小間使い編⑯-アランの言い分-
「なあ、リョウ、お父様が帰ってきたら、どっかいっちゃうって本当なのか?」
ポンプ式井戸のハンドルに手をかけて水を出してるときに、アランがボソッと言った。
家庭教師の授業が終わって、いつもの子ども3人衆でアイリーンさんのお風呂のために井戸から水を汲んでは浴槽に入れるという作業を行っているところだった。
アランの視線は、地面においた桶の方をみているが、表情は硬く焦点は合っていないようにみえた。
今朝、朝食のときに、アイリーンさんから、お父様が帰ってくると聞いたときは、そりゃあもう、嬉しそうな顔を必死でこらえながら、こらえ切れなくて嬉しそうな様子が丸わかりな顔をしていたのに、今はちょっと落ち込んでいるような表情。
「はい。クロード様のところでお世話になる予定でございます」
「なんでだよ。ずっとここに居ればいいじゃないか!」
「アラン、リョウを困らせてはいけないよ」
久しぶりにアランの癇癪が炸裂しそうなタイミングで、カイン坊ちゃまがいい感じにフォローを入れてきた。あらぶる馬をなだめるように、アランの背中をどうどうという感じで、ポンポンっとたたく。
「アラン坊ちゃま、大人の都合でございますので、仕方がありません。それにしても、アラン様、そのようなお顔をされて、親分が居なくなるとそんなに寂しいのですか?」
そこですかさず、ふふ、と笑って、アランを煽る私。
ちょっとでも生意気な態度をとれば、クソガキアランは、元気に怒って勝手に復活する。
クソガキアランなら。
「……そうだよ、寂しい。当たり前じゃないか! リョウは寂しくないのかよ!」
そういって、気の強い瞳を私に向けてきた。
アイリーンさんとの、お母さんとの時間が増えてきて、アランがどんどん素直になってきていた。もともとの意地っ張りな感じは残っているが、今までの天邪鬼な感じがなくなって、きちんと自分の気持ちを表現できるようになってきた。
「私は……」
思わず言葉に詰まった。もちろん、寂しいと思う気持ちはある。でもどちらかと言うと、仕方ないよねーと思う気持ちが強くて、なんて情のない人間なんだろうな、自分は、と思ってしまう。
私がここで、『もうすごい寂しいに決まってるじゃないですかー。寂しくて死にそうですーウサギさんなんですー』と、寂しさをアピールしたとして、今のアランには、私の中途半端なうそを見破って、私の薄情さがバレてしまう気がした。
私って、本当に成長しないな。一方のアランの成長具合はなんだろうか。1年前はマジでただのクソガキだったのに。
アランちゃん、成長したんだねー、よかったねーとは思うけれど、なんというか置いてけぼりを食らった気がした。
もう私、親分失格かもしれない。それに、アランは前と違って扱いにくくなった。素直になられると、私はアランに返す言葉に窮することが多かった。
「アラン・・・・・・リョウが行くのはクロード伯父様のところだ。これからまったく会えないわけじゃないし、アランが10歳の年になったら、一緒に学校にいける。そしたらまた毎日会える」
カイン坊ちゃまが、言葉に詰まってしまった私を見かねて、フォローを入れてくれた。再度アランの背中をポンポン叩いて、曖昧な笑みを私に向ける。
ありがとう、カイン坊ちゃま。癇癪を起こしそうなアランのフォローに、言葉につまった私のフォロー。なんと優秀なフォロリストなんでしょうか。
「そうでございますよ、アラン様。もちろん、寂しい気持ちはありますが、また会えますから、大丈夫です」
そういって、私はあまり目を合わせないように、とっくに水のたまった桶を持って、歩き出した。
後ろから、同じく水の入った桶をもって、二人がついてきている。
本来なら、浴槽に水を入れるのは、私の仕事なのだが、いつからか二人が手伝ってくれるようになった。
最初こそ坊ちゃまに手伝わせるなんてーとは思っていたけれども、勝手にやってることだしー、私から言ったわけじゃないしー、アランに至っては子分だしー、と思って、二人にはありがたく手伝ってもらうことにした。
子ども1人で、浴槽に水を運んで溜めるのは結構重労働だったのでとても助かっていた。
水を運び始めると、アランはさっきみたいな質問をもうしなくなった。げ、水がたくさんこぼれた! とか、こうやって持つと、安定する! とか、いつものように何かを発見しては得意気に話しながら楽しそうに私の手伝いをしてくれた。
