第三話:薔薇に埋もれた町3
隠し迷宮薔薇に埋もれた町の最下層――地下十二階へと続く階段を下る。
階段は木製で壁は石材だ。なぜか消えることのない松明の灯りが私とサラの姿を照らす。サラが持っている懐中時計によれば、迷宮に入ってからすでに四十八時間が経過していた。
迷宮の入り口にたどり着くまでに百回以上戦闘を行ったが、消費した体力を体力回復薬で回復してきたおかげか眠気や疲労をまったく感じない。
ポーションはサラが提供してくれた資金で大量購入したもので、携行に便利な錠剤型だ。ゲームをプレイしている時は文字と効果しか認識していなかったが考えてみれば栄養ドリンクの瓶を大量に抱えて戦闘なんてできる訳がない。これもプレイヤーには直接関係ない裏設定というやつなのだろう。ちなみにポーションは一人九十九個までしか持つことができない。これは、中毒予防だとかで法律で定められているそうな。つまらないことで犯罪者扱いされたくはないので、それは素直に従った(どのみち店側が売ってくれない)。
私とサラで合わせて百九十八個だったポーションは残り五十ちょうど。大分使ってしまったが、これだけあれば狂騒庭師との戦闘をかなりの回数こなせるだろう。そこでレベルを上げておけば帰り道ではほとんどポーションを使う必要はない。
階段は一直線に最下層へと続いている。最下層の入り口に扉はなく、真っ暗な長方形の闇が口を開けているだけだ。開放感のない通路を進む私は、手に滲む汗をズボンで拭う。この緊張感は、閉所恐怖症のせいだけではない。
結局ここまでロアンヌの霊にも彼女に導かれた迷宮の攻略者にも出遭うことはなかったのだ。
庭師とは、彼の墓をいじくらなければ戦闘になることはない。
問題なのは、この迷宮を先に攻略したものの存在だ。
すでにここを去ってくれているのならいい。
隠し迷宮の存在を知り、攻略できるのは転生者だけだ。彼か彼女か、単独か複数か。残念ながら、それを知ることはできなかった。迷宮の床は石畳で足跡も残らない。その上薔薇園の管理人が真面目に仕事をしているせいなのか、チリ一つ落ちていないのだ。モンスターは死後数秒で消滅してしまうので、戦いの痕跡を探すこともできない。何者かが通って封印を解いたのがいつだったかを推し量る方法はないのだ。
ただ、相手がヒロインだったら殺さねばならない。ネルがこの世界の仕様をどこまで知り、またどのように予測しているかわからない。けれど彼の嗜好を考えると、私以外のヒロインともできるだけ関係を持とうとするだろう。
……そんなことは許さない。
ネルはリルと――私だけと結ばれて幸せになるべきなのだ。
彼の出生に立ち合い、彼を育て、彼の死体を焼いた。記憶が洪水のように戻ってきたときは、なぜそんなことをしたのかわからないと思った。しかしそれは、リルとしての人格が私の記憶を受け入れられなかっただけのことだったのだ。内面的には完璧に自分を取り戻した私にはわかる。
あれは転生の炎。
伝説の不死鳥が纏う聖なる火だ。
私たちは運命に導かれてこの不可思議な世界に再び生を受けた。私とネルが結ばれることは、日本の法律では認められていない。これはヒトならざる何かが与えてくれたチャンスなのだ。
「……行くわ」
私が促すと、サラは黙って頷いて後に従う。
彼女はこのところ、私が考え事をしている時はまとわりついてこないようになった。
いい子ね。
私は内心でそう声をかけて彼女を見る。サラは私を見返して照れたように微笑む。
額に軽くキスをしてから、彼女に背を向けた。
◇
君たちは迷宮の最奥に隠された墓地へと足を踏み入れた。
ほとんどの墓石や身分あるものを葬った墓陵は、町を飲み込んだ怨念に満ちた薔薇の巨大な根に覆われ、ほとんどが墓の様相を呈しておらず、そこに刻まれた名前を読み取ることはできなかった。
薔薇園の主が、ロアンヌの墓を別の階層に移した理由を察した君たちは、彼女の霊に誘われるように墓地の奥を目指す。
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身寄りがないものたちが葬られていることを示す文章が刻まれた石扉を開いた君たちは、その中で半透明の老人が行ったり来たりしている様を目撃した。彼が今すぐにでもこの世を去るべき存在であることは明らかだった。
『もっと、もっとたくさんの薔薇を……彼女が寂しくないように……』
老人はそう呟くと壁に浸み込むように消えて行った。
君たちは地下三階で発見した骨壺の中に入っていた骨の欠片を取り出し、老人が消えて行った壁の近くにそっと置き、ロアンヌの遺体が握っていた薔薇のブーケも隣に置いてやった。
すると、それまでただの壁だった部分に人型の影が浮かび上がった。
調べてみますか?
