第十二話:滝の裏迷宮3
そもそも迷宮の罠とは、無意味に仕掛けられているわけではない。
そのほとんどは、迷宮を生み出した何者かの手によって、何がしかの意図をもってその場に設置されたものだと推測される。その中でも転移魔法陣――テレポーターは、明確に設置者の意図を汲み取ることができる罠と言えるだろう。
言わずもがなテレポーターとは、その効果範囲に踏み込んだものの身体を一瞬のうちに目的地へと転送するものの総称である。
内容を進める前提として、以降は「罠」としてのテレポーターについて解説することを付け加えておく。単に「移動手段」として設置されているものは、罠とは呼べないことはご理解いただけるだろう。
それにしても罠という罠の中で、テレポーターほど理不尽なものはないと筆者は思う。経験者ならご存知だろうし当然といえば当然なのだが、テレポーターの行き先は設置者の肚次第で決まるものであり、それを冒険者が変更可能なものはほとんどない。転送先の例としてはモンスターの群れの只中や、一見それまでとはまったく関係ないと思しき階層の通路、更なる罠の上などなど、挙げ連ねればきりがない。中には「行き先がランダム化されている」すなわちどこに飛ばされるかわからない――最悪迷宮の外、それも人類未踏の極地――という我々に対する嫌がらせとしか思えないものも、ごくわずかだが存在する上に、そうだとわかっていて、敢えて足を踏み入れなければ攻略不可能な迷宮が存在することも広く知られている事実の一つだ。
そんな危険な罠は是非とも解除して進みたいものだ。しかし、テレポーターの仕組みは千を超える迷宮攻略データをもつ冒険連の知識をもってしても、未だ解明できていない。便宜的に転移魔法陣と呼んではいるが、これが魔術を軸に稼働するものかどうかさえわかっていないのが現状である。
したがって、テレポーターの罠は基本的に解除不能だ。迷宮に仕掛けられた数多の罠の中で解除不可能な罠は、我々が把握している限りこのテレポーターだけである。迷宮を創造した存在が、単に君たちを迷わせ、混乱させるためだけにこれほどまでに高度なテクノロジーを用いたとすれば、背筋が寒くなる思いである。
そろそろ本題に入ろう。迷宮探索にあたって、我々冒険者がどのように対策を取るのかということだが――残念ながら、有効な対策はない。
筆者からアドバイスできることといえば、きちんと準備をしろ、くらいのものだ。
攻略本が発行されている迷宮については、これを熟読し、必要十分な装備と知識をもって挑むべし。これは基本中の基本だろう。
つまるところ、テレポーターも罠である以上は探知が可能だ。君たちがもし、攻略本がない迷宮を新規に探索する栄誉に預かった場合は、罠の探知に長けたシーフやシノビをパーティーメンバーに配するのは当然のことだろう。
だが、慎重に慎重を重ねてことを運ぼうとも、引っかかってしまうのが罠というものだ。君たちが迷宮を探索中、不幸にも仲間がこのテレポーターに引っかかってしまったらどうするか。すなわち、罠によってパーティーが分断されてしまったならば、という状況に、いかにして対応するかについて、筆者から一つ助言をしておこう。
それは、「ただちに引き返せ」である。
何を言うか、捜索する。
多くの中級以上の冒険者諸君はそうすることだろう。大切な仲間が迷宮内で恐怖と孤独に苛まれていると思えば、当然の心理だと言えなくもない。
しかし、それは大きな間違いだ。
迷宮探索中、罠によって仲間と引き離され、予定していた通りの攻略計画が実行不可能となった場合は、初心冒険者と同じく速やかに迷宮を出て最寄りの冒険連施設に救助を要請することが、犠牲を最小限に抑える最善の道なのだ。
