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第五話:メノウの瞳を持つ女たち 1

 薔薇に埋もれた町を攻略し、狂騒庭師の亡霊と戦っても効率的にレベルアップが期待できなくなるまで成長したリルとサラは、目下の第一目標である「クライスン家の消滅」を成し遂げるべくラクロスの町を目指す。

 

 だがその前に、彼女らにはやっておかなければならないことがあった。


 レイシャ・アンダーソンの遺体を埋める――正確には地面の下に隠すのだ。


 アンダーソン家はラヴ・ラヴィリンスの世界では超が付くほど有名な格闘家一家である。その道場は全国に百か所以上で門下生の総数は一万名を優に超えており、レイシャは彼らにとって憧れの的である。そのためレイシャの攻略ルートに突入すると、ランダムではあるがモンスターの群れの中に「シロオビ」や「クロオビ」あるいは「シハンダイ」などという道着を身にまとったおかしな連中が紛れ込んで襲い掛かってくるようになる。


 この設定を深読みしたリルは、アンダーソンの門弟たちはレイシャの動向を何らかの方法で知ることができると確信していた。ゲームをプレイ中にその方法が語られることはないが、彼女はレイシャと一夜を過ごした直後の戦闘で「チャオビ」に襲われて全滅したという苦々しい体験を記憶にとどめていた。


 裏設定を知り尽くし、何度もこの世界において生まれ変わりを経験しているアドリアルならば何がしかのアドバイスや、リルの考えなど杞憂に過ぎないと笑い飛ばしてくれたかもしれない。


 ゲームの進行を一時停止し、攻略サイトで情報を集めたり掲示板に質問を書き込んだりすることはできない。


 そもそも、ラヴ・ラヴィリンスの世界ではヒロイン同士が殺し合うことなんてないのだから、そんなことをしても無意味なのだ。

 リルは自嘲気味に笑いながら、人やモンスターの体液に塗れても一向に切れ味の衰えない剣を地面に突き立てる。

 死んだことがわかれば、門弟どもが犯人捜しを始めるかもしれない。

もしかすると、主人公ですらない自分にはそういう法則は適用されないのかもしれない。だがこうして本来起こり得ないヒロインの殺害という行為は立派に成立した。

 朱に染まった道着とは対称的に、血の気を失って白くなったレイシャの首筋や二の腕をチラリと見たリルは、不意にこみあげてきた吐き気のために口元を押さえ、身体をくの字に折った。


「ちょっと、リル、大丈夫?」

「平気よ……ちょっと、気分が悪くなっただけ」


 どうにか咽喉までせり上がってきた酸っぱいものを飲下す。酸の刺激が口蓋垂と軟口蓋の粘膜を焼く感覚に顔をしかめたリルだったが、気づかわしげに近づいてくるサラの赤い髪から視線は逸らしつつ、笑顔を浮かべてみせた。


 クライスン家の面々を切り殺した後、血だまりの中を歩いてもなんら問題はなかった。それは相手を爬虫類も同然と割り切っていたからなのか、ネルと出会うことができなくなるイベントの登場人物である彼らは何を置いてもまず消去すべき対象であり、殺害する理由がレイシャより明確だったからなのか。

 鳴り響く怨嗟の声と時を越えて主を得た剣に宿る狂気と同調していたせいでもあったかもしれない。

 どちらにせよ、前世においても今世においてもまともな人間の死体――それも自身の手で後ろから刺し殺したものを見るのはあまり気分のいいものではないようだった。


 しかしリルは、彼女の死については不穏当な発言が招いた当然の結果だと考えている。ネルは前世でレイシャのことがお気に入りだった。実はレイシャにはアイシャという妹がおり、エンディングでは見事に姉妹どんぶりを決めているカットで終了するのだが、レイシャと出会った弟がそれをリアルに体験できる誘惑に抗えるとは思えない。どんなにレイシャが避けても戦いを挑もうとするはずだし、そうなれば中身が男だった彼女はネルを殺してでもヒロイン入りを回避しようとしただろう。

