第九話:訓練学校初日 放課後
吾輩の家には様々な呪われたアイテムがあり、その中にはもちろん危険な武具も存在する。まあ吾輩の身体には誇り高き竜の血が流れている故、当然それを装備することなどできはしないのだから、穢れた魂を持たない一般冒険者からすれば「悪趣味」で、魔人族からみたら「宝の持ち腐れ」なのかもしれない。だがね、吾輩は呪われたアイテムたちにまつわる身の毛もよだつような物語が好きなのだ。
君らだって、ホラー映画や小説を好むやつが知り合いに一人二人いるだろう? ああいうもののほとんどは創作に過ぎないが、呪われたアイテムは現実に存在して、特に武器――その刃、あるいは鋲に付着した被害者の血すら拭われていないものもある――を眺めていると、なんとも形容しがたい興奮と不快感がない交ぜになった不思議な気持ちになるのだ。うむ。そうだな、あの感情はまさしく「陶酔」だ。呪われたアイテムの収集の醍醐味は、それを感じることにあるのかもしれん。
冒険連出版 中~上級冒険者向け情報誌「冒険中毒」より『特集 コレクターズに聞く!「呪いの武具」の魅力とは』 寄稿 ズズ・クライスン(ラクロスの冒険者)
歩調を合わせてはくれないサラを追いかけ、訓練学校の運動場へ戻ったリルは、マックス教諭による直接指導のもとで行われた「特別メニュー」を坦々とこなす……ことはできなかった。途中何度も木陰で休憩を余儀なくされ、二度ほど体力回復薬の世話にもなり、ようやく迎えた放課後のことである。
マックス教諭はリルの世話をサラに任せて、獣人族の二人と人間の男子たち――用具片付けの当番――を連れて物置小屋へ向かった。訓練用具を片付けるためだ。エルフたちは訓練終了後早々に運動場を後にし、魔人族の少年も続いて姿を消した。
立ち上がることすらままならないほどに疲弊したリルに、この日三度目の体力回復薬を飲ませてやっていたサラが、夕日を遮られたことを訝しんで顔を上げると、そこにはジジ・クライスンが立っていた。
「リル、マックス先生に大分しごかれたようだね」
「うん……想像以上だった」
即効性の高いポーションを半分ほど飲んだリルは、弱々しくはあっても笑みを返すくらいの体力を取り戻したようだった。ジジはそれを見て頷いてから口を開いた。
「リル、家に帰ろう」
「悪いね、クライスン。リルはこれから、人と会う約束があるんだ」
ジジが差し出した手――手の甲の八割がたが硬い鱗で覆われた――から守るようにサラが立ちふさがった。
「リル?」
サラなどそこにいないかのように、ジジはどうにか彼女の手を借りずに立ち上がったリルを呼んだ。
「ジジ、私、このあとジョナサンと話をしなければならないの」
「ジョナサンと……?」
「うん」
ジジの目が細められたが、リルは表情を変えずに頷いた。そして、「ジジも一緒にどう? 今朝のこと、きちんと話し合った方がいいんじゃないかな」と言った。
「ちょ、ちょっとあんた――はっ!?」
あたしがなんのためにお膳立てをしたと思ってんのよっ! サラは内心叫び出したい気持ちだったが、直後に発せられた強烈な怒気に圧迫されて息を飲んだ。
「朝のことなら、忘れたんじゃなかったのかな……?」
竜人族なら誰もが所持している固有スキル「逆鱗」は、感情の高ぶり――多くは怒り――によって、彼らの血に眠っている竜の力を目覚めさせるのだが、訓練を積んでいない竜人族では力の流れを掴むことができず、ただのヒステリーで終わってしまうことが多い。優秀な冒険者であるズズとララの子であるジジは、すでに正しい逆鱗の発動のさせ方をマスターしつつあった。
「ごめんなさいジジ。そうしようと思ったんだけど」
逆鱗を発動させた竜人族は、瞬間的に体力、腕力の数値を1.2倍~2倍まで増加させることができる。それによって生み出される膂力に、生身の人間が打ち勝つことは困難を極める。それを知っているサラは素早く周囲に視線を巡らせ、片づけを終えたらしい男子たちの姿を見つけ、その中にマックス教諭が含まれていないことに歯噛みした。
ああ、ちょっと、今あんたが走ってきたら余計にこじれるじゃないの!
