探究編⑤ かつて栄えしもの-後編-
私は改めてジロウ兄さんの方に顔を向けて口を開いた、
「では、隷属魔法というものは存在するんですね? 他の生物魔法と同様で該当する呪文が分かれば私も使えると思っていいのですね?」
私がそう確認するとジロウ兄さんは頷いた。
となると、私が試して発動しなかったのは、私が覚えている短歌の中に隷属魔法の呪文がなかった、ということか……。
「ジロウ兄さんは、隷属魔法の呪文を知ってますか?」
「私は呪文のことはわからない。確か、全ての呪文をまとめた書物があったと思うが……」
何かを思い出すようにそう言ったジロウ兄さんに私は首を横に振った。
「その書物はもうなくなりました」
救世の魔典はもうない。私が知っている短歌の中に隷属魔法らしきものが見つからないとなると、実質隷属魔法は使えないのと同じ、と言うことか。
そもそも呪文が短歌なのも気になる。私は呪文は短歌でできてると思い込んでいたけれど、他の何かである可能性もあるのだろうか……。
「……どうしてこの世界の呪文は『短歌』でできてるんですか?」
私がそう尋ねると、アランやカイン様が不思議そうな顔をした。
彼らからしたら短歌というのは聞き慣れない単語だろう。
「呪文のことに私は関与していないからわからない。だが、三十三番目と三十四番目とともに二十一番目もいた。二十一番目は転移の力があり、何度か異界から人や物を召喚していた。それが原因かもしれない」
なるほど……。ジロウ兄さんの話を聞いて、よくわからないながらもなんとなくわかってきた。
やっぱり、過去にも私と同じようにしてこの世界にきた人がいたのだろう。
この国の言語の中には日本語みたいな単語も混じってるし、似たような文化だってある。今までもそう考えなかったわけじゃない。
隷属魔法は、短歌以外の何かの可能性もあるけれど……正直、いますぐそれを見つけ出すのは困難。
ジロウ兄さんに会う前は、どうにかして隷属魔法を使えるようにならないとと必死になっていたけれど、今は逆に使えないのならその方がいいような気がしてきた。
隷属魔法は……私の手に負えない。
大人しく他の道を探そう。
だから、帰ろう。もうここにいても得るものはない。
私はそう決めて、最後に、ずっと気になっていたことを尋ねることにした。
「……ジロウ兄さんは、昔、私が売られた後、追いかけるようにして、村から去ったと聞きました。私は、兄さんが私を探してくれたのかと思ってました」
そのことがずっと気になっていた。
ガリガリ村の家族は誰も私になんて気に留めてないって当時は思っていた。
でも、ジロウ兄さんが私を追いかけていったと聞いて、少し、救われたような気がした。
親には売られたけれど、マル兄ちゃんとか、私に優しくしてくれた家族はいたと、思い出すことができたから。
「探した。君は、異世界から魂を移動させる時、さほど魂が磨耗することなく転生できた貴重な実験体だった。その実験経過を追うために探した。そして私は君を観察して、私はこの試みが成功することを確信した。これで、あの方をこの世界に連れてくることができる」
実験、経過……?
小さい頃ジロウ兄さんに優しくしてもらったことを思い出す。
道具を作るときはいつも手伝ってくれた。
風邪をひいた時は食べ物をもってきてくれた。
たまに優しく頭を撫でてくれた。
でも、それも全て、よくわからない実験のためのもの?
そっか……。
ジロウ兄さんにまだ少し期待していた部分があったらしい。
けれどそれが簡単に砕けて、逆に笑えてきた。
さっきからちょくちょく出てくる『あの方』のこととか、『転生』とか気になる単語はいくつかあった。
でも、もうこれ以上何かを聞こうとする気力はなくなっていた。
そうか、実験体。それだけだったのか……。
「あの方というのは、あのタケノコのこと?」
突然、ゲスリーが無邪気な声で尋ねた。
『あの方』があのタケノコ?
何言ってるんだと思ったけれど、ジロウ兄さんは頷いた。
「そう。正確にはあれはあの方の器だ。私が、あのお方の魂を導き、転生させるために必要な器。転生という方法ならば、あの方をこの世界に連れてくることができる」
『あの方』の話になったとたんに饒舌になったジロウ兄さんは、どこか満足げな表情を浮かべていた。
「あの方っていうのは、きっとすごい人なんだね。あのタケノコはこの国の、いや、この大陸の魔素という魔素をかき集めてる。どうりで、この国の魔素が全体的に薄くなるはずだね。だって、ここに集められてたんだから。いや、奪われてたって言葉に近いかも」
ゲスリーがニコニコと微笑みながらそう言うので、私は眉間にしわを寄せた。
「それって……もしかして、この国で魔法使いが生まれにくくなったのは、それが関係してるってことですか?」
「関係あるんじゃないかな」
私の疑問にあっさりとゲスリーが頷いて、私は目を見開いた。
今までのことが脳裏に巡った。
それじゃあ、今この国の魔法使いが減ってるのも、魔法が弱まっているのも、あのタケノコのせい?
