第七話 ラクロス冒険連福祉課職業訓練学校
クライスンの家で朝の家事を黙々とこなしたリルは、憤懣やるかたなしといった態度のルルと、やたらと嬉しそうなララに見送られ、ジジと共に職業訓練学校へとやって来た。リルはクライスン家にいる間も、訓練学校を目指す道程においても努めて明るく振る舞った。
ジジはそんなリルを見ても平生至極の態度を崩すことはなく、早朝の一幕を忘れようと努力するリルは、それを余計に深く心に刻み込むこととなった。
◇
「さあ、リル。ここが職業訓練学校だよ」
ジジが両手を広げてリルを招き入れたのは、周囲を高さ一メートル程度の木製の柵で囲まれた、ちょっと広めの運動場――三百メートルトラックと、物置小屋と思しき小さな木造平屋が一軒あるだけの――だった。
「ええと……」
キョトンとした表情のリル。それを見てジジは笑った。
「今は“戦士学”のカリキュラムの途中なんだ。しかも、“体術訓練”の」
学校と言っても、諸君が学問を修めてきた鉄筋コンクリート製は当たり前、冷暖房完備がざらなどという豪奢な造りの学び舎を想像してもらっては困る。
冒険連の職業訓練学校は福祉課が主体となって運営する。先にも述べたように福祉課は保険商品を取り扱って収益を上げている反面、失業手当を始めとする各種手当の支給も行っているため、財源の確保と維持に余念がない。つまるところ、彼らがもっとも大事にしている運営方針は「経費削減」に他ならないのだ。
建築物を建てれば国に納める税金を含めて維持費がかかり、人を雇えば人件費が、授業を行うには教材費が、冬も開校していれば燃料費――とにかく学校という組織を維持するためには莫大な資金が必要となる。かといって冒険者がいなくては成り立たない冒険連は、新人教育をおろそかにするわけにはいかない。しかも、国からの補助金は、その支部の冒険者登録数と迷宮の数および難易度によって大きく変動するとあってはなおさらのことだ。
諸君もご存知の通り、冒険連ラクロス支部は新迷宮の発見によって周辺から大きな注目を集めている。そのため職業訓練学校は来季の新規入学希望者の大幅な増加を見込んでおり、そのような背景が、リルの途中編入が認められたという結果に寄与していることは想像に難くないだろう。
さて、ジジも言ったように現在職業訓練学校のカリキュラムでは「戦士学」を教えている。この春入校した新人たちは二週間の座学を終え、現在この運動場で体術訓練を行っているのだ。最初から戦士を目指しており、身体的に問題がないものは体術訓練を終えたのちに職業適性試験へと臨み、見事合格すれば冒険者となって訓練学校を卒業する。試験に不合格だったものは再び戦士学を一から学ぶことができるし、戦士を希望しないものは次のカリキュラム――希望する職業に応じて選択制――へ進むのだが、受講できるカリキュラムの数は一期の間に四回までと決まっている。
ここに、一人の冒険者志望の少女――リル・エルファーがいる。彼女の入校時のステータスを思い出していただきたい。
体力:5
腕力:2
知力:4
俊敏さ:7
頑強さ:3
器用さ:2
精神:5
運:8
足りない。
体力、そして腕力が圧倒的に足りない。
戦士になるためには「体力、腕力ともに12以上」が最低の条件だ。
諸君の中に、自身の骨格筋を肥大化させるのが趣味という紳士あるいは淑女の方はいるだろうか。
まあ、そういった方面の知識がないものでもわかるだろう。
たかだか四週間のカリキュラムを経て、腕力が六倍に増大するはずがない。ましてやリルに残された戦士学のカリキュラムは残り二週間弱では絶対に不可能だ。
なにかな? 別に身体を鍛えることについて専門知識があるわけではないが、五キロの甕を持ち上げることすらできないリルが、再来週には中くらいの豚一頭抱え上げるほどの腕力を獲得することが不可能だと主張したくらいで、そんな風に眉を潜めなくてもいいのではないかね?
