慰労会編⑦ 大晩餐会にて4
アランが苦々しくつぶやいた『救世の魔典』の言葉に私も頷いた。
多分カテリーナ嬢、というかグエンナーシス卿は、救世の魔典を奪おうとしている。
グエンナーシス卿が、本当にサロメ嬢が言うように、今まで忠誠を誓っていたはずの王国に反旗を翻すつもりならば、そのための大義名分を求めるはず。そして我が王国において、その大義名分になり得るのが、救世の魔典らしい。
各領主や貴族は、爵位をもらった時に王家に忠誠を誓っている。
それを裏切って反乱を起こすというのは、どんな理由があるにしろ、不名誉なこと。
王家への不満を掲げて、独立宣言みたいなことをしても周りの諸侯達は、力を貸してはくれないだろう。
そして、周りの諸侯の力を得られなかったら、グエンナーシス卿の反乱に望みはない。
だからこそ、形ばかりの理由がいる。自分が王位にふさわしい人間であると主張し、周りの諸侯を味方につけるための理由が。
きっと前世の世界だと、そういうのは血筋とかを主張するのだろうと思う。王族の血筋の者を確保し、それを神輿にして反乱をするというような具合で。
でも、魔法というものが中心のこの国で、王位を簒奪するためには、血筋ではなく、魔法使いであることと、そして救世の魔典の所有にあるのかもしれない。
とは言っても、私には、救世の魔典を奪って反乱なんて、やっぱり無謀に思えるし、救世の魔典を手にしたからといって、他の諸侯達の協力を本当に得られるものなのかどうか、いまいちよくわからない。
でも今までのカテリーナ嬢の行動から察すると、彼女の狙いは救世の魔典であることは明らかで……。
「ねえ、アラン、救世の魔典って、それほど重要なのでしょうか? もし、グエンナーシス卿が魔典を手にしたら、レインフォレスト領をはじめ、他の領地の皆さまはグエンナーシス卿についていくと思いますか?」
もちろん、カテリーナ嬢の暴挙は絶対に止めるつもりだけど、万が一救世の魔典がグエンナーシス卿の手に渡ったことを思って、思い切ってアランに尋ねてみると、「……難しいな」と言って、アランは下を向いた。
「難しい、ですか?」
と私は先を促すとアランは再び口を開いた。
「グエンナーシス卿と同じように、今の王家に不満がある諸侯は多いと思う。それに魔法使いにとって救世の魔典は特別な存在で、敬意の対象だ。それを持つ者が王位に相応しいと思う気持ちは、魔法使いなら強いかもしれない」
おお、やっぱり救世の魔典は、魔法使いにとって、それほどの影響力を持っているのか。
そう思うと、救世の魔典、凄まじいな。
「それはつまり、グエンナーシス卿が救世の魔典を手に入れたら、魔法使いの方々はすべてグエンナーシス陣営に与するということですか……?」
魔法使いはすべて貴族だ。そうなると、グエンナーシス卿はすべての魔法使い、貴族を仲間にできる。
一応念のため、私がそう確認すると、アランが首を振った。
「いや、魔法使い全てが、必ずグエンナーシス卿についていくとは思えない。なぜなら、救世の魔典を特別に思っているのは、俺たち魔法使いだけ、だからだ。魔法使いとそうでない者にとって、救世の魔典に対する感覚に大きな差があって、それがこの問題を難しくしていると思う」
「感覚に大きな差、ですか。救世の魔典は全ての呪文が記された書物ですよね。そう考えると、それはとても貴重で素晴らしいものだとは思いますが……でも、私にとってはそれだけです。呪文だって、ほとんどの呪文は他の書物、教科書などに転写されていると聞きますし。確かに、私のような非魔法使いにとって、救世の魔典はそれほど特別なものだとは思えない」
「ああ、リョウならそういうと思う。そして、そう言われてみると、俺も確かにそうかもしれないなと思えてくる」
アランが遠くを見ながらそういうと、迷うように小さく唸って、「俺も、なんと言っていいかわからないが……」と言いつつも話を続けた。
