第十二話:狂愛の記憶1
冒険連ラクロス支部福祉課において実施された職業訓練は滞りなく終了した。試験の結果は翌日個別に配布されることになっているため、試験を終えた面々は粛々と帰路についた。試験の出来栄えや正誤を合わせることで自身の合否を占うといった週間は亜人たちにはないようだったが、戦士志望のリル、ジョナサンは試験後に立ち話をしていた。……ほぼ一方的に話しかけてくるジョナサンに、リルが至極面倒くさそうに応じているだけのものではあったが。
「なんだって、『剣術スキルをSまで成長させることは可能か』の答えは〇なのか?」
「ええ。というか……すべてのスキルの最高ランクはSよ」
「なんてこった……」
ジョナサンは一夜漬けのリルよりも座学の知識が少ないのか、あるいはジジのヤマがよほど的確だったのか。とにかくジョナサンが自分の未来に絶望を感じ始めたのを見計らったように、リルの戦士学の師がやって来た。
「リル、家へ帰ろう」
「いや、それは待ってくれ」
サラが相手の時より圧倒的に早くジジが現れ帰宅を促したところへ現れたのは、意外な人物だった。
「課長さん……?」
「リル・エルファー。試験結果のことで重要な話がある。事務室まで来なさい」
初対面の時の柔和なイメージからはほど遠く、固い表情を浮かべたシュミット。多少なりとも武術の心得があるジョナサンは、有無を言わさぬその迫力に、彼が老練斬などと呼ばれていた伝説級の冒険者であったことを今更ながら痛感したのか、ごくりと唾を飲み込んだ。
「シュミット課長がわざわざ迎えに来るなんて……」
「ふん」
呆然と見送るジョナサンとは対称的に、得物をさらわれたネコ科動物のような口惜しそうな表情で建物を睨むジジ。しかし、二人の背後から近付く気配には敏感に反応して振り返った。
「なんて顔だ、ジジ・クライスン。あんなジジィにも嫉妬か?」
「ハヴ……獣ごときに顔のことをとやかく言われる筋合いはない」
狼の頭部を持つ獣人族のおどけた言葉に、竜人族が応酬した。ハヴはそれを無視して、ジョナサンに向き直った。
「ジョナサン・ギア、お前の鼻が利かないという種族的に劣った部分が、ここのところ羨ましくて仕方がないぞ」
「貴様……何が言いたいんだ?」
無視されたこと以外にも、ハヴの発言はジジの癇に障ったようだ。眉間に深い皺が寄って行くとともに、彼の背中からよくない気配が立ち昇る。
「……お前、いったい何しに来たんだよ」
ハヴは二人を相手に喧嘩を売りに来たのだろうか。ここで戦士志望の三人が素手で戦いを始めた場合、人間であるジョナサンが圧倒的に不利だ。試験が終了したことで訪れる開放感を、二人の亜人が放つ険悪な空気によって台無しにされたジョナサンがため息を漏らした。
「なぁに、このところ毎晩、ジジ・クライスンはお楽しみのようだからな……竜人族のそういう臭いは強烈なんだ。試験前くらいは控えろと、文句を言いたかっただけだ」
「な……」
ハヴが湿った鼻を手で覆い、反対の手で蝿でも追い払うかのような動きをしてみせた。ジジはそれを見て凍り付いたように動かなくなり。ジョナサンは大きく目を見開いた。
「毎晩お楽しみって……クライスン! てめえ――ぐあっ!?」
ジジの胸倉を掴もうとしたジョナサンの手は、手根部の辺りを素早く掴んだジジの手に阻まれていた。そのまま骨を砕かんばかりに締め上げられたジョナサンが思わず呻き声を上げると同時に、トラブルの種をまくだけまいた獣人族は踵を返して歩いて行った。
「ぐ……クライスン、離せ! 離して……くれ!」
ついに懇願するジョナサンの手を乱暴に振り払い、ジジもまた踵を返しかけたが、リルを一人で帰らせるわけにもいかないと思い直し、彼は冒険連の建物へ入って行った。
「はあ、くそ……」
残されたジョナサンは傷む右手首を庇うように左手で隠しながら毒づいて、その場にしばらく立ち尽くしていた。
「あの、お話って……?」
厳しい表情のシュミットを前に、かつてうたた寝をしたソファーに座らされたリルは、応接テーブルに置かれた書類と、胸の前で組まれたシュミットの腕とを交互に見ながら訊ねた。
シュミットは深く吸った息を鼻からゆっくりと吐き出し、その後もたっぷり三十秒ほど沈黙した上で、キッ! とリルの顔に険しい目線を向けた。
