波乱の挨拶回り編⑫ 曇天
その日の夜、アランは宣言通りレインフォレスト伯爵家の邸に帰って、私は悶々とした気持ちで一夜を明かした。
寝れば落ち着くかと思って必死に寝たのに、朝起きたらやっぱり昨日のアランの言葉の意味を考えてしまう。
いや、だって、突然、あんな……。好きってどういう好きなんだろう……。
「今日は上の空だね、ひよこちゃん。何か気になることでもあるのかな?」
ゲスリーの声が聞こえてハッと顔を上げた。
ああ、そうだ、今はゲスリーと一緒に朝食をとっていたんだ。
胡散臭い笑みを浮かべるゲスリーを見て、現実を思い出した。
アランの気持ちを確かめたとして何になる。アランの気持ちを知ったとしても……私は、もうゲスリーと婚約している。
「いいえ、特に、何も。その、天気が悪くなりそうだなと思いまして」
そう言って私は目線を窓の外に向ける。
空はいまにも雨が降りだしそうな曇天だった。
「天気が悪いと困ることでも?」
「なんとなく。気持ちの問題です。外に出にくいですし」
「本当にそれだけ? 君は、さっき、天気のことなんて考えてなかっただろ。別のことを考えてた。レインフォレスト領に帰った彼のことを」
ゲスリーのその言葉に驚きすぎて思わず私は目を見開いた。
な、な、な、な、なんで私がアランの事考えてたってバレてるの!?
え、声に出してた!? それとも顔に出てた!?
驚いて固まった私を見てゲスリーは、フッと軽く笑うとまっすぐ私を見た。
「レインフォレスト邸に行きたいか?」
「べ、別にそういうわけでは……」
私は視線を逸らしてからそうもごもご答える。
べ、別に行きたいってわけではない。そのうち戻ってくるわけだし。というか戻ってきてからどんな態度でいればいいのか迷ってるぐらいだし……。
「……面白くないな」
気まずい思いでいる私の耳に、そう冷たい氷のような声が聞こえて、私は顔をあげた。そして彼の顔をみて思わず固まった。
だって……。
「何で……そんな顔をしてるんですか?」
思わず尋ねた質問にゲスリーが首をかしげる。
「どんな顔かな?」
「どんなって……怒ってますよね?」
「怒る? 一体なにに?」
いや知らないよ。分からないから聞いてるんだけども。
なんでいきなりそんな……。
私がアランのことを考えてたから? でもそれで怒るって、もしかしてだけど……。
「まさかと思いますが、殿下は嫉妬していらっしゃるのですか?」
恐る恐るそう言うと、ゲスリーの目が見開かれた。
「嫉妬……? 私が? 誰に、なんのために……」
というつぶやきは力がなくて迷いがある。
めちゃくちゃ戸惑っているように見えるゲスリーを見て、私もなんか戸惑ってきた。
え? どういうこと? 本当に嫉妬してるの?
自分でさっき言ってはみたものの、冗談みたいな気持ちも強かったのだけども?
だって、私達って、別に嫉妬するような関係じゃないよね……?
私がゲスリーの様子を窺っていると、先ほどまで眉間に皺を刻んで戸惑っていたゲスリーの顔が綻んだ。いつもの胡散臭い笑みを浮かべ始めたのだ。
そして……。
「午後は雨が降り出しそうだ。その前に少し、散歩をしようか」
何事もなかったかのようにそう言った。マジでゲスリーの考えてることってよくわからない。
◇
そうして私とゲスリーは外に繰り出した。
外とは言っても、私たちが泊まっている宿の敷地内にある庭みたいなところだけども。
高級お宿だけあって、内装だけでなく外の庭園も綺麗に整えられていて、赤に黄色に紫に、様々な花が咲き誇っている。
念のため護衛として、アズールさんを連れてこようとしたけれど、ゲスリーが自分の護衛だけで事足りると言って断ったので、私とゲスリー、そしてゲスリーの護衛が二人という四人パーティー。
まあ、宿からすぐ近くのところなので、確かにそんな大層な護衛は必要ない。
親分達剣聖の騎士団も、なりを潜めてしまったし……。
というかさ、庭の散歩に誘うのはいいんだけど。ゲスリーの歩調早すぎない? ずっと無言だし。なんなんだこいつ。
言っとくけど、足腰を結構鍛えてる私だからついていってるけれども、普通のご令嬢だったらこんなに歩かされたら疲れて怒って帰るところだからね。
とか思っているとゲスリーが突然立ち止まった。
「君はさっき、私が嫉妬をしているのではないかと言ったけれど、私はこれが嫉妬なのかどうかが分からないんだ」
振り返って私の方を見たゲスリーが突然そう言った。
なんで今更その話を蒸し返してきたんだ。
「すみません、殿下。私もあの時、冗談のつもりで言っただけですので、お気になさらず」
「そうは言っても、気になる。嫉妬かどうか。そして一体何に、誰に嫉妬してるのか。……それで私は、確認する方法を思いついた」
いつもの胡散臭い笑みを浮かべてゲスリーが言うものだから、私は何が言いたいんだと首をひねったところで……。
「……!? ん! んん!」
何者かに口元を押さえられた! ていうか、口だけじゃない!
誰かに後ろから羽交い締めにされてる!
私は混乱しつつも目線だけであたりを見て、私の口元を布でおおう人の腕の鎧を見て、ゲスリーの護衛の人だということに気づいた。
改めて目を前に向ければゲスリーが、私がこんなことになっているというのに先ほどと変わらぬ笑顔を向けている。
「彼を消したら、これがなんの気持ちなのか分かるんじゃないかと思ったんだ。だからひよこちゃんは大人しく待っていてくれないかな」
私が乙女にあるまじき必死の力で二人の男から解放されんがためにジタバタ動いてる目の前で、余裕の笑みを浮かべてゲスリーがそう言った。
こいつ、一体、何言ってんの!? しかも、消すって……!! 本気、本気で!?
彼って……先ほどのゲスリーとの会話を思い起こしてアランの顔がよぎった。
アランを殺すってこと?
だめ、だめだから、そんなの、そんなの、許さないから!
私の身のこなしを甘く見ていた護衛の二人からどうにか身をよじって抜け出すと、ゲスリーに突撃する勢いで彼の襟を掴みあげた。
そして、変なことするのはやめろ! って言おうと口を開きかけたところで、鼻からアルコールの匂いがした。続けて妙に甘い匂いを嗅いだ。
嗅いでしまった。
これは……このニオイの元の正体に想いを巡らせたところで、一瞬で視界がぼやけた。
力が入らなくて、掴んだはずのゲスリーの襟元がすり抜けてゆく。
膝にも力が入らなくて、立っていられない。
これは、麻酔にも使えるほど強力な睡眠薬の原液そのもの。
匂いを嗅いだだけでも、気を失わせることができる。
「この、ゲス……」
私はぼやける視界の中、どうにかそれだけの悪態をついてみたけれど、結局抵抗できなくて、私はゲスリーにすがりつくようにして気を失ってしまった。