勇敢な王子と恋慕の鬼子
この作品は、牧田紗矢乃様主催【第二回・文章×絵企画】参加作品です。
イラストは i-mixs 様(http://10275.mitemin.net/i164045/)からご提供頂きました。
大陸の東に位置する強国、エラステス王国――
主要な街道と水量豊かな河川を持ち、大陸の中でも有数の交通の要衝となっているこの国は、幾多の侵略や謀略を退け、独立と繁栄を保ってきた。
これは、エラステス三百年の歴史の中のほんの一幕――ひとりの勇敢な王子と、彼に寄り添ってきた少女との、恋と絆の物語である。
◆◇◆
「カルディス様。カルディス様。どちらにおいでですか」
ひとりの使用人の女が主を探して歩いている。手には軽食を乗せたトレイを持っている。
ひとことに裏庭と言っても、壮麗広大なエラステス城の敷地となれば、小さな集落がひとつ収まるほどに広い。すでに相当の距離を歩いていたが、使用人の女は息一つ切らしていなかった。
美しい女性である。すらりとした体躯に長く艶やかな黒髪。凛とした立ち姿。普段はきりりと引き締まった表情をしているが、今は心配で曇っている。
彼女の名はオリンといった。
「カルディス様」
やがて彼女は、目当ての主を見つけて安堵の息を吐いた。
木陰に作られた小さなベンチに腰掛け、汗を拭っていた男がオリンに気づいて軽く手を振る。
それだけで場が輝くような錯覚をオリンは抱いた。
優しさと強さとしなやかさを併せ持った奇蹟の容貌に、女性ですら羨む輝きを持った金髪。長身細身で、鎧ではなく魔除けの白銀を編み込んだ長袖服を着込んでいるが、脆弱さは一切感じさせない。むしろ彼が持つ独特の雰囲気とあいまって、同じ空気を吸う者に感動すら与える。
彼こそエラステス王国第三王子カルディス・エフ・エラステスである。
カルディスは笑顔のまま、幼なじみの使用人を迎えた。
「やあオリン。そんな顔をしてどうしたんだい」
「どうしたもこうしたもありません。突然場をお離れになったので心配したのですよ」
オリンはトレイをベンチに置き、自らは草地にひざまずいた。重りが付いた素振り用の騎士剣を手に取る。
「無理にこのようなものを振ってはお体に障ります」
「気分転換さ。このところ政務が忙しかったから。それに、こんな身体でも鍛えられるところは鍛えておかないと」
カルディスは笑ったが、オリンは逆にうつむいた。彼女の様子に気づき、心配するなと言うようにカルディスが軽く肩を叩く。
その手の表面には、無数の黒い文様が蛇のように不気味にのたくっていた。
カルディスは幼い頃、刺客によって強力な呪いをかけられた。一命は取り留めたものの解呪には至らず、以来、満足に剣を握って戦えない身体になってしまった。王国随一と言われるほどの剣才を秘めながら、もはや彼は戦場に立つことができないのだ。
だがカルディスは剣の才能以上に強い意志と人を惹きつける才を持っていた。絶望的な状況から這い上がって、今ここにいることが何よりの証拠だ。
「心配しないでおくれ、私の可愛いオリン。私はちっとも困ってもいない。君がいるからね。ああ、仕事が忙しくなったのは少しばかり考えどころかもしれないが」
「また、そのようなお戯れをおっしゃる」
「君相手だからだよ」
「私は……そのように親しくして頂く資格などない女なのです」
「おや。君はこの五年あまり、常に私とともにあったという事実を忘れてしまったのかな」
オリンは答えなかった。伏し目のまま、何かを決意するように拳を握っている。
カルディスはオリンの肩に置き続けた。
「こうしていても奇異の目で見られることなく安らげることが、どれだけ私を助けているか。君はわからないかな」
美貌の王子はつぶやいた。
それからしばらく、オリンは黙ってカルディスの汗を拭き、食事をともにした。カルディスも黙って身を任せている。
それは、もう何年も繰り返されてきた二人だけのやりとりであった。
憩いの場を離れ、政務の場に戻ったカルディスは、オリンに見せたものとは違う表情を浮かべる。
「諸将を集めよ。これより公聴会を開く」
力強く下命する主の姿を、オリンは眩しそうに見つめた。
剣が握れないなら、政の場を戦場と思おう――
それが事件以来、カルディスの信念となっていることを彼女は知っていた。
