王宮暮らし編④ 王宮の暮らし方
見事ヘンリー殿下の婚約者に収まった私は、王城の敷地内に星の宮という住まいを与えられた。王族の女性が住まうエリアに建てられた5階建てぐらいの建物だ。
この星の宮は、もともと前王の妾などが住んでいたところらしい。
前王の崩御にあたってこのハーレム王国は解散しており、私が引っ越すまでは空き家だったわけだけど、とにかく広い。
子作りに定評のある前王の27人の妻や妾が生活していた場所なんだから当然といえば当然だけど。広すぎ。
まあ、もしかしたら今後ゲスリーも、一人また一人と奥さんを迎える予定だからこの広さの住まいにされたのかな……。
そうして、始まった王宮生活。
王宮暮らしの朝は早い。
日の出とともに目を覚まし、驚くほど肌触りの良い生地で縫製された軽めのドレスに身を包むと、集会所のようなところに侍女とともに集まる。
私が住んでいるのは、基本的に男子禁制の女性だけが暮らすエリアのため、この集会に集まるのは全員女性だ。
そこには、あのテンション王の王妃様であるエッセルリケ様がいらっしゃって、みんなしてエッセルリケ様を中心に『王様すごい! いつも感謝! とってもすごいかた! 魔法使いですごい! 完璧!!』みたいな祈りを捧げる。
その祈りが終わると、シャルちゃんアズールさん、そしてここに越してから与えられた私付きの王宮女官エレーナさんを側において、『星の宮』の執務室にて事務仕事に取り掛かる。
ルビーフォルン商会の仕事を誰かに全部一気に任せるなど無理な話。いくつか持ち帰りの仕事もあるし、私が商会関係の仕事をすることは、王宮からも許可をもらっている。
というか、王宮の人達は、ルビーフォルン商会のお金をなんか頼りにしてるところがあるようで、結構前向きだ。
そして、朝食の準備ができたら朝食を食べて、その後は王族の婚約者としてのマナー講習を受ける。
先生は、ここに越してからたいてい側にいる王宮女官のエレーナさん。
小太りの中年の女性であるエレーナさんは、ここでの暮らしも随分長く、前王が抱えた大量の妾達にもマナー講習をしていたという話だった。
ちなみに本人は隠しているけれど、彼女はもともとイシュラムさんに仕えている女性だというのはこっそり調べて分かっている。
イシュラムさんは、ウヨーリ教徒暴動裁判で私の存在を危険だと言っていた人だ。
おそらくエレーナさんは、イシュラムさんから私の見張りを命じられている。
というか、エレーナさんだけでなく、ここに私が越してきたときに世話係として与えられた王宮女官は、それぞれ有力貴族のスパイみたいなものっぽい。
昼食まで言葉使いやら仕草やらのお勉強して、昼食が終わると少しばかり時間が空く。
「今日もヘンリー殿下は、こられませんね……。リョウ様がこちらに移ってからもう10日はたっているのに、一度もお見えにならないなんて……」
と言って、午後の紅茶の用意をしていたシャルちゃんは少しばかり暗い顔をした。
そう話すシャルちゃんの言葉からは不満の色がありありと見える。
私が暮らしているエリアは基本男子禁制。
だけど、王族の男子はもちろん入れるので、ヘンリーも私に会いに来ようと思えばいつでも会えるのだ。
まあ来ないけれども。
「殿下はお忙しい方ですから。私も、色々と予定が詰まっておりますし、タイミングがあわないのでしょう」
それにむしろありがたいと思っていますし、と言う気持ちで私が穏やかな心で応じると、カップに紅茶を注ぎながらシャルちゃんが、少しばかり頬を膨らませた。かわいい。
「リョウ様はお優しすぎますよ」
優しいというか、まあ、うん。
私はシャルちゃんが入れてくれた紅茶を手にとった。
カップに注がれた紅茶の色を見て、口を引き結ぶ。めちゃくちゃ紅茶の色が濃い。むしろ黒い。
