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第四話:身元引受人現る

「ちょっとあなた、寝ている場合じゃないザマス!!」

「あいたぁッ!?」


 冒険連ラクロス支部福祉課長シュミットと共に二階の事務室へやって来た人物は、ソファーに寝そべるリルの額をペシッと叩いた。彼女にしてみれば大分手加減したつもりだったのだろうが、生物としてのスペックが人間とは違いすぎる。リルは前頭部に強烈な打撃を受け、瞬時に夢の世界から帰還を果たした。


「…………あ、あなたは――ぐッ!?」


 リルは視界を占領する竜族の顔を見て息を飲んだ――すぐあとに感じた強烈な臭気に思わず鼻と口を覆った。平和な農村で育ったリルは、これほど悪い目覚めを経験したことはない。


「感動の再会に涙している場合でもないザマス」


 臭いの元は、リルの目じりに浮かんだ分泌液の意味合いを大きく勘違いしたらしかった。リルが人間を大きく超えた力を宿す竜人族の怒りを買わずに済んだのは、もしかすると「運:8」のおかげかもしれない。


「ええと、たしかクライスンさん……でしたっけ?」

「名乗った覚えはないザマスが、その通りザマス」


 リルの問いに答えたララは、応接セットを回り込んで対面するソファーに身を沈めた。現役を引退して多少なりとも肉が付いたシュミットの体重を支え続けたアルミ製の骨組が嫌な音を奏で、シュミットは少々苦い顔になった。


「あなた、冒険者になりたいザマスか?」

「え? ええ、はい!」


 さすがに身体を起こしたリルが肯定すると、ララは深くため息をついた。彼女の手には、いつの間にかリルの冒険者適性検査記録用紙が握られていた。


「シュミットさんから聞いたザマス。あなた、はっきり言って無謀ザマス」

「でも、弟を探さないと」


 ララの意見には賛成だ。どう考えてもリルは冒険者に向いていない。


「……本気、ザマスね?」


 ララは応接机に身を乗り出し、リルの目を覗き込んだ。


「……はい」


 リルはそれをまっすぐに見返し、意志を示した。


「わかったザマス。シュミットさん、この娘の“職業訓練学校”へ入学させるザマス。身柄はわたくしが引き受けるザマス」

「え? 訓練学校? 身元?」

「本当にいいのか、ララ」


 二人の間で話し合いは済んでいたのだろう。目を白黒させるリルと違ってシュミットは冷静だった。


「結構ザマス。この娘はわたくしとズズの恩人ザマス。さ、付いてくるザマス」

「え? あの、私――」


 ララは何が何やらわかっていないリルの手を取り、圧倒的な腕力でもって立ち上がらせると、そのまま引きずるようにリルを連れて行ってしまった。後に残されたシュミットは苦笑いを浮かべて小さく首を横に振った後、窓を開けて事務室の換気を行った。







 ラクロス冒険連福祉課では、冒険者向けの保険商品を取り扱っている。他の職業に比べて圧倒的に死亡率が高く、病気やけがで倒れることも日常茶飯事な彼らにとって、冒険者保険の存在は大きい。


「……クライスンさま、先ほど申し上げた通り、現在旦那さまは“捜索中”となっておりますので、“失業手当”を受給することは――」

「それはもう聞いたザマス! 今度は、“新人身元引受人手当”の申請に来たザマス!」

「はあ?」


 リルを連れて階下へ降りたララがまっすぐに向かった先は、冒険連福祉課保険係窓口だった。


 窓口の職員はララの姿を認めると立ち上がり、待ってましたとばかりに口を開いたのだが、ララはその言を遮り、職員の予想から大きく外れた言葉を吐いた。それを耳にした職員が口をあんぐりと開いたのだが、それをララが知ることはない。先達て、ララの強烈な臭気を浴びた職員――シーラは今、再訪に備えてマスクを着用しているからだ。マスクの下に隠された鼻孔には、脱脂綿がぎゅうぎゅう詰めにされている。


「こちらのリル・エルファーさんは、明日から訓練学校に通うザマス。ご実家からはとても通えないザマスから、クライスン家で面倒みるザマス。福祉課長(シュミットさん)も了承済みザマス! ――申請用紙ならもう書いてあるザマス!」

「…………」

 

 用意周到とはこのことだ。シーラが「では――」と小さく言った瞬間、ララは福祉課へ提出するべき記入済みの書類をワニ革の鞄から取り出してカウンターに叩きつけた。


 ララが取り出した書類は「身元引受人手当受給申請用紙」並びに「身元引受人申請用紙」であった。


 冒険連福祉課には「職業訓練係」が存在することだけは触れておいたと思うが、具体的な事業内容について簡単に説明しておこう。


 冒険者適性検査は誰でも受験可能だが、リルのように――彼女ほど道のりが遠いと思わせるものは希だが――武術の心得も就学したこともなく、人間という種族的に優れたところがないものが一発合格できるほど、適性試験は甘くはない。そうしたものたちのために、冒険連は格安の授業料で職業訓練事業を行っているのだ。当然、一定のカリキュラムが組まれているため、途中編入は基本的に認められないのだが、どうやって説き伏せたのかララはシュミットにリルの入学を認めさせたようだった。


