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第十話:皆既日食と赤 ※R15

「ええ、と……」


 首の痛みなどに構っている場合ではない。

 リルは空を見上げ、青みがかった光を放つ一等星を探した。


「あれだ」


 目当ての星はすぐに見つかった。諸君の世界では北の空に輝く北極星とやらを見て、方角を知るのだろう? リルの世界にも似たような風習があるのだ。


 その星の名は青碧星(ブルーネススター)。北の夜空に輝く道標として、古くから親しまれてきた。


「あっちが北だから、お箸を持つ方が東で……って、どっちが家かわかんないんだった」


 リルは薄暗い路地で両手を広げ、どうにか方角を知ることができた。誠に残念なことだが、目指すクライスンの屋敷がどの方角に位置するのかまでは、青碧星は教えてくれなかった。


「……とりあえず学校まで戻って、カフェの人にでも道を聞こう」


 知らぬ土地で道に迷うことの不安からか、いちいち考えを声に出して歩くリル。いつの間にか迷い込んでいたのはラクロス冒険連の施設がひしめく区画の西。新迷宮の発見以来冒険者が以前よりも多く集まるようになったラクロスの治安は、お世辞にもいいとは言えず、彼女がさらに奥へと迷い進んでいく先はそんなラクロスの中でもっとも危険な「貧民街(ファヴェーラ)」だった。


 ラクロスにはたくさんの人と亜人が暮らしているが、その人口のおよそ二割は冒険者か元冒険者、あるいは冒険連に関わる仕事をもつものが占めている。リルがファヴェーラでとある人物に遭遇するまでもう少し時間があるようだから、ここで少し、冒険者たちの暮らしについて触れさせてもらおう。


 現役の冒険者たちが収入を得る方法はいくつかあり、そのほとんどが迷宮を探索しないことには始まらないものであることは言うまでもないことだが、冒険者が存在しない世界に暮らす諸君のために、敢えて説明しよう。


 冒険者法によれば、迷宮はすべからくそれが発見された領土を有する国家の財産であり、国または国の認可を受けた冒険連施設長の許可なくこれに立ち入ることは許されない。迷宮の多くは危険な魔物の住処となっており、実力に見合わない無謀な挑戦をして冒険者が遭難あるいは死亡してしまうことを防止することを目的に掲げているのだが、これはもう間違いなく、迷宮に眠る様々なアイテムや宝を不正に入手させないために厳重な監視を行うことを目的に定められた法案だ。


 その証拠に冒険者法では、冒険者は迷宮に潜る際、パーティーメンバー全員の所持品のリストを提出し、探索を終えて帰還した際には迷宮内で入手したアイテム及び攻略情報をまとめたレポートを提出するまで、探索許可証を発行した冒険連施設がある町から離れてはならないとも定められている。


 以上を踏まえて冒険者たちは、迷宮を探索した結果としていかなる報酬を受け取るのか。


 まず、冒険者は迷宮から持ち帰ったものを次のように整理する。


 一つ目は「情報」だ。


 冒険者は踏破した迷宮の階層ごとに地図(マップ)を作成する。冒険連の定める書式に則って作成された階層のマップには詳細な情報――罠の位置や複雑な仕掛けを解かねば開かないドア、出現するモンスターの情報などなど――が書き込まれ、最下層までそれが作成された迷宮は、「探索済み」と認定される。


 新迷宮を探索することは冒険者たちの多くが持ち合わせている「冒険心」とともに、踏破した階層と作成したマップの情報量に応じて支払われる報酬によって、彼らの財布も満たしてくれるのだ。ちなみに冒険連は探索済みの迷宮の詳細情報を記した「攻略本」を発行して、販売している。


 さて、探索済みの迷宮であっても、マップに追加するべき新情報があれば報酬が受け取ることはできるが、故意に虚偽の情報を持ち込んだ場合は厳罰に処される。最悪冒険者免許をはく奪され、再取得が不可能になる場合もあるため、小賢しいマネはしないことだ。


