第一話:薔薇に埋もれた町
新章スタートです。
今後ともよろしくお願いいたしますm(__)m
ハイン歴2002年8月某日。久方ぶりに帰宅した冒険連ラクロス支部迷宮課課長の肩書を持つ男は、始めのうちこそ自宅に愛娘の姿がないことをさして訝る様子はなかった。
ラクロスの町では冒険者一家のクライスン家が貧民街の連中に焼き討ちされるという痛ましい事件の騒ぎがようやく終息を迎えていた。
彼は出迎えるもののない廊下を進み、リビングのコーヒーテーブルの上で埃を被っていた一通の便箋を見つけてそこに書かれた文章を読み始めた。するとみるみる顔を青ざめさせ、読み終わると同時に肩にかけていた上着を羽織って再び外出した。
親愛なる親父へ
今日もお仕事お疲れ様。って、親父がこれ読んでるのっていつだろうね。
こないだ電話した時にも言ったけど、あたし一応冒険者になれたんだ。職業はシーフね。
(中略)
で、ネル・エルファーって人のお姉さん――リルさんね。
突然だけどあたし、今夜そのリルさんとパーティーを組んでラクロスを出ることになったんだ。
定期的に手紙は出すし、迷宮に入るようなときはそこの支部にちゃんと届け出るからね。ご心配なく。
っつーわけで、ちょいとしばらく留守にします。
2002.6.5 愛娘 サラより
追伸:お小遣いをいくらか前借り致します。愛してるわ。
◇
「サラ! そこ!」
「――言われなくてもぉ!」
リルは振り抜いた呪われたロングソード――通称鏖の剣を中段に構え直し、胴体を横に裂かれて地面に倒れたモンスターの止めをサラに任せて次の目標へ突き進む。
サラがリルに応えて直径五十センチほどの大輪の薔薇の中心をショートソードで抉った。まるで少女の悲鳴のようなか細い断末魔がそこから発せられた時、リルはすでにもう一体の個体を袈裟切りにしており、彼女は飛び散る緑色の体液のシャワーをものともせずにそれを蹴り倒した。
きれいな薔薇には棘があるとはよく言ったもの。見目麗しい二人の少女が先ほどから一時間にわたって打ち倒しているのは、野生の薔薇が倒れた冒険者の躯の養分を吸ってモンスター化したというブラッディ-ローズだ。幹の太さが人間の胴ほどもあり、棘の一つ一つが鋼の刃をもって防がねばならないほどの強度をもつ。
希に上位個体が棘を発射する上に下位の個体を従えて組織的に攻めてくることもあるので、集団で囲まれれば厄介な相手だ。
しかし根が変化した二本の根足以外には移動手段を持たないため、そこを狙って切り払えば簡単に地面に倒れる。
単体のブラッディ-ローズなら初心冒険者二人でも倒せないことはないが、初期のシーフは戦力として頭数に数えるのは難しい。
だがリルが行動不能にし、サラが核を破壊するという見事な連携を展開し、時折、「リル! 北はそっちじゃない!」「じゃあ、どっちなの!?」などと激を飛ばし合いながら進む二人の後方で、花弁を散らしみるみる萎れていくブラッディ-ローズの死体の数はすでに百を数えていた。
「サラ、見えたわ!」
「おっけ! 背中は任せた!」
常識では考えられない速度で成長し、突き進む彼女らが目指しているのはかつての宿場町。ラクロスから北へ伸びる街道を二十キロほど北上し、そこから森へ入って東へさらに二十キロの地点には、ラヴ・ラヴィリンスの世界にいくつか存在する隠し迷宮の一つがある。
その中でもっとも到達レベルが低い場所が、現在サラが門にかけられた鍵の開錠に挑んでいる「薔薇に埋もれた町」である。
「灰色の――!! サラ! 急いで!」
リルはブラッディ-ローズの群れの向こうに、一際大きな個体を見つけて鋭く叫んだ。群れから頭二つは飛び出たその巨体もさることながら、ブラッディ-ローズの上位個体であるデモンローズの接近を知らせるもっとも際立った特徴は、その醜い灰色の花弁だろう。
「もう……ちょい!」
デモンローズが汚らしい灰色の花弁を震わせ始めた。たちまち周囲の赤い花たちが彼女の支配下に置かれ、散発的だった攻撃が蔓と枝葉の波状攻撃に変わる。順調に彼らを切り倒してきたリルが防戦一方になった。
