国策制定編⑦ ルビーフォルンの領主
バッシュさん達ルビーフォルン一行が、王都に滞在しているはずの宿はとても静かだった。
グローリア奥様と一部の使用人が領地にもどって、残りの使用人がみんなして、王城にとびだしてしまったからだろう。
門番さえいない入り口を通り抜け、鍵もかかっていない扉を開ける。
以前、お邪魔した時にバッシュさんの執務室だと聞いた扉の前に、コウお母さんと一緒に立った。
ノックをすると、すぐに「どうぞ」とバッシュさんの穏やかな声が返ってくる。
扉を開けると、窓から差し込む光をバックに、ゆったりと一人がけのソファに座ったバッシュさんがこちらを向いていた。
「ここに、リョウ君とコーキが来たということは、アレクは失敗したのだな」
色々と聞く前に、バッシュさんの方からそうきりだしてきた。
やっぱりバッシュさんは知っていた。
「残念だが、アレクはここにはこない。失敗した場合は、そういう手筈になっていた。……アレクのことだから、しばらく落ち着くまで、山や野にでも逃げて、またの機会を探るんじゃないかな」
そうくつくつと可笑しそうに笑いながらバッシュさんが言った。
私は、拳に力を込めて口を開いた。
「バッシュ様、なぜ、なぜ こんなことを! アレク親分をどうして止めてくれなかったんですか! アレク親分がやろうとしていることは、たくさんのルビーフォルンの領民を犠牲にするやり方です!」
こんなのバッシュ様らしくない!
バッシュさんは、だって、いつも領民のことを思ってくれていた。
ルビーフォルンの領民のために心を砕いてくれる、そういう領主だった!
それなのに! こんな、わざわざ戦争を起こすようなことをするなんて!
「リョウ君は、知らないだろう。ルビーフォルンのことを」
憤る私とは違って、バッシュさんは穏やかな口調でそう言った。
「知ってますよ! だって、私はずっとルビーフォルンに」
「いいや、知らない」
私の言葉を遮るようにそう言ったバッシュさんは、ソファから立ち上がり、穏やかな顔をひっこめて先を続ける。
「リョウ君、君は、豊かになっていくルビーフォルンしか知らない。魔法使いが生まれず、民は飢えて、希望を持つことなく、ただ死を待つだけだったルビーフォルンを……君は知らない。そして、挙句の開拓村制度だ」
そう言ったバッシュさんが、乾いたような笑い声をあげた。
「私は、ずっと、あの時から、国というものが、憎かった。憎くて、憎くて……憎くて憎くて、たまらなかったさ。あんな男が、魔法が使えるという理由だけで、王という形で君臨することなど、許せるわけがなかった! 王族は、ルビーフォルンを殺そうとしたんだ! そして実際に、あまたの民が死んだ! 王族などただの人殺しだ! いや、虐殺者でしかない!」
そう言い切ったバッシュさんの怒りに思わず足がすくみそうになった。
それほどの想いだ。
でも、それでも、私がここで引き下がるわけにも、いかない。
「確かに、過去のことについては、私は知らないかもしれません……でも! 今生きているルビーフォルンのことなら、わかるつもりです! 領民たちは、災害にも負けず強く生きてくれています! バッシュさんはそんなルビーフォルンの民達を、国との戦争という形で殺そうとしているんですよ! 開拓村制度で領民を苦しめた王を人殺しだと言いましたけれど、バッシュさんは、その憎むべき国と同じことをしようとしてるんです!」
私が、そう言い募ると、バッシュさんは苦く微笑んだ。
「もちろん、そのことは、分かっている。覚悟も出来ている。農業改革のためタゴサク先生と出会ったあの時に、私はもう覚悟を決めていた」
「タゴサクさんと出会った時から?」
「私が一番最初にタゴサク先生の話を聞いたとき、いつかこのことが原因で国とぶつかることになるかもしれないと、思った。リョウ君が危惧していたようにね。だが、私はそれでいいと思ったのだ。むしろ、そうなればいいと。その時から、私の気持ちは決まっていた」