「今日からお前たちと一緒に冒険者を目指す、新しい仲間を紹介しよう。リル・エルファーさんだ」
冒険連ラクロス支部福祉課新人教育係所属、ラクロス職業訓練学校戦士学担当教師のマックスが、太い声でリルを紹介した。
「リル・エルファーです! 弟を探すために冒険者を目指しています! ここの福祉課長さんからは見込みがないって言われちゃいましたけど……頑張りますのでよろしくお願いします!」
パチパチ……
運動場の真ん中で、照れくさそうに自虐的な自己紹介をしたリルをまばらながらも拍手で迎えたのは五人の人間だった。その中にジョナサンの顔を見つけたリルは表情を硬くし、すぐに視線を逸らした。
妹を見るのとはまた違った笑顔でリルを見つめる一人の竜人族――ジジからも視線を外すと、彼から少し離れて二人の獣人族――狼のような顔をした白と灰色が混ざった毛並みの少年と、鷹のような猛禽の頭部を持つ背の高い少年がいた。彼の鋭い視線からも逃げ出したリルの目は、二人の美しいエルフ族を捉えた。彼らの人間ではけして持ちえない神々しさにも似た雰囲気にしばし目を奪われていたリルだったが、最後に集団から離れて立つ少年の姿を認めると、大きくそれは見開かれた。
「……魔人族?」
リルは生まれて初めて、魔人族の瞳を見た。底の見えない井戸の黒を、皆既日食の様な金色の輪が際立たせていた。彼女はそれを見て、キレイだ、と思った。
魔人族についてはこれまでも少し触れてきたが、ここで少し彼らに関する説明をさせて頂こう。
魔人族の起こりには諸説ある。地上に逃げた神の敵の生き残りだとか、地の底に潜む悪意の塊が形を成したものだとかいう神学的、あるいは神秘学的な見地に立ったものから、単に悪魔崇拝者が悪魔と交わったことで生まれた種族だとする、まあ見たままから連想できそうなもの、他にも別の世界からやって来たエイリアンだという奇想天外な意見まであり、そのようなものを含めれば、その説は十や二重ではない。だが結局のところ、彼らがどこからやって来たのか、という疑問に対する明確な答えは出ていない。
竜人族、獣人族などのいわゆる亜人族の起こりについては定説があり、それは概ね正しいものだと信じるに足る文献も多数見つかっている中、魔人族の出自だけがなぜ謎のままなのか。それには、彼らほど排他的な種族は他にいないということが、大きく影響していると思われる。彼らは集落に他種族を入れることはなく――滅多にない、のではない。「ない」のだ――冒険者として活動しているもの以外、人前に出てくることもほとんどない。
彼らが他者との関わりを頑ななどとは比較にならないほど、徹底的に忌避する理由もまた、謎のままなのだ。
そんな彼らは冒険者となっても、当然他種族とパーティーを組むことはない。とはいえその能力の高さと特殊性ゆえに、冒険者資格を取得したての新人であっても、彼らは初心者向けの迷宮であれば単独で踏破することが可能なのだ。
穢れた魂――魔人族特有の固有スキルの存在がそれを可能にさせていることは間違いない。その有用性と危険性について少し説明しよう。
例えば初心者パーティーが迷宮に挑戦し、幸運にも宝箱を守るモンスターの群れを打倒することに成功したとしよう。仮にパーティー内に――初心者パーティーの場合は滅多にいるものでもないが――「鑑定スキル」の所有者がいたとして、彼らは宝箱の中身を一つ一つ吟味していく。アイテム一つ一つの鑑定結果に一喜一憂するメンバーを尻目に、一人の戦士が叩き殺したモンスターに近づいて行った。彼はモンスターが握りしめたままの短剣に興味を持っていたのだ。
モンスターが装備している武具には、攻撃時に何がしかの追加効果を発揮するものも多くある。特に、初心冒険者の脅威となるのが「毒」または「麻痺」の追加効果である。初心冒険者はそうしたステータス異常を回復する手段を持ち合わせていないか、あってもすぐに尽きてしまうため、ある程度成長するまでは迷宮の入り口付近をうろついて不測の事態が生じた場合は脱出できるように備えている場合が多い。故に、モンスターが持つ追加効果付きの武具を必要以上に欲する初心冒険者が後を絶たない。
彼はモンスターの死後硬直が始まる前にと拳を開き、切り付けられた仲間の血とモンスター自身が流した血液に塗れた短剣を手に取った。
自身が装備していた細身の剣を鞘に納めて床に置き、彼は「血塗られた短剣-1(毒)」を装備した。
瞬間、彼の身体は硬直する。少なくとも本人はそう感じていた。
短剣に込められた呪いにかかった彼は、口から呪いの言葉と血の泡を吐きながら、驚愕の表情で振り返った仲間に向かって突進し、まず新米魔術士の腹に短剣を突き立てた。たちまち刺し傷から毒が広がり、体力のない魔術士は数秒で息絶えた。
その時にはもう、呪われた短剣は次の目標の目を突いていた――
魔人族の固有スキル「穢れた魂」は、上述のような呪いの効果を無効化するということは、リルがクライスン家のコレクションを眺めている時に紹介した通りだ。魔人族は迷宮に潜り、モンスターから呪われた武具を奪うことで、一般的な初心冒険者よりも圧倒的に速く強い戦闘能力を手に入れる。迷宮の奥深くになればなるほど、恐ろしい追加効果やステータス負荷効果を秘めた呪いの武具が手に入る確率は上がり、それとともに魔人族も強くなっていくのだ。
そんな魔人族とリルの出会いが、リルの視線を追ったジジの瞳に宿るくらい焔が、彼女の物語に暗い影を落とすことに繋がらないよう祈るばかりだ。