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第十七話:total eclipse 皆既月食

 美しい月が出た夜だった。太陽の光を浴びて輝く聖母の慈愛に満ちた黄金色ではなく、混じりけのない清楚な淑女の様でいてミステリアスな白でもなく。淀んだ経血が混じった汚水を塗りたくったような、赤とも呼べない汚らしい色の月だ。


 死の淵から甦り、清純派ヒロインとはとても呼べない女へと変貌してしまったリル・エルファーの――私の旅立ちの夜には相応しい。


 瑠璃の記憶を取り戻してからは定番となった無言の夕食(ゆうげ)が終わった。粛々と片付けに向かう私の背に、あの夜私を閉じ込めたものの視線が刺さる。もう二週間も前のことだが、彼女の目は閉じ込められたことを話題にもしない私を訝るようなものではなく、完全に敵視しているものの目だった。コモドオオトカゲみたいな目が私の一挙一頭側を注視してくるのは不愉快極まりないものだ。


 あの時引き戸を隔てて立っていたのがジジだと勘違いした私の発言がよほど気にくわなかったのだろう。大好きなお兄ちゃんを取られて怒る気持ちも分からないでもない。それで辛く当たってくるぐらいなら許してやれたのかも知れなかった。


 ルル・クライスン。


 リルだったころは名前が似ているなんて思えたけれど、今となっては醜いトカゲ女であるあなたとわずかでも類似点があることに虫唾が走る。


 おかげでリルの閉所恐怖症が本物だったことがよくわかったとも言えるけど、ゲームの中では迷宮内でキャンプするときの会話で「私、狭いところがダメで……」なんて呟く程度の設定だった。別段それでリルを連れたネルが迷宮を踏破できないようなイベントは起こらなかったし、私は梯子がある通路を通っても平気だった。


 恐らく、今後迷宮探索をするのに大きな支障はないだろう。しかし、密室に閉じ込められるという状況だけは可及的に避けた方がいいということはわかった。だからといって、あなたに感謝するつもりはこれっぽっちもないけれど。


 ジジ・クライスン。


 裏にどんな感情があったにせよ、あなたはそれなりに親切だったわ。でも将来的にネルを勝手に恋のライバル扱いして殺害しようとするなんて許せない。それに、仮にこの世界で生きているつもりの私たちが、ゲームの設定からは逃れられない運命だとしたら、あなたが関わる「クライスン家の闇」というイベントは発生させるわけにはいかないの。


 イベント自体発生させないようにするということが可能かどうかは分からない。もしかすると、ジジを殺害してクライスン家の闇を本当に闇に葬り去ったとしても、別の形でイベントが発生してしまうかもしれない。


 でもゲームの主人公がネルである以上、彼の選択肢を潰しておくことは重要だろう。ヒロイン攻略の必須イベントを熟知しているのは彼も同じだ。前世の記憶を失っていた私に幻滅して、彼が私と出会わないようなルートを選択しようとするかもしれない。その時はきっと、私のこれからの行動が彼に対するメッセージになるはずだ。


 ララ・クライスン。


 正直に言って、あなたには何の恨みもないわ。


 冒険連の職員の横暴っぷりに呆れて弟の捜索を断り、無謀にも冒険者を目指すリルの身元引受人になってくれて、本当に感謝しているの。


 でも、ごめんなさい。


 私はネルと絶対に、何があっても、何をしてでも再会しなければならないの。そのために。


クライスン家(あなたたち)には消えてもらう。


 





「クライスン家の闇」は、迷宮でネルに助けられたズズ・クライスンが脱出後に恩人を自宅に招くことでスタートする。


 竜人族の男は無類の性行好きだが、女は発情期しか男を求めない上にほとんどの個体が三十前後で閉経を迎えるため、成人した竜人族の男たちは性欲を持て余している。ズズ・クライスンは齢五十にして精力旺盛。対する爆風竜人乙女タイフーンドラゴニーナは二子を育て上げてめでたく更年期を迎え、抑えがたいリビドーは若くて活発な使用人へと向かった。


 一般的な人間が竜人族と性交渉をもっても妊娠することはないが、激しい彼らの行為によって肉体と精神を破壊されてしまうこともしばしばあった。結果としてクライスン家の地下に造られた食糧貯蔵用ではない冷蔵庫には、ジョナサンが探していたシャーリアを含め三体の遺体が眠ることになった。


 屋敷に招かれたネルが、このときリルと行動を共にしていなかった場合四体目の遺体を地下二階で発見することになる。


 彼はそこで姉の死を知り、復讐を選択すると呪われた武具を装備して一家を惨殺。ネルは司法組織に囚われて死罪のバッドエンド。罪の告発を選択すると逃走したジジに追われ続けることになる。ちなみに遺体を発見した時点でズズとララが背後から襲い掛かってくるため、彼らの撃破をもってイベントは最終選択の場面へと移っていく。


 私がネルと出会えないまま彼がズズを救出してしまった場合、イベントという名の強制力によって私が死んでしまう可能性がある。ゲームの世界なんて何でもありだ。どこにいても強制的にクライスン家の地下二階で冷たくなってしまう可能性は十分にある。


