第二話:薔薇に埋もれた町2
「……おかしいわ」
「ちょっとリル? あんた、また方角を間違えたの?」
思わず声に出してしまったのを聞きつけたサラがうんざりした調子で言い、両手を広げた。
そうされても仕方ない。
俯瞰カメラでマップを表示しながらキャラクターを移動させるのと、自分で迷路を歩いて攻略するのとでは訳が違う。方向音痴というリル・エルファーの特性は予想以上に私を苦しめる。
右を見ても左を見ても見事に整えられた薔薇の生け垣だ。変わり映えしない景色というものは余計に私の方向感覚を混乱させる。
ゲームをプレイしていた時はあまり気にならなかったけれど、実際に自分の足で歩く迷宮というものは、本当に不可思議な存在だと思う。
私は生け垣の薔薇からさらに上へと視線を転じて、空を見上げた。
そこには雲一つない青空が広がっている。足元の影の具合からして天頂に太陽があるはずなのだが、青一色の世界にそれを見出すことはできなかった。
こんなことはあり得ない。
ここはもう地下三階なのだから。
「ちょっと、リル。どうしたの?」
迷宮に潜るのは初めてだろうに、サラはこの状況の異常さを気に留めていない。ゲームの世界に生きている人間にとっては当たり前のことなのかもしれないし、彼女の共感を得られないことなんて、それこそ気にも留まらない。
私が「おかしい」と呟いたのは、いい加減に見慣れるべき地下の青空についてではない。
「サラ、この迷宮には階層ごとに発動しなきゃいけない仕掛けがあるの……クライスンの蔵書によると――ね」
私はどこから知識を得たかの情報を蛇足気味に付け加えつつ、説明を始めた。
隠し迷宮「薔薇に埋もれた町」の最深部には、薔薇園の管理人――狂騒庭師の亡霊がモンスター化したという設定の固定ボスが出現する。倒せば初期レベルでは考えられないほどの経験値を獲得できる上に一旦部屋を出るとまた復活するため何度でも打倒していわゆる「経験値稼ぎ」ができるのだ。
ただし、彼がなぜ薔薇に執着しているのか、なぜ町一つが成長した薔薇に飲みこまれてしまったのか――美しい赤い花にまつわる悲恋のエピソードを語る「ロアンヌの霊」に導かれ、迷宮の各所に設置された「封印」を解除しなければ、憐れな庭師の亡霊と出会うことはできない。
しかし、私とサラは地下二階で出会うはずのロアンヌの霊と遭遇できなかった。
本来なら地下一階で「すすり泣く声」を四か所で耳にし、地下二階の一角にあるロアンヌ行きつけのカフェテリアにて擦り切れた花嫁衣裳をまとう彼女の姿を目撃するはずなのだ。
「私は彼の想いに応えることはできない」とかなんとか言いながら消えてゆく彼女を追ってたどり着いた地下三階から、最下層に封じられた庭師の魂を解放する仕掛けを解除していくことになる。
私たちは今、その最初の仕掛け――封印の札が張られた骨壺だったもの――を前に立ち往生している。
「この壺はね。本当なら封がされていて、中に骨が入っていたはずなの」
「そりゃそうでしょ。骨壺なんだから」
「……そうね。でも今は、封が解かれて中身が持ち去られているわ」
「悪趣味な奴がいたもんね」
この現象の恐ろしさがわかっていないサラはのんきなことを言う。
迷宮の仕掛けは一度解いてしまえば復活することはなく、この薔薇に埋もれた町も例外ではない(迷宮に入るまでに大量のローズに襲われるのは固定)。つまり、私たち以外の誰かが薔薇に埋もれた町で発生するイベントを進行中か、あるいはすでに終了させているのだ。
隠し迷宮の存在は、プレイヤーしか知らない。これは、途中立ち寄った町の冒険連施設で確認済みだ。冒険連は冒険者に迷宮の情報を隠したりはしない。骨壺の封印を解いた人物は、転生者だ。
ネルたちかしら。
彼が旅立ってからすでに三か月以上経過している。私たちだって一か月でここへ来られるくらいには成長できたのだから、転移迷宮を踏破はできなくても脱出した彼が、まずはレベル上げをしようとここを目指した可能性は十分にある。思った以上に早い再会を期待する一方、アドリアルのような別の転生者がここを攻略中である可能性も考えられた。
私は無意識に呪われた剣の柄を握り締めていた。
ゲーム内のどのキャラクターに転生したのか知らないけれど、彼女らの考えることは皆同じだろう。
「二度も死にたくない」
死後、その世界に入り込んでしまうほどにラヴ・ラヴィリンスに思い入れのある連中だ。成仏しなかったのなら私たち同様ろくな死に方をしなかったに違いない。まず間違いなく、彼女か彼か――転生者たちはこう思うだろう。「この世界でこそ幸せになりたい」と。
ラヴ・ラヴィリンスの世界でヒロインがハッピーエンドを迎える方法はただ一つ。ネルと結婚することだ。親密度なんてネルの肚次第でいくらでも変わってしまうし、馬車で飼い殺しにされて魔王に奪われるなんてもっての外。となれば、他のヒロインを消そうと考えるのは私だけじゃないはずだ。
アドリアルの考えが当たっていれば、ヒロインに転生していなくても彼のようにネルに転生してゲームをクリアできずに魔人族になってしまったものもいるかもしれない。ひっそりと暮らしていてくれればいいが、アドリアルのように「ヒロイン狩り」に走る輩が出ても不思議じゃない。彼らも当然レベル上げに最適なこの迷宮の存在を知っているはずだから、世界がリセットされたばかりのここでそういう手合いに遭遇する可能性だって十分にある。
魔人族と遭遇するのはまずい。
初期に入手できる呪われた武具の種類は多くはないし、私がもつ鏖の剣の力はゲーム中盤でも通じるものだけれど、過信はできない。私だって全ての武具を知っているわけじゃないのだから。
それに、ヒロインに転生した人たち全員が、もしかすると「穢れた魂」をスキルとして持っている可能性だってある。
私たちより先に迷宮に入った以上は彼女らの方がレベルは上だろうし、その差を武具の性能で上回ることができなければほぼ間違いなく殺される。
「迷宮なんだからさ、先に潜っている人がいたっておかしくないよ。面倒なところは飛ばして行けるんだから、ラッキーじゃん?」
「そうね……」
その辺りの事情が分かっていないサラはのん気なものだ。彼女に転生者がどうのこうのと説明しても意味がない。私のそういう部分をぼかした「先に入った人がいるらしい」という説明を聞いて、幽霊が怖い彼女はむしろ安堵したように見える。
「ほらぁ、骨壺なんて置いといてさ、行こうよ、リル。あたしは早く水場に行きたいよ……」
「ええ」
ドアを開けて歩き出す。
「もう! そっちは今来た方! 進むんならこっちでしょ!?」
「…………」
方向音痴を治す魔法や薬はゲームの世界にも存在しない。私はサラ以上にうんざりした気持ちで踵を返した。




