波乱の挨拶回り編⑱ カイン様の心のうち
「ごめん、なさい。カイン様……私。カイン様を傷つけるつもりはなくて……」
「……信じられないな。本当は、ずっと私のことなど滑稽だと思っていたんじゃないか? 非魔法使いのくせに、殿下の友人になれると思ってる憐れな奴だと。……そして結局殿下に殺されかけて、このザマだ。さぞかし面白かっただろうね」
「そんなこと思ってません!」
ショックで思わず叫ぶようにそう言った私をカイン様は鼻で笑った。
「君の知ってる私はこんなんじゃなかったって? 平等で、公平で、汚いものなど何も持ってないような人だとでも?」
「わ、私は……」
「本当は逆だ。誰よりも不平等で、その不平等さにずっと苦しめられ、誰にも吐き出せずに汚い思いだけを抱えている。……君たちの知る私はただの、幻想だよ。勝手に君の幻想を私に押し付けるのはやめてくれないか」
そういわれて、何も言い返すことができなかった。
カイン様のいうことを全部違うと否定できる?
私は確かに、理想を、幻想を抱いていた、のかもしれない。
そんな私を嘲笑うような笑みを浮かべたカイン様が改めて口を開く。
「残念だったね。君の理想とは程遠いだろう?」
「そんな、ことは……私は……」
「私のことは置いてさっさとどこかに行ってくれ」
なんて答えれば良いのか分からなくて口籠る私から視線を逸らしたカイン様は、突き放すようにそういった。
このままカイン様と別れたら、きっともう二度とカイン様は私たちの前に姿を現してくれないような気がした。
そんなのは、嫌だ。だって、こんなの……。
「今のカイン様を一人にはできません」
「……このままここにいるというのなら、きっと私は君を傷つけるよ」
まっすぐ、刺さるような瞳でそう言われた。
けれども、私の気持ちに変わりはない。
「たとえ傷つけられたとしてもいいです。私はカイン様になら傷つけられてもいい」
だって、そうじゃないと自分を許せそうにない。
側にいたのに、彼の抱えていることに気づけずにいたのは、私自身だ。
そう思って口にすると、カイン様がこちらを見た。
手負いの獣のような、陰のある鋭い視線がぶつかった。
「それは、どういう意味で言ってるのか、リョウは分かっているのか?」
カイン様は何故か私を馬鹿にするように唇をゆがめて、私の後頭部に手を伸ばした。
そしてそのまま引き寄せられて……。
あっと思う間も無く私とカイン様の顔が急接近して、気づけば唇に柔らかいものを感じた。
あれ、これって……もしかして。
呆然と固まっていると、カイン様がゆっくりと私から唇を離した。
そして私の顔を見て皮肉げな笑みをうかべる。
「そんな顔しないでもらいたいな。傷つけてもいいと言ったのは、リョウの方だろう?」
そう答えたカイン様の唇が少し濡れていて、先ほどまでのことを思いだして顔がカッと熱くなった。
そして何も答えられないまま、私は右手で自分の唇に触れた。
やっぱりここ、唇だ。さっきここにカイン様の唇が当たってた。
「カ、カイン様、私……」
蚊の鳴くような消え入りそうな声しか出なかった。心臓がばくばくしてる。
今まで、ゲスリーとかエッセルリケ様とかの、事故みたいなキスはあったけど、だって、こんな……。だって、カイン様は昔から知ってる、大切な人で……。
カイン様は、戸惑いすぎて何も言えないでいる私から視線を逸らし、私の隣にいたアランに目を向けた。
アランも、私と同じように驚いた様子でカイン様を見てる。
カイン様は、そんなアランを見て、暗い笑みをこぼした。
アランが息をのむのがわかった。
「……カイン兄様は……俺のことが憎いから、そんなことをされたのですか?」
泣きそうな声でアランがそう言った。
「さあ、どうだろう」
「俺が憎いのなら、俺にぶつければいい! 誰かを……リョウを巻き込むのはやめてくれ!」
アランの訴えに、カイン様は挑発するような笑みをうかべるだけだった。
今までの、私が知ってるカイン様と違いすぎる。
だって、カイン様がアランを見つめる目はいつも優しかった。優しいお兄ちゃんって感じで、私はそんな家族がいてくれるアランが羨ましくてしかたがなかった。
そんなカイン様がアランに暗い笑みを浮かべ、優しさのかけらもない眼差しを向けている。
……でも、こんな風に、悲しいと思ってしまうのはおかしい。
だって、勝手にカイン様を完璧な人だと思って理想をおしつけたのは私だ。
今までと違うからと言って、カイン様に対して勝手に悲しくなったり、失望したりする権利が私にあるだろうか……。
「……いいんです、アラン。私が傷ついてもいいっていったんですから」
アランの方を見て私はそう言った。
さっきは流石に動揺したけど、落ち着いてきた。
カイン様のキスに気持ちはなかった、ように思う。
おそらく、私とアランを傷つけようとして行ったのだろう。
怒りとか憎しみとか、別の感情に任せたもののように感じた。
私は改めてカイン様をまっすぐ見た。
「でも、カイン様、キスは本当に好きな人のためにとっておいた方がいいと思いますよ。これはカイン様とカイン様の将来の奥様のためにです」
笑顔を作って見せた。
カイン様は私やアランを傷つけようとしたかもしれない。
もしかしたら、私やアランのことなんて本当は昔から嫌いなのかもしれない。
でも、それでもいい。
だって、今までカイン様が私にしてくれたことが消えるわけじゃない。
何を思っていたとしても、カイン様は私やアランを支えてくれた人だ。
私の言葉に今度はカイン様が戸惑うように私を見た。
そこには少しだけ後悔の色が見えた気がした。
私が、そう思ったところで、
「あれ……? ここは……」
突然、間の抜けたような、呑気な声が聞こえてきた。
慌ててそちらに目をやると、ゲスリーが目を覚ましていた。









