王宮暮らし編② 護衛騎士カイン
王宮内に通されたら、野生のゲスリーが現れた!
ということもなく、事務的な手続きで時間が流れて行く。
これから王族の女性達が住まう城内の西区で暮らすということで、そこで色々とお世話をしてくれる王宮付き女官との挨拶やらなんやらから始まり、今後の私のスケジュールについての話し合いなど。
王族の婚約者ということで、それに恥ずかしくない立ち振る舞いやらマナーなどを学び直す必要があるらしい。
そして私のスケジュールの中には、ゲスリー殿下とのデートの日取りみたいなものまで決まっていて……辛い。
まあ、そんな感じでなんやかんやと時間は過ぎて、やっとひと心地つけそうなタイミングになったのは、もう日が暮れる時間だった。
シャルちゃん達侍女集団は、まだ王宮働きとしてのレクチャーを受けにいっていて戻ってない。
彼女達が戻ってきたら、また私もレクチャーが始まる……疲れた。
「何か飲み物をもらって来ましょうか?」
ぐってりと椅子に座り込んだ私を見て、カイン様が気遣わしげに声をかけてくれた。
どうやらカイン様は、ゲスリーの近衛騎士ではあるけれど、私の護衛も兼任してくれるらしい。先程そういう風に案内された。
シャルちゃんにアズールさんにカイン様、今までの知り合いがいてくれるのは本当に心強い。
「少しお水をもらってもいいですか」
私がそういうと、かしこまりましたという感じで返事をしたカイン様が、扉の前に控えていた人に何事かを言って、すぐに水差しを持ってきてくれると、カップに注いでくれた。
カイン様が注いでくれた優しいお水が胃に染み渡る……。
「ありがとうございます。カイン様」
私がそういうとカイン様は面白そうに笑って首を横に振った。
「リョウ様、私の名を呼ぶのに敬称は不要です。私のことはカイン、もしくはレインフォールとおよびください。リョウ様はそういうお立場になられたのです」
恭しくそう話してくれたカイン様は、あいも変わらずの優しげな微笑みだ。
言ってることは他人行儀のようにも聞こえるけれど、兄が妹の粗相をたしなめるような雰囲気に見える。
そんな彼の雰囲気に、まだ甘えられる隙はありそうだと判断した私は、カイン様を見返した。
「もちろん、公の場は気をつけますけど、普段は目をつむってもらえると助かります」
なにせ、今はお偉い人はいない。アズールさんやシャルちゃんも王宮暮らしのレクチャーを受けるべく別室にいる。
この部屋の中は、私とカイン様二人きりだ。
まあ、年頃の男女を密室に入れるべからずの掟があるので扉は開けっ放しだし、その近くは王宮付きの女官がいるのだけど。
私の言葉に困ったように眉をしかめてカイン様が「しかし……」と言った。
その声色からやはり押せば行けると踏んだ私は口を開く。
「公の場以外は今まで通りでお願いします。私だって、ずっと張り詰めていたらそれこそ体を壊してしまうかもしれないです。ですから、カイン様がいつも通りでいてくださる方が私のためになります。それに、門前でのあの口上を聞く限り、ヘンリー殿下は私の心をほぐすために以前から親しい騎士を側に置いてくださったみたいですし。でしたら、カイン様は私の安らぎになっていただかないと」
と私がいうと、カイン様は苦笑いを浮かべて膝をついた。
「ヘンリー殿下が、お迎えに上がれなかったのは本当に、なんていえばいいか……。直前まではいらしてたのだけど、気をぬくとどこかに行かれてしまう方で……」
そう口調を和らげてくれたカイン様はゲスリー逃亡事件について申し訳なさそうに謝罪した。
良いのです。それにカイン様が謝ることじゃないし、むしろゲスリー不在は本日もっとも有難い出来事の一つでしたよ。
「ヘンリー殿下のことは気にしてません。それよりも、カイン様が私の護衛も兼任してくださると聞いて嬉しかったです」
「これはヘンリー殿下のお考えなんだ。きっと慣れない場所に移るリョウのことを気遣ってくださったんだと思う」
