虜囚編④ アランとリョウ(後編)
アランと共に過ごす遠い地に想いを馳せて、しばらく無言でいたら、アランが悲しそうな顔をした。
「……一緒に逃げるのは、別に俺じゃなくてもいい。他のやつでも、いい」
アランが言いにくそうにそう言うものだから、私は驚きで目を見開くと、アランは再び口を開いた。
「リョウは、誰となら逃げてくれる? カイン兄様? それともコウキさん? シャルロットか? カテリーナ、サロメ? 俺の知らないルビーフォルンにいる人か? 誰でもいい、リョウが一緒に逃げたいと思えるやつがいるなら、俺が絶対にそいつを連れてくるから。そしたらそいつと逃げて、逃げて……生きていてほしい。リョウが、生きてさえいてくれるなら、俺は、リョウの一番側にいなくても……いい」
アランがひどく辛そうにそう言った。
私が無言だったから、アランは私がアランと逃げるのが嫌だとでも思ったのだろうか。
アランの顔を見て、私は思わず微かに頬が緩む。
馬鹿な人だと思った。そして同時に愛しいと思った。
私の一番側にいなくてもいいだなんて、そんな悲しい顔して言うなんて。
「海を越えて、新しい国で一からやりなおすのは、確かにいいかもしれない」
気づけば私はそう言っていた。
自分が呟いた言葉に自分自身で驚いて、でも、これは私の本心だ、
そう、きっと楽しい。大変なこともあるかもしれないけれど、それでも、アランと二人でいられたら、きっと……。
でも……。
視線を落とすと、私の手首にはめられた石の輪が見えた。
少しだけ引っ張ってみたけれど、固い石でできたそれは、今の私の力では外せそうになかった。
アランが、無謀な私を諫めるためにつけた手錠は、見た目よりも重い。
けれど、その重さが、アランが本気で私を引き止めたいと思ってることが伝わってきた。
きっと、アランは、無理やりにでも私を止めようとするだろう。
私もきっと、逆の立場なら、そうすると思うから。
ふと、顔をあげると、私が逃亡することを前向きに考えている言葉を聞いたアランが意外そうな顔で私を見ていた。
自分で提案しておいて、まさか私が乗るとは思っていなかったらしい。
そんなアランに私は微笑みかけた。
「アランと一緒に海を越えて新しい場所か……いいね。きっと新しいものがいっぱいで、楽しい」
「っ! ああ、そう、そうだ! きっと、楽しいよ! 逃げよう! 誰と一緒に逃げたい? 俺が必ず連れてくる」
真剣な顔してアランがそんなことを言うものだから、私は思わず吹き出してしまった。
「何言ってるの? 私は、アランと一緒にって言ったでしょ?」
「……お、俺で、いいのか?」
「私は、アランがいい」
私がそう言うと、アランは石のように固まった。顔が徐々に赤く染まってゆく。
しかもしばらく待っても反応がない。
まさか、いざ一緒に逃げるとなって尻込みしているのだろうか。
正直、さっきから私は冷静さを欠いているし、今までだって、正直アランにはこう、親分面してたというか……。
なんでアランは私と一緒に逃げようと言ってくれるほど思ってくれるのか疑問に思わなくもない。
「……やっぱり嫌になった?」
ちょっと不安になって、恐る恐る声をかけると、アランがハッとしたようにして顔をあげた。
「い、嫌なわけないだろ!! 行く! 一緒に行こう」
とアランは勢いよく返事を返してくれた。顔に笑みを浮かべて。
アランのその顔を見たら、ほっとして思わず私も笑顔になった。
一緒に逃げてくれる人がいる。
そのことが本当に嬉しくて……でも同時に申し訳なくて、泣きそうだった。
私は涙を隠すためにアランの胸に、自分の額をくっつけた。
急にくっついたから、アランが戸惑うようにみじろぎする。
「リョウ、俺は、その、リョウのことが好きだから、そういうことされると抱きしめたくなる、けど、リョウの気持ちがわからないから、どうすればいいのか……」
アランがそんなことを言うものだから、私は何を言ってるんだとばかりに顔をあげてアランを見た。
抱きしめて欲しいからこうしてるのだけども。
私だってもうお年頃だよ。こんなこと、誰彼構わずするわけないじゃないか。
「好きじゃない相手と、海を越えて一緒に暮らしたいなんて思うわけないでしょ?」
私がそう言うと、アランは目を見開いた後、すぐに私の背中に腕を回して私を抱き込んだ。
急だったものだから、私はよろけてそのまますっぽりアランの胸の中に収まる。
小さい頃は同じくらいだったのに、今のアランは私よりもずっと背丈が大きくなっていた。
アランの胸の鼓動が聞こえる。温かい体温を感じる。
このままアランと別の国へ行ったら、私はきっと幸せになれるだろうと思えた。
最初は残してきたみんなのことが心配で、クヨクヨ悩んでしまうかもしれないけれど、これからの新しい生活が、アランとの日々が、そんな悲しみを少しずつ溶かしてくれるかもしれない。
そんな穏やかな生活が、私をきっとこの世界で一番幸せな人にしてくれる。
……そう思うのに。
私は手錠のはまった両手を持ち上げて、アランの胸を軽く押して見上げた。
「アラン、実は、この石の手錠で手首のところが擦れて、ちょっと痛くて」
「えっ、あ、ごめん」
と言って、手錠をとってくれそうな動作をしたが、その動きがピタリと止まる。
「悪い。手錠を外すのは、ちょっと……。その、リョウは、俺の隙をついてそのまま、戦場とか、危ないところに行きそうだし」
渋い顔でアランはそう言った。
どうやら私は手錠を外されたら、このまま戦争ど真ん中に突入するとでも思ってるらしい。
さすがにこのまま戦場に突入するつもりはないよ。アランの中の私、バーサーカー過ぎない?
