女神編⑥ 魔性の男カイン
「カイン様……」
「そうそう、リョウさんは難しく考え過ぎよ。たまには何も考えずに本能のまま動いてみなさいよ」
カテリーナ嬢がつんと顎を上げてそう言った。
「そうそう。というか、最近のリョウさん、見てられないのよ」
「え? 見てられない?」
私がどういう意味だろうと首を傾げると、サロメ嬢が呆れたようにため息をついた。
「最近、鏡見てる?」
「鏡? それは女子として当然……」
見てる、と言うつもりだったのだか、記憶をたどってみても最近鏡を見た記憶がないことに気付いた。
あれ、鏡、みてたっけ?
朝起きて、顔を洗って……いや、朝顔すら洗えてない時もあったかも。いやそもそも寝てないときもあって……。
私はごくりと唾を飲みこんで、懐から手鏡を取り出した。
そしてそれを覗き込むと……。
「う、嘘……! 髪とか、ぼさぼさ……!? お肌も荒れてる……!」
今までコウお母さんのご指導のもと手を掛けていた自慢の金髪と、つるつるのお肌が見るも無残な姿に変わっていた。
髪に艶なんてものはなく、寝癖は当たり前のぼさぼさだ。
お肌も、カサカサで艶がない上に、目の下にはひどい隈が……。
「やっぱり気づいてなかったのね。リョウさん、働きすぎなのよ!」
未だに鏡に映った自分の姿が信じられなくて愕然としてる私に、カテリーナ嬢がびしっと人差し指を向けてそう宣言した。
「働きすぎ……」
確かにそうかもしれない。
ちょっと暇があるとアランのこと考えて憂鬱になるから、とりあえず仕事をしてて、しかも仕事もたくさんあるからずっと没頭していた。
コウお母さんが何度か止めようとしてたけれど、私は大丈夫ですよーとか笑っていっていて……。
いや、全然大丈夫じゃないじゃないか!!
「アランさんの出奔はちょうどよい機会だわ。アランさんを捜しに行くついでにちょっと体を休めなさい。良い気分転換にもなるし……だいたい、リョウさんが思いつめてる原因って、ウヨーリ聖国のことじゃなくて、ほぼアランさんのことが気がかりだからでしょ?」
サロメ嬢にズバリ指摘されて、何も言えない。
まさしくその通り。
「ということで、騎士カイン、とっても良い情報をくれてありがとう。アランさんのことはリョウさんがどうにかするから、貴方はもう安心して国に帰っていただいて結構よ」
カテリーナ嬢がそういうと、カイン様はふふとかすかに頬を緩める。
「そのようだね。……アランのことはリョウに任せるのが一番だ」
「分かってくれて良かったわ。それでは私達、リョウさんのお出かけの準備をするから、出ますわね」
「ええ!? いや、待ってください! 準備って……いやそもそも私まだ行くなんて……」
「つべこべ言わずにたまには親友の言うことを聞いたらどうなの!? リョウさんが強情なのは知ってるけれど、私の方がずっと強情なの、貴方分かってるでしょ!?」
カテリーナ嬢の強気な瞳に見つめられて、思わず口を噤んだ。
カテリーナ嬢の目が言っている。もう反論しても無駄であると。
私は救いを求めてサロメ嬢をみると、彼女もふふんと微笑んだ。
「そんな目で見たって駄目よ。私もカテリーナと同じ意見。リョウさんは少しここを離れたほうがいい。これはいい機会だわ」
「えっと、でも……」
「往生際が悪くてよ! これから忙しくなるわ! まずアランさんがどこに向かったのか情報を集めないと……風の精霊使いを使えばなんとかなるはず。そしてリョウさんがしばらくいなくても大丈夫なように根回しもしないとね……」
「カテリーナ様、それは私が……」
やると言おうとしたら、二人に睨まれた。
「リョウさんは逃げずにここにいて、私達の準備が終わり次第、アランを探しに行くの! それだけ考えてて!」
カテリーナ嬢が語気荒くそういうと、『全く忙しくなるわ!』とか言いながら部屋から出ていった。
あまりの剣幕に反論もはさめない。
いや、反論挟んだところで、全て却下されたわけだけども。
「リョウの周りは、相変わらずだね。皆に愛されている」
そう言ってカイン様は、私を見つめた。
アランと同じエメラルドの瞳は、どこまでも綺麗で、吸い込まれそうになった。
私が何も言えないでいると、カイン様がさらに口を開く。
「私もリョウに惹かれていた。だが、アランほどまっすぐな想いはもてなかった。リョウは気づいていたと思うけれど、あの時リョウにキスをしたのも、好きだといったのも、アランに当てつけたい気持ちがあったからだ」
後悔が滲むような悲し気な声色で、カイン様がそう言った。
私は思わず目を見開く。
そしてカイン様が言った『あの時』のことを思い出した。
カイン様が、ずっと隠していた想い……非魔法使いに対する不平を口にした時、カイン様は私にキスをした。
その時、なんとなく、カイン様は私のことが好きだからそうしたわけじゃないと思ったけれど、どうやらそれは当たっていたらしい。
「全てをなんでも持ってるアランを、ただただ傷つけたくて、そうした。我ながらひどい兄だと思う。だが君もアランも、あんなことされたのに、私を許した。正直、逆に恐ろしかったよ。……理想を壊した私を、二人はきっと怒るだろうと思っていたからね」
自嘲を浮かべるカイン様に、私はハッと息をのむ。
違う! 怒るわけない!