 その証拠に、提出された書類を食い入るように見つめるシーラの視線の先には、シュミットのサインが躍っていた。


「さあ、リルさん。あなたもサインするザマス」

「あのぅ、どういうことなんでしょうか……」


 肝心のリルは、事情が呑み込めていないようだ。ララはリルの手を取り、鉛筆を握らせながら説明を始めた。

 

「わたくし、あの後夫の失業手当を申請しようと思って福祉課を訪ねたザマス。そうしたらこの血も涙もない女がそれを突っぱねたんザマス!

 わたくし、福祉課長のシュミットさんとは旧知の仲ザマスからね。文句の一つも言わせていただこうと彼を訪ねたザマス。彼ったらなんだか疲れた様子だったザマス。わたくし、自分の事情も忘れて話を聞いてあげたザマスのよ? そうしたらあなた、とても見込みのない新人が冒険者になると言って聞かないと言うザマス。それが田舎から出てきた細い人間の女だと聞いて、わたくしピーンと来たザマス。

 あなたの検査結果も無理を言って見せてもらったザマス。確かにあれじゃあ冒険者適性ゼロザマス。これはもう学校に通うだけではなく、放課後もみっちり訓練するしかないザマス。竜人族は受けた恩は倍にして返すザマス。この爆風竜乙女タイフーンドラゴニーナことララ・クライスンが身元引受人になってあげれば、将来は上級冒険者も夢じゃないザマス!

 けして“身元引受人手当が目当てじゃないザマス! さあ、サインするザマス!」


 二つ名が示す通り、荒れ狂う暴風のようにまくし立てたララは、ふんぞり返ってリルに書類に署名するよう促した。


 ララがリルから受けた恩とは、冒険連迷宮課での一幕のことだろう。結果として彼女の夫ズズは、遭難者として認定され「捜索」が始まったらしいことは、シーラの発言からリルにも知れた。つまりそれは、現在ラクロス支部の迷宮課に実働可能な遭難係がいなくなったことを示しており、目下のところ公的機関にリルの弟ネルの捜索を依頼することはできなくなったとうことだ。


 諸君の中にはララが自称するほどの実力者なら自分で夫を探しに迷宮に潜ればいいじゃないか、などと考えるものもいるだろう。それができない事情はいくつかあるのだが、それはすぐに明らかになることだ。リルが、彼女の提案を受け入れさえすれば。


 当のリルは、ララの言葉の意味を理解するのに数瞬の時を要したが、やがて花が咲いたような笑みを顔いっぱいに浮かべた。


「あの、本当に宜しいんですか? 私なんかを……」

「もちろんザマス。あなたは恩人ザマス。困ったときは、お互い様ザマス!」

「あいたッ!? ……えへへ。ありがとうございます、クライスンさん」


 バチン! と背中を叩かれたリルは数歩よろけたが照れくさそうに笑い、書類にサインした。


 かくしてリル・エルファーは、名うての冒険者であった爆風竜乙女タイフーンドラゴニーナことララ・クライスンの家に下宿し、冒険連職業訓練学校へ入学することとなった。悠長に学校生活など送っている間に弟が死んでしまうのではないか。そう諸君が考えていることはわかっている。だがこの世界では、迷宮に潜った冒険者パーティーが全員無事で帰還することの方が少なく、そうしたものたちを復活させる技術が確立されているのだ。もちろん、百パーセント成功するわけではないが。


 ん? ララは「夫が死亡したらどうする」と言っていた?


 ふむ。この世界の事象に疎い諸君に対して、たしかに説明不足だったかもしれないな。


 ララの夫ズズ・クライスンは虚偽の申請書を提出して違法に探索許可証の交付を受けた。すなわちこの世界の法で裁かれるべき対象――犯罪者となってしまったのだ。そうした犯罪者が迷宮内で死亡した場合、最悪そのままで「復活させないこと」が刑罰として選択される可能性があるのだ。そうなると、自腹で復活させるしかないのだが、それにはひと財産失うほどの出費を覚悟せねばならない。彼女が金策に駆け回っているのはそうした事情が背景にあるからなのだ。







「リルさん。紹介するザマス。長男のジジと、長女のルル ザマス」

「やあ、これはかわいらしいお嬢さんだ。よろしく、リルさん」

「ちょっと兄様、住み込みの家政婦さんですわよ? ……そんな細腕で大丈夫かしらねえ」


 クライスン家の門を潜り、おどろおどろしい竜の顎門をモチーフにしたレリーフが飾られた扉を開け、屋敷に足を踏み入れたリル。彼女を迎えたクライスン家の子供たち。三人の出会いが、新たなる波乱の幕開けとならぬよう、祈るばかりだ。




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