第十一話:滝の裏迷宮2
**************
君たちは滝の裏に隠された迷宮へと侵入した。するとそれを待っていたかのように、壁や床、天井が淡い光を放ち、君たちの行く手をぼんやりと照らし出した。それでこの迷宮の壁が、大小さまざまな岩を組み合わせて築き上げられたものであることが分かった。君たちは不思議な光の正体を確かめるべく松明の炎を近づけた。それは岩壁の隙間にびっしりと張り付いたコケ植物だった。
それは岩の隙間を埋めるように生えている。植物らしく緑がかったものが大部分を占めていたが、中には暖色系の光を放つものもあった。
悪魔の苔――
不定期に脈打つように動くコケを見た仲間の一人が呟いた。数世紀前に没した高名な魔術士アンソニーが、趣味の盆栽を楽しもうと数種のコケ植物を掛け合わせて品種改良していたときに偶然発生し、繁殖に成功したモンスターの亜種だった。それは主の意志を読み取るように生育し、見る者を楽しませたという。しかしアンソニーの死後、その制御は失われてしまった。
公式の記録では、主を失って暴走した悪魔の苔によって国一つが滅びたとされている。
主と共に製法が失われたはずの幻想的な光景を前にごくり、と唾を飲む者が後を絶たない中、パーティーのリーダーが一際強い光を放つ一筋の苔を見つけた。
調べてみますか?
**************
滝の裏迷宮に入ると画面に表示されるはずの文章が頭の中にリフレインした。
先頭をキャロラインとミライアが並んで歩き、フランキスカを挟んで私とサラが続く。脈動するように明滅する悪魔の苔が生えた岩壁を物珍しそうに見渡しながら、地図など関係なく進むキャロラインは、どう考えても異彩を放っていた赤い苔に気づかない。
この迷宮は薔薇に埋もれた町のように、扉が扉の形を成していない。ただの岩壁に見えても苔の生え方と色によって、扉や様々な仕掛けが隠されている部分を区別できるようになっているのだ。
一歩一歩、壁や床を確かめながら進むのが単調になりがちな迷宮探索を臨場感あふれるものにしていると好評だったのだが、現実として目の当たりにすると薄気味悪いものだ。
なんにしても、攻略本にそうした情報は明記されていた。モンスターや罠を恐れず軽快に進むのは構わないが、扉を一度も開かずに攻略できる迷宮などない。
「ちょっとぉ、行き止まりなんだけど!?」
案の定というか当たり前なのだけれど、キャロラインの不満げな声が迷宮の回廊にこだました。探索を開始して十五分ほどで私たちは一本目の通路の端まで到達したのだ。突当りと右の壁にも怪しい赤い苔が生えているのだが、不満そうに振り返ったキャロラインはそれには目もくれない。
「おかしいですわね……」
辺りを見回したミライアまで首を傾げ、「サラさん、隠し扉の気配はありませんでしたか?」などと言いだす始末だった。シーフは成長すると罠だけでなく隠された扉の気配を察知するスキルを獲得できるが、サラはまだそこまでレベルを上げていない。
そんなことより、これでサラとこの二人は昨晩渡しておいた「攻略本」に目を通していないことがわかった。黙って二人の後ろを歩いていたフランキスカはどうだろうか。
「…………」
振り返って見ると、フランキスカはうつろな目で杖を支えに黙って立っていた。茫洋とした彼女は、パーティーが行き詰っていることにすら気がついていないようだった。まあ、どうせ彼女も読んでいないのだろう。
始めからあると分かっていれば、赤い苔は酷く目立って見える。しかもそれが生えている岩は色が薄く、明らかに周囲のものから浮いているのだ。どうしてこれに気がつかないのだろう。
ゲーム画面に表示されるテキストを思い返すと「リーダーが赤い苔を見つけた」と表示されていた。このとき壁を調べると扉が隠されていることがわかる。もしかするとプレイヤーではない、すなわち転生者ではないキャラクターには探せないものなのかもしれないが、ここはそんな細かい部分だけゲームに忠実な世界なのだろうか。そう考えてみると、過去にこの迷宮を踏破して攻略本を作成した冒険者はそもそも――いや、ともかく今は滝の裏迷宮を予定通り攻略することを優先して行動しよう。
「サラ、正面の壁を調べてみてくれない?」
松明の下で攻略本を手にして指示すると、サラは「おっけ」と応じてくれた。