などというテキストを、地下十五階へたどり着いたプレイヤーは読み、嬉々として「はい」を選択して庭師の亡霊との戦闘を行う。
無論、迷宮探索を生身の身体で体験している私の網膜にそのようなものが映ることはない。
私は今、壁に墨で描いたような人影の前に居る。
人影の足元にはカラカラに乾いた骨と色あせることのない花束と、一撃で昏倒させられたサラが倒れている。
「いきなり襲ってくるなんて……どういうつもり?」
最初から抜刀しておいてよかった。私は突き付けた鏖の剣の切っ先を動かすことなく女を睨みつける。
「オレの後をこそこそ付け回してくるからさ。リル・エルファー……いや、中身はどうせ別人なんだろ?」
レイシャ・アンダーソンは寄り目になって眉間に突き付けられた剣の切っ先を見てから余裕の態度で言葉を吐いた。猫を思わせる愛らしい目は細められ、体躯同様小さい鼻の頭に僅かながら皺を寄せてはいるものの、口元には笑みが浮かんでいた。
ラヴ・ラヴィリンスのヒロインでは珍しい「オレっ娘」レイシャ。職業は格闘家で攻略イベントは「アンダーソンの試練」だ。主人公の職業が戦士または剣士でレベルが80以上かつ馬車に空きがある状態で町の宿屋で休憩を取っていると、流れの冒険者をやっているレイシャが話しかけてくる。
曰く、「お兄さん、強そうだね……よかったらオレと勝負しないか!?」だ。
主人公は短く切り揃えた赤毛、額のハチマキやさらしを巻いて胸の膨らみ(さらしを外してもほとんどないが)を隠していることからレイシャを男と勘違いする。
勝負を受けるとまずレイシャとの戦闘になる。勝てば彼女を仲間にでき、その夜宿の風呂場で親交を深めようとした結果性別を知り、「勝負に負けた上に裸を見られた! 嫁にもらってくれ!!」というありがちな展開を迎える。当然というかまあ、その場で行為に及んで彼女の故郷に挨拶に行くのだが、出迎えるのは熱血頑固オヤジのバサラ・アンダーソンだ。
「貴様が娘に相応しい男がどうか、試してくれるわァッ!!」という食傷気味な展開で彼との戦闘に勝利すると、今度は格闘家垂涎の武具「飛影竜爪」を取って来いと言われる。パーティーの平均レベルが500はないと攻略不可能な迷宮に隠されたそれの取得をもってレイシャとの親密度は一気に上昇し、彼女とのハッピーエンドがほぼ確定となるのだが、逆に飛影竜爪さえ手に入れなければ結婚はない。
いつから気がついていたのか。私たちを薔薇に沈んだ町の最奥で待ち構えていたレイシャは石扉の影に潜んでおり、私たちが庭師の墓に足を踏み入れた途端襲い掛かってきたのだ。
気配察知では私より優れたスキルを持つサラが先に反応して刺突を繰り出した。彼女も迷宮の奥へ進むにつれ順調に成長していたが、素早い反応と反撃力では高レベルの格闘家に敵うはずもない。
サラの短剣は空を切り、レイシャが身体を合わせるようにして放った拳に打たれたサラは一撃で昏倒したのだった。
私は彼女の動きを油断なく見張りながら、会話を繋ぐことにした。
「あなたこそ、何者? 転生してゲームのキャラクターを演じているなんて、律儀な人なのかしら」
「質問しているのはオレだ」
レイシャは口元を歪め、手甲を構えて威嚇してくる。格闘家をあまり好んで使ってこなかった私は、彼らの使う武具のビジュアルをほとんど知らない。レイシャが装備している黒い、空手家が着るような道着っぽい服と手甲の性能がわからない。どっちにしても、初手に私は反応できなかったのだ。分が悪い戦いになるのは目に見えている。
「……瑠璃よ。日本で生きていた頃は、ね」
「へえ。女のプレイヤーもいるんだな」
「なんですって? ……あなたまさか」
私は顔から血の気が引いていくのを自覚していた。
「俺は弘敏。くそったれ。笑いたきゃ、笑え」
「ぜんぜん、笑えないわ……」