第二話:冒険連ラクロス支部福祉課
リル・エルファーという少女について、諸君は何か知っていることがあるだろうか。
なるほどあらすじを丁寧に読んでいただけのことはある。確かに彼女は、方向音痴で閉所恐怖症だ。
リルはラクロスへ向かう馬車の中で冷や汗をかき、町の入り口から一本道の冒険連施設にたどり着くまで三度道を尋ねた。一番安い等級の乗合馬車の乗り心地はとても悪いものであるし、冒険連の建物は町の入り口とは対極に位置する。どちらもそこまで重症とは言えまい。
前置きにおいて、リルが到底冒険者に向いていないと述べたことを覚えているだろうか。冒険者は迷宮を探索する職業だ。方向音痴で閉所恐怖症――これはもう間違いなく迷宮を探索するうえで大きなハンディとなることは間違いなかろう。だがそれは、優秀な仲間と共に協力し合い、こまめに地図作成等を行って慎重に歩みを進めることで解決できるはずだ。リルが冒険者に向いていないと言い切る理由の根源は、実を言うと別にある。
遭難者相談窓口で出会った職員の態度に辟易とした彼女は、弟の捜索を公的機関の職員の手にゆだねることを早々に断念した。ラクロスを目指して出立した彼女が心に描いていた第一の弟ネル救出計画は、早くも潰えたのである。
リルはすぐに第二の計画を実行するべく行動を起こした。彼女が冒険者を目指すべきではない最大の理由がこれである。彼女は実に短絡的で、後先を考えずに感情のまま行動してしまうのだ。これはけして分別がない獣のような性格という意味ではない。リルの両親や親族、村の大人たちはこぞって「リルは元気で明るい。太陽のような娘だ」などという。だが性格の良さで迷宮を踏破できたものはいない。
紳士諸君。もし諸君が、彼女が第二の計画を実行に移す光景を諸君が目にしていたら、その細い肩に手をかけ――乙女の柔肌に無遠慮に触れるという禁忌を侵してでも――止めに入ったことだろう。
「ええと、リル・エルファーさん、十六歳……ね」
「はい! よろしくお願いします!」
丸眼鏡の位置を調整しながら書類に目を通す冒険連職員に、リルは元気よく返事をした。年齢の割には発育の良い身体からは、はじけるような若いエネルギーが迸っているかのようで、孫娘を二人持つ職員の顔からは自然と笑みがこぼれたが、彼はすぐに真顔に戻った。
「エルファーさん、悪いことは言わないからやめておきなさい」
「いいえ。私決めたんです! 冒険者になって、弟を助けます!」
冒険連ラクロス支部福祉課課長を五年にわたって務めてきた男――かつて百以上の迷宮を踏破し、六十五歳まで現役を貫いたことからついた通り名は老練刃のシュミット――の言葉でも、リルの心を変えることはできなかった。現在彼女がいるのは、迷宮課とは建屋を異にする福祉課の二階、L字型の廊下の突当りに位置する事務室であり、課長自らが彼女の決意をくじくために立ち上がったのだが、それは徒労に終わった。
この娘は本気だ。
長年冒険者を見てきたシュミットはある意味戦慄を覚えた。冒険者を志すものなら誰もが知っている「ステータス」という言葉。己の体力、腕力、知力、速力、頑強さと器用さ、そして運の強さまでをも数値化したもので、福祉課では夢見る若者たちに無料で検査を行っている。
体力:5
腕力:2
知力:4
俊敏さ:7
頑強さ:3
器用さ:2
精神:5
運:8
固有スキル:薬草鑑定E
職業スキル:なし
呪文:まだ習得していません
これがリルの検査結果である。この世界に生まれてから今日まで、特別に身体を鍛えたことはなく、高度な学問を納めたわけでもないリルが、人間の女として特に秀でた数値が見当たらないのは当たり前のこと。むしろ、器用さは人並み以下であった。
聡明なる諸君には、なんの固有スキルがあるじゃないかなどと、リルの未来に期待を抱かせてしまったかもしれない。だが、農村育ちの彼女が野草を見て食べられるかそうでないかを見分けるくらいはできて当たり前。「E」とはつまり、その程度の能力であることを示している。生まれながらにして超常の力を持った人間など滅多に現れるものではないのだ。
だが、冒険連福祉課は彼女のような人間のためにこそ存在していると言えよう。そもそも人間と言う種族自体が、他の種族と比べてどう考えても身体能力は劣っているのだ。彼らと同じ舞台に立って戦おうと思うなら、冒険者としての高みを目指そうとしてしまったら、それはもう血のにじむような鍛錬を積むしか方法はない。それ故に、福祉課には「職業訓練係」といううってつけの部署が設けられているのだ。
シュミットはリルの曇りのない黄金色の瞳から目を逸らし、検査結果に視線を落とした。
体力:5
腕力:2
知力:4
俊敏さ:7
頑強さ:3
器用さ:2
精神:5
運:8
これで冒険者としてどんな職業に就く気だ。
シュミットは首を捻った。
この世界に暮らす人間で女だてらに冒険者を目指そうとするものは、それなり以上に研鑽を積んできたものが多いというのが、シュミットの認識だった。高名な剣士や格闘家、あるいは魔術士たちは、冒険者を引退後に道場や魔術研究所を開くことがある。彼らに師事して皆伝をもらってから冒険者になるものも少なくなく、彼女たちの検査結果はとても素晴らしいものだった。
やはりこの娘は、なにも持っていない。だのに、この目の輝きはどうしたことだ。
