王宮暮らし編③ ゲスリーさんの挨拶
ここにきてゲスリーがやってくるとは。
それにしても、婚約者に対してそんな気の抜けそうなお気軽な挨拶でいいのだろうか……。
「お久しぶりでございます。ヘンリー殿下。本日はお日柄もよく、このような日に殿下と」
「ああ、それ以上は言わなくていい」
そう言ってヘンリー殿下は私の挨拶の口上を遮った。
せっかく決まり文句覚えて来たのに、披露させてもらえないとは思わなかった。
まあいいけど。
そう思って、改めて自分の婚約者になったゲスリーに目を向ける。
なんだかんだで婚約の話が上がってからは、初接触だ。
彼はこの婚約をどう思っているのだろう。
私がまじまじと見ていると、ゲスリーは私の方に歩み寄ってきて、私の顎に向かって手を伸ばす。
いつもなら山賊ぐらしの敏捷性をフル活用して避けてるところだけど、ここで避けるわけにはいかないような気がして大人しく顎をヘンリーに掴まれた。
そして顔を少し上向きにされ、かなりの至近距離でヘンリー殿下と目があう。
……なんか、ちょっと近すぎじゃないだろうか。
ていうか、この体勢、もしかして、もしかしてだけど、まさか、まさかここでキスとかされちゃったりするんじゃ……!?
ま、まって! それは待って! 私まだ心の準備が!
いや、ゲスリーがお相手ってことで私の心準備が終わる気配はないけれども! だってゲスリーだもの!
これはなんとか言って、ご遠慮させてもらおう。
だって、流石にまだキスなんて早すぎるよね!? そう、そのはず……。
「で、殿下、私たちは婚約しましたが、まだ結婚にまでは至っておりません。このようなこと、結婚前に、してはなりません」
私が震える声でそういうと、ヘンリーの目が驚いたように少し見開いた。
そしてすぐに私の顔から手を離し、吹き出すようにお笑いになった。
おや、何を笑っておいでなのかな……?
「ハハハ、何をされると思ったんだい? ひよこちゃん。まさか、私が君にキスをするとでも? 冗談だろう?」
と言って、大笑いのゲスリー殿下はしばらして呼吸が落ち着いたらしく顔をあげた。
「私としても家畜との粘膜接触は抵抗がある。期待させたのなら悪かったね」
と言って未だに笑いが止まらない様子なゲスリーを、私は親の仇でも見るかのごとく睨みつける。
こ、こいつ! なんか私がものすごい勘違いした恥ずかしい奴みたいなこと言ってきたんだけど!
だって、あんな、あんなことされたらそう思うよね!? 違うの!? 経験ないからわからないんだけど!!
だいたいゲスリーが家畜との接触に抵抗があるとかなんとか知らないし!
しかも私がまず最初にキスとかは早いですよって断ってるからね。
私がゲスリーにキスを拒否られてるムード出してきてるけど、まずお前が私にキスを拒否られてるからね!? その順番忘れないでね!?
と心の中でシャウトして見たけれども、なんていうか周りの騎士たちのいたたまれないようなものを見る視線が痛い……。
ざわざわとざわつく、美しすぎるゲスリー近衛隊。
なんかものすごく可哀想なものを見るような目で私を見るのやめて。
おのれ、ゲスリー……!
いや、でも、待てよ……。
あまりの怒りで我を忘れて勢いよく内心で呪詛っちゃったけど、よくよく考えればこれはありがたいことなのでは?
ゲスリーにその気がないってことでしょう? つまりこの婚約で私が一番懸念していた問題が解決したんじゃないだろうか。
だって、つまりゲスリーは私に手を出さないってことだ! それってとっても最高なんじゃ!?
まさか、ゲスリーのゲスさに救われる日が来ようとは!
よかった。彼がゲスで、ほんとうに良かった! ビバ! ゲス!
一気に機嫌をよくした私は顔にも余裕が戻り笑顔を作れるようになった。
「まあ、殿下ったら、随分楽しそう、ふふ。殿下が楽しそうで私も嬉しく思います。それに殿下のお気持ちが知れて私もとっても安心しました。殿下、これからも殿下はこのままでよろしくお願いしますね……?」
余裕を取り戻した私がそう念を押すと、ゲスリーは改めて顔をあげて胡散臭いスマイルを浮かべる。
「だが、確かに繁殖も家畜の勤めということを考えると、このままではひよこちゃんが不憫だね。ことがおさまったら、カインとつがわせてあげようか。嬉しいだろう?」
と、ゲスリーがゲスっと、さもいい事を思いついたとばかりにゲスな発言をしてきた。
あ、めまいが……。
いや、カイン様がどうこうってことは全然ないけど、仮にも自分の婚約者に向かってそれはないよね!? ゲスリー近衛隊の皆さんの驚きの眼差しって言ったらやばいことになってるよ!?