「怒るなんて……! そもそも、私がカイン様を頼り過ぎていたというか……! 甘えすぎていたというか! カイン様は優しい人で、それは変わらないというか! あ、もちろん、それも理想を押し付けてるなんて言われたら、あれなんですけど! でも、私が、私が言いたいのは、私もアランも、カイン様を嫌いになることはないってことです!」
必死にそう訴える私を、カイン様が何とも言えない顔で見てくる。
私の気持ちが伝わればいいのだけど、と思わず握った拳に力が入る。
しばらくすると、カイン様は、クッと少し噴き出すように笑った。
「リョウ、必死過ぎるよ。ふふ、君が心を乱してるのをみると、やっぱり面白いな」
ちょっと意地悪に笑うカイン様が、そう言った。
私は思わず目を見開く。
皆の理想を演じていたカイン様なら、きっとこんな顔しなかった。
きっとこれがカイン様の本来の姿なんだ。
今のカイン様は、すごく自由な感じがする。
というか、これはこれでいいというか、なんだろう。
一皮剥けたカイン様の色気が正直凄い。
カイン様の色気に思わず息をのんでいると、カイン様は色気ダダ漏れ状態で、笑みを深めた。
そして私の額のあたりに手をかざす……。
まさか頭を撫でてくれる? それとも頭ぽんぽん!?
やだ、ちょっとときめいちゃう。
だめよ、リョウ! 貴方にはアランがいるでしょう!?
私が少女漫画の主人公のようにドキドキしてると、バチンと額に盛大な音が鳴った。
能天気にもドキドキイベントにソワソワしていた私に活を入れるが如く、カイン様がでこぴんをしてきた。
しかもなんちゃってデコピんじゃなくて、結構普通に痛い奴。
「いたっ! な、何するんですか!?」
私はおでこに手を当ててガードすると、カイン様がいたずらっ子みたいな笑みを見せる。
「いや、なんか、あの時のことを思い出したら無性に腹が立って……」
「あの時……?」
「私がリョウにキスをした時だよ」
……? え? なんでそこで腹が立つの? むしろ突然唇奪われた私が腹立つんじゃないの!? どういうこと!?
「どうして、カイン様が怒るんですか!?」
「だって、リョウ、私に唇奪われた後普通にけろっとしてるから。さすがにあれはショックだったな。未来の結婚相手に申し訳ないとか? ははは、私の未来の結婚相手がリョウと言う可能性はなかったのかな? とか色々考えたよね」
「そ、それは、だって、さっきカイン様だってご自身で言ってたじゃないですか! あれはアランへの当てつけだって!」
私がひりひりするおでこを抑えながら、カイン様を恨めしげに睨む。
そんな私を見ながら、カイン様はどこか悲しそうに微笑んだ。
「でも、全部が全部、そうじゃない。リョウのことを……女性として惹かれていた気持ちもあった」
セクシーなカイン様の唇からこぼれたこれまた強烈な言葉に私の頭がくらくらした。
やめて、私の恋愛スキルでは対応できそうにない……!
私は恥ずかしくなって顔を伏せる。
「そ、そんなこと、言われても……」
「困るって? 困ると分かっていたから言ったんだ。この先、リョウがアランとうまくいってもいかなくても、リョウがいつか、私を振ったことを後悔してくれたらいいなと思ってね」
先ほどまでとは違うちょっと意地悪な言い方に顔を上げると、想像した通り意地悪そうに片側をにやりと微笑むカイン様がいた。
カ、カ、カ、カイン様ったら、こんな顔するの!?
