第七夜 スラムにて
班長への”お願い”を済ませ、俺とネーシャは屋上を目指して階段を昇る。ネーシャは無事に俺に会えて安心したのか、少し元気になったようだ。
「シュウってすごいのね。お城で暮らしてるなんて思わなかったわ。なんで教えてくれなかったの?」
「ここはお城じゃないよ。市庁舎って言ってでかい仕事場みたいなもんだ・・・でも一応王様っていうか、市長はいるし、城といえば城か」
今までいた4階は市長室もあるし、もしかしたら市長もいたかもしれない。なんならここらへんの王様に会えたぞ?と軽口をたたくとネーシャはかなり驚いていた。フォンスの人口は何人だか分からないが、ここ横浜市の人口は約370万人。そんな膨大な人たちの中から信託を受けて働いているのだから、まあ王様みたいなものだろう。
「フォンスは大体何人くらいが住んでるんだ?」
「分からない・・・。たくさんの人が周りの国から出たり入ったりしてるから。最近はスラム街にも仕事にあぶれた人があふれてきてるから、お城もちゃんと把握できなくて困ってるみたい」
スラム街なんてのもあるのか。あの綺麗で活気ある泉の都にもそういう一面があるんだな、まあ複数の街がくっついてできたって言ってたからなあ。そんななか仕事にあぶれたり、さらに遠くの街からフォンスに流れ着いたりする人も少なくないのかもしれない。
屋上への扉に手をかける。まさかもう一度行くことになるとは思わなかった。なんとかスパイの容疑を晴らして、ネーシャの両親を自由にしなければ。
扉を開くと、そこはフォンスの屋台街・・・ではなく、どこか薄汚れて寂れた街に繋がっていた。
「あれ?なんか違うところに出ちゃったぞ、フォンス以外の街にも繋がってるのかウチの屋上は」
「ううん・・・違う。ここもフォンスよ。フォンスの北側、さっき話したスラム街だわ」
華やかな屋台が並ぶ南側と、他所から流れ着いた人が暮らす北側。かなり貧富の差が激しいように見える。民家はどれも壁が崩れたり、窓が壊れているし、道の両側には木材や布の切れ端を組んで作ったテントが並んでいる。そして何より匂いだ。食べ物が腐ったような匂いや、寂れた駅のトイレのような匂いがぷんと鼻をつく。
「城への道は分かる?」
「ええ、大丈夫。ここは見た目ほど入り組んでないから、見えるお城に向かっていけばたどり着けるわ」
ネーシャを先頭に城へ向かう。20メートルほど歩いた先で、十字路になっている道の陰から急に誰かがが俺に向かって飛び出してきた。俺は避けることができず、出てきた人と肩と肩がぶつかってしまった。
「痛って、おい!どこに目ぇつけてんだ、気を付けろ!」
「あ、どうもすいません・・・」
しまった、と思った。完全に難癖付けられた感覚。その予感は的中していたようで、俺とぶつかった男は舐めるような目つきでこちらを値踏みする。
「おいおい、南側の人たちが、こんな北の薄汚いところでデートかあ?俺も是非あやかりたいねえ」
男は中年太りした腹をさすりながらこちらに寄って来る。何日も風呂に入っていないのだろう、垢と脂の混ざった匂いが鼻に厳しい。
「ごめんなさい、私たちちょっと急いでいるの。お願いだから行かせてくれませんか?」
ネーシャがなんとか場を取り持とうとして俺と男の間に入る。だが、下手に出たのがまずかったのか男は嫌だね、と一蹴した。
「通してほしかったら金を出しな。そっちの兄ちゃんは随分いいもん着てるじゃねえか、そいつを全部よこせば通してやるよ」
へへへ、と薄気味悪く笑う男。どうする、こうなりゃいっそ「強制教育」で洗脳して無かったことにしてしまおうか。
(駄目ですね)
急にマニュアルが俺の考えに割り込んでくる。なんでだよ、と聞く前に理由が分かった。十字路の先から男の仲間と思しき人が1人、また1人とこちらにやってくる。
(強制教育は複数の相手には使えません。仮にすぐに2人目にかけた場合、最初にかけた教育の効果はその時点で解けてしまいます)
丁寧な説明どうもありがとう。できればそういうのは向こうに戻ってる間にしてほしかったな!いくらでも話す機会はあっただろ!
そんな1人問答をしている間に、増えも増えたり、5人もの浮浪者に囲まれてしまった。他になにかいい手段とかないのか、マニュアルさん?
(今はありません。この場はご自分でなんとかしてください)
超使えねーこの手引書!仕方ない、こういう時は先祖代々伝わるアレでなんとかするしかないか・・・。
俺は息を吸えるだけ吸い、両手を天高く突き出し叫んだ!
「・・・アチョー!!!俺たちに指一本触れようものならニッポンのお家芸、ジュードーが炸裂するぜ!怪我したくないやつは道を開けな!」
ジュードー?ニッポン?なんだそれ、とポカンとなっている浮浪者たち。その隙を見逃さず、俺はネーシャの手を取り、一目散に走りだした。
鷹羽家代々伝わる・・・かどうかは知らないが、そう・・・三十六計逃げるに如かずだ!
「ちょ、ちょっとシュウ!ジュードーってやつじゃなかったの?!」
「柔道は1対1なの!複数相手じゃ無理無理!・・・それに俺、柔道下手だし!」
鷹羽家は代々柔道一家なのだが、(これは本当)俺はどうも才能がなかったのか15年は続けてるのに未だに初段のままなのだ。親父が聞いたら「お前に足りないのは才能じゃない、やる気と稽古が足りんのだ!」とか言いそうだ。
(アチョー、は置いておいて。逃げるのはいい判断だったようです。彼らも追いかけてはこないようですし)
マニュアルがそう報告してくれたころには、俺たちは城の近くへとたどり着いていた。ネーシャは息を整えながら、兵舎へと俺を案内する。
城の横に併設された兵舎の中に入ると、中には大勢の兵士たちが常駐していた。そんな兵士たちが待機している部屋の一番奥で、ジャディが待ちかねたように席を立った。
「よく来たな、スパイ野郎。今回はあの時みたいに上手くはいかねえぞ?」
「だからスパイじゃないって、何回言えば分かるんだよ」
「その見慣れない服装、通じなかった言葉・・・どうせ北のニックスあたりの人間だろう。それに俺に妙な術をかけやがって・・・おかげで俺はいい恥さらしだ!」
ジャディは段々興奮が増してきている。周りの兵士たちは俺たちをニヤニヤと眺めている。どうやら恥をかかせたのは本当らしい。
「・・・じゃあどうすればいい?」
俺の問いにジャディは笑った。
「簡単だ、表へ出な。・・・俺と剣で勝負しろ。叩きのめしてやる!」
ジャディはそう言うなり、部屋の隅に転がっていた木剣を俺に投げつけた。手にズシリと重い感触が伝わる。
それを見ていた周りの兵士たちは「イエエエエエイ!」と雄たけびを上げて盛り上がる。
一方の俺は盛り下がるだけ盛り下がっていた。
(どうしましたか?)
「いや、もう俺がスパイかどうかなんて関係ないんじゃんと思ってさ。スパイ容疑と剣で勝負って、なんの関係もないよね」
(きっと勝ったら容疑が晴れるんじゃないですか?)
「・・・お前って軽口も叩けたのね」
げんなりしながら表へ出る俺に、マニュアルは明快に言い切った。
(それはもう。他人事ですから)
・・・今すぐこいつにスパイ容疑かける方法はないものかね?