 主人公だろうとなんだろうと、条件がそろったときの例外を除けば死ぬときは死ぬ。実際にそれを体験したアドリアルの言葉と、こと切れたレイシャが自力で復活する様子を見せないことでそれは確固たる事実としてリルの心に突き付けられた。

 明らかに致命傷と思われる傷を負えば、ヒロインであっても死ぬ。

 これまでの戦闘において、前世では経験したことのない痛みをさんざ味わってきたリルは、その恐怖に怯えを隠せない。


 傷を癒し、体力を回復する効果を秘めた品や魔法が存在するゲームの世界において、何故彼女がそこまで自身の死を恐れるのか。それを理解するためには、諸君に一つ入れ知恵をする必要がある。


 目の肥えた紳士淑女の諸君は、ステータスについてあれこれと説明してきた時点で違和感を覚えたのではないだろうか。


 何のことやらわからないという諸君のために、リルのステータスをもう一度みてもらおう。


リル・エルファー

職業:戦士LV68

体力:24(+2)

腕力:29(+11)

知力:10

俊敏さ:-17(-5)

頑強さ:29(+8)

器用さ:18

 精神:18(+5)

  運:7


固有スキル:剣術C 狂戦士の心得E 穢れた魂C 即死回避率上昇C 薬草鑑定D

職業スキル:剛腕E 剛健E 

   呪文:まだ習得していません


   右手:鏖の剣(ジェノサイドソード)

   左手:なし

   身体:皮の鎧

    足:皮の脛当て

 その他1:(イバラ)の首飾り

 その他2:麻痺の護符


 いかがだろうか。

 このステータス表示には、アレがないのだよ。


「○○の攻撃! ○○は△◇を振りかぶって☆☆に切りかかった。そして▼回ヒットして◆◆のダメージを与えた!」


 リルの回想でもこういった文章を振り返る記述があったはずだ。

もうおわかりだろう。

 ヒロインであるリルのステータスにはダメージを受けると減少し、ゼロになると死亡するという生命力の目安とも言うべきアレがない。

 いわゆるヒットポイントだ。

 ちなみに主人公であるネルのステータスにはそれがきちんと表示される。またモンスターや敵として戦うことになるNPCにもそれは設定されているのだが、パーティーに編入されるヒロインにはそれがない。

 これには、ゲームの作り手たちの思いが込められた独特の戦闘手法が影響している。


 ラヴ・ラヴィリンスは主人公を含めて最大六人のパーティーを組んで迷宮を探索する。その際、前衛と後衛に分かれて編成する必要がある。前衛だけ、あるいは後衛だけという編成も可能だが、今回は六人きっちりと編成した場合を例に挙げて説明させていただこう。


 主人公を「主」前衛のヒロインを「〇」、後衛のヒロインを「◎」として、以下のように編成したとしよう。



〇主〇

◎◎◎



 前衛、後衛ともに上限は三人までだ。これに対してモンスターには隊列という縛りがないため、パーティーの誰もが異形の怪物の攻撃を受けることになるのだが、主人公はその職業に応じたコマンド意外に、隣接するヒロインを「守る」あるいは「回復する」ことによって親密度を上げることが可能だ。

 プレイヤーはさらに、前衛と後衛のヒロインの行動を手持ちの武具やスキル、あるいは魔法で「敵と戦う」か「主人公を守る」かのどちらかを選択することができるが、このときのヒロインたちの具体的な行動を指定することはできない。 ヒロインの行動は主人公との親密度が高いほど有効な攻撃やサポートをしてくれるという設定になっているので、長くパーティーを組んでいるほど戦闘が有利に運ぶと考えていいが、ヒロインのレベルが高くとも、必ずしも役に立つとは限らず、突拍子もない行動のせいで全滅の憂き目に遭うこともしばしばだ。


 さて、ではどうして主人公にはヒットポイントがあり、ヒロインにはないのか。

 先に語られた異常に強い魔王によるヒロイン連れ去りイベントはかなり凄惨なものだが、ゲームの進行中にそうした類いの強制イベント――リルにとっては「クライスン家の闇」がそれにあたる――以外でヒロインが死亡することはない。しかし、戦闘中に行動不能になると、一旦迷宮の外へ出て町へと戻り、十分な休養を取らせないと回復しないことになっている。