「カイン様、性格がヘンリー殿下に似てきたのでは!?」
「そうかな? けど、前のよりかはしっくり来てるのだけど」
そう言ったカイン様の笑顔が晴れやかで、恨み言を言った私も確かにしっくり来てると思った。
何よりこの余裕に満ちた男の笑顔の破壊力と言ったら……!
確かに私、カイン様の言う通り、いつかカイン様をふったこと、後悔しそうなんだけど……。
だってこんないい男……。
い、いやいや、おちつけ私! さっきまでアランのことで頭一杯だったじゃないか。私って奴は……!
カイン様のセクシー口撃にいちいち戸惑っている場合じゃない!
恋愛をしたことないような小娘でもあるまいし……いや、恋愛経験の乏しい小娘そのものだったわ……。
そこに偽りなしだわ。
「では、私はもう伝えることは伝えたから、戻るよ。……アランにあれだけひどいことをした私がいうのもあれだが、弟のこと、悪いようにしないでほしい。やっぱりアランは、私にとって、特別であることに変わりがないんだ」
カイン様が困ったように笑ってそう言った。
その瞳の奥に、昔から変わらない優しい光を宿していた。
◆
カテリーナ嬢が、魔法を使ってアランの足取りを追ったところ、アランは現在とんでもないところにいることが分かった。
「アランが、船を使って隣の国に?」
私が繰り返してそう確認すると、カテリーナ嬢は頷いた。
「らしいわ。小さな帆船を購入したらしいの。アランさんなら、風魔法が使えるから、船を操縦することもできるわ」
カテリーナ嬢が深刻そうにそう報告してくれた。
アランが隣国に。
アランが、私に隣の国に一緒に逃げようと誘ってくれた時のことを思い出した。
まっすぐな瞳で、死なせたくないと言って、自分が側にいられなくてもいいからと、私の幸せだけを考えてくれたアラン。
私は、あの時アランと一緒に隣国で過ごす日々を夢想した。
そうできたらどんなにいいだろうかと、焦がれた。
二人で行くはずだった隣国に、アランがいる。アランだけが。
胸がきゅっと締め付けられる。
魔法で眠らせたアランに、全て片付いたら一緒に隣国に行こうと、行きたいと言った私の言葉に嘘はない。
「よりにもよって面倒なところに行ったわね。隣国となると、探しに行くのも結構手間よ。リョウさんの不在の期間、数日で済まないかもしれない。いえ、確実にすまないわね。もしかしたら一か月、いえ、もっとかかるかも」
サロメ嬢も暗い声でそう言った。
二人は、私がアランを探しに行く間、どうにか国が安定できるように色々と取りはからってくれている。
だが、アランが隣国に行ったのは想定外だったようだ。
数日の私の不在には対応できたけれど、数か月となるとやはりつらいだろう。
特にタゴサクさんあたりが、大暴れし始める気がする。
「リョウちゃん、どうする?」
カテリーナ嬢達の報告を一緒に聞いてくれたコウお母さんが、そう問いかけた。
どうする……。
どうしようか……。
私はそれをずっと考えてた。
アランが、出奔したと聞いた時から。いや、アランと連絡が取れないと悲しんでいた時から……ちがう、もしかしたら、アランが、私に隣の国に逃げようと言ってくれた時からかもしれない。
ずっとずっと考えて、そして私の思考はいつも最後にあの答えにたどり着く。
「あら、リョウちゃんの心はもう決まってるみたいね」
コウお母さんが誇らしそうにそう言った。
私が顔を上げると、その誇らしそうな声とは反対に、少し寂しそうなコウお母さんの微笑みが目に入る。
ああ、本当に、コウお母さんはなんでもお見通しだ。
私がこれからやろうとしてることに気付いてる。だから、あんなふうにあんな寂しそうに笑うんだ。
そんな顔を見たら、少しだけ決意が鈍った。けれど、鈍っただけ。
私の答えは変わらない。
「はい。私、決めました。私は……」
そうして、私は私が決めたことを話した。
【お知らせ】
今週の木曜日は、転生少女の履歴書12巻の発売日ですよーー!!
わーーーー! もうもうすぐですね!
そして転生少女の履歴書12巻では。こちらの魔性のカイン様がカラーイラストで見れます…!見たい…!