そう純粋そうな瞳でカイン様がいうけれど、果たしてそれはどうだろうか……。
確かにゲスリーがお気に入りのカイン様を私の護衛としてよこしてくれたのは意外だったけども。
「そうだと嬉しいですが、ヘンリー殿下は、なんといいますか独特の感性をお持ちですし、何か他に目的があるのではないかって、つい勘ぐりたくなります……」
だって、ゲスリーだもの。
「そうだね。あの方の考えていることは推し量れない。けれど、こうやってリョウと一緒に殿下をお支えできると思うと、本当に心強い」
いや、正直私としてはゲスリーを支えたい気持ちはあんまりないけれども……。
カイン様はやっぱりいまだに諦めずヘンリー殿下の心の闇的な部分をフォローする気でいるのだろうか。
多分、そうなんだろうな。それがカイン様だもん。
本当にカイン様って、すごい。私はこんな風に人を思いやることはできない。
「私で力になれることがあればいいですけど」
「今までリョウは、私ができなかったことをたくさんやってのけた。私はてっきりリョウにできないことはないのだと思っていたよ。リョウにできないとなれば、もう他にできる者はいないのではないかな」
と冗談めかしていうカイン様にふふっと笑みがこぼれる。
そして、膝をつくカイン様がふと真面目な顔をして手を差し伸べた。
「ヘンリー殿下にとっても、この国にとっても、リョウはなくてはならない存在だ。それに、リョウは私にとっても大事な人だ。……何があっても必ず守る」
カイン様の言葉を聞いた私はカイン様の手に自分の手を置いた。
するとカイン様は私の手の甲に軽く口をつける。
こうやって淑女の手にキスしたりして挨拶する男性はいるし、騎士階級だと手の甲にキスと言うのは、お守りしますよ、みたいな職務上の決まりの挨拶的な意味合いがあるということは聞いたことがある。
知識としては知ってはいるけれど、なんだかカイン様にやられるとドキドキしちゃうな。
ちょっとばかし気恥ずかしくなって手を引っ込めようとしたけれど、思いのほかにカイン様の握る手の力が強くて退けるタイミングに迷っていると、カイン様がぽつりという感じで、
「それにしても、まさかリョウが殿下の婚約者になるとは思わなかった。リョウは、アランと結ばれるものだと思っていたから」と呟いた。
意外な言葉に私の目が見開く。
「アランと、ですか? でも、私とアランでは、血筋の問題もありますし……。アイリーン様だってお許しにならないでしょうし」
「ああ、そうだね。確かに、そうなのだが……私は、何故かずっとそうなるのだろうと思っていたんだ」
そうカイン様が自分で言いながら不思議そうな顔をする。そして再び迷うように口を開いた。
「私はどうしてそう思っていたのか……。でも、そうだね、アランは、私がどうしても欲しいと思うものを持って生まれてきて、私が手を伸ばしても届かないものを手にしてきた。……だからかな。リョウもいつかアランのもとにいくだろうと、どこかで、思っていたのかもしれない」
それって……。
カイン様の言葉に少しばかり戸惑っていると、この部屋に向かってくる複数人の足音が聞こえて来た。
開いてるドアから物々しい感じの足音が聞こえて、思わず扉に目がいく。
カイン様も同じく一瞬だけ警戒するようにそちらに目を向けたけど、誰がくるのかわかったようですぐに警戒を解いて、姿勢を正して扉に向かって膝をつき直した。
カイン様のその動きに、私はものすっごく嫌な予感を感じながら待っていると、たくさんのお綺麗な騎士を連れたゲスリー殿下がいらっしゃった。
やっぱりか。私は致し方なくマナーにのっとり、頭を下げた。
「やあ。ひよこちゃん。お待たせ」
別に待ってはいなかったけども。
私の婚約者が、きらめく白金の長い髪をなびかせて胡散臭い笑顔でアメジストの瞳を細めながら、ご登場した。









