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第十五話:滝の裏迷宮6

 一瞬の出来事だった。

 男が剣を振りかぶった――美しい、白銀の刃だ――そう思った次の瞬間、それは私の視界から消失した。単純に、男が剣を振り下ろしたからに決まっているのだが、その後に起こったことは、失いかけていた私の意識を捕らえ、閉じかけていた目を見開かせた。

 断空の剣。

 それはかつて、剣の道を極めることに人生を捧げた冒険者が編み出した究極の剣術スキルだと言われている。大上段から放たれる剣の一閃は空を断ち、周囲に真空の刃を出現させて敵一グループを襲う。さらに、あまりの剣速に発生した熱波が、切った相手を焼き尽くす。炎が発生するくせに無属性扱いで、相手の防御・耐性を無視した大ダメージを与える物理攻撃としては最強クラスのスキルだ。

 プレイ画面では使用者の顔がドアップになり、BGMやキャラ同士の掛け声などのサウンドが一切停止し、なぜか横一文字の白い太刀筋がエフェクトとして現れるだけという、お世辞にも凝っているとはいいがたい演出しか用意されておらず、プレイヤーの間では残念スキルとしても名高い。

 もしかすると、習得条件は相当に厳しいので、これを習得するほどゲームをやり込んだ人間が、今更冗長な演出を見せられても飽きるだけだろう、などという制作陣なりの気遣いだったのかもしれない。

 割と地味な演出を覚えていたおかげで、男が使用したスキルを看破することができた。同時に、彼が剣術の道を極め、一撃でドラゴンゾンビを残滓とも呼べないような壁のシミに変える実力者であることも。


「――さて、大丈夫ですかな? お姫様」

「あなたは……」


 鏖の剣を支えに、どうにか膝立ちになった私を振り返った男の顔を、私は覚えていた。


「俺はトーマ。怪しいもんじゃない。冒険連ラクロス支部の職員だ」


 私の言葉を質問と勘違いしたのか、腰のポーチから職員証を出してきたのは、私が前世の記憶を取り戻す前にネルの捜索を依頼するために訪ねた冒険連施設で出会った男だった。私と面識があることを覚えていないのだろうか。無理もないことかもしれない。冒険者らしい装備に身を包み、それらも顔も汚らしいゾンビの汁と煤に塗れているのだ。


「あの……」

「滝の裏に高レベルのドラゴンゾンビなんて本来は出現しないんだが、ちょいと事情があってね……ま、見てのとおり退治した。もう安心だ」


 トーマは一方的にしゃべって白い歯を見せた。整った顔立ちをしているが、いかめしい虎の彫り物がついた銀鎧と涼しげな笑顔が大変にミスマッチだ。彼は職員証をポーチにしまうと、「掴まって。一つ上の階に水場がある」宝石があちこちにはめ込まれた篭手を外し、手を差し伸べてくる。白っぽいエメラルド色のグローブからは少し汗の臭いがした。


「ちなみに階段の向こうにはゴーレムがいた。もちろん破壊済みだから安心してくれ」


 またしても白い歯を見せるトーマ。どうやら本当に、私が誰だかわかっていないようだ。あの時名乗った覚えもないし、忘れられていても、ぜんぜん構わない。

 それにしても、トーマの態度はリルにとって非常に不快なものだったが、あのときリルが余計な正義感を無視して、捜索を依頼していればよかったのに。そうしていれば、ネルの行方はかんたんに知れたはずだった。結果的には彼がズズの探索を今日まで続けていたおかげで、私は九死に一生を得たのだから、過去の私を責めるのはやめる。


「ありがとうございます……助かりました」


ひとまず礼を述べて、トーマの手を借りて立ち上がった。


「冒険連職員として、いや男として当然のことをしたまでさ。君は……まさか一人でこの階層まで来たわけじゃないよな?」

「ええ。テレポーターに引っかかってしまったんです……あ、お気持ちだけ。自分のがありますから」


 トーマが取り出したポーションを丁重に断り、自前のポーションを口に含む。エナジードリンクに近い甘さが、瞬時に失われた体力を復活させた。杖代わりにしていた剣を鞘に納め、衣服や身体に付いた埃を軽く払っていると、その様子を見ていたトーマが口を開いた。