「魔法使いの数は、少ない。魔法使いの周りには、それを支える非魔法使いの存在がいて、お母様もクロード伯父様に、領地の経営の相談をされることがあるし、なんていうか、つまり、俺がリョウに言われて、救世の魔典なんてそこまでのものではないかもしれないと思うのと同じように、他の魔法使いもそうなんじゃないかと思うんだ。……何となくだけど、王都の、いや、この国に生きる人々の意識が変わってきている気がする。あの王家ですら、商人ギルドを内部に迎えているし、救世の魔典や魔法がこの国の全てだという感覚が、遠のいてきている。だから、救世の魔典を持つ者に、必ず周りがついていくなんてことは言いきれない」
言葉を選びながら、迷うようにそこまで話したアランはそういうと、私の方を見た。
「だが、魔法使いの栄光の時代を長く生きているグエンナーシス卿は、そのことがわかっていないのかもしれない。救世の魔典が手に入れば、自ずと周りが自分を支えてくれると信じているのだと思う」
なるほど……。
私は、アランの言葉をよく吟味する。
確かに、そうかもしれない。
少しばかりこの国は、王家の体制も含めて、変わってきている。
だからこそ私は、ウヨーリの教えをもとにした国策を使ってみようと思うことができた。
「どちらにしろ、救世の魔典を国から奪うなんて、うまく行く気がしないけどな。あそこには、強力な結界が張ってある。正直、カテリーナには無理だろう。あれを破れる魔法使いは、そうそういない。できて、王族の魔法使いぐらいだろう」
王族の魔法使いというと、ゲスリーとかか。王族は特別魔力が強いっていうもんね。
とアランの話に頷いたタイミングで、ちょうどダンスタイムが始まったようで、室内から音楽が流れてきた。
なんとなく、音楽が始まったなと思って、意識をそちらに向けると、アランが私の左手をとった。
「せっかくだし、踊らないか? 詳しい段取りは、リッツやシャルロットと一緒に話し合った方がいい」
と言われたから、改めてアランを見上げた。
黄緑色のきれいな瞳が私を見ていた。
え、あれ、なんか、アラン近くない?
あ、いや、私が内緒話をするために奥に追いやったわけなので、こんなにまで寄っていったのは私からなんだけど。
なんだか、無性に恥ずかしくなってきた……。
「そう、です、ね。で、でも、女性をダンスに誘うなら、それなりの誘い文句が必要ですよ」
と、内心ちょっと恥ずかしくなってきた私をごまかすためにそう口にすると、アランはちょっと悩んだ末に、私の左手をそのまま持ち上げて、手の甲に軽く唇を寄せてきた。
ん!? えっ!!
な、なにやってんの!?
と固まっている私に気づかずに、アランは口を開く。
「リョウと踊りたい……ダメか?」
い、いや、別にダメじゃないけど、ダメじゃないけどさ!
手の甲にキスとか、確かに結構貴族の間だと男性が女性にやったりする挨拶だけどさ!
そ、そういう恥ずかしいことをさらっとするみたいなのは、カイン様の担当だから!
く、アランのくせに……!
ちょっとドキドキしちゃったじゃないか!
子分にドキッとさせられるなんて!
と、私が戸惑っていると、アランは自分の誘い文句がダメなんだと思ったらしくさらに口を開いた。
「えっと、今日の焼き芋みたいな紫のドレスは似合ってるし、まるで、羽の生えた、えーと、そう! 妖精だ! 焼き芋の妖精みたいで、きれいだと思う。どうか、俺と踊ってほしい」
そう、なんとか必死に考えましたみたいな様子でアランが言葉を紡ぎだした。
……いや、今日どんだけ焼き芋推してくるんだよ。
この紫のドレス気に入ってるのに、このドレス見るたびに、毎回ほかほかの焼き芋が脳裏にかすめていきそうなんだけども!
そういえば、このドレスの裏地黄色だ……。
たしかに焼き芋みたいなドレス……。
私は、一瞬にして冷静になった。
先ほど一瞬ちょっとアランにドキッとしてしまった気がしたけれど、気のせいに違いない。
私は、まあいいや踊ろうか、という気分で頷くと、アランは嬉しかったようで、そのまま笑顔でテラスからダンスのフロアまでエスコートしてくれて、私は焼き芋ドレスを翻しながらダンスを楽しむことにした。