『戦場』に立ったときのカルディスは、また違った輝きを放つ存在だった。
一回り以上年上の古強者相手でも一切臆せず、堂々と意見を述べる。意味のない妥協はせず、自らが正しいと思ったことは安易に曲げない。そんな勇敢さと凛々しさを持った第三王子を、オリンはやや離れたところから見ていた。その距離感は、そのまま自分と王子との関係を象徴していると彼女は思っていた。
心がどんなに求めていても、身分の違いはどうしようもないのだ、と。
これまでの長い付き合いから、オリンは主であるカルディスが身分の違いに拘泥するような人間ではないことを知っている。
だが、彼は王子なのだ。この国を背負うべき立場の人間であり、実際にそれだけの能力と人徳とを兼ね備えた傑物なのだ。
いち使用人に過ぎない自分が想いを遂げるなど、天地がひっくり返ってもあり得ない話だ。
ならばせめて――オリンは思う。せめて、命を懸けてカルディスを守ろう。伴侶として隣に立つことは無理でも、何かあればすぐに駆けつけることができる場所に居続けよう。
それは彼女を支える尊い誓いだった。
――会議が一段落し、小休止がとられたときのことである。
「第四騎士団に鬼人を?」
紅茶を片手に書類をめくっていたカルディスがたずねた。
「鬼人――ヒナモリは確かライゴール卿の使用人であるはずだが」
「はい。ですが先の戦闘で彼女が優れた力を持つ鬼人だということがわかりました。いち使用人でおくのは利がありません。第四騎士団が守護するクラツァル砦は、このところ敵の勢いが増している場所。ですがヒナモリが参戦すれば、戦況を一変させることができるでしょう。ライゴール卿もこの件は承諾しています」
「そう、か。卿が良いと言われるのであれば、ありがたくお借りしよう」
「カルディス様。この国の民はすべからく国王陛下と王国の御旗に忠誠を誓うべきです。いわば、民はすべて王国の所有。鬼人とて例外はございませんぞ。お借りするなどと――」
「わかった。その件については改めて卿と話をしよう。オリン」
声をかけられ、オリンは飛び上がりそうになるほど動揺した。カルディスは少しだけ眉を傾けた。
「冷たい果実酒を用意してくれ。あとは何か、軽くつまめるものを」
「ただいま、用意いたします」
恭しく頭を下げ、会議室を出る。
しかし、厨房に向かうことができずに、オリンは扉の寄りかかった。
心臓が激しく鼓動しているのがわかった。
「従姉様が……ヒナモリ様が前線へ……ライゴール様と離ればなれに……」
それはオリンにとって、ある意味死刑宣告に等しい事実だった。
――力ある者をいち使用人として置くのは利がない。
言い換えれば、どんなに今の主人を敬愛し、忠節の限りを尽くしていても、軍の力になると見なされれば引き離されてしまうということだ。
そう、どんなに主を大事に想っていても。
エラステスは強国とはいえ、常に周辺国からの侵攻の危険に晒されている。国を守るため、軍の力を高めることは当然の理屈だと頭では理解できる。しかし感情がそれを認めようとしない。
鬼人ならば、主と離れても平気だと思っているのだろうか。
確かに鬼人は強い。戦力中枢として十分に機能する。
鬼人は、外見は人と同じながら、常人にはない高い攻撃力、戦闘継続能力を持つ。最大の特徴は鬼人ごとに異なる特殊能力だ。
オリンの従姉ヒナモリの能力は驚異的な耐久力と再生力。
彼女の力を持ってすれば、最前線で延々と敵の猛攻を食い止めることができるだろう。決して壊れることのない鉄壁の盾だ。
オリンの脳裏に、主ライゴールの傍らで幸せそうに微笑むヒナモリの姿が浮かんだ。同時に、「主の元へは行かせない」と気勢を吐き、まさしく鬼の形相で敵を蹴散らす姿も浮かんだ。どちらもオリンの知る従姉だ。
なら、自分はどうだろう。
オリンはいつも被っている使用人の頭巾に触れた。その下には普段隠している、鬼人の証たる角がある。
第三王子カルディスに仕える使用人オリン――
幼き頃、主が呪いに侵されることを止められなかった鬼人オリン――
彼のために命を捧げる代わりに、いつも側にいたいと願った少女オリン――
そんな自分なら、同じ状況になったとき、どうするだろうか。
耐えられるだろうか。
「カルディス様……」
オリンは思慕の情が胸を焼く痛みを抑え込むように、その場にうずくまった。
