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第十八話:旅立ち

 怨嗟の蓄音器マリシャスフォノグラフが全ての怨念を解放しきったように沈黙した。むせかえるような血の匂いが充満していく。窓を開けようかと思ったけれど、コンサートの音が漏れては困ると思い直してやめた。


 リビングダイニングには吹き出す鮮血がカーペットに浸み込んでいく音と、ララの細くなっていく呼吸音の二重奏に加えて階下の異常に気がついた残りの竜人二人が階段を駆け下りてくる音が、これから始まる狂想曲へと繋がる伴奏のように近づいてきていた。


 赤黒い月明かりの下、指揮者(わ た し)が振るうのは呪われた鏖の剣(タ ク  ト)


「さっきの奇怪な音はなん――リル!?」


 まずリビングに飛び込んできたのはジジだった。彼は月のスポットライトを浴びて立つ私の姿を認めて安堵とも驚愕ともつかない顔をしたのち、右手の剣に気がついて表情を険しいものに固定した。赤い光、赤いカーペット、赤い血――すべて同一の赤ではないけれど、彼はそれを順番に見て息を飲んだ。


「キャアアアア!?」


 兄の背から顔だけ出して、私の顔を見て渋面を作ったルル。すぐに視線を逸らして下を向いたことが災いし、床に倒れ伏す母親の姿を視認した彼女は大きく悲鳴を上げた。静かな月のコンサートが台無しだ。


「リル……君は、なんということを」

「お兄様……お母様は……?」

「わからない」


 意外にも、ジジは冷静さを保っているようだった。こうなることを予見していたのだろうか。彼は私の挙動――ゆらゆらと身体を左右に揺らしながら音楽に身を委ねていた――を油断なく観察しながら、ララの身体へ近づいて行く。袈裟切りにされた傷口から噴出する血液の勢いがかなり弱まっているが、よく見ればまだかすかに胸が上下しているのがわかる。彼女はまだ、息が在るのだ。


 傷の具合を見てルルを振り返り、頷いたジジ。ルルは驚いたような顔になった。


「リル、母の手当てをさせてくれ。秘薬(エクスポーション)を使えば十分に間に合う」

「…………ダメよ」


 まだ息が在るのは分かっていた。でも放っておけばララは死ぬ。蓄音器は使ってしまったし、復活されたら私ではララを倒せない。体力を全快させ、傷をいやす秘薬など使われてはたまらない。


 ジジの顔から冷静さが消えて憤怒の表情が浮かんできた。さながら竜の天井画のような迫力だった。


「リル、なんでこんな――!?」


 言葉を交わす時間はお互いにない。殺し方(たたかいかた)は剣が教えてくれる。私は膝立ちになっていたジジに向かって突進した。


「くっ!」


 横薙ぎの剣は大きく後方に飛び退るジジの尾を掠めて空を切った。私は回転の勢いに逆らわずに飛びながら反転し、彼とほぼ同時に着地した。

カーペットに浸み込んだ血に足を取られたことが幸いし、ブゥン、と音を立てて頭上を通過していく力強い尾を見送ることができた。


 ジジの尾はそのままダイニングの窓ガラスに叩きつけられ、分厚い一枚ガラスでできたそれを粉々に粉砕した。一瞬背筋が寒くなったが、月明かりを反射して煌めくそれを見て私は笑った。


 歌い踊れ。狂乱の宴は始まったばかりだ――


 それは私の感情だったのか。呪われた武具が語りかけた言葉だったのか。私の中にはどす黒い衝動が渦巻いていた。


 引き裂け、殺せ――


 穢れた魂を持たないものは、この声に抗うことができず狂気に飲み込まれて果てるのだろう。


 私は剣の柄を握り込むことで流れ込んでくる力を感じながらも、頭の芯は冷えたままだった。


 尾を振り抜いたジジがこちらを向いて拳を構えた。種族的な力の差は十分に見せつけられた。防具を持たない私の身体をあの尾によって、あるいは爪や拳をもって破壊することは容易だろう。けれども鏖の剣によって上乗せされたスピードは、冒険者になりたてのジジを上回るはずだ。


 当たらなければどうということはない、というやつだ。


 ラヴ・ラヴィリンスの世界では攻撃によって対象物に与えるダメージ総量は、腕力に武具の性能の値を上乗せした数値に器用さと運の強さに応じて発生する連続攻撃の掛け算で計算されている。そこに相手の頑強さと防具性能、敏捷さと器用さ、そしてやはり運の強さによるマイナス補正がかかるのだが、今ジジは防具を装備していない。鏖の剣はレアアイテムであり、その攻撃力だけでも低レベル冒険者の防御を遥かに上回る。よって一撃でもヒットすれば、致命傷を負わせられるだろう。


