を木製バットだと思って力いっぱいアッパースイングした。剣と剣がぶつかり合い、俺とジャディの剣は2本とも屋根を超えて、兵舎の裏へと消えていった。
俺は右手でジャディの首元をつかみ、左手は彼の右手首を抑えた。相手は棒立ち、組手は充分!
俺は思いっきり左足を踏み込み、右足を振り上げる。左手は下げおろし、右手はつき上げ、ジャディの全体重がやつの右足へかけるのと同時!
俺は振り上げた右足を地面スレスレまで振り下ろし、ジャディの右足を刈り飛ばした。
体重の支えを無くしたジャディは勢いそのまま、後頭部を地面にしたたかに打ち付けた。頭を打った衝撃で、すぐには起き上がれそうもない。
周りの兵士たちが静まり返る中、ネーシャが大きな声を上げた。
「やった、やったねシュウ!すごいわ!」
「これが”大外刈り”って柔道の技ね。一本!…なんてね」
和気あいあいと盛り上がる2人。喜び勇んでネーシャとハイタッチをする両手に、ふいに妙な感覚がまとわりつく。冷たい感覚に目を向けると、俺の両手には水がまとわりついて鎖のようになっていた。
「絶対許さねえ!ぶっ殺してやる!」
ジャディは片膝をつきながら、腰に身に着けていた水筒を地面にぶちまけた。こぼれて地面に吸収されるはずの水は、落ちることなく宙に浮いている。
「シュウ、気を付けて!ジャディの魔法は水を操るわ!」
魔法?!
今さらっと魔法って言った?!
異世界には付き物だとは俺もうっすら思ってたけど、初めての魔法が今、目の前のケンカ相手が使ってくるってマジかよ!
ジャディが右手を水に向かってかざすと、浮いた水はグルグルと形を変えて球状になる。人間の握りこぶし大ほどのそれは、ピタリと宙に止まったかと思うと、一直線に俺めがけて飛んでくる!
水球は俺の腹に深々とめり込んだ。一瞬息ができなくなる。衝撃は木剣のそれとは段違いだった。
「ジャディ、卑怯だわ!シュウとは剣で勝負じゃなかったの?!」
「うるせえ、こいつも妙な術を使ってたじゃねえか!…お前は少し黙ってろ!」
ジャディはもう一つ腰にぶら下げていた水筒を宙にぶちまける。まかれた水はネーシャの頭をすっぽりと覆ってしまった。ネーシャは空気を吐き出し、苦しそうに顔をゆがめる。両手はなんとか水を引きはがそうとするが、水に触れられても掴むことができず、空を切るばかりだ。
「ネーシャ!…おい、この勝負に彼女は関係ないだろ! 放せよ!」
「いやだね、その女がくたばる様子をじっと見てるんだな!」
ジャディは両手を水にかざし、俺の両手の鎖をさらに強く縛り付ける。ネーシャは口から空気が次々と漏れ、徐々にもがく力が弱まっている。苦しそうな彼女と目が合うと、ネーシャはかすかに口を動かした。
(た、すけ、て…)
俺は頭の中が真っ赤になり、満足に動かせない両手をジャディめがけて突き出した。
「公務を執行する!」
執行の声を合図に、俺とジャディの間に光と衝撃が走った。その衝撃は土ぼこりを巻き上げ、あたりの視界を奪った。もうもうと立ち込める土煙は少しづつ晴れ、そこには1人の老人が立っていた。
「…誰だてめえ!」
ジャディは老人めがけて問いただすが、老人はどこ吹く風かと言わんばかりに、顎まで伸びている赤髭をなでている。
「この…!お前も一緒にくたばりたいか、ジジイ!」
ジャディは手をかざし、もう1つ水球を作ると、猛烈な速さで老人めがけて撃ち出した。老人はそれも無視して周囲をゆっくりと見まわしている。
「あぶない!」
俺が叫ぶと同時に、老人に向かって突進していった水球は、一瞬光が走ったかと思うとパンと煙を上げて消えてしまった。
「な、なに…?」