まさかここまでのゲスだったとは。いや、ゲスリーだし、確かに言いそうではあるけども。本人を前に言ってしまうとかゲスの極みすぎないだろうか。
私がどうにか笑顔だけは張り付けて固まっていると、膝をついて顔を伏せていたカイン様が顔をあげた。
「ヘンリー殿下、リョウ様は殿下の婚約者です。ご冗談でもそのようなことを言うのは、おやめください。彼女に失礼です」
といつも穏やかなカイン様とは思えないほどはっっきりとくっきりとした怒りの言葉が漏れた。
カイン様の方を見れば、鋭い視線でヘンリー殿下を見上げていた。本当に怒っているご様子。
シーンと静まり返る雰囲気に、なんかいたたまれない気持ちになってきた。
『よろしくてよ、私全然気にしてませんわ! おーほっほ』とか言ってこの雰囲気を終わらせようかとまじめに考え始めた頃、ヘンリー殿下が笑みを深めた。
「そうだな。彼女は私の婚約者だ。どうも私は彼女の前だと、言葉が過ぎるところがある。不思議だね。そこがひよこちゃんの面白いところだ」
いや、そんなんで面白がられても……。
私が微妙な気持ちになっていると、ゲスリーはなんか気が済んだようで後ろに振り返って扉の方へと向かった。
どうやらもうお帰りらしい。
あの人、一体なにしにきたんだろう。
ゲスリーが立ち去るって事で、私は改めて腰を折って送り出す。
「それにしても、やはり家畜は面白い。己の望みを自ら偽って、望んでもいないことを望んでいると思い込み、偽りの望みを心の底から口にする。そういう愚かなところが、家畜の可愛らしいところの一つだね」
ゲスリーはそう捨て台詞のようなものを吐いて颯爽と去っていった。
ゲスリーの護衛の騎士達も、ぞろぞろとついていく。
あいつ、最後まで家畜談義しやがって。しかもよく意味が分からなかったし。だれもその談義にはのらんぞ。
まあでも、ゲスリーが早々に去っていったのは僥倖。
ゲスリーの見送りを済ませた私が顔を上げてやれやれと思っていると、まだゲスリーが去っていった扉を呆然とみつめるカイン様がいた。
「カイン様……?」
と思わず声をかけると、ハッとしたような顔で私を見る。
「すまない。ヘンリー殿下の言動が、あまりにも普段と違うものだから……」
と困惑したようにカイン様がいうけれども、私としてはいつものゲスリーなんだけど。
「そ、そうですか? いつも通りって感じでしたけど」
まあ、それほど彼のいつもを知ってるわけじゃないけども。でも話す度にあんな感じだった気がする。
「リョウの前ではいつもああいうことを……? 確かに以前、リョウからヘンリー殿下は非魔法使いのことを家畜と思っているという話を聞いてはいたが、まさかあんな風にはっきりと仰るとは……」
「えっと、普段はあんな風にはおっしゃらないのですか?」
「あのようにはっきりと仰ることはない。やはり、ヘンリー殿下にとって、リョウは特別なのかもしれないね。ほかの騎士達もヘンリー殿下の言動に戸惑っていただろう?」
あれって、戸惑ってたんだ。てっきり婚約者なのに家畜扱いされてる私を哀れんでいるだけなのだと思ってた。
しかし空気を読むことに関してはリッツ閣下と双璧をなすカイン様がいうんだからきっとそうなのかもしれない。
けれど、正直私だけに反応してあの態度となると……。
「それって、私が単に殿下に特別嫌われているってことですかね……」
「いや、そうではないと思う。きっと、逆なんだ。……リョウが婚約者としてきてくれたことは、きっと殿下に良い変化をもたらしてくれる気がする」
そうなんだか人を疑うことを知らない純粋な笑顔でカイン様が私を見るけれど、私はそうは思えないよ!?
先ほどの言動の中で、いい変化の兆候あったかな!?
「いえいえ、そんな感じにはちょっと見えないというか……。やっぱり、私が嫌われてるという線が一番固いです。殿下はカイン様のことを気に入ってますし、だからああいう発言を控えてるというか……。もしかしたら、私に対する悪口として家畜扱いされてる気さえします。先ほども私のことしか家畜家畜言ってなかったですし」
それに、非魔法使い全員を問答無用で家畜だと思っているというよりは、私個人のことが嫌いで私だけ家畜扱いしている方が、まだ救いがある気がする。
ただ、私だけを家畜扱いしてくる人が私の婚約者であるという辛すぎる事実は変わりないけれども。頭がいたい。
「いや、家畜と言ったのはリョウのことだけを指したわけではなかったよ」
「そうでしたでしょうか? 私のことばかりだったような……」
と恨みがましく言うと、カイン様が軽く首を振った。
「ヘンリー殿下の最後の言葉は、私に当てた言葉だったからね」
カイン様が、そうぽつりと、少しばかり悲しそうにそうおっしゃった。
ゲスリーの捨て台詞は、カイン様に向かって言ったこと……?
私はどうしてそう思ったのか聞きたかったけれど、カイン様がなんとなくあまり深く聞かれたくなそうだったから、私は口をつぐむことにした。
おかげさまで、今月配信を開始した『転生少女の履歴書』の電子書籍が絶好調のようです!
いつも本当に、ほんとーに、応援ありがとうございます!(五体投地
今後とも、よろしくお願いします!