「で、でも、国はかわり始めてます! 新しい国策だって出たばかりじゃないですか! ルビーフォルンを救った農業改革が、国に批判されるどころか、認められたのですよ! それなのに、わざわざこんな戦争を仕掛けようとして、本当にそれがルビーフォルンのためになると思いますか? わざわざ争わなくても……!」
「ああ、そうだろうね。慰労会というかたちで久しぶりに王都で暮らして、その変化に驚いた。魔法使いに虐げられているだけだった非魔法使いの存在が大きくなってきている。約束された勝利の女神、だったろうか? 素晴らしい2つ名がついたね。そんなもの、昔では考えられない光景だ。そう、国は、変わろうとしている……。それは、分かっている。分かっているのだ。だが、変わるのが、遅すぎたと、思わないか? 今更、変わったのだからもういいだろうと、過去のことを全て流せるものだろうか? 私は、流せない……流せなかった。国は知るべきなんだ。今までのルビーフォルンの痛みを苦しみを絶望を! そしてそこから立ち上がってきた我らの力を知るべきだ! そう思わないか!?」
あまりのバッシュさんの迫力に、私は言葉を失った。
するとそんな私の前に、コウお母さんがかばうように間に入ってくれた。
「バッシュ、そんな感情的になるなんて珍しいじゃない。あなたは、いつも冷静だった。冷静な領主であろうとしていた。ねえ、バッシュ、領主としてのバッシュに聞くけれど、バッシュとアレクがやろうとしたことは、本当に領民のためになることなの?」
コウお母さんが、落ち着いた穏やかな声でゆっくりそう語りかけると、バッシュさんは眉をしかめ、口をつぐんだ。
そして、観念したように、口を開く。
「そうだな。これは……ただの私情だ。完璧な私情だ。領民のためだといって、領民の怒りだといって、私はただ私の怒りをぶつけたかっただけだ。分かっている、分かっているんだ。でもそれでも、止められなかった。自分の中で燻る怒りを、止められなかった」
そう静かな声で、バッシュさんが呟く。
私は恐る恐る口を開いた。
「あの、バッシュさん、どうして、アリーシャさんを私によこしてくださったんですか? ……アリーシャさんが知らせてくれなかったら、私はあの場を止めることはできなかったかもしれません。アレク親分の作戦はうまくいっていたと、思います」
いや、実際止めたのはタゴサクさんだけど、でも私があの場に着くのが1秒でも遅かったら、暴動はもう止めることができないところまで来ていたかもしれないのだ。
私の疑問に、バッシュさんはすこし驚いたような顔で、私を見た後、かすかに笑った。
「さあ、どうしてだろうか。私でも、よくわからないんだ。だが、そうだな、きっと、領主としての私が、冷静な部分の私が、そうさせたのかもしれないな。……そうか、やはりリョウ君が、とめてくれたか」
そう、どこかホッとしたような響きで、そういうと、バッシュさんは目に手を当てた。
「城にいかねばならんな。あの騒ぎの説明をせねばならない」
「グローリア様は、たしか先にルビーフォルンに帰らせているのですよね? ご存知でいらっしゃるのですか?」
私がそう問いかけるとバッシュさんは首を横に振った。
「グローリアは、何も知らない。私が決めて、勝手に行ったことだ。全て私の責任だ。私の身1つで、丸く収めるつもりだ……」
そうどこか覚悟を滲ませたバッシュさんの言葉に、私は眉をひそめた。
「身一つで収める……? これから、どうされるおつもりなのですか? まさかグエンナーシス卿のように、領地を返還するおつもりですか?」
「いいや、そんなつもりもなければ、私にそんな権利もない。私は、非魔法使いだ。実際に領地と爵位を持っているのは、妻のグローリア。持ってないものを返すことはできない。だが、今回の騒動に対するけじめはをつけられるぐらいには、力はあるはずだ。グエンナーシス卿の退位から間もない今、続けて魔法使いであるグローリアを、国は罪には問いたくないだろう。全ての責任を私に押し付けることができるのならば、国にとっても悪くない話だ」