 連続攻撃なんてゲーム画面には「リルの攻撃! リルはジジ・クライスンに鏖の剣で突きかかった。○○回ヒットして○○のダメージを与えた!」なんてテキストが表示されるだけだ。果たしてそれを現実として体感する場合どのような形になるのか想像もつかない。戦うと選択した時から、まるでそうプログラムされていたかのように身体が動く。動き出すと導くかのような動きをする剣のおかげとも言えるし、ゲーム内で生きるキャラクターに転生したおかげとも言える。


 一撃もらえば死ぬかもしれない――その条件はどちらも同じ。二人の間に経験したことのない緊張が高まる。まるで空気そのものが質量をもってまとわりついてくるかのようだった。


 私の背後で、ララがこと切れた。なぜかそれがわかった瞬間、ジジが動いた。


 姿勢を低くして、突っ込んでくる。直線的な動きだ。剣を突き出して――いやそれでは間に合わない。カーペットはララの血で滑るため踏ん張りも利かない。私はだらりと下げていた剣をカーペットに突き立て、そのまま切り上げるようにして、カーペットを穿った。


「ぐっ!?」


 分厚いカーペットの起毛の群れはララの血でぐっしょりと濡れており、目つぶしには十分だった。顔を背けたジジだったが、急停止すれば私が振り上げた剣が頭上に降ってくると思ったのだろう。勢いが僅かに削がれただけで、彼の突進は止まらなかった。


 だがそれでいい。状況は常に、考える時間もないほど流動的でいい。膠着は思考する時間を生んでしまう。なぜ私がララを殺したのか。鏖の剣を携えた私と戦って生き残れるか。もしかしたら彼は逃走を選んでいたかもしれない。夜中とはいえ町には人通りもある。血塗れの剣を振り回して追跡するわけにもいかないし、ジジが司法組織に駆け込みでもすればリルの人生は終わりだ。


 竜の血を引く戦士の身体が視界いっぱいに広がる。私に覆いかぶさるような格好だ。私はゆっくりと後ろに体重を移動し、身体と垂直になるよう剣の切っ先を立てた。鋭い刃がジジの脇腹に触れた――と思った瞬間その身体にめり込む。上手く硬組織のない部分に入り込めた。


 倒れ込んでくるジジの身体に足を当てる。剣はもう中ほどまで彼の腹部に入っていた。私の背をララの柔らかい身体が受け止める。軽い衝撃。右足にかかるジジの重さが消え、彼の身体は私の上を通り過ぎていく。突き刺さっていた剣はほとんど抵抗を感じることなく抜き去られた。傷口から吹き出す鮮血のシャワーがバタバタと音を立てて顔面に降り注いだ。


 ジジは、怨嗟の蓄音器に衝突して床を転がった。


 私は立ち上がって、這いつくばり血を吐く彼にゆっくりと近づく。差し込む月光にジジの吐く息が赤いスモークのように染められていた。


「はあ、はあ……リル、なんで――」


 私は、ジジの首を刎ねた。







「リル――? こんな時間にどうしたの?」


 クライスン家の処理は終わった。大火事になるのはもう少し先だろう。石造りの建物ではあるが、「クライスン家の闇」終了後あの家はボイラーの爆発と火事によって半壊する。稼働しっぱなしのボイラーの周りにたくさん油を撒いて火を付けてきたし、まあ火事にならなくても私たち(・ ・ ・)は今夜中にラクロスから姿を消す。


「ちょちょ、リル!?」


 白亜のメゾネットで私を出迎えたサラが目を丸くするのも構わず、私はずかずかと上がり込んだ。父親が新迷宮の探索で出ずっぱりのため、サラは今家に一人だ。


 深夜の来訪を訝りながらもけして迷惑そうな顔はしていなかった。


 以前お茶をごちそうになったリビングへ進む。


「靴くらい揃えて――って、なに言ってんだろ、あたし……え?」


 玄関に脱ぎ捨てたスニーカーにはクライスン家の面々の血がべっとりと付いている。さすがにシャワーを浴びて返り血は洗い流したし、シャーリアの服だって私のものに着替えてあるけれど、スニーカーに付着した赤黒いものはごまかし様がない。夜のうちにできるだけ遠くへ移動するためにも、時間の節約が必要だった。


「サラ、いきなりごめん。詳しいことは言えないけれど、私と一緒に逃げてほしいの」


 リビングまで追ってきたサラの肩を掴んで抱き寄せた。


「逃げるって、リル、あんたいったい――んむっ?」


 賭けではあった。

 サラの態度や仕草から、なんとなくそうじゃないかと感じていただけだった。


「お願い、サラ。今は何も聞かないで。あなたしか頼れる人がいないのよ」

「…………わかった」


 唇を離すと、ぽやんとした表情になったサラが頷いた。

 手早く身支度を済ませ、私たちはラクロスの町を出た。




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