プロローグ ※R15
私の全てを変えてしまったあの日から月齢は進んで、今夜は満月だった。どうしてそんな風に見えるのかは忘れてしまったけれど、大きくて、黄色でも白でもない、赤い月だった。クレーターの位置関係が、なんとなく笑っているように見える。見上げると泣けてくるくらい、妖しくて美しい月夜だった。
「はぁ、はぁ……リル、なんで――」
なんでこんなことを?
とでも、男は言いたかったのかもしれない。いちいちそれを聞いてやっている時間はないし、仮に時間があったのだとしても聞いてやるつもりはなかった。
私は男の言葉の途中で右腕を振り下ろした。
呪われた両刃の剣は、ある程度以上の頑強さをもつ男の皮膚に簡単にめり込んだ。何の抵抗も感じないままそれは彼の皮下組織を切り裂き、筋繊維と動静脈を切断しながら――それだけでも致命傷だ――頸椎に達した。硬組織を切断するのにはほんの少しだけ抵抗を感じた。別段そこで刃の動きを止めたとしても、彼の死は確定していた。けれど私の中に渦巻く赤黒い呪詛の奔流が、怨嗟の叫びをもって訴えかけていた。
「引き裂け、そしてブチ殺せ」と。
私はそのまま剣を振り抜いた。バターのように、とはいかないまでもせいぜい枯れ枝を切るくらいの抵抗を感じた後は、先ほどの軟組織を切り裂く感触を逆にたどり、あっという間というよりももっと短い時間で、本当に抵抗はゼロになった。
男の頭部が屋敷の天井まで吹っ飛び、ピンボールさながら壁や床をバウンドして転がって行った。
「――ひっ!?」
大当たり! 家族が殺されていくのを黙ってみていることしかできなかった末娘の足元で男の首が止まった。驚きと恐怖に腰が抜けたのか彼女は床に尻もちをついて、兄の首から遠ざかるように、血に濡れたカーペットの上を後退し始めた。
「やめて……もう、やめてください」
一度だってそんな態度を取ったことがない、高慢でいけ好かない女が、今は私に命乞いをしていた。
「ごめんなさい」
残念だけど、もう後戻りはできないの。私は素直に謝罪した。
この家族は、そんなに悪いことをしたわけではない。あなたのお兄さんのことだって、受け入れたのは私の方だ。お母様も多少口臭がキツイくらいでいい方だったと思う。けれど、私はもう後戻りはできない。私の身も心も、魂までも穢れてしまった。だから、
「お願い、やめて、やめてください! リル――!!」
最後に叫ばれたその名前ですら、もう穢れきった呪いの言葉にしか聞こえない。私が振り下ろした剣は、彼女の脳天から気管支の辺りまで一気にめり込んだ。
次話で時系列は三週間ほど戻ります。ご注意ください