第十夜 街の外にて
フォンスと外との境界は、壁と堀で区切られていた。なんでもフォンスは基本的に人の出入りは自由だが、ある程度は制約やチェック機能を設けないと人口が増えすぎたり、犯罪者が入り込んだりしてしまうらしい。これが1つ目の理由。
2つ目の理由はモンスターの存在だ。
野生の狼や大蜘蛛の群れ、怪鳥などがこの世界には存在している。だから広大な領土を誇る国はこの世界にはあまり存在しない。どうしてもその領土の維持が困難だからだ。狭い土地でどれだけ人・モノ・金を効率的に集めるかがここでの発展条件らしい。
交易の中心的地理にこのフォンスがあることから、人やモノの流れを止めることはこの街の死を意味している。人やモノが寸断されることなく流れ込みながらも、治安を維持するためにはぐるりと障壁をつくり、後は人力で巡回するしかないらしい。
巡回に出ている間にアレスとネーシャから得た受け売りだ。他の都市から来た人々は関所を通過して荷物のチェックと税を納める。俺たちはそこにモンスターが現れないか見張っている。他の都市から来る人々の一団は、モンスターから見れば「動く餌場」である。それに釣られてフォンスの中にまでモンスターに侵入されないようにするのがこの巡回の目的の1つだ。
「でも出発してからここまで、特に異常はないな。モンスターも出ないし」
俺は少し拍子抜けをしていた。牢屋を出てからおよそ3時間が経とうとしていた。何組ものキャラバン隊を見送ってきたが、彼らもそれなりの自衛手段を持っていた。剣や弓矢で武装したり、冒険者たちを雇って警護してもらったりしていた。
「俺たちが巡回する意味って、あまり無いんですかね?」
俺は先頭を歩くアレスの背中に聞いてみる。アレスは振り返らずに返答する。
「いや、そんなことはない。彼らは自衛の手段こそ持っているが、あくまでもそれは自分たちを守るためのものだ。街に侵入しようとするモンスターは我々が倒さなければならない。それに―――」
「自衛手段をみんながみんな持ってるわけじゃねえ。モンスターと渡り合えるような武器や防具を人数分そろえるだけでちょっとした財産だ。そんな余分な金を持ってないやつらは、生身のままで外をうろつく」
なるほど。モンスターからすれば格好の狙い目となるわけだ。街を出てから一切口を開かなかったジャディが、ようやくしゃべって、巡回パーティの空気も少しマシになった。俺は街を出るときに渡されたゴーグルをのぞき込みながら、周囲に何かいないか目を凝らす。
「でもあれだな、みんな街道を通ってくるから見つけやすいな。キャラバン隊なんてすごい荷物を抱えてるから目立つし」
「そうね。あとは周りにモンスターがいないか注意すればいいから、何とかなりそう」
ネーシャもゴーグルで辺りを見渡す。
「街道ばかり見ていても不十分だ。特に街道に沿って生えている森の中をできるだけ注意して見てくれ。・・・目立つ人ばかりじゃないんだ」
アレスは自身も目を凝らして警戒に当たっている。そこにジャディが報告を入れる。
「戦士長。・・・アタリです。北の方角、森の中。何人かこちらに向かってきてます。装備は無し。完全に丸腰です」
「…戦闘の準備を。前衛は俺とジャディ。後衛はシュウ君とネーシャ君。フォンスを出る時に話したように、君たちは距離を取って私たちをサポートしてくれればいい」
アレスとジャディは剣をすらりと抜く。
森の際がガサガサと揺れる。一瞬の静寂。
「来るぞ!」
アレスの声を合図にしたように、森の中から何人にも人間が現れる。人数は30人以上。みな一様にボロボロの服を着て、こちらに向かって走ってくる。
「あれ全部止めるんですか!?こっちは4人しかいないんですよ?!」
俺は剣を構えるアレスに尋ねる。アレスは微動だにせず、静かに答えた。
「違う、来るのはその後だ。…どうやら大物だぞ」
森の中から彼らを追いかけてそれは現れた。
「…トカゲ人間?!」
(はい、あれはリザードマンですね。普段ならあまり注意しなくてもいいモンスターですが、今回は様子が違うようです)
森からは盾や剣で武装したリザードマンが徒党と組んで人々を追いかけてきた。その数はちょうど10頭。赤い舌をチロチロと這わせながら先を走る人間を追いかけてくる。
「チッ、あの装備の数…どっかのキャラバン隊がヘマして全滅しやがったな。装備を奪われてやがる」
ジャディは忌々し気にゴーグルを外しながら呟いた。
アレスとジャディの間を縫うように、人々は一目散へフォンスに向かって走りぬける。アレスは呼吸を整え、先頭を走ってきたリザードマンに斬りかかる。
「ふんっ!」
盾を構えたリザードマンだったが、アレスは盾ごと横薙ぎに斬り捨てた。先頭の1匹がやられたことで、残りの9匹は一斉にその足を止めた。このまま人間を追いかけては自分たちの背中ががら空きになると悟ったからだ。
「…戦い慣れもしてやがるか。そのまま追いかけてくれたら楽に後ろから仕留められるのに、よ!」
ジャディもリザードマンに斬りかかる。剣と剣が激しくぶつかる音が耳に突き刺さるようだ。アレスのところには5体、ジャディの周りにも3体のリザードマンが2人を囲むように陣形を取る。
(1匹来ますよ。気を付けてください)
マニュアルが注意を促すのとほぼ同時、俺の前にもリザードマンが立ちふさがる。俺も剣で斬りかかるが、リザードマンの盾に防がれてしまう。
今度はこっちの番だと言わんばかりに、リザードマンは剣を振り回す。アレスやジャディのような剣術とは明らかに違う、むしろ俺のようにただでたらめに振り回すだけだ。だが、真剣の刃が異常な緊張を俺に強いてくる。受け損なったら大怪我をする、下手をすれば死んでしまう。そんな思いがどうしても俺の手足を委縮させる。
「バカ野郎!斬られたって治しゃいいだろうが!ヒーラーがいるのを忘れてんのか!」
ジャディはそう言いながら1匹目のリザードマンを倒す。アレスはすでに2匹倒している。だが、俺は彼らと違って戦い慣れなんてしていない。斬られることを織り込んで戦うことなんて出来はしない。
(なら、できることだけすればいいのでは?)