シュミットは、リルの目をまじまじと覗き込んだ。一流の剣士のごとき鋭さと、魔術を極めた魔術士の深淵の如き暗さの両方を兼ね備えている。この娘、化けるかもしれない――などということはもちろんない。黄金色の瞳は希望に満ち、固い決意の炎でもってきらきらと輝いてはいたが。シュミットは三度そこから視線を逸らし、スキル欄を確認した。
固有スキル:薬草鑑定E
職業スキル:なし
呪文:まだ習得していません
シュミットの見間違いではない。やはりリルは、冒険者の資質とでも言うべきものをなにも一つ持っていない。敢えて一つ挙げるとすれば「純粋さ」だろう、とシュミットは思ったが、世界中の迷宮を踏破してきた彼も知っての通り、純粋さで殺せるモンスターなどいないし、正直なところ、冒険者に求められるのは純粋さではなく「したたかさ」だ。
「シュミット課長、お客様が……」
「え? ああ、うむ。君、ちょっとここで待っていてくれるかね?」
「はい。構いません」
シュミットが頭を抱えた時、面談室のドアが遠慮がちに開けられ、隙間から顔だけ出した女性職員が彼を呼んだ。階下に誰が訪ねてきたのか知らないが、彼女の青ざめた顔を認めたシュミットは、面談室の冒険者志望の少女を説得するのは後回しにするようだった。
彼がいない間、「ステータス」についてもう少し詳しく説明させていただこう。英名たる紳士淑女の諸君の中には字面からその意味を理解していて、ほとんど説明はいらないと思っているものもあるだろうが、どうか辛抱していただきたい。
ステータスは、その人物がどれだけ肉体的、精神的に優れているかを数値化したものであることは、前述した通りだ。
さて「体力」はスタミナととらえて頂いて構わない。数値が大きければ大きいほど、その人物は長く戦えるし、様々なスキルを発動した後の回復も早い。またこの数値が低いものは毒や病に侵されたときの抵抗力に大きなディスアドバンテージを感じることになるだろう。
体力に優れているのは竜人族や獣人族、それにドワーフだ。
「腕力」は、まさに読んで字のごとく。パワーを数値化したものだ。わかりやすい例を挙げると、腕力が50あるものは一抱えもある木を根こそぎ引き抜くことができるだろう。当然、人間という種族がそこまでも腕力を得ることは不可能だ。その領域まで身体を鍛えることが可能な種族は、獣人族だけだろう。
「知力」はどれだけの学問を修めることができるか、ではなく修めてきたかを数値化したものだ。冒険者が学ぶべき学問の中から代表的なものを挙げれば魔術学、神学あたりだが、圧倒的に長い寿命を誇るエルフ族と魔人族はさらに多くの学問を修めているものが多く、この数値の高さは他種族の追随を許さない。
続いては「俊敏さ」だ。これは他のステータスとは少々扱いが異なる。リルのステータスを一見すると、俊敏性に優れているように見える。しかし実際のところは、その逆なのだ。俊敏さは低いほど優れているとみなされる。
この数値は身長や体重、筋力に走る速さ、さらには装備品の重さや効果、所持しているスキルの効果などから総合的に判断されるため、加点形式で数値を計算するとあっという間に三桁に到達してしまう。冒険連が編み出した複雑怪奇な計算式によって、俊敏さだけは成長すると数値が下がっていく。
7という値は、身軽なワンピースにスポーツタイプのスニーカーを履いた軽量のリルが、ごく一般的な人間の女性の俊敏さを有することを示している。
俊敏さが高いのは風を切って飛ぶ妖精族と、小柄ですばしこいホビット族だ。
「頑強さ」は、端的に言えば、防御力――すなわちどれだけ打たれ強いかということだ。この数値が高いほど、物理的な攻撃に対して耐性が高いと言えるし、魔術によって生み出された高温あるいは低温などから受けるダメージを軽減することができる。
この数値は、装備品によって大きく変わる。生来の頑強さなら竜人族が間違いなくナンバーワンだが、もともと少数民族である彼らの体型に合わせた防具の製造ラインは未だに確立されていないため、俊敏さを犠牲にした装備で身を固めたドワーフあたりが高い数値を獲得している場合が多い。
「器用さ」については多くを語る必要もあるまい。どれだけ手先が器用かということだ。罠の解除や開錠の成功率を大きく左右するこの数値は、人間でも修練によってある程度の高みへ到達することが可能である。また複数の武器を使いこなしたり、的確に敵の弱点を突くなど戦いの器用さにも影響を及ぼすため、どの種族であっても一定以上の修練を積んでおきたいものだと言える。
「精神」とは、心の体力と置き換えてもらうとわかりやすいだろう。モンスターの中には人の精神に働きかける攻撃――魅了や幻覚など――を用いるものも多数存在するし、悪しき魔法の支配に対する抵抗力は鍛え上げられた精神力の多寡に左右されるのだ。
最後に「運」だ。これは、1から30までの数値が書かれたカードを伏せてランダムに並べ、好きなカードを一枚引いてそこに書かれた数値をそのままステータスとして登録するという手法で決められている。これがどのような効果を及ぼすのかは神のみぞ知るというところだが、少なくともリルの運は他の数値に比べれば高い。これからの彼女の行く末が少しでも明るいものとなるように祈ろうではないか。
さて、シュミットはまだ戻らない。
リルは上等なソファーにもたれてうたた寝を始めてしまったようだ。
ただ待っていても仕方ない。次はステータスと密接にかかわる「冒険者の職業」についてお話しすることにしよう。