「ところで君は興味深いことを言ったね。滝の裏迷宮にテレポーターだって?」

「ええ。地下一階で。攻略本にも記載されていないものでした」


 意図的に悔しさをにじませて言うと、トーマは腕を組んで首を捻った。


「うう~む。地下一階にテレポーターなんて、なかったはずだぞ。その話が本当だとすれば……再調査をしなくてはならないな」


 私は頷きを返した。

 トーマが唸るのも当然だからだ。

 いくら生前にやり込んだゲームだからって、中盤以前の迷宮の罠の位置や種類まで記憶しているわけはない。もちろん、いきなり最下層近くに飛ばされるような罠であれば話は別だと思うけれど、滝の裏迷宮に関して言えば、そんな「えげつない」罠は存在していなかったように思う。

 そもそも攻略本が存在している時点で、この迷宮の全フロアは踏破され、調査が済んでいるはずなのだ。地元冒険連の職員であるトーマが、それを知らないはずはないし、現に、彼は地下一階にそんな罠はなかったと主張している。

 簡単に自己紹介を済ませた私たちは、連れ立って、通路を進んだ。


「迷宮の構造や罠が、変化することはあるんですか?」

「わからない。隠し通路や扉、仕掛けに関しては自動的に修復されるものだけどね。俺の知る限り、新しい罠が出現した、なんてことはない」

「そうですか……」


 発見した通路や解除した仕掛けが、自動的に復活すること自体が現実ではあり得ないことだと思うけど。ここはゲームの世界だ、そう思うだけで納得できることは多々ある。

 けれども、迷宮の罠が変化するという現象は、この世界の人間が聞いても耳を疑う話らしい。

 変化といえば、ズズ・クライスンのゾンビ化もそうだ。

 リル・エルファーの攻略ルートに関しては、何度も周回プレイをした。どんな選択をしても、彼がアンデッドになって迷宮にいたことはなかった。これは、断言できる。

 もしかすると、リルの死亡ルートを潰すためにクライスン家そのものを消し去ろうとしたことが影響しているのかもしれない、と私は思い始めていた。

 私は、クライスン家の面々を殺害して、本来ゲームのキャラクターが抗うことを許されない、ストーリーという名の運命の流れを狂わせた。滝の裏迷宮に入ったことだって、ズズの息の根を確実に止めるために過ぎなかった。

 私だけを地下九十五階のゾンビ化したズズのすぐ近くに転送したテレポーターの罠は、ストーリーを歪めようとした私に対する罰か、報復のようなものだったのかもしれない。けれどそうならば、私はあのままゾンビの餌食になっていたはずだ。なぜ、偶然にもトーマが現れて、私は助かったのか。

 ラヴ・ラヴィリンスのストーリーは、プレイヤーの選択と行動によって多様に変化するとはいっても、全てのルートに筋書きが存在する。それを歪めることはプレイヤーにもできないことだ。けれど、自分が自由意思を持つゲームのキャラクターに転生した場合は、別の話だ。

 私は、これはゲームからの警告なのだと思うことにした。

 






 ポーションを服用し、歩けるようになった私は、トーマに先導されて地下九十五階へ上がった。彼の言った通り、階段を上がってすぐの広間には破壊された翡翠のゴーレムの破片が散らばっていた。

 ちなみに、他のモンスターの様に死体が消滅しないのは、エレベーターの番人であるゴーレムが、一定時間で復活するからだそうだ。

 訊いてもいないのに説明してくるトーマに適当な相槌を返し、私は水場で濡らして絞ったタオルで装備品や服に付着した汚れを拭った。


「それじゃ、気を付けて」


 てっきりついてくると思っていたトーマは、エレベーターの入り口手前で歩みを止めた。


「君はこのまま地下一階へ上がるといい。俺は、ズズ・クライスンの遺品を持ち帰らなきゃならないからな」

「そう、ですか……」


 それでは困る。ぜひ、彼と一緒に地上へ帰りたかったというのに。まあ、ラクロスの宿屋に誘い込むより楽だし、ここなら目撃者も気にしなくていい。計画を前倒しすることにしよう。