マニュアルがそうつぶやく。俺にできること…。
「ぐっ、さすがに2匹同時に相手はしんどいな。戦士長、そっちはあと何匹ですか!?」
「あと3匹だ!すぐに援護に行く、もう少し凌いでてくれ!」
防戦一方だが、なんとか2匹を食い止めている。だが、それもいつまでもつか。
「…シャアアア!!」
そこに1匹のリザードマンが2匹のリザードマンに横殴りに斬りかかる。リザードマンたちは何が起こったのか、仲間の裏切りに困惑している。
「これは…さてはまたお前だな!?」
「ピンポーン、正解です。今あのリザードマンは味方のことが、俺たち人間のように見えるようになってる」
俺は手を掲げて意識を集中する。
イメージするのはあの老人。一瞬で50人もの兵士を倒したあの雷撃。マニュアルは俺にも魔法が使えると言っていた。決裁はもう下りてる、あとは執行するだけ。威力はずっと低くていい、代わりに狙いを絞る。集中だ。間違えても味方に当てるな。
「…執行、ライトニング!」
俺の声とともに、雷光が空から一閃する。光線はアレスとジャディを避け、リザードマンの剣だけを狙うように落ちていく。
リザードマンたちは体をひくつかせながら、その場に倒れこんだ。筋肉が伸縮し、ビクビクッとけいれんしている。
「戦闘終了!フォンスに戻るぞ!ジャディ!しんがりは私がやる、先頭は任せるぞ!」
ネーシャは帰りの道中、回復魔法を使い、動けなくなった人たちを癒しながらフォンスへの道を導いた。
フォンスの壁と堀を越えると、そこには兵士たちと森から出てきた人々が集まっていた。アレスは兵士たちに状況を説明する。
「北の森を出たところにリザードマンたちがいる。すぐに人数をそろえて討伐に向かってくれ。痺れて動けないだろうが、用心は忘れるな。やつらの装備は残らず回収しろ」
了解しました、と兵士たちは隊列を組んで街の外へ出ていく。入れ替わるように森から出てきた人々がアレスのもとに駆け寄る。
「危ないところを助けていただき、ありがとうございました。もう少しで追いつかれて我々は皆殺しに遭うところでした」
「無事でよかった。その身なりと北の森から来たところを見ると、あなた方は―――」
「はい、お察しの通り私たちはニックスから逃げてきた者たちです。どうか、フォンス王にお会いすることはできないでしょうか。あの街の惨状をお伝えし、なんとかフォンス王のお力を貸していただきたいのです」
ニックスから来たという人たちはみな一様に疲れ切っていた。アレスは兵士たちを呼び、彼らを休めるところへ案内するよう指示した。
「彼らはいったい…?」
俺は事情が読めずに困惑していた。
「彼らは北の魔都から逃げてきた人たちみたいね。最近、あそこから逃げてくる人たちが増えてスラム街に流れてるの」
ネーシャは俺にも回復魔法をかけてくれた。気が付かないうちに指や腕を斬りつけられていたらようだ。
アレスは兵士たちへの指示を終えると、俺たちに向き直って言った。
「みんな今回はご苦労だった。怪我人が出なかったのは何よりだった。巡回はこれで終了する」
やれやれ、やっと終わりか。スパイ容疑解消に、街の巡回、トカゲとの戦い…もうくたくただ。今日はゆっくり休むとしよう。
俺は腰につけた剣を外し、兵士に返そうとした。だが、アレスは続けて言った。
「このまま状況を王に報告しようと思う。2人には付き合わせて悪いが、もう少し辛抱してくれ」
…これ、ちゃんと残業つくんですかね?
(あなたは兵士じゃないから無理でしょう)
マニュアルの冷静な指摘が、俺の肩を少し重たくしたのだった。