◆◇◆
「解呪の秘儀、でございますか」
「ええ、そうよ。あらどうしたの。嬉しくないの」
「いえ。そのようなことは」
恰幅の良い厨房長が浮かべた笑顔に、オリンは曖昧に言った。
「お隣の国から高名な術者が来られるそうよ。晩餐会の後、執り行われるらしいわ。カルディス様が呪いから解き放たれれば、この国は安泰ね。何で晩餐会の前にやらないのか不思議だけど、そういう決まりらしいからねえ」
そう言ってから、厨房長は心配そうに眉を下げた。
「もしかしてオリン、あなた聞かされていないの。今夜のこと」
オリンは無言でうつむいた。
――従姉の一件を知って以来、彼女は仕事が手につかない状態が続いていた。表向きはこれまで通りに振る舞っていたが、どうしても余所余所しい態度が隠せない。自分でもどうしたらいいのかわからないという思いが周囲には伝わるのか、ここ最近はカルディスの側付きも別の者が交代することが多かった。
情けなかった。ただひたすらに情けなかった。
厨房長は、我が娘を見るような瞳でオリンを見つめ、小さく息を吐いた。
「とにかく、今夜は大事な行事があるんだから、しっかりと自分の勤めを果たしなさいな。そうすれば、きっとカルディス様も見てくださるわ」
「はい」
「よし。それじゃあさっそく、この手押し車を会場に持って行って。ああ、それから」
出て行こうとするオリンを呼び止め、厨房長は片目を閉じた。
「その黒いドレス、色っぽくて素敵よ。各国のお姫様に負けないくらい似合ってるから、自信持ちなさいな」
厨房長の心遣いにオリンは深く頭を下げ、手押し車を押して厨房を出た。
今夜は、エラステス王国が同盟を結ぶ周辺国の首脳らを招いた晩餐会だ。煌びやかな社交の場に合わせ、オリンたち使用人にも特別に衣装が配られている。
オリンが着ているのは胸元や脇腹が大胆に開いた漆黒のドレスだった。厨房長が言う通り、恵まれたスタイルを持つ彼女によく似合っている。オリンは、これまで懊悩していたせいで自分の格好を気にする余裕がなく、今になって恥ずかしさを感じた。
この格好に合わせるために、いつも身につけている帽子も取り上げられてしまった。おかげで鬼人の象徴である角が丸見えだ。
二重の意味で憂鬱になり、オリンは大きくため息をついた。
ふと、顔を上げ周囲を見渡す。
頭の天辺が痺れている。角が剥き出しになっているためか、いつもより感覚が――不可視の『力』を察知する感覚が鋭敏になっていた。
「これは、人除けの術」
オリンは眉をひそめる。
人除けの術そのものは珍しくない。侵入者を防ぐために普段から城内のあちこちに敷設されている。ましてや今晩は国賓を招いた大事な夜。いつもより警備が厳しくて当然だ。
オリンが気になったのは、感じ取った術の気配が、エラステス王国のものとは違ったからだ。微妙な、注意しなければそうとわからないほどの違いだが、それだけに無視できない。
鬼人としての本能で表情が険しくなる。本気になれば術を破壊することは可能だろう。
だが同時に迷った。もし『力』を使うことになったら。自分もヒナモリのように――
周囲に誰もいないことを確認し、オリンは慎重に歩を進めた。人除けの術を破って無効化するより、上手く波長を合わせて内部に進入することを選んだ。
晩餐会場へと続く回廊を歩いていると、やがて窓の外のバルコニーに人影を見つけた。
入城の挨拶で見かけた隣国の将校と――美貌の王子カルディス。
「せっかくの申出だが、将軍。お断りする」
カルディスの凛とした声が聞こえた。
しばらくの間があって、将校が口を開いた。
「そうおっしゃられるな。これは双方にとって良い話なのだ。我が方からは、あなたの忌まわしい呪いを解く方法をご提供する。その代わり、そちらが擁している鬼人を融通してほしい。一時期は剣の申し子とまで呼ばれたあなただ。呪いさえ解けば、鬼人など囲う必要もなくなろう。ちょうどひとり、用済みの鬼人ができるではないか」
「用済み、だと?」
「そうとも。それとも、別の用途で囲われていたか。あの娘、すこぶる豊かな体つきをしていたからの。さぞかし具合が良いので――」
次の瞬間、乾いた音が響いた。
拳を握ったカルディスが将校の頬を殴ったのだ。
将校はよろめくことなく、喉の奥でくつくつと笑った。
