狂愛の記憶 最終話 転生者たち
これは、リルが瑠璃という女の記憶を取り戻して十日目のこと。二回目の職業適性試験で落第し、マックス教諭の特別メニューの自主練に励んだのちの出来事である。
冒険連ラクロス支部福祉課職業訓練係が管理する訓練場――所有する施設の中で最も大きな敷地面積を誇る運動場は頑丈な木柵で囲われている。その敷地の端に建つ粗末な小屋すなわち物置小屋に人間の女が一人入って行った。
「……来てたのね」
小屋の中に照明器具はない。建付けの悪い木製の引き戸を開けたことで入り口付近は陽光に照らされたが、建物の奥に佇む人物の姿を浮かび上がらせるには足りなかった。
それでも、そこに呼び出した人物がいる。
彼女がそれを知り得たのは、同じ呪われた魂を持つもの同士で感じるシンパシーのようなものがあるからだろう。
「ああ。情熱的なお誘いだったからな」
常に含み笑いをしているような、会話の相手を馬鹿にしていることが見え見えの口調だった。そのくせ声は低く、うかつに近づくものを威圧する地獄の番犬の唸り声のような迫力がある。
魔人族は生まれながらにして聖霊に呪われ全てに忌避されるというが、それは概ね事実だろうとリルは思った。
呼び出しておいてなんだが、密室で二人きりになるには危険すぎる相手だった。しかしリル――もはやそれは肉体だけで、中身は別の生き物だが――は、為すべきことのために手段は択ばないと誓った。危険を冒したり、代償を支払ったりすることにためらいや恐怖を感じるような人間らしい感性は捨て去ってしまったのだ。
「日時と場所に来るように手紙を出しただけだわ。ふざけたことを言っても付き合う気はないの」
その証拠に、彼女はこの世界の人間なら誰もが敵に回したくない――というかできるだけ相手にしたくない――存在を相手に鷹揚な口をきいた。
「くっく。記憶を取り戻してから完全に別人だな」
「…………!」
影に溶け込んでいる人物の言葉に、リルは息を飲んだ。自分の貞操を奪った相手をまったく恐れていないと示して機先を制するはずが、たった一言で目論見は泡と消えた。
「わかるんだよ。俺には」
下唇を噛んだリルの様子に愉悦を深めたのか、小屋で待っていた人物は楽しげに言葉を続けた。
「キャラクターの裏設定から何から、俺は全部知っている。リル・エルファー……あいつはこれまで、二度も職業試験に失敗したことはない。お前は明らかに別人だ。本当の名前はなんていうんだ?」
なんてことだ。こいつは、想像を越えた怪物だった。
リルは戦慄を覚え背中に汗が噴き出すのを感じ、それが声に出ないよう口をつぐんでいた。
そういう存在がいてもおかしくはない。
ゲームの世界に転生したのが自分たち姉弟だけとは限らないとは思っていた。メインにせよモブにせよ、どこかでそういう人物――転生者に出逢うこともあるだろう、と。しかしこんなにも早く、しかも最終的に主人公に倒される運命を背負った存在がそうだとは。
だが、それならそれで話は早い。
リルの――瑠璃の思考はすぐさまプラスに転じた。
「瑠璃……よ」
「はん。中身が男じゃなくて安心したぜ。それにしても前世の名前まで似てるなんて、これも運命、というやつか」
早々に正体を明かしたリル。それに対して暗闇に立つ人物が感想を述べた。常軌を逸した会話だが、二人の間に冗談を言い合っている雰囲気はない。
「弟のネル――彼もいっしょにこの世界に来たわ」
「…………なんだと」
二人の間の空気が一瞬で凍り付いたように冷えた。小屋の周りに植えられた木々の枝で羽を休めていた鳥たちが一斉に羽ばたく音が聞こえた。
殺気。
それは前世をそうしたものとは無縁の世界で暮らしていたリルにも、はっきりとそうだとわかるほど強烈なものだった。
しかしリルは軽く眉を上げただけでそれをやり過ごしていた。彼女がネルと再会し、幸せに暮らすために為そうとしていることの恐ろしさに比べれば、殺気を叩きつけられることぐらいどうということはなかったのだろう。
「あら、あなたにも怖いものがあるのね。アドリアル――未来の魔王様とお呼びしたほうがよかったかしら?」
「……お前はプレイヤー、か」
「弟も、よ」
アドリアルは魔王などと呼ばれたことよりもリルの弟――ネルがゲームのプレイヤーであったと告げられたことに眉を潜めた。
「ちっ……またかよ」
「また、ですって? どういうこと?」
今度はリルの眉根に皺が寄った。リルの問いに、アドリアルは「答える必要はない」と返して小屋を出て行こうとする。
「ちょっと、待ちなさい!」
まだ用件も伝えていないリルが、アドリアルの肩を掴んだ。
「……」
「私とネルは、前世でも姉弟だったの。私なら、ネルがあなたと戦わないようにできる」
リルは、アドリアルが転生者であることを知ったことで新たに手にした交渉のカードを切った。クライスン家の連中を叩き殺すことはどうにかできても、証拠を隠滅し、自分たちが犯罪者となって追われる身とならないようにすることは難しい。