「本日も手伝ってもらってありがとうございます。助かりました」
本日の水張作業が終わって、私は額に流れる汗を手でぬぐいながら、お礼を言う。二人も汗をかいている。
これはすぐに二人の湯浴みの準備をしなきゃだな。
お坊ちゃま方二人はアイリーンさんみたいに湯船には入らない。外についたてを立てているだけの簡単な洗い場で、体を濡れた布で拭いて、髪は汚れを落とすハーブの粉で揉み洗いをして流すだけだ。男の子だしね。
二人の湯浴みの手伝いは、男の小間使いがするので、その人を呼んでこようとしたところ、私の腕をとってアランが引きとめた。
「なー、リョウ、やっぱりいくなよ」
この「いくなよ」っていうのは、もちろん湯浴みの準備をしにいくなよってわけじゃないだろうな。井戸で話していたことの続きなんだろう。
「アラン様、それについては私の意志ではどうにもなりませんし、少しの間だけですよ」
私はやんわりと答えて、頭を下げる。
本当にどうにもならないのかときかれると、何か他にやりようはあるような気がするけど、私はそこまでどうにかしたいとは、思っていなかった。
「お母様から聞いた。リョウはクロード伯父様のところにいくことを了承してるって。でも、俺はいやだ。リョウと、お兄様とこうやって一緒に水汲みをしたり、授業を受けたり、お出かけしたりする時間が、しばらくの間だとしてもなくなるなんていやだ」
アランのまっすぐな目が痛い。キラッキラしている。
子どもの素直さと言うのはこんなに恐ろしいものなのか……。
私がいつもみたいに素直アランの返答に窮していると、アランが話を続けた。
「他の使用人が俺を見るときは、怯えたり、無駄に敬ったり……俺の事を魔法使いとしてしか見ない。でもリョウは違う。今日だって、水汲みをするのに俺に魔法を使えって頼まない。魔法抜きで、俺のことを見てくれる。俺と兄様のことを普通の兄弟みたいに、接してくれる。そんなこと出来たのはリョウしかいない。……リョウはどう思っているんだ?」
キラッキラした目を私に向けないで。私の代わりなんて、探せばいくらでも居ると思う。ただ単に私が、異世界の魔法事情に鈍感なだけなんだから。
アランとしては、私に、「私も一緒にいたい。一緒にいて楽しい」みたいなことを言ってほしいのかもしれない。意外と物分りのいい最近のアランなら、大人が決めたことだし、私が少し離れることはどうにもならないと分かっているはずだから。
それでも私に訴えかけてくるのは、自分と同じ気持ちであるかどうかを確認したがっているんだと思う。
「私しか居ないなんてことはありません。探せばいくらでも居るでしょうし、魔法が使えると言うことを含めて、アラン様なのですから、他の人からそのように思われても、恐れることはありません。それでは、湯浴みの準備をさせますので、失礼したいのですが、よろしいですか?」
少し突き放すような言い方になってしまった。アランは眉をしかめて、顔を赤くし、瞳が少し潤んだ。
私は、アランが求めているだろう返答が出来なかった。
私の腕をつかんでいるアランの手が、乱暴に離れて、「顔を洗ってくる!」といってアランは走ってどこかに行ってしまった。
去って行くアランを見ながら、いつもなら、走って追いかけていくカイン坊ちゃんが、ゆっくりと私のほうに近づいてきているのを感じた。
「リョウ、アランがわがままでごめん。困らせたね」
「いえ、問題ございません。それにしても、カイン様はアラン様を追いかけなくてよろしいんですか?」
「アランよりもリョウのほうが辛そうだ」
そういって、カイン坊ちゃまは私を抱きしめた。アランをあやすように、私の背中に回した手をポンポンと叩く。
ささくれ立っていた私の心が少なからず落ち着いてきた。アランはいつもこの手に守られてるんだな、うらやましい。
「ごめんね。本当ならアランを止めなければならなかったんだけど、僕と同じ気持ちだったからどうしても止められなかった」
そしてもう一度ごめんと言って、背中をさすってくれた。
本当にアランがうらやましい。こんな優しいお兄ちゃんがいて、お母さんもいて、お父さんも帰ってくる。
正直、自分が欲しかったものを全て手に入れたように見えるアランが、うらやましくてうらやましくて、仕方ない。
クロードさんの商会にいくことに、ホッとしている自分がいた。
嫉妬に狂った醜い私がアランを嫌いになる前に、この屋敷から去れるのだから。