ただならぬ気配を感じ取ったらしく、男子の一団の中からジョナサンが飛び出し、サラとリルの方へ猛然とダッシュし始めたのを見て、サラは内心頭を抱えた。
「リル。あんなやつと話し合う必要はない。帰るんだ」
ジジの背中から半透明のオーラが立ち昇った。竜人族が迷宮以外の街中で逆鱗を発動させることは法律で禁じられているが、訓練学校内は別だ。ジジがこのまま激情に任せて逆鱗を発動させてしまったら、サラやジョナサンでは止めることはできない。
「あんなふうにお互いを貶めあうのはよくないよ。二人の間に誤解があるなら、話せばわかるんじゃないかな」
「…………ふん」
焦燥を隠せないサラとは逆に妙に冷静なリルは、彼女の細い身体を回り込んでジジに対面し、再度対話を促していた。ジジは応えなかったが、細められた目の中で眼球がぎょろりと動き、走り寄ってくる人影を捉えたことで荒々しい鼻息を洩らした。すると、発動しかかっていた逆鱗のオーラも消え、ジジの顔には柔和な笑みが戻った。
「クライスン、てめえ――」
「朝の会話以上のことをジョナサンとする気にはなれない。僕は先に帰っているよ」
「んなっ!?」
時を同じくして三人の元へ到着したジョナサンが、息をつく間もなくジジに詰め寄ったが、ジジはそれを無視して踵を返した。
「ジジ――」
「僕を『友人だ』と言ってくれた君を信じているよ、リル」
背を向けたまま静かに言うと、ジジは振り返らずに運動場を出て行った。
「疲れてるとこ悪いな、リル」
「いいえ。私もあなたとはお話ししたいと思ってましたから」
「嫌われちまったな……」
リルの言葉はけして好意的な意味で言ったのではないということが、対面する席に座った彼女が硬い表情で紅茶を飲む姿から想像できたのだろう。ジョナサン・ギアは少し癖のある茶髪頭を掻いて苦笑いを浮かべた。
リルは黙ったままピンクがかった液体に浮かぶ輪切りにされたレモンを見つめ、ジョナサンも天井からつりさげられたランプの炎がちらつくのを眺めていた。傍から見れば別れ話でもしようとしている人間のカップルにでも見えたかもしれなかった。二人は今、昼休みにサラとリルが訪れたカフェを再訪していた。
「……どうしてみんな、ジジの家を悪く言うんですか?」
会話を切り出したのはリルだった。
「朝も言ったろ? あの家で、人が何人も消えてるんだ」
「シャーリアさん、でしたっけ」
「そう、だ」
頭の後ろで組んでいた手を解き、ジョナサンが木目もまだ新しい、よく磨かれたテーブルの上に身を乗り出した。
「シャーリアさんだけじゃない。調べたところ、過去にあの家に雇われた人間の女性が、三人も行方不明になっているんだ」
「…………」
ジョナサンは、ラクロスの一般家庭に生まれた少年だ。冒険者を夢見て日々トレーニングに励んでおり、日課のランニングコースにもラクロスに住む冒険者たちの家が多数ある。その中にかの有名な爆風竜乙女ことララと、悪趣味収集家ズズ・クライスンが住まう屋敷も含まれていた。かつてズズと同様の趣味を持っていた冒険者が暮らしていたというラクロスでも歴史ある建物の庭を横目に走っていた折に、ジョナサンとシャーリアは出会った。
田舎から仕事を探してラクロスに出てきて、クライスンの家でメイドの仕事を得たシャーリアは、気位の高い竜人族が暮らしており、そのコレクションの質のせいで「呪いの館」などと言われている屋敷の敷地でジャージを着た人間がなにをしているのだろうと訝るジョナサンに、極上の笑みで朝の挨拶をしたのだった。
それから二人は庭の塀越しに挨拶を交わすようになり、二週間たつ頃には短い会話をし、ひと月も経つと、シャーリアは塀の外でジョナサンを迎えるようになった。ジョナサンはランニングのコースをクライスンの家の前を最後に通るように変えた。ランニングの終わりにシャーリアと世間話をするのが何よりの楽しみとなり、いつしかそれは恋心へと変わっていった。
シャーリアとの出会いから三か月。ジョナサンは、シャーリアに告白を決意していた。いつかは田舎に帰って亜人相手に食堂を営む両親を助けたいという彼女に、冒険者となった自分が珍しい素材を持ち帰る――そんな夢を語ろうと思っていた。
逸る気持ちが自然とランニングのスピードを上げ、予定よりも少し早くクライスン家の近くまで来てしまったジョナサンは、庭先にシャーリアの姿がないことを認めると、手持無沙汰にクライスン家の周囲を回って観察していた。