 続いて二つ目は「アイテム」だ。


 一部の科学的、歴史的に価値の高い、研究の対称になるようなものを除き、武具やアイテムの類いは冒険連の検品を経たものであれば、冒険者たちにその所有権が譲渡される。彼らは自分たちにとって有用でないものを冒険連に買い取ってもらい、収入を得ることができる。といっても、モンスターが所持していたものや迷宮に放置されていたような武具やアイテムの中に、金銭的価値が高い、あるいは装備することによって超常の力を得られるいわゆる「レアアイテム」があることはごく希だ。


 呪われていなくても様々なマイナス効果を秘めている可能性もあるアイテムを「未鑑定」のまま使用することは大きな危険を伴う。「鑑定スキル」を所持していない多くの冒険者は冒険連の検品係に「鑑定料」を支払う必要がある。ほとんどのパーティーがそうした報酬を山分けするので、冒険者がアイテムを売ってひと財産を築こうと思ったら、危険を冒して「未探索」の迷宮に挑み、これを踏破して報酬を受けつつ、その奥深くに眠るレアアイテムを探し出す必要があるというわけだ。

また冒険連が買い取るアイテムの中には、特定のモンスターの身体の一部――一般的に「素材」と呼ばれるものも含まれる。例えば膨大な魔力を秘めた戦闘人形(ゴーレム)の核などがそれにあたる。他にも様々な素材となるモンスターが存在し、その利用法は多岐にわたるが、それはいずれまた説明の機会を設けよう。


 さてラクロスのみならず、迷宮の近くにある都市の多くが貧民街(ファヴェーラ)を抱えており、そこに住む経済的弱者たちの八割以上が冒険者で占められているのだが、諸君はこの現実をどう思うだろうか。


 この事実はすなわち、「冒険者になっても食いっぱぐれてスラム暮らしを余儀なくされているものたちが相当数いる」ということを示している。


 身体を鍛え上げ技を磨き、迷宮の奥底からお宝を持ち帰るだけの実力を身に着けた、いわゆる上級冒険者になれるのはほんの一握りであることは想像に難くないだろう。ラクロスを含めて冒険連の施設が立つような町の地価はけして安くない。初心冒険者はそもそも迷宮の奥深くまで潜る力がない。クライスン夫妻のように豪邸を構えるどころか人並みの生活を送るだけでも相当な回数迷宮に潜り、アイテムなり素材なりを集めてくる必要があるのだ。


 例えば水脈が近い地下迷宮に潜る場合、容易に手に入るアイテムの中に「カラーゴケ」という色とりどりの発色をする苔がある。迷宮の壁や天井に自生しているのか誰かが植えたのかはわからないが、とにかく生えているそれをむしって集め、大人が一抱えできるくらいの袋に満載したもの――重さはだいたい五キロ――を持ち帰ったとしよう。それは乾燥させて粉末にすると染料の元として売買されるのだが、冒険連がカラーゴケを買い上げる場合の値段は、乾燥前の無選別の状態で一キロあたり銅貨一枚だ。


 ラクロスの一般的な個人向けアパートメント一室の家賃を銅貨に換算すると月々二十枚は必要になる。もし、カラーゴケだけで生計を立てようと思うなら、家賃だけで最低二十キロ。加えて光熱費に食費、装備品を整えるとなれば、毎日迷宮に潜って苔をむしらなくてはならない。


 だが忘れてはならない。彼らが必死に苔をむしっているのは魑魅魍魎が潜み、悪鬼羅刹が跋扈する迷宮なのだ。いつ背中を狙われるとも限らないし、苔が詰まった五キロの袋なぞ武器にも防具にもならないただの荷物だ。そんなものを抱えてモンスターの群れを一掃できるようなら、そもそも苔よりいい素材を持ち帰れるというものだ。


 ファヴェーラには、冒険者になったはいいもののそれだけでは生活が成り立たず、それでも夢を捨てきれないものや、怪我などで仕事を続けられなくなったものなどがひしめいている。