彼女は冒険者の免状を手に入れれば即、計画を実行に移すつもりでいた。アドリアルにはその後始末を頼むつもりでいたのだ。代償として、この場で魔人に肉体を捧げるつもりで。
ラヴ・ラヴィリンスは非常に自由度の高い美少女ゲームである。主人公は迷宮を探索しながら女性と出会い、仲間にしていく。仲間になった女性は某RPGよろしく馬車の中に待機しており、主人公はお気に入りのメンバーとパーティーを組んで迷宮を攻略し、親密度を高めて様々なイベントを起こしていくが、永遠にハーレムを楽しんでいられるわけではない。
ゲームを開始してから一定期間が過ぎると魔王が誕生してしまうからだ。魔王は誕生からゲーム内の時間で一か月経過すると魔王城――グラフィックでは描かれはするものの、その場所は謎――を出る。そうなると全ての迷宮の難易度がMAXになり、魔王はそうした迷宮内をランダムに移動するようになるのだ。
その時点で主人公パーティーが魔王を倒せるほどに成長していればいいのだが、成長不足のまま魔王と遭遇して敗北するたび、馬車に待機させていたヒロインの命が一人奪われる。
迷宮を探索する以外に親密度を上げる方法がないため、目当ての女性キャラクターの攻略を目指すプレイヤーは魔王誕生後、いつ遭遇するとも限らない魔王の恐怖に怯えてゲームを進めることになる。
そして、ラヴ・ラヴィリンスの世界にどっぷりはまるものと忌避するものを分かつ重要な設定が魔王を倒すと強制的にゲームは終了してしまうというものだ。そのときもっとも親密度の高かった女性キャラクターと結婚して一応のハッピーエンドを迎える訳だが、その時点で発生させられなかったイベントに再び挑むには始めからゲームをやり直すしかない。
もちろん魔王を倒さなければゲームは進められるが、遭遇して敗北する度に馬車からヒロインが一人消える。しかもランダムで。
それ故にプレイヤーはヒロインの取捨選択を常に迫られ、全キャラコンプリートを目指す者はかつて愛したヒロインを犠牲にすることも厭わない強い精神力を求められる。魔王に敗北した際のヒロイン連れ去りイベントの描写は、それはもう残忍極まる内容だ。おかげで画面の前でコントローラーを握り締めてヒビを入れてしまうものが後を絶たなかったという。
「悪いが、俺は主人公を殺すぜ。ゲームの流れを大きく変えることはできない」
「弟もゲームの流れに逆らう気はないはずよ。流れを変えられないなら、ネルは殺されても生き返るし、最終的にあなたは死ぬしかない」
そう、魔王に倒された場合のみ、主人公に「神の手」が差し伸べられて復活することができるのだ。
リルは渋面を作って見せたアドリアルに不敵な笑みで応じ、「あなたは冒険者になった。この世界で力を得るにはそうするしかないものね」と続けた。
アドリアルの眉間のしわが深くなる。リルはそれを意に介さず、さらに口を開いた。
「あなたは裏設定まで全部知っていると言ったわね? まさか、製作者側の人間なの?」
「そうじゃない。設定資料集を持っていただけだ」
「あら、とんだフリークじゃない」
初回生産分、しかも事前予約の百本限定アイテムである設定資料集――通称性なる聖書は、ネットオークションに出品されて十万円近い値が付いたこともある代物だ。ラヴ・ラヴィリンス発売前はほとんど無名だった製作会社のゲーム故に、それを初期に入手することは困難ではなかったが、ゲームが世界的に人気を博すようになってからはマニア垂涎の品なのだ。入手経路はどうあれそれを持っていたアドリアルの前身を想像して、リルは嫌味な笑みを浮かべた。
「主人公に転生できなくて本当に残念ね……あなたがヒロイン奪取を目指す気持ちもわかるわ」
「…………」
「私はね。弟の周りに誰も寄せ付けたくないの。あなたがリル以外のヒロインをどうしようと、好きにすればいいわ」
「お前……まさか」
アドリアルが驚愕に目を見開いた。リルは小首を傾げて妖艶な微笑みを返す。
「あら、私だって攻略対象のヒロインなのよ?」
「リアルにいるんだな……ブラコンてやつか」
そんな安っぽい言葉で私の愛を表現しないで。
先ほどとは違った意味で顔をしかめたアドリアルに内心で舌を出したリル。転生者同士はその後、お互いの今後について話し合い、リルはアドリアルの前世が裕一という名前であることと、裕一は瑠璃の弟が転生してくる前からゲームの世界に住んでおり、何度も世界がリセットされるのを経験していることを知った。アドリアルは世界のリセットは主人公が冒険の途上で死亡したことによって起こるのだろうと主張し、リルもそれに同意した。
二人はその後計画の詳細を詰め、肉欲を満たしてから別れた。
次話 Ner side story を挟んで第二部「狂愛の旅路」へと続く。予定!