老いたりとはいえ歴戦の猛者のそのような視線を受けては堪らない。リルの心拍数は一気に跳ね上がる。
老練斬は刃の様な視線はそのままに、手元の書類を繰って目的のページを出すと、リルの方へと滑らせた。
「これを見たまえ」
「はい……」
よく磨かれたテーブルの上には書類以外何も乗っていない。彼女は恐る恐る紙束に手を伸ばした。
「試験結果……?」
「……」
シュミットは顎で内容を読むように示した。
リル・エルファー ハイン歴1985年12月20日生 十七歳
受験過程:戦士過程
受験日:5月21日 09:00~13:00
合否:不合格(学科試験:合格 実技試験:合格 ステータス適正:不合格)
ステータス
体力:9
腕力:5
知力:6
俊敏さ:4
頑強さ:5
器用さ:10
精神:14
運:2
固有スキル:薬草鑑定D 穢れた魂(異)
職業スキル:なし
呪文:まだ習得していません
「不合格……ですか」
「そこじゃないだろう!?」
「うわっ!?」
リルの反応が気に入らなかったのか、シュミットがバン! とテーブルを叩いた。
「固有スキルを見たまえ! リル・エルファー、これはいったいどういうことだ!?」
「え……あ、なんか増えてますね」
これが何か? と、キョトンとしたリルを見て、シュミットは頭を掻きむしった。
「君はこれがなんだかわかっていて、そのリアクションなのかね!?」
「いえあの、あんまりいい響きのスキルじゃないみたいですけど……」
固有スキルについては、リルはジジがベッドで教えた座学以外の知識を持っていない。彼女の日常は学校での訓練とクライスン家の家事仕事によって忙殺されており、とても勉学に励む余裕などなかったのだから。
体力や頑強さ、俊敏さが成長を見せているのは、マックス教諭のおかげに他ならないだろう。一夜漬けとはいえ戦士学の試験に合格したことで、知力が少し伸びたことも頷ける。毎日炊事、洗濯、掃除をこなし、繕いものまでさせられていた(本人は世話になっているのだから当然と思ってすすんでやっていたし、クライスン家の人間たちも特別悪気があってさせていたわけではない)ことと、サラとシーフの真似事をしていたおかげで、器用さがずいぶんと伸びたようだ。運の数値が極端に減少しているようだが、こればかりは時の運だったと思いたいところだ。
様々な理由で彼女のステータスは成長していたが、それでも「戦士」となることは不可能だ。以前にも言ったように、たかだか二週間弱のトレーニングで鎧を着込んで剣を振り回せるようになる人間などいない。ん? なにザップだって? ……ほう、たしかにそれはすごい効果だと思うがね。すまないがこの世界にはそういうものはないのだよ。
ステータスのことはさておき、彼女の固有スキル「薬草鑑定」が一段階成長している。これは恐らく、毎日竜人族の腹を満たしつつ消化不良を起こさないようにと、様々な野菜を購入し、味わった経験からもたらされたものだろう。
いや、そんなことより「穢れた魂(異)」だ。
「いい響きどころか最悪だ! これは、“魔人族”しか持ちえない固有スキルなんだぞ!?」
シュミットの言う通り。
生まれながらにして神と聖霊の全てに呪われるという「穢れた魂」は、本来人間には絶対に発現しない固有スキルだ。
賢明な諸君は、以前「魔人族になれば呪われた武具を使用できる」と話したのを覚えているだろう。彼女は、魔人族になったのだろうか。
「はあ、そうなんですか」
「こっ……」
事態が飲み込めていない様子のリルを前に、先ほど机を叩いた勢いで立ち上がってしまったシュミットは呆れかえって言葉に詰まった様子だった。
魔人族になる方法については、たしかまだ説明していなかったな。長々と説明などしなくても、それはこれから明らかになるだろう。
「あの……課長さん、これってそんなにまずいことなんですか?」
青い顔になってわなわなと震えだしたシュミットを見ていて、さすがにリルも不安になって来たらしい。
「いや、まずいというか……君は、その……平気なのか」
「はい?」
「いや、だから……身体に何か変調はないかね? 悪魔の紋章が現れたとか、夜中に奇行に走るようになったとか。誰もいないのに声が聞こえるとか、学んだこともない言語を話すようになったとか…………」