紅茶の色を見て固まった私に、シャルちゃんが心配そうに口を開いた。
「あ、あの、どうでしょうか?」
「ちょっと、色が濃いような、濃すぎるような……感じがしますけど、味を見てみますね」
私はそう声をかけて、口に含む。
あ……うん、苦い。茶葉を浸しすぎ、かな……。
「ちょっと、濃い気がしますね。茶葉を浸す時間はもっと短くていいかもしれません」
「そ、そうでしたか! すみません、リョウ様……! 前の時は色がつかなかったので、今度こそはって思ったんですけど」
前の時は、ほぼほぼただの白湯だったもんね。
シャルちゃんは私の侍女として来てくれたわけではないのだけど、何故か率先して侍女的な仕事を覚えようと頑張ってくれてる。私としては、ホント側にいてくれるだけでありがたいのだけど。
「あんまり無理しないでくださいね。シャルちゃんが一緒にきてくれただけで、私、嬉しいんですから」
「私こそ、一緒に居られて幸せなんですよ。それに、リョウ様はゆくゆくは王族の妃様になられるんです。そうなれば、魔法使いの侍女や護衛がつくのは当然です。そのときになったら、第二第三の侍女候補がくるに違いありません! ですからそれまでには、侍女としての仕事を覚えて、他の方にこの立場を取られないようにしなくちゃいけないです!」
となんだかやる気のシャルちゃんが鼻息を荒くした。
やる気があるところほんと申し訳ないんだけど、私結構お飾りの妃っていうか、早くにゲスリーとの結婚もなかったことにされる身の上の予定だからね。
今の私の名声だけが目的で、時が過ぎればお払い箱だとかなんとか。
いや、まあ、ヘンリーとの婚約がお払い箱になるのは嬉しい限りだけども。
なんとも言えない諸行無常を感じていたところで部屋のドアからノックの音がした。
入ってきたのは侍女服に身を包んだアズールさんだ。
いつも甲冑のようなものを着込んでいたアズールさんの侍女服はいまだに新鮮。
「リョウ殿、ヴィクトリア会長がお見えのようであります」
ああ、そうだった。ヴィクトリアさんと婚約式についての話し合いの日だ。
私としてはなんとも悲しいことに、私が成人して正式に結婚する前にお披露目のような形で婚約式というものが行われることに決まった。
この二人、婚約しましたよ! ということをアピールするためだけに、商人ギルド全面バックアップ態勢で臨む婚約式。
商人ギルドの連中は、先日の慰労会で色々と味をしめたようで、ちょっとしたお祝い事を見つけては盛大に祝い出して王都の人の財布の紐を緩まそうとする傾向にある。
とはいえ、慰労会で呼び寄せられていた各領地の貴族たちはすでに結構帰郷している。
正直、慰労会のような経済効果は見込めないはずなのだけども、それでも私の名前を使えばなんか今までいい感じだったし、今回もいけるっしょみたいなノリの商人ギルドである。
「リョウ会長、お久しぶり。あ、もう会長ではないわね、リョウ王妃殿下とお呼びした方がよろしいかしら?」
と心底楽しそうに微笑みながらヴィクトリアさんが入室した。
「王妃殿下って……変な事を言うのはやめてください、ヴィクトリア会長。そんなことを王国評議会……城の上層部の方々に聞かれたらどうなるか」
私が、近くでむっつりと目を伏せて立っているエレーナさんをちらりと見てからそう言うけれど、ヴィクトリアさんは話を聞いているのかいないのか、笑顔で応じる。
「聞かれたってどうにもならないわよ。私だって一応その評議会の一員ですし、それにあなたの婚約は、評議会よりもえらーいお人がお決めになったことだもの。それにあながち間違いでもないでしょう?」
いやいや、間違いだらけだよね!?
かろうじて婚約してるけれど、まだ正式に結ばれてないし、だいたい私そのうちお払い箱になる予定だからね!?