朝靄も中に浮かぶ二階建ての建物の中には血も凍るような恐ろしい呪われたアイテムが多数保管されており、夜な夜な窓辺に佇む幽霊を見たとか、明け方女の叫び声を聞いたとかいう噂がまことしやかに囁かれてはいたが、冒険者を夢見るジョナサンが、いつか自分も大きな屋敷を所有できるくらいになりたいものだと思い、そこにシャーリアと暮らす姿を想像して口元を緩めたその時だった。
ジョナサンは、女の叫び声を聞いた。それは間違いなく、屋敷の中からだったと彼は力説した。クライスン家には裏口はない。慌てて彼は屋敷の正面に回り、迷うことなく門を潜って屋敷の扉を叩いた。
その直後、扉が勢いよく開かれ、中から人間の女――シャーリアが飛び出してきた。肌寒い季節だというのに、彼女は薄いネグリジェ一枚という出で立ちだった。
慌てて目を逸らすジョナサンの胸にシャーリアが飛び込み、思わず震える肩を抱きしめたジョナサンは次の瞬間、恐怖で歯の奥が小刻みに触れ合うのを止められなくなった。
なぜなら、照明が落とされたクライスン家の玄関の奥、地下へと続く階段を上がって、赤々と燃える瞳の竜人族が現れたからだ。冒険者を目指すジョナサンだが、本で読んだことはあっても現実に逆鱗を発動した竜人族と出会ったことなどなかった。
圧倒的な殺気にジョナサンの心は折れ、泣いて拒むシャーリアの肩を掴んで屋敷に連れ戻すズズ・クライスンを止めることはできなかった。幕を引くように閉じられた扉の前から、ジョナサンは逃げ出した。
それ以降、シャーリアの姿を見た者はいない。
「……シャーリアさんは、実家に帰ってなんかいない。彼女の両親に手紙で確かめたんだ」
話しがひと段落したらしく、ジョナサンはコップの水に手を伸ばした。
「でも、クライスンさんは」
「爆風竜乙女がなんと言おうが、俺は事実しか語っていない。もう一度言うが、あの家で消えた人間の女は、シャーリアさんだけじゃないんだ」
「…………」
リルは、紅茶がまだ半分ほど残っているカップの柄を強く握っていた。
ジョナサンの話が本当なら、あの家で何か事件が起きている可能性は十分にある。サラとジョナサンが、リルがクライスン家に下宿することに強く反対するのも頷けるというものだ。
賢明なる諸君なら、そんな怪しい家からはさっさと出ていくだろうな。だが、リル・エルファーがララを始めとするクライスン家の面々に強い恩義を感じていることは諸君も承知しているだろう。
「あなたのお話はわかりました」
「そうか。だったら――」
「でも、なんの証拠もないことでしょう?」
「シャーリアさんは実家に戻ってないんだぞ!? それが何よりの証拠だろ!」
ジョナサンが目を剥いて、周囲の迷惑にならない範囲で声を荒らげた。それを見てリルはさらに表情を硬くし、ため息をついた。
「その女性――シャーリアさんがご実家に戻る途中で、なにかの事件に巻き込まれたのかもしれないじゃないですか」
「それはそうかもしれないが、俺は実際彼女が乱暴されているのを見たんだぞ!?」
これだけ言ってもわからないのか、ジョナサンは口中で噛み砕くように言うと両手を広げた。
「仮に、ズズさんがそんなことをする人だったとしても、彼は今、あのお屋敷にはいません。迷宮で遭難しているそうですから」
「ズズがいなくてもジジがいるだろうが!」
「ジジはあなたと違って紳士的だわ。そんな乱暴を働くような人じゃない」
「ついさっき、学校で暴走しかかっていたじゃないか!」
首を横に振ったリルに、ジョナサンは叩きつけるように言った。
「……彼はきっと、あなたにそんな風に言われて傷ついているわ。それに彼はちゃんと、怒りを抑えられていたじゃない?」
あなたと違って。
リルはテーブルの伝票を手に取って立ち上がった。
「うぅ……痛た……」
勢いで立ち上がり、会計を済ませてカフェを出たリルはしばらく道なりに歩き、ジョナサンが追ってこないことを確認してから、民家の塀に寄りかかった。
「参ったねぇ、わたしゃ、戦士には向いてないのかもねぇ……ひ、ひててて……はあ」
すっかり暗くなった空を見上げたリルは、老婆のように独語してからため息をついた。
「ズズさん……か」
ジョナサンがあれ程に興奮して言うからには、シャーリアという女性にズズ・クライスンが乱暴を働いたということは事実なのだろう、と、リルにも思えた。
「ジジは……違うよね」
放課後、運動場で見たジジの様子は、彼が人ならぬ亜人であり、感情のままに暴走すれば人間を簡単に殺してしまうほど恐ろしい力を秘めているということを、リルの心に刻みつけていた。
「……帰らなきゃ」
痛む足を引きずるようにして、リルは歩き出した。クライスン家とはまったく逆の方向へ向かって。
「…………あれ?」
三十分後、リルは道に迷っていることに気がついた。
方向音痴。