「バッシュ様、ダメですからね。バッシュ様が死んで、ルビーフォルンの領主をやめるなんてこと、絶対に許しませんから!」
「何故だ? こんな私情に走る領主など、あってはならないことだ。私は、もともとこういうものには向いていないのだよ」
「いいえ、バッシュ様はこれからもルビーフォルンに絶対必要な人です。やめるなんてこと、絶対に許しませんから! 今回のことで、少しでも領民に、私に悪いことをしたなって思ったのなら、責任を持って領主として務めてください! ……幸い、先の出来事は最悪の事態になる前に止めることができました。これから王城側に説明する内容次第では、責任を問われないかも、しれません。ですから、城には、私に行かせてください。今回、暴動を起こしたのは、ルビーフォルンの民でもありますが、ルビーフォルン商会の従業員でもあります。事情説明の代表者としては、私でも問題ないはずです」
私がそういうとコウお母さんが「リョウちゃん!」と責めるような口調で名を呼んだ。
そしてバッシュさんも顔をしかめる。
「そうすれば、君が責任を問われることになる」
「大丈夫です。バッシュさんだって、さっき言っていたじゃないですか。私は、約束された勝利の女神、なんですよ? そうそう私を無下にはできない理由が、国にはあります」
「だが……!」
「私、もう決めたんです! それにあの場にアズールさんを残してきました。アズールさんには、私が後ほど説明すると言っておいてます。バッシュさんだって、私が出た方が丸く収まる可能性が高いってわかっているはずです」
「危険だ! 私の身はどうなってもいい。自分でまいた種だ。だが、リョウ君には、未来がある……! 君は、ルビーフォルンの恩人だ。このような騒ぎを起こした者として、説得力はないと思うが、私は、君には、幸せになってほしい。本当に……そう思っているんだ……」
そう絞り出すように言ったバッシュさんの言葉が真剣で、私は、昨日のことを思い出していた。
国策制定の内輪のパーティーでバッシュさんが私に言ってくれたことを。
「そういえば、昨日、バッシュさんは、私に、私が死んで欲しいといえば、死んでくれるって言ってましたよね?」
「ああ、言った。それは本心だ。君への感謝、そして、君の献身を踏み潰す形でアレクに手を貸した申し訳なさ……リョウ君がそう願うなら、命も捧げる覚悟だ」
「じゃあ、死んでください」
私が間髪入れずにそう言うと、バッシュさんは当然だと言うふうに頷いた。
「分かっている。だからこそ、あの騒ぎの責任をとる形で、私は」
「勘違いしないでください。私が言いたいのは、国に対する怒りに呑まれ、私情に領民を巻き込み、ただ逃げるために死のうとしてるようなバッシュ様は、死んでくださいって意味です。そうすれば、残るのは、いつもの冷静で温和な、ルビーフォルンの領主としてのバッシュ様です。そうですよね? 私に感謝の気持ちや申し訳ないと思う気持ちが本当にあるのなら、私の言う通り、バッシュ様は、自分を殺してでも、ルビーフォルンの良い領主としていてもらいます」
私がそう言い切ると、そう言われたことが意外だったのか、バッシュさんは呆然としたように目を見開いて、動きを止めた。
私はそのまま話を続ける。
「まだ、ルビーフォルンには、バッシュ様が、必要です。……そして、いつものルビーフォルンの良い領主であるバッシュ様なら、わかるはずです。国に対し、今回の騒動の説明をするのは、私が適任であると。国は、私に、ルビーフォルン商会の会長である私に大きな借りがあります。私なら、この騒動をうまく収められます」
私がそういうと、しばらく固まっていたバッシュさんが、ややして観念したように息を吐いた。
「……分かった。それが、リョウ君の望みであるならば」
そう、バッシュさんの唸るような声が部屋に小さく響いた。