一転してリルを気遣うというか、病人を診察する様な態度になったシュミットだったが、通常医師が問診を取るときには訊ねないようなことばかりを矢継ぎ早に訊ねられたリルは、目を白黒させた。
そんなリルの答えを待つように、あるいは訊ねるのをためらうように、少しの沈黙を挟んでシュミットは質問を重ねた。
「不特定多数の異性と性交渉を持つようになった、とか」
「あ、それはその…………」
リルは言い淀んだ。彼女は自身の心と身体がある時点を境に少し変わってしまったことも、シュミットの最後の質問の意味も自覚してはいる。だがそれを、他人に――しかも男性に説明し、告白するのは、うら若い少女としては憚れたのだろう。
「まあ、言いにくいのはわかるがね……だが、事件のこともあり、我々としてはただの若気の至りだった――で済ますわけにもいかないのだ。……入って来たまえ、アドリアル」
「――!!」
シュミットが促すのを待っていたのか、すぐにドアが開けられた。振り返ったリルの目の前に立っていたのは、皆既日食の瞳を持つ黒髪の少年――魔人族だった。彼の姿を見たリルは息を飲み、目線だけを虚空に彷徨わせた。その姿を一瞥した彼は切れ長の目を面倒くさそうに細め、バリバリと蓬髪を掻いた。
「やれやれ……せめて否定ぐらいしろ」
「それはお前も肯定していると受け取っていいのか?」
「…………」
リルはわなわなと震えだした。それをどのように解釈したのかわからないが、魔人族の少年――アドリアルはリルの背後に立ったまま、不敵な笑みを浮かべてシュミットを見下ろした。ジョナサンが息を飲んだ時とは比較にならない、叩きつけるような視線が金環をもつ瞳を射抜かんとしているようだったが、それを受けたアドリアルは薄笑いを崩すことはなかった。
「俺は、その女を暴漢から救ってやった。しかもクライスンの家まで送り届けた」
「それだけじゃないだろう。アドリアル、彼女に何をした!?」
「やめて!!」
リルが叫んだのは、いよいよ語気を強めたシュミットに対して魔人族の少年が、さあ? とでも言うように両肩を竦めた瞬間だった。
「……あの日起きた事は、とてもお話しできるような内容じゃありません」
「あ、いや、エルファーくん……」
「固有スキルを持っていることが、何か問題になるものでしょうか? それに、私は彼らを殺していません!」
先ほどまでの不安げな表情は消え去り、代わりに現れたのはいつものリルとは似ても似つかない、強い意志の籠った目だった。
「…………」
それは、老練斬のシュミットをして絶句させ、出ていく彼女を見送る以外の行動を封じるほどの強さを持っていた。
◇
「やあ、リル。課長の話って――」
「ジジ・クライスン。気安く話しかけないで」
「リル……?」
事務室を飛び出し、階下へと駆け下りてきたリルを迎えたジジだったが、想定していたどんな答えとも近似しない彼女の反応に驚き、場合によっては抱きとめようとでも思っていたのか、両手を広げたまま硬直した。
「私、サラ・ブレアの家に行くわ。あなた、場所を知っている?」
「なんだって?」
「サラ・ブレア。あなたは彼女の家か、または彼女がどこにいるかを知っている?」
「いや、それは知らないが……」
ジジの知っているリル・エルファーは、素直で従順、明るく家庭的な太陽の様な女だった。これまでも人間の女にご執心だったジジは、リルがある日夜遅く帰宅してからは性的な意味でも理想の女になったことに大きな満足とこれからの期待を寄せていた。しかし、今目の前で矢継ぎ早に質問を重ねてくる女は、彼のイメージからあまりにもかけ離れた存在となり果てていた。
困惑と失望がない交ぜになった、ストローでかき混ぜられたみたいな顔になったジジの方を、もうリルは見ていなかった。彼女の視線は彼を通り越して建物の出口に向けられており、もう自分に用事はないと告げているかのようだった。
「なら、もう話しかけないで。私はとても忙しいの。――ああ、それと」呆気にとられているジジの脇をすり抜けて颯爽と出口へ向かうリルは、すれ違いざまにきちんと自分の意志を告げていた。
「今夜から私のベッドに入り込まないで。はっきり言って、キモイのよ」
「…………」
お互い振り返ることもなく、ジジとリルは別れた。




