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第八話:訓練学校初日 午前

「そっか~。弟のネル君は、魔術士だったんだ」


 そいつは大変だと腕を組んで険しい表情を作ったのは、訓練学校生の人間サラ。彼女は午前中の体術訓練終了後、真っ先にリルの元へ走ってきて話しかけていた。

その時リルは、“鬼軍曹(サージェント)”マックスによる“弱者を鍛える特別メニュー”のおかげで完全にへばっており、会話どころではなかったのだが、冒険連ラクロス支部迷宮課課長の長女サラは、「女の子の仲間ができてうれしい」と、リルに負けない快活さでもって、彼女の笑顔を取り戻すことに成功していた。


「うん。新米なのにラクロス新迷宮の調査に応募して、当たっちゃったんだ。運がいいんだか悪いんだか……」

「そりゃ、いいに決まってるじゃん!」

「いたっ」


 弟ネルの身を案じて項垂れ、後頚部の筋肉の痛みに顔をしかめたリルの肩をバシンと叩いたサラ。二人は昼休みを運動場から徒歩二十秒――リルの疲労のためその三倍は移動時間を要したが――の距離にあるカフェで過ごしていた。テーブル席よりも座っている間は楽なソファーがあるカップルシートに座ろうと、常連のサラがごり押しして確保したテーブルには、彼女オススメのランチプレートB「ササミとアボカドのタルタル 三種のチーズベーグルとケールスムージー付」が二人分並んでいたが、リルはまったく喉を通らないようだった。


「あれって本当に、経験不問の抽選で選んでたからね。完全に弟くんの運だよ。いいな~。あたしも冒険者になったら、新迷宮に行くんだ!」


 夢を語るサラは、食事の邪魔に思ったのか燃えるような赤い髪を後方で纏めて縛った。


「……サラは何の職業に就くの?」

「よくぞ聞いてくれました!」


 ようやくスムージーに口を付けたリルが訊ねると、素早くベーグルを二つに割り、タルタルを挟んでかぶりついたサラがそれを拭き出しそうな勢いで応えた。


「あたしはね、シーフをやろうと思ってんだ!」

「シーフかぁ」

「うん。でもって“スニークスキル”を極めて、五年以内に“クノイチ”になる!」

「クノイチって?」

「ちょっとリル、知らないの?」


 実はシーフのこともよくわかっていないリルに、シーフが保有するスキルや上級職「シノビ」となった女性の俗称などわかるわけもない。しかし、冒険者を志す人間の常識の尺度で話をするサラは、開いた口が塞がらないようだ。


「呆れた。うすうす感じてたけど、あんた、ほんとにノー勉で入校したんだね……」


 ノー勉とは、職業訓練学校へ入校する際――極めて希ではあるが――、「まったく勉強してこなかった」という意味だ。


 いちいち説明されなくてもそのぐらいわかる? そうかね。ではスニークスキルと伝説のクノイチ闇夜の殺戮者(ナイトスローサー)の話は割愛させていただこう。今のところ、物語の進行には差し支えないからな。


 さて、ノー勉という俗語スラングの意味を測りかねて首を捻り、再び後頚部に走った痛みに顔をしかめたリルを心配そうに見やったサラは、ベーグルサンドを咀嚼して飲み込むと、スムージー――その栄養価と毒々しいほどの緑に反して実にスッキリと飲みやすい――を一気に半分ほど飲み干してから口を開いた。


「ま、リルはひとまず訓練で死なないようにするんだね!」

「う、うん……うっ!?」


 昨日までのリルなら「でも、冒険者にならないと!」とでも返したところだろう。だが実際の訓練を体験した今となっては、いくら前向きな彼女でも不安を覚えずにはいられないようだった。


 その証拠に、リルは午前中の訓練を思い返すだけで吐き気をもよおし、せっかく飲み込んだスムージーを反芻しそうになって激しくむせた。


「ちょ、ちょっと大丈夫?」

「うん……ありがと」


 背中をさすってもらったリルは礼を言い、お冷に手を伸ばした。ゆっくりと、痛みに耐えるようにそれを飲む姿を見てサラは嘆息交じりの苦笑を洩らした。


「訓練、きつかった?」

「なんかね、想像を越えてた」


 リルの答えを聞いたサラは「だよねえ」と言って笑ってから、タルタルの残りをスプーンですくって口に運んだ。あれこれと話したり世話を焼いたりしながらもランチプレートをキレイに平らげたサラに、リルが「よかったら」と言って自分の皿……プレートを差し出したが、サラは首を横に振って断ってから、スムージーの残りをストローでかき回し始めた。


