第七話:メノウの瞳を持つ女たち 3
「サァァァァラァァァァッ!!」
サラと共にラクロスの冒険連施設にたどり着いた私は手早く申請手続きを済ませたのち、迷宮課の冷房の効いた室内の空気を震わせる雄叫びを上げ、床を踏み鳴らして走ってくる人影を目にして思わず身構えた。
「あ、親父! ひさしぶ――ッ!?」
サラは、私を庇うように前に出て陽気に手を挙げた次の瞬間には巨大な影に抱き付かれ、もんどりうって倒れたあとは付近にいた人を巻き込む人間団子と化してゴロゴロと床を転がり、迷宮案内他冒険連の刊行物等が陳列してある棚に激突して停止した。
ファンタジーの世界でなければ起こり得ない現象に戦慄を覚えながら、にわかに出来上がった人垣をかき分けてサラの様子を確認する。
「いててて……」
レベルが70に迫り、人間としての身体能力を限界近くまで引き出しているサラは、どうやら激突を避けたらしい。
いったいどのタイミングで――というか、「いてて」では済まないだろう。
「危ないところだった……皆さん、お怪我はありませんかな?」
あり得ない動きをしていたのは、倒れそうになった本棚を支えて巻き添えになった人達が致命傷を負わないようにしている男――サラの父親も同じだった。あの一瞬でどうやって、手足が複雑に絡み合った人間団子から抜け出し、足元の男女を踏みつけないようにわずかな隙間に足を踏み入れて踏ん張りを利かせているのか。
「もう! いきなりなんなのよ!?」
「『なんなのよ』じゃないだろう!? パパがどれだけ心配したか――うう!!」
「ちょ、泣かないでよ。恥ずかしいなぁ」
冒険連ラクロス支部の迷宮課課長――ロバート・ブレア。倒壊しかかった本棚を元に戻し、三か月ほど前に行方不明になった娘の前でおんおんと泣き出した男――その巨躯からは想像もつかないが、彼が冒険者だった頃の職業は治癒魔法を得意とする魔術士だったそうだ――の名だ。
彼が娘の失踪を知ったのは一か月前。
冒険者になった以上は迷宮探索に出かけるのは当たり前。しかし置手紙の日付はラクロスで不可解な事件が発生したその日のものであり、ロバートは激しく狼狽した。課長の職務そっちのけで駆けずり回り、この世界の住人は存在すら知らない隠し迷宮に潜った娘を探し続けた。レイシャのおかげで思ったよりも早く帰還したが、つごう四か月も行方不明だった娘と再会した父親の喜び様は凄まじいものだった。
私たちは場所を移動し、ロバートの執務室へ案内された。迷宮課の内部に入るのは初めてだったが、二階の造りは福祉課とさして変わらなかった。
「凄いじゃないか、サラ! たった四か月でクラスアップできるほどに成長するとは!」
ようやく平生を取り戻しロバートが、サラの冒険者カードをしげしげと眺めて目を細めた。
「リルのおかげ。かなり効率よく戦闘できたからね」
「そうか。リルさん――娘が世話になったね」
「とんでもありません。私もサラさんにはたくさん助けていただきましたから」
私は秘書らしき女性が用意してくれたお茶を一口飲んだ。かつてサラが淹れてくれたものと同じ味だった。
「ところで、クライスン家のことは聞いたかね?」
サラの話を聞く限り、ロバートは放任主義だと想像していた。けれども私を見るときの彼の目には、愛娘を連れだしたものに対する猜疑心というか、まあとにかくあまり友好的とは思えない暗い光が宿っていた。恐らくというか当然、ラクロスで冒険者資格を得た私の個人情報を手に入れているだろう。そこには私の所持スキルについても記載があるはずで、身元引受人のクライスン家に起きた悲劇とその日のうちに町を出た穢れた魂を持つ女を警戒するのは当たり前のことだ。しかし、私と事件を結びつける決定的な証拠はないはず。そんなものが在れば、私はとっくに牢獄に囚われていただろう。
「クライスン家のこと、ですか?」
何かあったんですか? とは聞かない。クライスン家は町の実力者だ。リルの様な田舎からでてきた純朴少女に心配されるような屋台骨ではないし、実際にそこで暮らしていた私がそれを訊ねることは「何か起こり得ると知っていた」と告白するようなものだ。あくまで私は、冒険者となったその日のうちにサラと旅立っただけなのだ。その後のクライスン家がどうなったかなど知る由もない。
小首を傾げた私から視線を逸らし、ロバートは娘の顔を見た。サラはどんな表情をしているだろうか。彼女には何も知らせていないが、クライスン家で何かあったことくらいは想像できているはずだ。視線を送る意味を勘ぐられても困る。私はロバートの答えを聞こうと少しだけ身を乗り出した。
「聞いていないのなら、いいんだ」
自分の目で確かめるといい。
そう言うとロバートはソファーに身を沈めて紅茶を飲んで一息ついたのち、再び口を開いた。
「ところで、ラクロスに戻ってきたのは滝の裏迷宮を攻略するため――ということだそうだが」
「そうです。パーティーメンバーが集まったら、計画書を提出させていただきます」
「ふうむ……しかし何故いきなり滝の裏なのかね? ラクロス大三角の中でもっとも攻略が困難な場所だ。レベルは上がったが君たちはまだ駆け出しだろう。もう少し浅い迷宮で経験を積んでからでも遅くはないはずだ」
娘を危険に晒したくないのか、私を信用していないのか。それとも迷宮の深部に潜って行方を眩まされることを危惧しているのか。ともかく冒険連ラクロス支部迷宮課課長――迷宮探索許可印をもつ責任者は、私の計画に難色を示した。