「これがあの剣聖カルディスの拳か。何とも弱々しいものよ。呪いはよほど効果があったと見える」
「愚かな下衆め」
「愚かなのはあなただ。カルディス王子。こちらの好意をないがしろにした挙げ句、親善大使たる私に手を挙げたのだ。口実としては十分すぎる」
「それが狙いか」
「御国はなかなか隙がないのでな。こうでもしないと侵攻の糸口にならないのだ。ついでに重席に座る王子が再起不能となればずいぶんやりやすくなる。気づかれているかな? すでに我が手の者があなたの血を欲して舌なめずりしておる。腑抜けた腕しか持たぬ男に切り抜けられはすまい。ふふ、付け加えるなら我も剣術には少々自信があるぞ」
「だからどうした。私は退かん。あなた方の企みは必ず私が潰す。この国にも、そしてオリンにも、手は出させない!」
「吼えるな、惰弱な若造めが」
剣身が鞘口から滑り出る。
瞬間、オリンの懊悩と不安が頭から吹き飛んだ。
豪奢な窓を突き破り、オリンはカルディスの前に躍り出た。握った右拳で、剣の横腹を打ち払う。将校は顔を歪め、剣を取り落とした。
バルコニーを外の目から隠している木々から数人の男たちが躍り出た。闇に紛れるように全員が漆黒の衣装に身を包み、顔を隠し、刀身を黒く塗った短刀を握っている。武器には毒が塗布されているのか、月光を受けて妖しく艶めいていた。
カルディスが叫んだ。
「オリン、ここは逃げろ」
「嫌です」
きっぱりと告げる。
オリンの漆黒の髪が、感情の高ぶりとともに変化していく。澄み渡る碧銀が月明かりの中を泳いだ。
握りしめた両手が髪と同じ色の滴となって溶け、半身ほどもある長大な片刃剣に生まれ変わる。
鬼人オリンの特殊能力ーー我身昇武。
彼女の口元にはうっすらと笑みが浮かんでいた。それは、「カルディスを守る」というあまりにも明白な真理を前に無意味に悩み塞いでいた自分に対する、呆れと安堵の笑みだった。
「私はオリン。カルディス様の剣。主を、私の命より大事な人を傷つける者は許さない」
揺るぎない決意を持って、刀身となった両手を構える。
「覚悟」
将校の顔が歪む。カルディスにぶつけたような暴言は吐かなかった。鬼人がどれほどの力を持っているか十分に承知しているからだ。
将校が距離を取る。代わりに黒の襲撃者たちがいっせいに飛びかかってきた。
右。左。正面。三方向からの同時攻撃が来る。
オリンはカルディスを背後にかばい、正面を向く。肺に息を送り、全身の力を『緩めた』。
――刃となった両腕が闇を走る。
脱力した状態からまるで鞭のように腕をしならせ、左右から襲い来る男たちをなぎ払う。堅い殻が熱を受けて弾けるような、剣撃とは思えない乾いた音が響く。
衝撃で吹き飛ばされた男たちが地面に背をつける前に、オリンの両腕は美しい弧を描き、正面から迫る襲撃者に向かう。剣先の軌跡が碧銀の交差を描く。
オリンはカルディスに目配せをした。聡明で勇敢な主は瞬時に意をくみ、走り出す。
将校たちが張った人払いの術、その影響範囲外へ向かって、城内へと飛び込む。
舌打ちし、背中を追おうと一歩踏み出した将校の首筋に、オリンは己の刃を据えた。あと数ミリずれれば命にかかわる動脈を裂く。彼女の剣先は微動だにしない。
オリンの周囲を、無事だった襲撃者たちが囲む。毒の塗られた剣を彼女の剥き出しの柔肌に突きつける。
互いを牽制し合い、動きが止まる。夜霧より冷たい空気が滞留する。
将校はどこか余裕の表情を浮かべている。オリンの瞳に油断はない。
将校の指先が微かに動く。練達の所作で一気に剣を抜き放つ。
同時に襲撃者たちの刃がオリンに食い込む――と思われた。
碧銀の煌めきが夜に走る。
敵の刃が肌に食い込むまでの一呼吸の間に、オリンはまさに光となった。
一撃、二撃、三撃――
剣が、走る。
四撃、五撃、六撃――
斬撃の結界が瞬間爆発する。
間合いの不利は意味を失い、数の不利は霧散した。
彼女の両手刃は、将校を除くすべての襲撃者の攻撃能力を奪い、しかし命は奪わず、もろとも地に叩き伏せると同時に汚らしい呻きのひとつも許さず昏倒させた。
将校が笑った。
「見事! さすが鬼人、戦場こそ似合いだ!」
オリンの動きが鈍る。
彼女の脳裏に、再び懊悩の陰が差す。
ヒナモリ従姉様――
将校は興奮している。血にたぎった赤顔で、長剣を振りかぶる。
オリンの反応が遅れる。