サラはスイーツ三姉妹を押しのけて先頭へ進み、突当りの壁を子細に調べ始めた。ショートソードの柄で叩いたり、「七つ道具」と呼ばれる探索ツールを取り出して岩の隙間などをいじくったりしていた。
「……」
彼女は続いて古い聴診器のようなものを取り出した。岩肌に当てて慎重に動かしている。松明の灯りに照らし出された表情は真剣そのものだ。しかし聴診器は赤い苔に囲まれた岩を素通りした。
「サラ」赤く光る苔の部分を避けるかのように振る舞うサラに声をかけた。
「……なに?」
振り返ったサラは仕事の途中で口を出されたのが気に食わなかったのか、少しだけ口を尖らせていたが構っていられない。私は「その、周りと違う色の苔が生えている岩を調べてみてくれない?」と大ヒントを出した。
「あ」
サラは初めてその存在に気がついた、とでも言うように目を丸くした。ミライアとキャロラインも顔を寄せてくる。
「この岩だけ……動くんだ」
サラがぼんやりと赤く光る苔が生えた岩を触り、軽く押し込んだ。
「わ! 崩れた!」
「なるほど。このような仕掛けになっていたのですねぇ」
「通路を開くのにいちいち仕掛けを作るなんて、ヤな感じの迷宮だわ」
「……煙い」
キャロライン、ミライア、サラそしてフランキスカの順に、崩れた壁の向こうに姿を現した通路へ踏み込みながら感想を述べた。
「あなたたち、ちょっと待ちなさい」腰に手を当て、ドヤドヤと進もうとする四人の背中に向かって「攻略本くらい読んで来なさいと――」といいかけたときである。
「おっ! モンスター、はっけーん♪」
私が言い終わらないうちにキャロラインが新しい通路の奥を指差して駆け出した。彼女の姿はあっという間に見えなくなった。
「ミライア。迷宮に潜るからには――」通路に出ながら三姉妹のまとめ役であるミライアに声をかけたが、
「剣の錆にしてさしあげますわ――っどらあッ!!」
三女の背を追って大剣を振るうミライアの背中が見え、直後迷宮の通路に轟音が響いた。
「フランキスカ――」
「緊縛する神の大網」
フランキスカが杖を掲げると、その先端から金色に輝く格子状の魔力が放射され、二人の攻撃をかいくぐった小さなモンスター三体を絡めとった。
「…………どうぞ」フランキスカなりの謝罪のつもりなのか、大型のたも網に捕らわれた魚のようになったモンスターを差し出してきた。
「リル……ごめん」
殺人魚――なぜか空中を泳ぐ大きめのピラニアに似たモンスター三体を一突きにし、地面に落ちた死体を踏みつけた私に、サラが斜め下から遠慮がちに声をかけてきた。
「別に、怒ってなんかいないわ」
感情に任せて剣を突き刺してみたが、思ってもみなかった発見をした。さらに剣を右に左に動かしてみると、フランキスカの魔術によって現れた光の網は鏖の剣によって易々と切り裂かれたのだ。
魔術によって生み出されたものを切るなんて考えもしなかったけれど、サラと三姉妹がズボラだったおかげで魔術に対抗しうる術を見出せたかもしれない。聖属性の魔術に極端に弱い穢れた魂を持つ身としては、このことはきちんと検証しておきたいところだ。
これが呪われた剣の効果なのか、もともと剣術で魔術を切り払うことができるものだったのかは定かでない。しかし、フランキスカが行使したグランバインドは聖属性の魔術なのだ。これを呪われた武器で破壊することができたのだから、聖なる波動をこの剣で切り返したり、軌道を逸らしたりできるかもしれないのだ。
「いったん戻りましょう。入り口の近くにも怪しい岩がたくさんあったわ」
私は踵を返し、弾む足取りで歩き出した。
「リルさん?」
「リル、ちょっと」
ミライアとサラが駆け寄ってきた。
「なにかしら?」振り返ると、二人は少し視線を合わせ、気まずそうに逸らした。
ミライアが肘でサラの肩を軽く小突くと、サラがおずおずと進み出た。
「あのさ、言いにくいんだけど……」
「どうしたの?」普段歯に衣着せないサラが、妙に歯切れが悪い。迷宮攻略の予習を怠ったことなんて、本当に怒っていないのに。
「そっちは戻る方向じゃないよ」
「あら」またしても方向音痴を発揮してしまったらしい。三姉妹の視線を感じて急に恥ずかしさが込み上げてきた。
「嫌だわ。じゃあ、戻りま――」
「動かないで!!」
鏖の剣を鞘に納めて歩み出そうとすると、サラが大声を出した。そしてすぐに声を落として話し出した。
「リル……あんた、罠を踏んでる」
「え?」
私の足元で、光が爆ぜた。