 酷くなる一方の筋肉痛に呻きながら――ん? ポーションで回復したんじゃなかったのか、だって? ポーションは「体力回復薬」だぞ。筋繊維に溜まった乳酸を追い出す効果などありはしない。


 とにかくリルが迷い込んだのは、町中に在りながらまるで迷宮のように入り組んだ貧民街だった。


 ほら、いいかげん目指す訓練学校の周辺とは趣が異なる、どう考えても通った覚えのない不衛生な通りに足を踏み入れてしまったことに気がついたリルの周りに、ハゲタカのような目をした連中が集まって来たぞ。







「……お嬢ちゃん、こぉんなところで何やってんだぁ?」


 これ見よがしに錆びたナイフの欠けた切っ先をチラつかせながら、奇妙な角度に背を曲げた、痩せた人間の男が言った。


「あ、あの私、道に迷ってしまって……」


 男の眼光はけして鋭くはない。朝方クライスン家を睨み上げたジョナサンの方が、目の奥に宿る力は上に見えるが、リルにとっては恐れの対象にしかなるまい。彼女は無意識なのかマックス教諭の訓練のおかげか、体幹の正中線を守る様に腕を前に持ってきつつ、正直に事情を話した。


「ひぇ? 道に迷ったぁ……? ひ、ひぁ~っはっはあ!」


 何が面白かったのか、男は歯のない口を開けて笑った。曲がった背とその口のせいで、男の年齢はリルよりも大分上に見えた。


「そ、そうなの。だから、その、冒険者訓練学校に行く道を教えてもらえませんか?」


 男に合わせたつもりなのか、引きつった笑みを浮かべたリルが訊ねると、男は急に真顔に戻って口を開いた。


「訓練学校だとぉ……?」

「はい、あの私、そこの戦士過程で勉強中で――きゃっ!?」


 リルが短く悲鳴を上げたのは、痩せた男の背後に転がっていた甕の影から小さな人影が飛び出したことに驚いたからだった。


「訓練生なんかが、こんな時間にファヴェーラをうろついてちゃいけないな……なあ、ホッジ」


 小さな人影は服と呼ぶには擦り切れすぎた黒いボロ布を纏っていた。リルの腰ぐらいしかない身長に反してその声は低く、ボロ布の隙間から覗く素足はずんぐりとした大足であり、どうやら彼はホビット族らしかった。


「ひっひ。まったくだ、ガベッジ」


 ホビット族――ガベッジに同意すると、痩せた男――ホッジは弄んでいたナイフの柄を握り、切っ先をリルに向けた。


「あの、何を」

「一度でもファヴェーラに足を踏み入れたらなぁ、“通行料”を払わなきゃならねぇんだ……学校じゃ教えてくれなかったかい?」

「ファヴェーラ……通行料……? あの、私お金なんて……」

「持ってねぇのかい? 銅貨の一枚も?」

「いえ、その……」


 本当は銅貨二枚と鉄銭の数枚は持っているリルだったが、大人しくそれを差し出したからといって、この男達が立ち去ってくれるとは思えない。彼女にそう思わせるほど意地悪く口元を歪めたホッジが、半歩踏み出した。その分後退したリルの顔が青ざめていく。さらに一歩踏み出した男の腰布を、ガベッジが引いた。


「……金がねえなら、仕方ねえ」

「ひぇっひぇ。まったくだな……」


 男達が何をするつもりかを悟ったのか、リルが背を向けて走り出そうとした。


「おおっと、へへへ。逃げようったってそうはいかねえ」

「!!」


 ガベッジが瞬時にリルの正面に回り込んだ。ゴミやガラクタがそこら中に転がり、小屋とすら呼べないようなバラックが立ち並ぶ上に建築理論を無視した増改築を施した結果として、さながら迷宮のように入り組んだ路地を形成しているファヴェーラの路地は狭い。大人二人がやっとすれ違える程度のそれであるが、体躯が小さく、敏捷なホビットにとっては有利に働くようだった。

 