「サラ、サラ!」
赤い薔薇たちが左右に避け、デモンローズの太い蔓が鎌首をもたげるように持ち上げられた。そこにびっしりと生えた棘の一つ一つが致死性の毒を有している。ゲームのシステムでは致死毒で死亡する確率はモンスターの毒のレベルと運を掛け合わせた数値からキャラクターの体力と運を掛け合わせた数値を引いた値が奇数であれば即死、偶数であれば通常の毒ダメージを負う。
半か丁か。
ゲームをプレイしているときならば戦闘をいったんポーズさせてじっくりと検証できるのだが、生身の人間としてモンスターとの戦いに挑んでいるときにそんなことをしている余裕はない。
よしんば致死毒を受けるには至らなかったとしても、彼らの棘や牙でもって攻撃を受けた場合、ダメージは現実に身体の損傷となって現れる。
ラクロスを出てから一か月。それを嫌というほど味わってきたリルは、花弁同様汚らしい汚物をひっかけたような色の棘を見て戦慄していた。
ブラッディ-ローズの攻撃をどうにか捌きながら、デモンローズの棘に狙いを定めさせないようできるだけジグザグに動くが、サラの背中を守らなければならないためそれはほとんど効果がないようだった。リルの動きに合わせて先端をさ迷わせていた蔦の動きが止まった。
「開いたッ!! リルッ!!」
開錠に成功し、開いた扉の奥へリルが引きずり込まれたのと、死の毒を秘めた棘が散弾銃のように放射状にばら撒かれたのはほぼ同時だった。
「はぁ、はぁ……」
もんどりうって床に転がったリルだったが、すぐさま剣を支えにして膝立ちになり、周囲の様子を観察した。
見上げるほどに高い薔薇の生け垣に囲まれた広場だった。濃い緑の中に色とりどりの薔薇が咲き乱れていて、それに埋もれるようにして木製と思しき扉がある。不思議なことに、その向こうにひしめいていた薔薇のモンスターたちの気配はまったく感じられなくなっていた。
リルは、自分が「迷宮の内部に入ったのだ」と確信した。木の扉なんて破壊して追ってこようと思えば簡単にできるはず。だがローズどもはそれをしない。彼らは迷宮の外に出現するモンスターであって、中で遭遇することはないのだ。
となれば、迷宮の入り口周囲六マスはセーフティーゾーン。
リルは安堵の溜息を洩らすと、ズルズルとその場に崩れ落ちた。
「リル、お疲れ……」
サラが駆け寄り、水筒の水を浸したタオルを差し出す。
「ありがとう。あなたもお疲れ様。レベル、かなり上がったんじゃない?」
「どうだかね……」
リルはローズの体液でドロドロになった顔や身体を受け取ったタオルで拭う。彼女はサラが前借した小遣いで購入した皮鎧が土留め色に染まっていることに気づいて舌打ちをした。
「わっ! リル、ちょっと!」
「どうしたの?」
「これ見てよ~! これって、攻撃系スキルだよね!?」
サラは懐から取り出した冒険者カードを見て「やったー」と歓声を上げた。
「どれどれ……」
中身の年齢が三十路に近いリルは、はしゃぐサラからやんわりとカードを奪い取って確認する。
サラ・ブレア
職業:シーフLV15
体力:14
腕力:11(+2)
知力:9
俊敏さ:-2
頑強さ:11(+3)
器用さ:19
精神:6
運:17
固有スキル:短剣術D 刺突E 不意打ちE
職業スキル:開錠C 罠解除D 探知E スニークスキルD
呪文:まだ習得していません
右手:ショートソード+2
左手:なし
身体:皮の胸当て
足:皮の脛当て
その他1:毒の護符
その他2:麻痺の護符
なるほど。
刺突は短剣術を習得中の比較的初期に獲得する戦闘スキルだ。敵の急所を狙って大ダメージが期待できるが、レベルが低いうちは命中率が低くあまり役に立たない。しかしシーフのスニーク状態(敵の視界から消える)から使用すれば攻撃の命中率に大きなプラス補正がかかるため、これを習得したシーフが戦闘で活躍する機会はぐんと増える。
さらに不意打ちと探知によってモンスターの察知能力が上昇するため、先制攻撃からのスニーク、そして次のターンで刺突という流れが、初期のシーフの使い方のセオリーだ。