「でもマックス先生はさ、あれでけっこう生徒のことを考えてくれてんだよね……まあ、出足が遅れてるってのもあるけど、シーフ志望のあたしと、戦士志望のリルで内容が全然違ったでしょ?」

「そ、そうなの?」

「…………」


 入念な準備運動の後、トラックを五周走るだけで息も絶え絶えになっていたリルには、他人の訓練メニューを観察している余裕などなかったのだろう。一瞬、サラのリルを見る目が残念なものでも見るようなものに変わったが、彼女はすぐに気を取り直したらしく、人懐こそうな笑みを浮かべた。


「ま、とにかく戦士カリキュラムの間は体力作りだと思って頑張んなよ! ただ、他種族の連中には気を付けなよ? 種族至上主義なんて古いと思うけど、けっこう厄介だからね。まあ、絡んできたときは、あたしらがなんとかしてあげるから!」

「ご、めん、サラ、叩かないで……」

「あっはっは、ごめんごめん!」


 二度、三度と背中をバシッとやられたリル。実はサラの方が一つ年下なのだが、それをリルが知るのは少し後のことだ。


「サラ……学校では人間と竜人族は、仲が良くないの?」


 サラとは対称的に沈んだ表情を浮かべたリルが、俯きながら訊ねた。


「もしかして、今朝の話? いや、ジョナサンは知ってるよね。あいつから聞いたんだけどさ」

「うん……」


 情報の提供元を明かしたサラに、リルは気まずそうに頷いた。朝の自己紹介の時以来、リルは他人のことなど構っている余裕の一切を奪われていたために忘れかけていたが、サラが「他種族」の話を持ちだしたことで朝の一幕を思い出していたのだ。


「仲が悪いっていうかねー……」

 

 頬を指先で掻きながら、サラは思案気に視線を宙へと彷徨わせた。カフェの天井ではファンが回っており、彼女はそれをしばらく見つめていた。


「クライスン家の長男があんたに何を吹き込んだのか知らないけど、ジョナサンはあいつを敵に思う理由があるんだ。でもそいつは、ジョナサンから直接聞いた方がいい話かな」


 サラがようやく口を開いたのは、女性の店員が取り替えてくれたお冷を飲み干してからだった。


 ジョナサンとジジ、そしてシャーリアという女性の間に何が起きたのか。その内容をクライスン家と関わりのないサラがそれを知っているわけもなく、彼女が聞いているのはジョナサンの一方的な解釈によって“多少”捻じ曲げられた失踪事件の概要だけだ。だがそれだけでも、普通の人間ならクライスン家に下宿など考えることもおぞましいと思うだろう。


「さ、スムージーだけでも飲んどきなよ。午後を乗り切れないよ?」

「……わかった」


 立ち上がったサラに遅れまいと、リルは緑色の液体を飲み干した。


「あ、そーだ」


 伝票を取ろうとしたリルよりも素早く――さすがはシーフ志望というところを見せ付けた――それを奪い取ったサラは、レジの方へと向き直ると彼女に背を向けたまま口を開いた。


「あたしの親父ってさ、冒険連の迷宮課課長なわけ。ネル君のこと、聞いとくね」

「え? ホント!?」

「ホント。ただし、あたしのお願いを聞いてくれたらね」

「え……」


 軽やかな足取りで進むサラに、痛み身体を軋ませながら追いすがったリルだったが、振り返ったサラの表情が険しいものに変わっているのを見て、足を止めた。

 

「放課後、ジョナサンと話をして。あたしはジョナサンの肩を持つ訳じゃないし、種族間の軋轢とかあんまり気にしてない。けど、クライスンだけはダメ。あいつらと同じ屋根の下で寝起きするなんて危なすぎるよ」

「サラ……」


 支払いを済ませたサラに「次回はおごってもらう」と約束させてから、二人は運動場へ戻って行った。




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