もちろん攻略本が公開されている迷宮であれば、迷宮ではぐれた場合の集合場所や待機部屋などを定めておくこともできる。君たちが百階層を越える迷宮を踏破できるだけの実力を備えたパーティーならば――さらによほどの強運の持ち主であれば――仲間が同じか、または近い階層にいれば合流は叶うかもしれない。幾多の困難を共に乗り越えてきた仲間を見捨てることなどできはしない、その気持ちはよくわかる。しかし、それなり以上の実力を身に着け、迷宮を攻略して社会に貢献することができるようになった諸君だからこそ、「生き残る」ことの重要性について、今一度考えてもらいたい。
生き残った冒険者だけがいい冒険者だ――そんな言葉を遺した男がいた。迷宮の中でどのような発見をし、あるいは邪悪な何かを討伐したとしても、生きて帰って来られなければ何の意味もないのだ。
結局のところ、迷宮探索を行うものは“己の身に何が起ころうと自己責任”が原則なのだから――
冒険連発行中級冒険者向け冒険情報誌 『冒険狂』 別冊 『徹底解説! 罠の全て』 より抜粋。
◇
うかつだった。
それしか言いようがない。
精緻な造りの石壁に囲まれた狭い通路――どちらかといえば西洋屋敷の回廊――の奥を見据えながら、ともかく剣を抜いて構えた。
攻略本を諳んじるほどに読み込み、転生前の記憶と照合して完璧な攻略ルートを頭に思い描いていたことが逆に災いしたのだ。無鉄砲に進む三姉妹やサラに気を取られ、予定外の通路に足を踏み入れてしまったことで、転移魔法陣の罠をうっかり踏んでしまったのだ。
頭の中の地図と、隠しスイッチの向こうに現れた通路を照合してみる。
あの場所にあるテレポーターの行き先は、地下九十五階の昇り階段の近くだった。恐らくは奥の曲がり角の向こうにそれがあり、上がると翡翠の身体を持つゴーレムと戦闘になる。いきなり最深部近くに転送されるが、ゴーレムさえ倒せばエレベーターの入り口を見つけることができ、その後の探索はエレベーターを中心に進めていくことになる。
翡翠のゴーレムは私のレベルでもどうにか対処できるはずだが、問題は階段を上がった先のそいつではない。
「あ……おぎィ……ぐォ?」
脳まで腐っているのだろうか。私の視線の先には、意味不明の言葉とも呻きともとれる音声を発し、悪臭を振り撒きながら回廊を進んでくるものがいる。
滝の裏迷宮に単独で挑み、行方不明となった上級冒険者――数々の呪われたアイテムを収集し、悪趣味収集家の異名で知られた竜人族の冒険者。
ゲームのイベントでは無類の女好きで人間族の女性を犯しては殺し、屋敷の地下に死体を貯蔵していた変態犯罪者であり、イベント発生条件として主人公パーティーに助けられるまでこの迷宮をさ迷う運命にあった男――ズズ・クライスン。
「にゅんげぇ……お、オンナぁ? あ、ああああ!」
こちらに気がついたクライスン家の家長が、雄叫びを上げた。
いったいこの男に何があった。
豪奢な装飾が施された鎧や、恐らくは高価なマジックアイテムであったはずのマントや篭手、装備品の全てが腐敗した彼自身のものと、何がしかの生き物を殺した結果なのだろう、新旧入り混じった血肉でドロドロに汚れていた。竜人族を特徴づけ、大きな武器でもあった尾は中途でちぎれ、断面からおぞましい汁をしたたらせて回廊にナメクジでも這い進んできたかのような跡を作っていた。顔面の鱗はもちろん肉が剥がれ落ち、そこから覗く牙はまばらでその隙間から変色した舌が垂れ下がり、うめき声をあげる度にぐねぐねと動いている。
「ど、どうしてこんなことに――!!」
「お! ン! ナぁぁアァ゛ア゛!!!!」
ミライアのそれを遥かに凌ぐ大剣を引きずり、ドラゴンゾンビと化したズズ・クライスンが襲いかかってきた!