迷宮探索の経験なら、いくらでもある。滝の裏迷宮なんて及びもつかない難度のそれを攻略し、ゲームをクリアしてきたのだ。もちろん、コントローラーを握ってキャラクターを動かすのと自分の足で踏破するのとではずいぶん違うということは自覚しているが、致命的な罠の位置や攻略に必要な仕掛けの発動方法などを知っているのだから、同レベルの冒険者たちより有利な立場にいることは間違いない。
けれど、何故滝の裏迷宮なのかという問いに「ズズ・クライスンがまだ中に居るもので、おたくの職員が助け出したりする前に殺してしまおうと思います」などと答えるわけにもいかない。
遭難者の捜索は迷宮課の職務だ。現在ズズが遭難中であることをロバートが知らないはずもない。
「弟のネルはまだ見つかっていないのでしょう?」
ここでズズの名を出せば余計に彼の猜疑心を煽るだけだろう。名前を出すならこっちだ。
「私は彼を探したい一心で、今日まで努力を続けてきました。サラさんにも手伝っていただいて、大きくレベルアップできましたが、まだ足りません。ロバートさんからすれば背伸びをしているように思われるかもしれませんが、私は一日でも早く新迷宮に潜れるくらいの実力を手に入れたいんです」
募集要項を作成する際、新迷宮の情報は確認しておいた。あそこは現在地下百階層まで探索が終了しており、八十階まで解放されている。探索推奨レベルは150だった。私はロバートの目をまっすぐに見て言葉を続けた。
「パーティーメンバーが集まったら、綿密な計画書を作成します。それを見て、私たちが滝の裏迷宮を踏破できるかどうかはご判断ください」
「ちょっと、リル――」
立ち上がって執務室を辞そうとする私に、サラが慌てて追いすがる。
「待ちたまえ」
ロバートが座ったまま呼び止めた。彼の視線はわずかに猜疑心が薄らいだように見えた。
「なんでしょう?」
硬い表情のままのロバートに対し、私は精いっぱい明るい顔を作った。弟の身を案じて必死に戦ってきた姉が、無理をして明るく振る舞う――そんな印象を与えられればと思ってのことだ。
「よければ、滝の裏に少人数で潜ろうとして計画書を棄却したパーティーを紹介しようと思うんだが。君らと同じく、駆け出しだが急速にレベルアップしたものたちだ」
「それは――」
助かります、と言いたいところだが、急速に成長したというキーワードが引っかかる。転生者がメンバーに含まれている可能性があるからだ。
「キャロライン・スイーツという女性が代表でね。よければ連絡を――ん?」
「お断りします」
「おいおい――」
私はそのまま踵を返して退出した。
サラも慌てて執務室を出る。
「どうしたの、リル」
「スイーツだけは、ダメよ」
「なんでよ。知り合い?」
サラの目が険しくなった。名前からして女であることが分かったからだろう。つい口が滑ったが、彼女とだけはこの世界で出会いたくなかったのは事実だ。
キャロライン・スイーツ。
ラヴ・ラヴィリンスに三人だけ存在する隠れヒロイン――別名狂気の三姉妹の三女である。
ラヴ・ラヴィリンスはゲームクリア時に「達成度」という評価が表示される。達成度はいくつかの項目に分けられており、そのランクによって次回プレイに持ち越せるアイテムや資金が授与されるのだが、「宝箱発見率100%」を達成すると激甘スイーツ三姉妹攻略イベントが解放される。
迷宮を隅々まで歩き回り、全ての宝箱を回収するのは至難の業だ。とくに魔王が出現してからは全ての迷宮の攻略難度がエクストリーム化するため、宝箱の罠の解除も異常に困難になってしまう。
いつ魔王との戦闘に突入するかわからない状態で、宝箱の罠に引っかかるリスクを冒すのは危険すぎる。
けれど仲間に迎え入れれば圧倒的なポテンシャルで戦闘を補助し、夢の三姉妹丼要素たっぷりの攻略イベントの数々はマニア垂涎の仕上がりだった。私はマニアでもなんでもなかったが、弟は彼女らが出現した後は三日三晩寝ないでゲームをしていたこともあるくらいだ。
自分の足で宝箱を探さなければいけないこの世界でも「宝箱回収率100%」の条件によって彼女たちが解放されるのであれば、まず出逢うことはあるまいとタカを括っていた私にとって、ロバートの提案はまさに青天の霹靂だった。
三姉妹はとにかく一緒にいる。少人数で潜ろうとしたというのは三姉妹だけで計画書を作ったのだろう。
パーティーを組む際にも誰かを馬車に留まらせることはできなかった。
彼女らの連携攻撃の威力は凄まじく、レベルが上がって装備品が整ってからはもう手が付けられない。戦うことになれば、敗北する可能性が高い。どうにかして彼女らとの接触を避けなければ。
「ねえ、リル。あれってもしかして――」
足早に階下へ降りた私が、募集要項を掲示してある壁へ向かおうとするとサラが肩を叩いてその辺りを指差した。
「まさか――」
掲示板の前には、まったく同じ格好をした三人の女が立っていた。こちらに背を向けていてもわかる。
三人が三人とも、長く伸ばした緑の髪をツインテールに結っている。
専用装備であるゴスロリ調の反則装備、通称「冥土服」に身を包み、背中に大剣を背負っているのが長女。真ん中で杖を携えているのが次女。左手に薙刀を持っているのが三女。
彼女らこそ、ラヴ・ラヴィリンス最強と誉れの高いスイーツ三姉妹に間違いない。
「あらぁ、もしかしてぇ?」
気配に気がついたのか偶然だったのか。向かって左の女――長女ミライア・スイーツがこちらを振り返った。
「リルさん……ですわねぇ?」
彼女のメノウを思わせる碧の瞳が妖艶に細められた。