「叫んだりするなよ……一度に何人も相手にしてえなら、止めねえけどよ」

「放して!」


 ホッジが外見に似合わない膂力で、背後からリルを羽交い絞めにした。耳元で囁くような警告と臓腑を病んでいたララに迫る口臭は、リルを容易くパニックに陥れた。


「いやー!! 誰か!!」


 ホッジが耳たぶを咥え、口臭の元である舌苔だらけの舌で舐めまわす。たまらず悲鳴を上げて腕を振り回すが、特に意味をなさないどころかホッジの嗜虐心を煽る結果になった。


「ひっひ。ばーか。自分から目立ってどうすんだ?」

「あぅっ!?」

 

 羽交い絞めの体勢から素早く腕をとられ、リルは足払いの要領で簡単に地面に転んだ。


「あらよ、っと!」


 それを待っていたかのようにガベッジが馬乗りになった。ホッジは頭側にしゃがんでリルの両腕を押さえつけた。


「いや! 放してよ――ひっ!?」


 いつの間に受け渡されたのか、ガベッジの手にはホッジが持っていたはずのナイフが握られていた。明らかに不衛生な刃の切っ先が、リルの白い喉に添えられた。


「へへへ。あんまりうるせえと、先に(・ ・)死んでもらうことになるぜ? 俺たちゃ別に、どっちが先でもいいんだからよぉ」

「ひぁっはっはぁ! ちげえねえ!」


 ガベッジ同様下卑た笑い声を上げたホッジがナイフを受け取り、リルの目の前をゆらゆらと通過させた。彼はリルの腕から離れていたが、彼女はばんざいの姿勢まま動かなかった。


「いい子だ……」


 ガベッジの足同様ずんぐりとした手が、リルのジャージのチャックに伸びた。焦らして恐怖を煽るようなことは必要ないと思ったのか、彼は一気にそれを下まで引き下げた。


 昨夜とは打って変わって蒸し暑い空気がラクロスを包んでおり、激しい訓練の時から籠っていた汗の匂いが解放された。


「たまんねえ……」

「ガベッジ、早くしろ!」


 ガベッジが纏っていた黒いボロ布をまくり上げ、猿股の隙間から何かを取り出した。幸いリルの視界は涙によって大きく歪んでおり、彼女の臍の辺りで何が起きているかを視覚的に捉えることはなかった。


「へっへ……」

「いや……やめて……」


 ガベッジの手がリルのジャージの腰を掴んだ。その時下に履いている下着のゴムまでしっかりと握られていたことからようやく事態を飲み込んだリルだったが、歪んではいてもなぜかそれだと分かる刃のおかげで、か細い声が漏れただけだった。どうにか抵抗しようと下半身を捩ったリルの反応を楽しむように、じわじわと、セミの脱皮でも手伝っているかのようなペースで下着とズボンが降ろされていく。


「――!!」


 ホッジが空いている左手で、Tシャツの上から膨らみを鷲掴みにした。リルはビクリと身体を震わせただけで、声を発することはできなかった。







「あらよ、っと――へ?」


 変化が訪れたのは、ついに下着が膝下まで降ろされたその時だった。


「なっ! ガベッジ――げふっ」


 ガベッジの間が抜けた声、ホッジの驚愕の声と呻き声の後、生温かい液体のシャワーがリルを襲った。


 今にも崩れ落ちてきそうなバラック群の向こうに見えていた星空も、リルを嘲笑うかのように浮かんでいた月も、何もかもがどす黒い赤に染まっていた。

バシャバシャと音を立てて降りかかる赤い液体は、やがてそれを供給する臓器の動きの弱まりに合わせて尻すぼみになり、ドサドサと何かが倒れる音のあとはもう降って来なくなった。


「……あ」


 何者かに腕を掴まれ、強制的に立ち上がらされたリルは、口中に鉄さび臭い液体が入り込むのも構わずポカンと口を開けた。


 何もかもが真っ赤に染まった世界の中で、皆既日食を思わせる二つの瞳だけが、彼女を見つめていた。




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