混迷編① 神縄の外
六十四番目と別れて、もと来た道をもどった。
彼の話を聞いて、それぞれ思うことがあるようで、誰もが無言の帰り道。
無理もない。あんな話を聞かされた後では……。
落ち葉を踏む音だけを響かせながらもと来た道を戻ると、神縄がみえてきた。
私たちが最初に入ってきたあたりだ。
それにしても危険を承知で神縄の中に入ったけど、魔物に会うことはなかった。
ちょっと拍子抜けと言う気持ちもするけれど、無事に戻ってこれたのは何より。
私は、少し安堵にも似た気持ちを抱きつつ神縄をくぐる。
そして、その時、違和感を覚えた。
空気が、冷たい。
神縄の内側に入る時も空気が違うとは感じたけれど、それとはまた別の感じで……。
私はくぐり終わると嫌な予感を感じながら顔をあげて、呆然とした。
雪が降ってる……?
うっすらと、地面に雪が積もっていた。
雪……?
どうして。
だって、おかしい。私が、ここにきたのは、まだ暖かい季節で……。
雪なんて降る気配はなかった。
「どういうことだ……?」
後ろでアランのうろたえる声がきこえた。
「寒いね……」
ヘンリーが震えた声でそう言う。
私は急いで振り返って、先ほどまでいた神縄の向こうを確認した。
さっきまでは雪なんて降ってなかったのに。改めて見ると神縄の向こうも今は薄く雪に覆われていた。
「……一度里に下りて、状況を確認した方がいいかもしれない」
深刻そうなカイン様の声に、私は嫌な予感を感じながら頷いた。
☆
私とヘンリーが人前に出ると目立つからと、カイン様が率先して人里に降りて情報を集めて来てくれた。
戻って来たカイン様から聞いた話は、信じられないことばかりで……。
私たちはカイン様が村人から聞いた話が事実なのかどうか確かめるべく、馬を借りてある場所に行くことにした。
そして目的の場所にたどり着いて、みた光景は……。
「なんでこんなことに……」
アランは、暗い声で呟いた。
そのアランの声に応じられる余裕がある者は、私も含めてこの場にいるものの中にはいない。
いま、私達はとある二つの集団が向き合っている姿を少し遠いところから見ていた。
その二つの集団は互いに武装をしている。
一つは、王都で見慣れた王国騎士の鎧を着込んだ集団。
王家の紋章の旗を掲げている。
そして反対側で迎え打つように構えているのは、不揃いな鎧や胸当てなどを着て、バラバラの少々粗末な武器を持つ集団だ。
タンポポの花を模したような印を縫い付けた旗を掲げていた。
カイン様が村人にきいた話は、ウヨーリ教徒を中心としたルビーフォルン領とグエンナーシス領の連合軍が、王国軍と戦争を起こそうとしているという話だった。
この、二つの武装集団が向き合っている構図は、村人の話が本当だということを表していた。
重苦しい空気の中、私はどうにかして顔をあげて、カイン様をみた。
「カイン様、でも……こんなの信じられません。だって、私達は……私の感覚では、あの神縄の中に入ってからまだ一日もたってないんですよ!?」
私は声が震えそうになるのを堪えながらそう言い募った。
「気持ちはわかるが、事実だ」
カイン様の重苦しい声とともに、冷たい風が吹きつけて私の髪を乱した。
その風の冷たさが、カイン様が先ほど報告してくれた内容が事実であることをつきつけてくるようで、私は唇を噛み締めた。
今、季節は冬。
私達が神縄の中に入ったのは、夏の終わり頃だった。
つまりそれは、私達が、神縄の中に入ってから半年もの月日が経過していることを意味していた。
カイン様が聞いた話によれば、この半年の間、私とゲスリーが行方不明になったことで、国の情勢が大きく動いたらしい。
私とゲスリーの出奔で、懸念した通り王国側は私がゲスリーを惑わし殺めたのだと訴える貴族がでてきた。
そして、ウヨーリ教徒や剣聖の騎士団は、国側がウヨーリを、つまり私を葬ったのだと思い込んで国に剣を向けた。
現在、レインフォレスト領とルビーフォルン領の境目のあたりにそれぞれ軍を寄せ合っている。
「今から、殿下を連れて国に戻れば、この戦いを止められないだろうか……」
力のない声でそう提案したのはアランだった。
私は、ちらりとゲスリーに視線を向けた。
ゲスリーは呑気な顔で、目の前の光景を見ながらカイン様と同じ馬に乗っていた。
未だゲスリーの記憶は戻っていない。
素知らぬ顔をして私とゲスリーで国に戻り、事故に巻き込まれて記憶を失い、しばらく私とゲスリーは彷徨っていたが途中で私の記憶だけ戻ったため、殿下を連れて戻ってきた、と説明すればどうだろうか。
あのいつもと全然違うゲスリーを見れば、分かってくれるかもしれない。
でも、ここまでの騒動になってしまったものを、ゲスリーと私が戻ってきたからと言ってそう簡単に何もなかったことにできるだろうか……。
おそらく難しい……。
それに、この作戦が通用するのはゲスリーの記憶がずっと失ったままであること前提だ。ゲスリーの記憶はいつ戻るかわからない。
リスクが高すぎる。
けれど、何もしなかったら、このまま戦争が始まってしまう。
「……殿下を連れて戻った時の王国側の動きが読めない、です。それにこのまま殿下が戻ったからと言って何もなかったことにできるとも思えない……」
私がそういうと、カイン様が口を開いた。
「私は、覚悟を決める時だと思う。王国側につくべきか……非魔法使いとして、反乱軍に力を貸すか」
カイン様の固い声に顔を向ければ、彼は覚悟を決めたような顔で前を向いていた。
カイン様は、もうこの戦争は止められないと思っている。
だから、今後のことを、つまり、どちら側につくのかを問うている。
正直、それは受け入れがたいことで……でも……。
行き場のない気持ちが重くのしかかる。
そういえば、カイン様はどちらにつくつもりなのだろう……。
「カイン様は……」
と言って、言葉に詰まった。
カイン様の気持ちを聞くのが、怖い。
それに私は? 私はどうする?
今まで出会った人たちの顔が浮かぶ。
王都に住んでいる人たちは王国側になるはずだ。
それなら、シャルちゃんやサロメ嬢、カテリーナ嬢はどうしているのだろうか。
王都にいる人たちはこの状況をどう思っているのだろう。
王都に置いてきたルビーフォルン商会は?
学園で過ごした、王都で過ごした日々に出会った人たちの顔が浮かぶ。
そして、ルビーフォルン領側にいるだろうバッシュさんの顔が浮かんだ。
バッシュさんは、きっと私が行方不明になったせいで苦しい立場に立たされている。
ウヨーリを害されたと知ったルビーフォルンの領民をバッシュ様の力で抑えるのは難しい。
領民を戦争に巻き込みたくないという気持ちとどうにもならない現状に辛い思いをしたかもしれない。
タゴサクさん達ウヨーリ教徒のみんなの顔が浮かぶ。
きっとウヨーリを害されたと知って悲しんだり怒りを覚えたりしてるのだろう。
その気持ち自体は、きっと純粋なもので……。
そして、親分。どうして止まってくれなかったのだろう。
私は、親分が戦わなくても良い道を探してきたつもりだ。
いま、たくさんの命が失うかもしれないこの状況は、本当に親分達の望むことなの?
私は何かをこらえるように、目をぎゅっと閉じる。
コウお母さんは、どうしているだろう?
無事だろうか。
いるとしたらいるとしたら、ルビーフォルン側だろうか。
会いたい……コウお母さんに、みんなに会いたい。