 よって、私はクライスン家そのものを消去することに決めた。


 私は今冒険者カードを片手に、クライスン家のリビングダイニングに居る。地下二階で見つけた、もともとこの家の使用人だったというシャーリアという女の服を着て。


 暖炉の前には狙ってそうしたかのように半開きのカーテンの隙間から妖しい月明かりが差し込んでいた。とっくに火を落としたはずの暖炉に向かう光の帯を遮って、私はその上に飾られている呪われた武具の柄へ手を伸ばした。


「……触ってはいけないザマス」

「…………奥さま」


 いつの間に現れたのか、あるいは気配を殺して潜んでいたのか。ララ・クライスンが台所へと続く通路の奥からゆっくりと姿を現した。


「ちょっと……興味があったもので」


 顔だけ振り返って笑顔を作って見せたが、ララは険しい表情を崩さない。


「若気の至りで済むのはジジとのことだけザマス。リル。あなたが『穢れた魂』の持ち主であることは、シュミットから聞いているザマス」

「…………」


 若気の至り――? 自分の息子が、記憶が逆流するショックで朦朧としている私に、毎晩何をしたかわかって言っているの?


「ルルのやったことも、この通り謝罪するザマス」

「…………」


 謝罪なんて必要ない。あの子には罪があるのだから。あなたたち夫婦にも。


「リル、わたくしたちはけして――」

「もう、いいわ」

「リル!?」


 剣の柄に手をかけて握りしめた。それを見たララも携帯していた剣の柄に手をかけた。ゲームをプレイしていた時は拾ったアイテムを選択して装備する必要があったが、この場合はこれで装備したことになるだろうか。私は左手のカードを盗み見た。パラメーターが上昇している。どうやら大丈夫のようだ。


「リル……抜けば容赦はできないザマス」

「そう」


 いくら呪われた武具でステータスが上昇していても、いきなり上級冒険者を倒せるわけがない。それはララも分かっているはずだ。彼女なら私が「鏖の剣(ジェノサイドソード)」の柄を握った時点で飛びかかり、私を組み伏せることもできただろう。それをしないのは、きっと。


「リル……どうして笑っているザマス?」


 怖い、からだろう。


 呪われた武具を装備しても、私とララの実力差を埋めるには至らない。そんなことは冒険者となるべく訓練学校に通ったものなら誰でもわかることだ。それにも関わらず、自信を覗かせているかのような私の笑みを、彼女は恐れているのだ。


「ララ……今日までありがとう。感謝しているわ。本当に」

「リル――」

「鳴り響け、怨嗟の蓄音器マリシャスフォノグラフ!!」

「な――ぐっ!?」

 

 んむぅ……おお……んんん……


 穢れた魂の呼び声に呼応して、野外用の巨大スピーカーが発するような超重低音が蓄音器のホーンから発せられた。窓ガラスが震えてビリビリと音を立て、すぐ側にたつ私の内臓も振動を共有していた。


 んおおおおおお……おおおおおおおん、んんんあああああああ……!!


 重低音は徐々に周波数を上げていく。それはやがて、幾重にも重なる怨嗟の波へと変貌を遂げた。


「リ……ル……それを、止めるザマス」

 

 ゲームをプレイしていた時、怨嗟の蓄音器はクライスン家を訪れた際一回使い切りのアイテムとして入手可能だった。


 説明文にはこうある。


 蓄音器の初代の所有者ニコライはオカルトコレクターだった。彼は足繁く死刑場に通っては、死刑囚の断末魔や国を呪う言葉を録音し続け、夜ごとそれを聞いて盃を傾けたという。彼のコレクションが666枚に達した夜。彼は銀盤ではなくターンテーブルに直接遺言を刻み込んだという内容の書を遺して拳銃自殺した。意味不明の記号の羅列を見た遺族の一人が再生してみればいいと提案し、録音された音声を聞いた者は全員死亡したという。


 なんとも気味の悪い逸話が付いているこのアイテムは、発動させるとモンスター1グループを恐怖と混乱に叩き落とし、行動不能にする。その持続時間はわずかに五分だが、効果は絶大、というやつだ。


 その場に膝を突き、水質が悪化して酸素不足になったアクアリウムの水面で喘ぐ魚のようになったララ。私の名を呼んではいても、その目はもう私を見ていなかった。


 おおおおおおおおううあああああああああいひひぃいひひひあああああああ!!


 叫びの中に狂喜を交えた怨嗟のオーケストラが最高潮に達した。ララは白目を剥いて口から泡を吹き始めた。それでも剣を支えに倒れ伏さなかっただけさすがだと思えた。


 月明かりの下、引き抜かれた呪いの刃がぬらり、と光った。ついさっき生き物を切って来たかのように赤く、妖しく。頭の中に喚き続ける蓄音器音とは別種の声が響いてきた。


「さようなら。ララ」


 私は剣を振り上げ、迷うことなく振り下ろした。




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