……でも、全く外れとは言い切れないあたりが、流石付き合いの長いアランなのかも。
「じゃあ、手首少し擦れたところを魔法で治させて。それぐらいいいでしょ? 他にもちょっと傷とかあるし」
私にそう問われたアランは、「それぐらいなら……」と言って頷いた。
痛ましそうに、私の手首を見る。
私は呪文を口にした。
アランは、私の手首を見てる。
傷が治るところを確認したいのかな。
そんなアランを私は見上げた。アランと目があう。
アランの綺麗な翡翠の瞳に、私の顔が映っている。
かがむようにして私の手首を見ていたアランと私の顔の距離は近かった。
かかとを浮かせて背伸びをすると、その距離はもっとぐっと近くなる。
私は密かに舌を軽く噛んだ。
じわりと血の鉄っぽい味が口内に広がる。
私はそのままアランの唇に自分の唇を添えた。
最初はびっくりしたように肩をびくと動かしたアランだけれど、そのうちキスを受け入れてくれて、でもそれはほんの少しだけだった。
口内に広がる血の味に気づいたのか、それとも自分の体の変化にきづいたのか、アランが私の肩を押さえて顔を離した。
「こ、これは……!?」
そう言って、アランは何かを堪えるように苦悶の表情を浮かべる。
そして足元がふらついたのか、床に膝をついた。
「アラン、ごめん。やっぱり私、行ってくるね。……安心して。これは、人を眠らせる魔法で、ちょっとねむってもらうだけ。しばらくしたら目が覚めるから、大丈夫」
私も一緒にしゃがみ込んで顔を伏せたアランの頭を見ながらそう言うと、アランが顔を上げた。
「だ、だめだ、リ、リョウ、行くな……行かないで、く、れ……」
苦しそうな表情だった。抗えない力で意識を奪われようとしているアランは、その圧力に必死で戦っているのだろう。
「ごめん……」
アランは私のスカートの裾を掴む。でも、力が入らないのかずるずると掴んだ手が下に落ちていく。
「行く、な……」
そのうち顔も上げられなくなったアランがそう言った。
私はアランの手を握る、背を支えるようにして手を添えた。
アランはずるずると落ちてゆく。
「ねえ、アラン。もし、アランがこんな自分勝手な私を許してくれて、私が色々やって、成功しても、失敗しても……生き残れたら、一緒に海を渡って違う国に行きたい。今度こそ、二人で、一緒に……」
私がそう言ったのと同時に意識を失ったのか、アランが蹲るような形で動かなくなった。
ただ眠ってもらっただけなので、もちろん息はしてるけど……。
「アラン……ごめん」
私は、聞こえないとわかっていて、もう一度謝罪をした。
そして私は新たな呪文を唱えると、腕の力でアランのかけた石の手錠を砕いて壊した。
それからアランを横に寝かせて、私がここで使っていたらしい毛布をかける。
苦しそうな表情のまま静かに息をしている。
アランは魔法使いで、レインフォレスト領のご令息。
ここにいることが王国側に見つかってもそう悪いことにはならないはずだ。
「アラン、行ってくるね。大丈夫、私は、別に命を無駄にするつもりなんてないから。無事に生きて、また、アランのところに戻ってくるから」
それだけ言いのこして私はその場を去った。
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