 ヒットポイント、ライフポイント――言い方はなんでも構わないが、「ゼロになると行動不能になる」という数値を設定して表示することで、主人公はヒロインの状態を明確に知ることができる。すると、ただでさえ「イベントさえ回避すればヒロインは死なない」という土台の上に胡坐をかいているプレイヤーたちは、モンスターたちとの戦闘を半ば作業化してしまう。


 死にかけの仲間を主人公がせっせと回復してやれば、親密度も上がって一石二鳥。


 そんな温い作業は戦闘とは呼べない。


 製作者は戦闘中、ヒロインたちの姿は常に画面に表示されるようにゲームを作った。行動する度に体力と精神を削られ、攻撃を受ければ傷つく。それがリアルタイムでグラフィックに反映されるのだ。限界を越えて行動させると彼女たちは倒れ、行動不能になってしまう。


 それなら、ヒットポイントが表示されなくても少し傷ついた程度ですぐに回復するとかすれば、行動不能を回避できると思っただろう。


 それは事実だが、ラヴ・ラヴィリンスはただのロールプレイングゲームではない。美少女ゲームなのだ。すべからくプレイヤーの行動原理はヒロインとの親密度を上げることに繋がらなければならない。迷宮探索や魔王討伐なんておまけなのだ。


 ヒロインたちは、ただ迷宮に潜って一緒に行動していれば惚れてくれるダッチワイフではない。


 彼女らには性格(パーソナリティ)が設定されているのだ。


 たいした怪我でもないのに攻撃の手を緩めて回復に回る主人公に好感を持てないものもいれば、五人の仲間の誰にでも馴れ馴れしく近づき、隣で盾を構える主人公を浮気者と判断するものもいる。


 常に最前列に配備されることを好み、「戦う」以外の行動を嫌うヒロインもいるかと思えば、妖精族のように生来身体が弱く、主人公の後ろすなわち後方にいなければ落ち着かず、他のポジションでは戦闘中ただの役立たずと化してしまうものもいる。


 ラヴ・ラヴィリンスはプレイヤーにそうしたヒロインたちの個々の性格すらも考慮したパーティー編成を行わせることで、地道なレベル上げと会話の選択肢を暗記しただけではクリアできない奥深さを実現した美少女ゲームなのだ。


 ゲームを始めるプレイヤーは目当てのヒロインの性格を掴むことすらできないまま、困り果てて馬車で待機させていたところを魔王に惨殺されるという経験を数十回繰り返す覚悟をして臨まなければならない。


 ちなみに余談だが、ラヴ・ラヴィリンスはゲームのメニュー画面から難易度の設定を変えることができる。ビギナーからエクストリームまでの五段階に調整できるが、魔王誕生後は無条件で迷宮内セーブ不可(エクストリーム)となるという設定には頭が下がる。


 リルは生前ラヴ・ラヴィリンスを何度もクリアしているので、当然この設定を熟知している。


 ゲームの世界に入り込み、実際に自分の身体が傷を負う痛みを知った彼女はレイシャを刺し殺したことでヒットポイントが表示されないことの恐ろしさを思い知らされた。


 ゲームではただの行動不能だった。


 だがすべてが現実となったこの世界では、致命傷を負わされれば死ぬ。


 命の危険を自覚することなどない世界に生きていたリルは、レイシャの死体を目の当たりにして自身の姿を重ねてしまったのだ。ネルと再会することもないまま、迷宮のどこかで、荒野の真ん中で朽ち果てる自分を想像し、涙さえ出そうだった。


「サラ……」


 真夏の太陽によって熱せられた少女の死体を、ようやく掘り上がった穴に降ろしたリルが、頬に流れる汗とそれ以外の残滓を手の甲で拭って言葉を続ける。


「強く、なろう」


 土が二度目の死を迎えたレイシャの身体を隠していく。

 サラは黙って頷いた。

 土を踏み固めたあと、二人はラクロスを目指して歩き出した。

 そこでは、リルがラヴ・ラヴィリンスの世界で絶対に遭遇したくないと願っていたメノウの瞳を持つ女が待ち受けているとも知らずに。




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