第十三話:滝の裏迷宮4
この世界に来て初めて実体をもつ不死系モンスターと遭遇したが、生前の素早さはほとんど失われていないらしく、ズズは十五メートルほどの距離を一気に詰めてきた。
「くっ!」
初撃――だらりと下がっていた右腕が動き、放たれた横殴りの斬撃を大きく後方に飛んで躱した。どす黒く汚れた刃は白く磨きこまれた石壁を大きく抉り、剣というよりはメイスでも打ち込んだかのような破壊をもたらした。フランキスカの魔術では傷一つ付かなかった迷宮の壁を破壊するなんて。
背中を嫌なものが伝う。
ズズ戦はボス戦扱いだ。ザコ敵と戦うときとは違う効果があるのかもしれないが、それについて考察する時間はない。
それから、どうしてズズがアンデッド化しているのか、無限に迷宮をさ迷うズズが何故テレポーターの転送先に居たのか。これは偶然か必然か――考えたいことは山ほどあるが、そういうのは全部後回しだ。
元上級冒険者の一撃が強力極まりないものであることは十分にわかった。急所でなくとも、まともにくらえばひとたまりもないだろう。
回廊は基本的にまっすぐ伸びており、ドアはない。後方に二十歩下がり、曲がり角を曲がってすぐのところに昇り階段があるはずだが、ズズが追ってこない保証がない上に、最悪の場合は翡翠のゴーレムとズズに挟み撃ちにされてしまう。
ズズはもともと巨躯の持ち主だが、迷宮の回廊を埋め尽くすほどではない。単調な斬撃を繰り返すだけなら、すり抜けて逃げることはできないだろうか。しばらく進めば扉がいくつか連続する回廊がある。小部屋に隠れてズズをやり過ごし、回廊を戻ってエレベーターで――
「お・ン・なぁあ゛!!」
「――くぅっ!?」
再び横殴りの斬撃が襲ってきた。身をかがめてそれを躱すと、回転する勢いでズズが背を向け、極太の尾が追撃を放つ。
「ああっ!」
幸い、千切れて三分の二ほどの長さになった尾は私を捉えることなく眼前を通過していったが、断面から飛び散った体液が降りかかってきた。反射的に瞼は閉じてくれたが、呼吸をするために開いていた口に数滴の侵入を許してしまった。
「ぐっ――う!」
どう考えても口にしていいものではない。慌てて吐き出そうとするが、そうした動作を行う上でどうやっても舌が動いてしまう。たちまち経験したことのない苦み、酸味が舌の上で暴れだし、もっと強い排出欲求が胃から熱い液体を絞りだそうとする。
「はあ、はあ――この!!」
口中から奴と同じ臭気を感じ、喉元まで上がってきた胃液ごとそれを吐き出した。口元を拭う暇もなく、振り返ったズズが斜めに振り下ろす大剣を、床を転がって避けた。
起き上がりざまに後方へエビの様に跳んだ。
そうだ、アンデッド化したズズなんてゲームには登場しなかったが、竜人族のゾンビとは戦ったことがある。奴らは常に「逆鱗」が解放された状態にあり、腕力が普段以上に強化されているのだ。腐った体組織でも素早く動けるのはこのためだし、得意のブレスに毒性が付加されていた理由も納得がいった。
このまま戦うのは危険すぎる――ポシェットから毒消しハーブを取り出し大急ぎで噛み潰しながら、ズズの斬撃が届くギリギリの距離を保ち、私は剣を低く構えた。
「ぶおァ!」
次の攻撃は大上段からの振り下ろしだった。やはり後方に跳躍してこれを避ける。切っ先が私の眼の前を通過し、床を大きく抉ったのちに鼻を覆いたくなる悪臭を放つ体液が剣風とともに襲ってきたが、それに顔をしかめている場合ではない。
「ギッ!?」
「硬――っ!?」
ズズが床に食い込んだ剣を引き抜こうと踏ん張った瞬間に生じた隙を逃さず、肉が欠損してむき出しになった肘関節に鏖の剣を叩きこんだ。多少のダメージはあったのか悲鳴のような声を出させはしたものの、腕を切断するには至らなかった。肉は腐っていても骨の強度は保っているとでもいうのか、ジジの頸椎を簡単に切断した刃は硬質の音ともに弾かれてしまった。
「ちっ!!」
衝撃で腕が痺れた。どうにか剣を取り落とすことなく距離を取る。曲がり角まであと十歩ほどか。後退できる距離はあとわずかだ。
「ぎぃおおおおおおお!!」
たいしたダメージでもないだろうに、石の回廊にドラゴンゾンビ――ズズ・クライスンの雄叫びが反響した。ゲームの周回プレイで何度も目にした、一目で彼とわかる煌びやかな装備品や人を見下した鼻持ちならないニタニタ顔は見る影もない。
竜人族であることを加味しても、明らかに関節の可動域を越えて開かれた咢が意味する攻撃を予測し、私はズズに背を向けて曲がり角へ走った。
ブレスがくる。
竜人族のブレスは彼らが内包する魔力の単純な放射だが、その威力は絶大だ。高レベルの竜人族のブレスは、低~中レベルのモンスター一グループを消し炭にする。ゲームではそう表記されるだけだが、実際にこの身がブレスを受けたらどうなるのかを試す気にはならない。
翡翠のゴーレムがどうのこうのという前に、目の前のドラゴンゾンビ殺される。
壁に激突しそうになりながら角を折れた直後、背後で爆発が起こった。一瞬遅れて膨大な熱が発生し、現れた階段に向かって私の身体は吹き飛ばされた――