ジャディも周りの兵士も何が起こったのか分からないようだった。ざわつく彼らとは対照的に、俺には全てが分かった。俺も何が起こったのか見えてはいない。だが、それでも頭には何が起きたのかはっきりと情報が伝わってくる。
「ふむ…どうやらお前さんが今代の主のようじゃな。400年ぶりに呼び出されたと思ったら、随分と地味な小競り合いの最中のようじゃないか」
(ご足労、痛み入ります老師)
「おお、マニュアルか。久しいのう。元気だったか」
(はい、ヴリトラハンの異名は相変わらずの壮健ぶりですね)
「…マニュアル、お前あの人が誰か知ってるのか?」
(ええ、ですがそれよりも今はネーシャを助け出さないと)
「そうだ、ネーシャ!」
ネーシャはもうすでに息を吐きつくし、彼女の苦悶の表情は限界に達していた。
「かわいそうに、あれでは溺れ死んでしまうのう。おい、術者のキミ。放してあげなさい」
ヴリトラハンと呼ばれた老人は髭をさすりながらジャディに問いかける。ジャディは何が起きているのか分からず、立ち往生している。
「ふむ、口がきけんのならそれもよかろう。ちょいと痺れるぞ?」
老人はそう言うなり、空中に手をあげる。一瞬またも光が走り、ジャディ目がけて疾走する。ジャディは体をびくーんと硬直させたかと思うと、そのまま仰向けに倒れてしまった。
と、同時にネーシャの顔を覆っていた水球はびしゃりと音を立てて落ち、俺の両手を繋いでいた水の鎖も地面に落ちて消えた。
「ほっほっほ。これでこの勝負はお主の勝ちかのう?」
老人が意地悪そうに審判役の兵士に囁く。すると周りの兵士たちは「冗談じゃねえ」と、次々と剣を抜いた。俺たちが使っていた木剣ではなく、抜き身の真剣だった。皆一様に顔をこわばらせ、怖れと興奮がないまぜになったような表情をしている。
「ほっほっほ。400年も経つと儂のことを知らない者がこんなにいるのか。結構結構」
老人は愉快そうにつぶやく。一方兵士たちは突然現れた老人の異様さに警戒し、今にも斬ってかかろうとしている。老人はまるで構わずに言葉をつづける。
「じゃが、儂に剣を向けるのはお勧めせんよ。いますぐ捨てなさい。さもないと大変な目に合うじゃろう」
「……!」
緊張に達した兵士が1人動いたのをきっかけに、50人はいた兵士が、すべて老人に向かって斬りかかった。老人は身じろぎ一つせず、自然体のまま言い放った。
「愚か者が…」
老人が宙に手をかざすと、一瞬で空に暗雲が立ち込めた。ゴロゴロと遠くで音が鳴り、光った、と思った時にはすでに、轟雷が50人の兵士目がけて落ちていった。雷は轟音とともに兵士たちの剣目がけて落ち、彼らの腕を通じ、全身に流れ、地面へと吸い込まれていった。
突然の雷に打たれた兵士たちは、前に倒れる者、その場に崩れる者、みな力無く倒れていった。剣や鎧は帯電し、バチバチと音を立てている。
一瞬の出来事に唖然とする俺に、老人は悠然と挨拶を交わした。
「儂のことはヴリトラハンと呼んでくれ。これからよろしく頼むぞ、主よ」
そう言うなり、老人は雷光とともに姿を消した。まるでそんな人物など初めからいなかったかのように忽然と。
その後には雷に打たれたジャディと兵士たち、そして溺れかけたネーシャが残されていた。俺は慌てて倒れこんでいるネーシャに駆け寄る。
「ネーシャ!大丈夫か、ネーシャ!」
ネーシャは苦しそうに胸を上下させているが、なんとか無事のようだ。よかった…それにしても、残りの兵士たちはどうしようか。
そんなことを考えてるうちに、兵舎に残っていた兵士たちや、城に常駐していた兵士が何事かと駆け付けてきた。
兵士たちは介抱され、事態は無事収拾。スパイ容疑も晴れてめでたしめでたし、となるはずが…俺はこの一件の首謀者として、牢屋にぶち込まれることになったのだった。