もともと、この国だって魔法使いの数が減る前は、それなりにうまく回っていたんだ。
もちろん完璧じゃない部分もあるだろうけれど、それでも平和でいられた。
でも魔法使いの数が減って、負担が増えて、国が国民を支えられなくなってきて……。
親分だって、もしかしたら国に反乱を起こそうとは思わなかったかもしれないし、ルビーフォルンの人たちもウヨーリというなんのありがたみもないものを盲目的に信仰してなかったかもしれない。
それに、私だって……親に売られずに済んだかもしれない。
「……あのタケノコがなくなれば、この国は前みたいに魔法に不自由することのない生活に戻れるってことですか?」
「そんなことをしたら、許さない」
思わずつぶやくようにしてでた私の言葉に、ジロウ兄さんは再び怒りをあらわにした鋭い瞳で私を見た。
左側の虹色のガラス玉のような瞳が炎のように揺らめいて見えた。
「あの方ってなんなんですか? それは、今まであったものがなくなってゆくことで、この国の人たちが混乱して、弱いものが飢えや貧しさで死ぬよりもずっと、大切なことなんですか?」
「当然だ。そんなことよりもずっと大事なことだ。そう、あの方は、この世界の人の言葉で言う『神様』なのだから」
あっさりとそう言い切った。
迷いすらない。
なぜか泣きそうになった。それと同時に目の前の人のことがもうよくわからないと思った。
この人はジロウ兄さんじゃない。
いや、もともと私が兄だと思っていた人なんて、いなかったのだ。
「リョウ、どちらにしろ、この国は遅かれ早かれ魔法使いと非魔法使いが対立する事態を招いていたと、俺は思う。それが少しだけ早まっただけの話だ」
アランにそう諭された。
アランの言いたいことはわかる。
もともとあった非魔法使いの不満が、魔法使いの力が弱まったことで顕在化しただけだ。
きっとそのうち今のような事態を引き起こしていたのだろう。
でも、それでも、そうなるのはもっと先のはずだった。
けれど今更、魔素が増えたとしても、もう起きてしまったことを元には戻せない。
私は、まるで興味のなさそうな顔で聞いているジロウ兄さんに顔を向けた。
「それで、あのタケノコは何年魔素を吸い続けるんですか?」
「二千、いや三千年、もっとかもしれない。でも、私たちが費やした永遠とも言える年数に比べたら大した時じゃない」
千年単位の時間を大したことないとは、恐れ入る。
まあ、さっきから聞いてる彼の話自体も神話的というか、嘘か本当かわからない話で、現実味がないものだったけど。
「……そのあの方とやらが目覚めたら、この世界はどうなるんですか?」
「質問の意味がわからない。ただ、この世界にあのお方が転生されるだけだ。あのお方は、ただこの世界に入ってみたいと、そうおっしゃっただけ。それ以下でもそれ以上でもない」
訝しげにそう言った。
私はおかしくて思わず口が笑みで歪んだ。
信じられないような話だけど、これが真実だとしたら、あの方とやらがただこの世界に行きたいと言ったために、魔素というのが吸われてしまいこの国の均衡が崩れたということになる。
そこには、なんの思惑も野心も想いもない。
ただここにきたかったというだけだ。
乾いた笑いが口から出る。
あそこに行きたいって行ってる子供のわがままにふりまさわれてるだけじゃないか。
まあ、これで目的は世界征服とか言われても困るのだけど。
ジロウ兄さんの途方も無い話を聞いて逆に少し落ち着いてきた。
数千年単位も後の未来のことまで責任は持てないし、あまりに途方もなさすぎて何も考えられない。
私の問題は、今この時だ。
そして頼りにしていた隷属魔法のことはなにもわからなかったけれど、その魔法にもう頼れないと分かっただけでも良かった。
隷属魔法に頼るのをやめる、という決断をすることができる。
最初から、こんなものに頼るべきじゃなかった。
それで今は良くなったとしても隷属魔法が存在しているということが、公になれば……もっと最悪なことを引き起こす。
そう思うと、ゲスリーとは初めて意見があったかも。
彼もそう思ったからこそ、魔典を燃やしたのだろう。
私は大きく息を吐き出した。
もう迷いはない。スッキリした。
「突然押しかけてきて、ご迷惑をおかけしました。そろそろもう出ますね」
私は立ち上がるとそう言った。
最初から早く帰ってほしそうにしていた六十四番目さんは、ホッとしたような顔をした。