しかし、それはターン交代制であるゲームの戦闘だからこそ有効なものかもしれない。
リルは周囲の生け垣を見回して首を捻る。
スニークスキルと言ったって、いったいどこに隠れるというのかしら。
密集して絡み合う薔薇の生け垣に泣く泣く入り込むサラを想像して小さく笑い、次の戦闘で試してみるしかないと結論を出したリルは、一人頷いてカードをサラに返した。
「どう? これでちょっとは役に立てるかな?」
サラはこれまで、リルが弱らせたモンスターに止めを刺すというやり方で――いわばおこぼれに預かりながらレベルアップを図ってきた。リルは路銀や装備品を整える資金のほとんどを頼っているのだから当然だと言って聞かせているのだが、サラはいつも「戦闘で役に立ちたい」とぼやいていた。
戦士という戦闘職であり、呪いの武具によって通常の駆け出し冒険者からかけ離れた能力を振るうリルにシーフが戦闘能力で追いつくことは至難の業だ。ましてや前世の記憶を取り戻し、こうして冒険連の許可証なしで探索できる隠し迷宮の存在まで知りつくしたリルが相手では。
「サラ、あなたは足手まといなんかじゃないわ」
さっきだって、あなたがいなければデモンローズの棘で死んでいたかもしれないじゃない。
リルはサラの髪に付着した緑色のドロドロを拭いてやりながらそう告げた。
「う~ん。でもさ、リルは知らない間にすごく強くなったじゃん? あたしも負けてらんないし!」
「マックス先生のおかげよ……」
リルは自身の固有スキルについて明言を避けた。目下のところ、サラはリルについて行こうと必死になっている様子であり、一応先に冒険者になったという矜持を守りたいのかあるいは知りたくないのか。呪われた武具を装備したリルとどれほどステータスの開きがあるのかまでいちいち詮索しなかった。
冒険者カードを見られてしまうと、リルの固有スキルについて説明しなくてはならなくなる。
薔薇に埋もれた町についてはクライスン家の蔵書から知識を得たことにした。
鏖の剣についても「ネルのものだった」などと言って誤魔化していた。
穢れた魂をもつものは魔人族だけ。
記憶の復活と共に発現した固有スキルについて、この世界で何度もリセットを経験したアドリアルの言葉が耳に甦る。
「裏設定を詳細に記した資料集にもそれは記載されていなかったが、ゲームの世界に転生して、魔人族になった俺にはそれがわかる」
アドリアルは遠い目をして言葉を続けた。
「ネルに転生して、ゲームをできずに死んだ奴が魔人族として生まれ変わるんだ。現実のゲームは別として、この世界の法則ではそうなってる」
まさか、自分が魔王になっちまうとは思わなかったけどな。自嘲を多分に含んだ笑いを洩らしたアドリアル。彼はすでに魔王が誕生した故に、彼の後からネルに転生した者が死ぬと、世界はリセットされるのではないかと考えていた。
「ヒロインに転生した奴は、想いを遂げられずに死んじまったらどうなるんだろうな」
行為の後、手早く着衣を直して立ち去ろうとする背中に投げかけられた問いに、リルは応えなかった。
ネルと再会する前に私が死んでしまったら。
そんな考えを振り払うように首を振ると、リルは立ち上がった。
「サラ。行くわよ」
「うん」
「これだけの薔薇を維持しているのだから、きっとこの町は廃墟なんかじゃないわ。必ず誰かがいる」
生きているかはわからないけどね。
「ちょっとやめてよ……あたし、そっち系ダメなんだから」
顔を青ざめさせるサラだったが、リルはその手を取って安全地帯を出た。
薔薇に埋もれた町にはレベル上げにもってこいの固定モンスター「狂騒庭師の亡霊」がいる。さっさとラクロス東の滝迷宮をうろついているズズ・クライスンを消去しなくては。
ネルとの再会を邪魔する可能性のあるものは全て潰す。
リルは呪われた剣の柄を握り締め、蔦が絡んだ扉を開けた。
いつも明るいうちに投下しますが、BDRは……夜向けのお話でしょうか。