色々言いたくなったが、私は溜息とともにその鬱憤を吐き出し、ヴィクトリア会長と同じ席に座る。
そしてヴィクトリアさんと婚約式の打ち合わせに突入した。
私はもうなかなか自由にできない身の上のため外の情報を得るにはこうやって誰かから話を聴く必要がある。
こんな感じで、ヴィクトリアさんの他にも色々な人と話す機会は設けている。
商会のことは、現在ルビーフォルン商会副会長のメリスさんが定期的に報告してきてくれるし、カテリーナ嬢といった友人達もこちらに来てくれる。星の宮に入れるのは、女性だけだけど、王族の住居エリアの外である城の客間を借りられれば男性とも会えるので、アルベールさんとも、国策のことで話し合うこともあった。
ということで、自由に外に出れないことや、婚約者としてのスケジュールが入ってること、エレーナさんという見張りのような女官がいること以外は、今までとそんなに変わりないので思ったより不自由ではない。
もともと、私の影響力欲しさに城に取り込んだのだから、私が城にこもって何もしなくなったら、お城の人たちにとっても意味がないのだろう。
婚約者のスケジュールの中にはゲスリーとのおデートが組み込まれてるあたりから、完全に私が城の広告塔扱いされてるのは明白だし。
今ヴィクトリアさんと話しあってる婚約式とかもろそれだしね。
そんな王族のイメージアップ宣伝の一環である婚約式についての話し合いが落ち着いたころ、ヴィクトリアさんが意味ありげな視線を私に投げかけた。
「誰もが羨むヘンリー殿下の花嫁にえらばれたというのに、なんだか浮かない顔ねぇ。もしかして緊張してるの? なんといってもヘンリー殿下とのご婚約だものねぇ。緊張する気持ちはわかるわよ」
ふふ、と楽しそうに笑うご機嫌なヴィクトリアさんを私は恨みがましく見る。
「私は、自ら進んで婚約者になったわけではありませんので……」
「あら、嫌そうね。私にはわからないわ。利点しかないじゃない。……もしかして他に好いた男でもいたの?」
「それは、いませんけど……。でも、好きな人と好き合って結ばれたかったっていうか」
私がそういうと、ヴィクトリアさんの目が驚きで見開かれた。
「意外と、あなたってロマンチストだったのね! ふふ、まあ、私もあなたぐらいの年頃の時は恋に憧れていたかしら」
とふふっと笑ったヴィクトリアさんだったけど、すぐに鋭い視線に変えて私を射抜くように見る。
「でもね、愛や恋なんて幻想よ。男なんて信用しちゃダメ。結局人っていうのは、自分以外のものを愛することはできないのよ。どんなに口で愛や恋を綴ってたとしても、そんなの戯言よ」
となんとも言えない迫力でヴィクトリアさんがつらつらと語り始めた。
ヴィクトリアさん、過去に何かあったんだろうか……。
そう言えばヴィクトリアさんって独身だったな……。
「そ、そうですか」
私はヴィクトリアさんの迫力に押されてそう返すと、なんか満足したようでヴィクトリアさんはいい笑顔で頷いた。
「その点、仕事は良いわ。自分が頑張った分は結果として返ってくる。決して裏切らないもの。仕事(彼)は、お金も名誉も地位も全て、私に与えてくれる。最高でしょう?」
うっとりとした顔でヴィクトリアが、彼(仕事)について語ってくれた。
どうやら彼女は、過去に何かしらがあって仕事に生きることにしたようだ。
とはいえ、私はまだ初恋だってまだなのに!
例え手痛い経験になったとしても、それでもいいから経験したい!
「それはそれで良いかもしれませんけれど、私は恋愛の楽しさも、辛さも、まだ経験してませんし……」
「なら、これからヘンリー殿下と恋愛ごっこすればいいのではないかしら? 殿下、とってもかっこいいじゃない。それに王国一番の魔術師様。なんでも持っているお方よ」
確かにゲスリーの顔の造形は整っているとは思う。
それに金も名誉も地位もなんでも持っている。
でも、ただ一つ、人として大切なものが足りないっていうかね……。
私は、諦めるように息を吐いた。
「私の婚約や結婚は期限付きです。あまり本気になっても大変でしょう」
「期限付きだなんて、そんな悲しい事言わないで。先のことはどうなるかわからないわよ」
「でも、実際期限付きです。ヴィクトリアさんも。よーくご存知のラジャラス様がそう言ってましたけど」
「あら? ラジャラスがそんなことを? 聞き間違いじゃないかしら」
とか言って、にっこり笑うけれども、こっちはこの耳でしかと聞いてるからね!
ていうか、ラジャラスさんにああ言わせたのは絶対ヴィクトリアさんの策略だって私思ってるからね?
「ふふ、でも先のことはどうなるかわからないわ。今度、ヘンリー殿下とお出かけなさるんでしょう? せっかくのデート楽しんでらしてね。でも、一つ気になることがあるのだけど……デートの行き先ってどうしてここなの?」
そう怪訝そうにヴィクトリアさんが言って、私の今後のスケジュールに関することが書かれた書類を指差した。
『王都の牧場』
私とゲスリーのデートコースの中に、突然出てくる王都の牧場。
そう、公務として福祉施設を回った後、何故か牧場に行く予定になっているのだ。
「……ヘンリー殿下の趣味でございます」
そう私は神妙な顔で答えた。
何せ彼は家畜大好き人間ですからね……。