「脱出したら、迷宮課に行くだろう? 捜索中の俺に会ったことも、ついでに報告しておいてくれると助かる」

「あ、あの!」


 言うだけ言って背を向けたトーマに、私は駆け寄っていた。


「おっと……どうした」

「トーマさん……私」


 振り返ったトーマに身を寄せて、下から見上げる。


「あの、ちゃんと、お礼がしたくて……」

「あ、ああ――ん!?」


 当惑した顔で見下ろしてくるトーマの首に腕を回して引き寄せ、唇を重ねる。


「ん、んむ……」


 トーマの抵抗は最初だけだった。閉じられていた上下の唇はすぐに、私の舌の侵入を許した。いつから迷宮に潜っているのか知らないけれど、ズズを探している間もきちんと歯みがきをしていたのか、口臭は気にならなかった。トーマは私の腰に腕を回し、きつく抱き寄せてくる。迷宮の中に、徐々に荒くなるトーマの息遣いと、淫靡な音が響く。


「はあ……は、リル……」


 唇は離れたが、トーマは私の腰を抱き寄せたままだ。その目に僅かに当惑が残されてはいたものの、頬は上気し、目の前の女とこれからの行為に期待を寄せていることがわかった。

 彼のマントに手をかけた。それを振り払うようにして、トーマは自ら装備を解除していく。私はゆっくりと皮鎧を脱ぎ、彼がマントを床に広げる滑稽な姿を観察した。

 トーマは重そうな鎧、白銀の太刀を乱暴に散らかしていく。


「……やさしく、して」


 とうとう下着一枚になったトーマの胸にそっと身を寄せ、聞こえるか聞こえないか、囁くように耳打ちした。







「……リル、そろそろ」

「ええ」


 結論を言うと、トーマはなかなか上手だった。攻めて骨抜きにするつもりが、さんざん嬌態を晒してしまうことになった。身体の相性、というものがあるということは生前から知ってはいたけれど、私とトーマがそうなのかもしれない。もちろん、弟とはくらべものにならないだろう。彼とするとき、私はいったいどうなってしまうのだろう。


「リル、よかったら、俺と」

「ダメよ。私、やらなきゃいけないことがあるんだから」

「そうか」

 

 髪を撫でていた手が、名残惜しそうに離れて行く。トーマは身体を起こすと、私の額に軽くキスをして、立ち上がった。

 戦力的な面と考え合わせれば、ネルと再会できる目途がつくまでこのまま一緒に行動してもらってもよかったのかもしれない。そういう意味では、彼を失ってしまうのは多少の損失と言える。けれど一時の快楽なんて、これから得るものと比べればたいした価値はないわ。


「トーマ。あなたの装備って、すごいのね」


 下着を着るトーマの姿は見ないようにして、言った。この世界で色々経験してわかったことだけれど、行為の後にいそいそと服を着る男の背中ほど、格好の悪いものはない。


「まあ、な。人間族が他種族に対抗するには、やっぱり装備を揃えないと」

「これ! マンティスの篭手じゃない?」

「おっ。お目が高い――」

 

 鎧下に袖を通したトーマが振り返り、その目が点になった。

 その時私はすでに、彼の愛用品だったレアアイテム――腕力、俊敏さ、そして器用さを大きく底上げする――を装備していた。基本的に、同族の装備に男女の区別はない。マンティスの篭手は、私の前腕に吸い付くようにフィットしていた。


「さようなら、トーマ。あなた、けっこうよかったわよ?」

「リル――?」


 右手の剣を軽く振った。軽い。まるで重さを感じなかった。呪われた剣は、これまでとは一線を画す速さで真一文字に動いた。

 トーマの意識は、自分の身に何が起きたのかを理解する前に途切れただろう。

 首から上を切断されたトーマは、ゆっくりと仰向けに倒れた。まだ心臓は動いているのか、血管の断端から大流れる血液はいつまでも止まらないかと思われた。


「私を止めたかったのかしら。それとも、助けただけ?」

 

 誰にともなく、話しかけた。もちろんマントの上に転がるトーマの首はもちろん、迷宮の壁や天井は何も応えない。けれど意図はどうあれ、滝の裏迷宮に新たな罠を張ったものが存在することだけは確かだ。

 私の身に起こったことが、ゲームからの警告だったのか否か、それを確かめるすべは今のところない。

 私は、アドリアルのように転生者全体の運命やゲームの意図、なんてものに興味はない。

 私はただ、ネルに逢いたいだけ。

 鏖の剣に付着したトーマの残滓を振り払い、エレベーターに乗り込んだ。

 サラとスイーツ三姉妹に合流しなくては。





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