「そこまでだ!」
大音声が轟いた。見えない刃に貫かれたように将校の動きが止まる。
バルコニーに無数のたいまつの明かりが落ちる。そこに武装したエラステスの兵たちが整然と並ぶ。
最前列で、第三王子カルディスが腕を組んで立っていた。さきほどの制止の声は彼だ。
将校の顔に冷静さが戻る。彼は剣を納めた。
「その細い身体で、ずいぶん大きな声を出されますな。王子」
「無益で不毛な争いを止めるのは、私の役目だ」
「ずいぶん早いご到着。なるほど、初めから疑っていらしたか」
「狼藉の言い逃れはできない。ここにいる者すべてが証人だ。諦めて投降されよ」
将校は肩をすくめた。剣帯を外し、足下に放る。
「将軍をお連れせよ。おって私自ら質そう。ただし、それまでは静かに行動するのだ。宴の場を壊さぬように」
王子の命令に兵たちは見事な敬礼で応える。
将校は連れて行かれ、昏倒していた男たちも残らず運び出される。
やがてバルコニーにはオリンとカルディスの二人だけが残された。
オリンはその場にへたりこんだ。武器化は解け、髪色も元の漆黒に戻っている。
カルディスが傍らに膝を突くと、オリンは肩を震わせた。まるで警備兵に発見された罪人のように、恐る恐る顔を上げる。
奇蹟のように整った容貌がすぐ間近に迫っていた。
直後、額を指で弾かれる。
「まったく無茶をする」
痛みと戸惑いで目を白黒させているオリンに王子は怖い顔をした。
「もう少し自分の身を大事にするんだ。間に合ったから良かったが、駆けつけてみれば君が斬られそうな場面になっていて、正直肝を冷やした」
「私、その。たくさんの方々に、見られて」
「何だい。力を使ったことを悔いているのかい。まったく馬鹿馬鹿しい」
「ば……?」
オリンは呆けて主を見上げた。
カルディスは表情を緩める。
「オリンは私を守った。私もオリンを守った。そのために力を使ったのだ。私は一片の後悔も感じていないよ。なぜなら、守りたいという想いは絶対に無駄にならないと確信しているからだ。ましてや、守ったがゆえに離ればなれになるなどまったく馬鹿げている」
「カルディス様、もしかして知って……?」
すがりついて尋ねるオリン。カルディスはゆっくりとうなずきを返した。
「おかげで私もずいぶん悩まされたよ。絶対に離ればなれになどならないと、どうすれば今の君に伝わるかとね」
オリンは泣きそうになった。いや、実際に泣いていた。
「申し訳、ありません……」
「謝ることはないよ。むしろお互い様さ。呪いにかかる不覚がなければ、このようなことにはならなかったかもしれないのだから」
カルディスが立ち上がる。自然な仕草で手をさしのべる。「立てるかい?」と言われ、オリンは王子の手を握った。逞しい手としなやかな手が絡む。
ふと、カルディスが何かを思いついた。
「オリン」
「はい」
「踊ろう」
再び目を丸くしたオリンの身体を、カルディスが力強く引きつける。王子の胸に納まり、二度、三度と瞬きをした後、オリンは両頬を紅潮させた。
「カ、カルディス様!? ご冗談はやめてください!」
「冗談なものか。さあ」
あくまで優しく。あくまで優雅に。
向かい合ってステップを踏むことが、まるで月が夜に昇り白く輝くように自然なこととして、オリンの緊張を解きほぐしていく。
「上手いじゃないか」
「あなたの側に長くいますから」
「そうだね。嬉しいよ」
靴裏がバルコニーを打つ音が緩やかな曲を奏でる。
「そういえばオリン。今日の宴の席でライゴール卿がすまなそうに言ってきたよ。『やはりヒナモリと離れることはできません』とね」
「ライゴール様が?」
「私もまったく同感だったから、派遣の命令を取り消させた。クラツァル砦の勇士たちに『鬼人ひとりで戦況が変わるような戦いをするつもりか』と発破をかけたら、一発だったね。さすがは我がエラステスの勇者たちだ」
「それでは、従姉様は」
「これまでと同じさ。だからもう悩むことは何もないんだよ。私の大事な人」
ターンをする。
引き寄せる勢いのまま、カルディスはオリンを抱きしめた。
頬を染めたオリンは、もう狼狽えなかった。
「これからも、生きている限り、私はあなたの側にいます」
「離さない。生きている限り、この手をずっと離さない」
月明かりの下ーー
唇を重ねた二人の影が静かに伸びる。